学位論文要旨



No 118108
著者(漢字) 中津,則之
著者(英字)
著者(カナ) ナカツ,ノリユキ
標題(和) バイオインフォーマティクス的手法を用いた抗がん剤感受性を規定する遺伝子群の予測と検証
標題(洋)
報告番号 118108
報告番号 甲18108
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2497号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 清水,謙多郎
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 助教授 中村,周吾
 東京大学 助教授 小西,博昭
内容要旨 要旨を表示する

 日本において1991年から死亡原因の第一位となった癌は、2000年には死亡原因の30.7%、癌による死亡者は295,399人に達した。癌を克服するためには、二つのアプローチ、予防と治療があるが、癌治療においては化学療法・外科的手術法・放射線療法などが大きな役割を果たしている。その中でも化学療法は全身療法として適用可能という意味でも、今後非常に重要な役割を果たしていくと考えられる。しかしながら、現在の化学療法はその投与法において経験則によるところが多く、副作用の割には満足できる臨床効果が現れないといった欠点も持っている。近年、癌の分子生物学・分子遺伝学の進歩によりHerceptin,STI571といった分子標的治療薬が開発されるなど、有効で副作用の少ない抗がん剤の開発が求められている。また、マイクロアレイやDNA chip, SNP解析などの技術が発展してきており、癌の分類・診断、抗がん剤の感受性・副作用の予測などの研究が広く進められてきている。本研究はこれら一連の流れの一端を担い、抗がん剤の薬効と遺伝子発現の相関を解析し、遺伝子発現プロファイルから有効な抗がん剤を予測する系を確立することを目指した。また、本研究は癌の診断・新たな分子標的治療薬のターゲットとなりうる新規抗がん剤標的・関連遺伝子を同定することにもつながると考えられる。

 本研究では、抗がん剤感受性が調べられているヒトがん細胞株42株について遺伝子発現をcDNAアレイ法を用いて網羅的に解析しデータベース化すること、これらの遺伝子発現情報と抗がん剤感受性情報を解析することにより抗がん剤感受性を規定する遺伝子群をin silicoで予測すること、また、その検証を行うことを目的とした。

 乳がん10系、肝がん12系、胃がん20系、計42系のヒトがん由来培養細胞株についてAtlas Human 3.6 Array(clontech)を用いて3393遺伝子の発現を測定し、標準化を行った後、データベース化した。抗がん剤感受性とは無関係に、これらの遺伝子発現量を変数とし、細胞株を平均連結法による階層的クラスタリングを行った結果、乳がん由来細胞株は単一のクラスターに、肝がん由来、胃がん由来細胞株も例外はあるがそれぞれ数個のクラスターに分類されることがわかった。このことから、培養細胞株は由来細胞の性質を保持しており、培養細胞株を用いても由来臓器による解析が可能であることが示唆された。

 次に、抗がん剤感受性を規定する遺伝子群の予測を行った。SRB assayによって測定された増殖阻害曲線から算出された50%増殖阻害濃度の絶対値(Log10 GI50)を指標として表される約60種の抗がん剤感受性情報と遺伝子発現情報とをPearsonの相関係数(r)を用いて相関解析した。解析対象遺伝子は42細胞中少なくとも25以上の細胞株でデータが得られており、そのうち20細胞株以上で発現が認められる890遺伝子とした。正の相関を示す遺伝子は発現量が高いほど、抗がん剤に対する感受性が高くなっており、抗がん剤感受性に関連していると予測される遺伝子である。一方、負の相関を示す遺伝子は抗がん剤耐性と関連があると予測される遺伝子である。このような解析を遺伝子と抗がん剤で約6万通りについて相関解析を行った。その一例として、表1に乳がん由来細胞株においてDNA二重鎖架橋によるDNA合成阻害を機序とするMitomycin C(MMC)と相関のある遺伝子(p<0.05)を相関係数順にソートしたリストを示す。これらの遺伝子は、1.抗がん剤感受性を規定する遺伝子、2.見かけ上抗がん剤感受性と連関のあるように見える遺伝子、3.False Positive Geneが含まれていると考えられる。

 相関解析で得られた抗がん剤感受性候補遺伝子の中から1の抗がん剤感受性を規定する遺伝子が抽出されているかどうか検討するために検証実験を行った。PcDNA3.1/myc-HisAに挿入した候補遺伝子をヒト繊維肉腫細胞HT1080細胞にLipofect AMINE Plus試薬を用いて導入した。導入24時間後に抗がん剤で24時間処理を行い、3H-Thymidineの取り込みを指標に抗がん剤感受性の変化を検討した。

