学位論文要旨



No 118110
著者(漢字) 伊東,孝祐
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,コウスケ
標題(和) 大腸菌由来アゾ還元酵素AzoRの結晶構造解析
標題(洋)
報告番号 118110
報告番号 甲18110
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2499号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 AzoR(Azo Reductase)は、アゾ化合物を分解する微生物のスクリーニングの過程で、メチルレッド、エチルレッドなどのアゾ化合物を分解する酵素として同定された大腸菌由来のタンパク質である。一般的にアゾ化合物は、製造が容易なこと、安定な化合物であることから様々な用途で幅広く大量に使用されている化合物であるが、その安定性のため、一度環境中に放出されると分解されずに環境汚染を引き起こす。具体的には、アゾ化合物は遺伝子変異を引き起こすなどの毒性があることが判っている。そのため、アゾ化合物を大量生産が可能な微生物の酵素によってマイルドな条件下で分解することが非常に重要である。

 現在までの酵素学的研究により、AzoRはNADHを電子供与体、FMNを補酵素として、ping-pong Bi-Bi機構を2サイクル繰り返してアゾ基を還元することにより分解することが判っている。しかしながら、これまでにAzoRのような高いアゾ分解活性をもつ酵素の立体構造に関する報告はなく、その反応の分子機構は判っていない。そこで本研究はX線結晶構造解析によりAzoRの立体構造を明らかにし、還元反応の分子機構を明らかにする事を目的とした。

2.AzoRの結晶化、およびX線結晶構造解析

 結晶化はシッティングドロップ蒸気拡散法で行った。条件検討の結果、精製タンパク質濃度45mg/ml、100mM HEPES - Na(pH7.5)、200mM MgCl2、30%v/v iso-propanol、1mM FMNを含む溶液を使用して、15℃、5日間で0.05×0.05×0.2mmの棒状結晶を得ることに成功した。結晶学的パラメーターを計算した結果、この結晶は空間群P42212、格子定数はa=b=92.18A,c=51.85A,α=β=γ=90°であることが判った。AzoRと相同性をもつタンパク質の立体構造はこれまでに明らかになっていなかったため、K2PtCl4を用いて重原子ラベルした結晶を作製し、SIRAS法(Single Isomorphous Replacement with Anomalous Scattering method)によって位相を計算した。その結果、1.8Aの分解能でFMNとの複合体の構造解析に成功した。その際のモデルの精度を表す統計値は、R-factor=19.7%,Rfree=25.1%であった。これは良質なモデルが得られたことを意味する。また、結晶中の非対称単位には1分子存在していた。

3.AzoRの全体的構造

 AzoRの全体的な構造は、中心部に5本のβ-シートがあり、その周囲を3本、および2本のα-ヘリックスがサンドイッチした形になっている(Fig.1)。結晶中での非対称単位ではタンパク質は1分子のみの存在であったが、AzoRはホモダイマーで機能発現する酵素であると考える。その理由として、ゲル濾過クロマトグラフィ一で分子量が2分子分に相当すること、対称操作をすると活性部位(FMN周辺)に2分子のアミノ酸残基が寄与している構造になっていることがあげられる(Fig.2)。つまり非対称単位に1分子のみ存在していたことはタンパク質の対称軸と結晶学的対称軸が一致した結果だと考えられる。似た構造をもつタンパク質を検索した結果、アミノ酸配列の相同性が一部にしかないにもかかわらず、全体的なフォールディング、およびトポロジーは哺乳類のDT-diaphorase(EC 1.6.99.2)[電子供与体:NAD(P)H、補酵素:FAD、腫瘍治療のためのプロドラッグターゲットタンパク質として現在注目を集めている]と類似していた。

4.活性中心部位

 FMNは活性中心と考えられるイソアロキサジン環部位、リビトール部位、リン酸部位それぞれにおいて水素結合によりペプチドと結合している。また、FMNのイソアロキサジン環は、si-faceが活性ポケットの方を向いていて、re-faceがタンパク質側を向いていて空間が満たされており、一方向(si-face)のみからしか基質が接触できない形になっている。このことは、活性部位に同時に2つの基質が結合できないことを示しており、ping-pong mechanismで反応が進行するという酵素学的実験から得られた結果と合致する。

5.反応機構(2電子酸化還元反応)の推測

 通常ハイドライドイオンにより2電子が供与される際には、イソアロキサジン環N5位をハイドライドイオンが攻撃し、N1位に水素イオンが結合するが、本酵素中のイソアロキサジン環N5近辺には水素イオンを供与するようなアミノ酸残基、および水分子が存在しない。しかしながら、イソアロキサジン環N5位は140Arg-141Glyのペプチド結合のN-Hと水素結合を形成している。また、イソアロキサジン環O2は144Hisと水素結合を形成している。これらのことから、互変異性によるエノール形成をともなった反応機構を考えている(Fig.3)。

6.まとめ

 AzoR(Azo Reductase)は、アゾ化合物を分解する酵素として同定された大腸菌由来のタンパク質である。この酵素のX線構造解析を行い、1.8Aの分解能でFMNとの複合体の構造解析に成功した。その結果、AzoRは相同性がほとんど無いにもかかわらず、全体的なトポロジーは哺乳類のDT-diaphorase(EC1.6.99.2)[電子供与体:NAD(P)H、補酵素:FAD]と類似していることが明らかとなった。しかしながら活性中心付近の立体構造が異なっていた。また、AzoRはホモダイマーで機能発現していることが示唆された。本研究で解析に成功した結晶構造は、電子供与体をNADH特異的,補酵素をFMNとするDT-diaphorase型酸化還元酵素のはじめての例である。

Fig.1 AzoR全体構造のリボンモデル

対称操作を行いホモダイマーとして表示した。一方のモノマー分子を黒色、もう一方のモノマー分子を灰色で表示した。図の中心、紙面垂直方向に180°対称軸が存在することがわかる。

Fig.2活性中心部位

活性部位周辺(FMN周辺)のアミノ酸残基を示した。各々モノマーからのアミノ酸残基をそれぞれA、Bとして表示した。両モノマー分子が活性発現に必要なことが考えられる。また、水素結合をドットラインで表示し、距離をA単位で表示した。

Fig.3反応機構(2電子酸化還元反応)の推測

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では、大腸菌由来アゾ還元酵素AzoR(Azo Reductase)の結晶構造解析を行い、その酵素の酸化型、還元型の立体構造を、それぞれ1.38A、1.8Aの分解能で決定し、その結果から2電子転移の酸化還元反応の分子機構を提唱した。それは通常のFMNを媒介する反応機構とは違い、エノールフォームをとって反応が進行するというものであった。また、酸化型AzoR、還元型AzoRの立体構造の変化から、プロダクトインヒビション、インデューストフィット、π-πオービタルによる基質認識のメカニズムについても考察を行っている。そして、本研究で構造解