 図1に感受性候補遺伝子HSPA1A(Hsp70.1)導入による5nM MMC処理時におけるMMC感受性の変化を示した。既知のMMC感受性遺伝子DT-diaphoraseを導入したHT1080細胞のThymidine取り込みは抑制されている。このことから、抗がん剤感受性変化のスクリーニング系が構築されたことが確認できた。この系を用いて候補遺伝子導入による抗がん剤感受性変化のスクリーニングを行ったところ、コントロールであるLacZを導入した細胞は感受性の変化がみられないが、MMC感受性候補遺伝子HSP70.1を導入した細胞においてThymidine取り込みは抑制され、HSP70.1はMMC感受性を規定している遺伝子であることが示唆された。 以上の結果から、培養細胞株は遺伝子発現情報に由来臓器の特徴を反映しており、ヒトがんのモデルとして用いることができるが示唆された。また、cDNAアレイによる網羅的な遺伝子発現情報と抗がん剤感受性情報をPearsonの相関係数を用いて相関解析することにより感受性を規定すると予測された遺伝子のうち約10%が実験的に同定されたことからこの手法は有用であり、各種の抗がん剤について同様の解析を展開することにより抗がん剤感受性を規定する遺伝子群を体系的に明らかにすることが可能と考えられる。抗がん剤の効果をその投与前に知ることできる可能性があり、無用な薬剤投与がさけられ患者に対しての負担を軽減させることができると考えられる。このように本研究の成果は医療の現場に大きく貢献できる可能性を含んでいる。

表1.乳がん由来細胞株におけるMitomycinC(MMC)

GenBankはGenbank IDをrはPearsonの相関係数、pはp値を表す。

図1.遺伝子導入によるMMC感受性変化

実験方法は本文参照。横軸に導入した遺伝子を縦軸に5mmMMC処理時の3H-Thymidine取り込み量をMMC未処理時における3H-Thymidine 取り込み量に対する相対値として表した。

審査要旨 要旨を表示する

 現在、がんは主要な死因の一つであり、克服すべき疾患の一つとなっている。がんの治療法として抗がん剤を用いた化学療法は非常に重要であり、外科的療法により治療できない進行したがんの治療などにさらに重要性を増すと考えられている。抗がん剤は患者に対する感受性が著しく異なるという特徴をもつ。その理由として、がんの多様性・その個体における薬物の代謝の多様性・薬剤への応答に関する多様性などがあげられるが、これらには非常に多くの遺伝子が複雑に関与していると考えられている。このような理由から,抗がん剤の感受性を予測するのは難しいのが現状であり、古典的な診断法に加えて分子生物学的な知識やDNA microarray、single nucleotide polymorphism(SNP)などの遺伝子情報を用いて診断を行うことで抗がん剤の感受性の予測を行い、抗がん剤の選択を行う試みがなされている。抗がん剤の感受性を予測するために、抗がん剤感受性に関連する遺伝子群を明らかにすることが望まれている。本論文は抗がん剤感受性と関連する遺伝子を同定するために包括的な遺伝子発現解析、バイオインフォーマティクス的手法を用いた抗がん剤感受性関連遺伝子群の予測、およびその検証に関して解析した結果を述べ、実際にこの方法が有用であることを述べている。

 まず、乳がん10系、肝がん12系、胃がん20系、計42系のヒトがん由来培養細胞株を用い、cDNA arrayによって包括的に3537遺伝子の発現を解析し、遺伝子発現データベースの構築を行った。この遺伝子発現により培養細胞株を階層的クラスタリングによって分類した結果、臓器別に分類された。これにより、遺伝子発現という点からみると少なくとも本研究で用いた細胞株は由来臓器の特徴を保持していると示唆され、以後の実験において細胞株をがんのモデルとして用いることができると考えられた。

 つぎに、遺伝子発現データベースと既存の薬剤感受性データベースをバイオインフォーマティクス的手法により解析し、抗がん剤感受性関連遺伝子群の予測を行った。解析はピアソンの相関係数を用いて行い、マイトマイシンC(MMC)に関して感受性候補遺伝子ZFM1,EMS1,JUN、耐性候補遺伝子PET112,DVL2などが抽出された。このような解析を63抗がん剤に対して行い、それぞれの抗がん剤に関して感受性候補遺伝子・耐性候補遺伝子を抽出した。また、同じ臓器由来の細胞株を用いて臓器別に相関解析を行った。その結果、乳がん細胞株においてMMC感受性候補遺伝子HSPA1Aや耐性候補遺伝子IL18など42系の解析では予測されなかった遺伝子が新たに抽出された。胃がんにおいて微小管の重合促進を作用機序とするpaclitaxelに関して臓器別解析を行ったところ、感受性候補遺伝子、上位20遺伝子のうち14遺伝子が42系の解析では予測されず、臓器別解析によってはじめて抽出された。これらのことより臓器別解析の必要性が示唆された。

 最後に、抗がん剤感受性関連群の予測に対して検証実験を行った。予測された抗がん剤感受性と関連する遺伝子をHT1080細胞に導入し、実際に感受性が変化するか検証を行った。既知のMMC感受性遺伝子NQO1の導入により、MMCの感受性変化を検出できたことから検証系の確立が確認できた。このような検証系により、抗がん剤感受性と関連があると予測された遺伝子のうち19遺伝子を検証した結果、19遺伝子中MMC感受性遺伝子として予測されたHSPA1AおよびJUNの2遺伝子、即ち約10%において感受性の変化が観察された。これらのことよりバイオインフォーマティクス的解析が抗がん剤感受性と関連する遺伝子群の予測に有用であることが示された。本研究により、抗がん剤感受性の予測の道が開かれ、臨床応用の可能性が示された。

 以上、本論文ではがん患者に対する抗がん剤感受性を予測するための抗がん剤感受性関連遺伝子群の予測に関する基礎研究を行い、有用な知見を供給したもので、学術上、応用上貢献するとことが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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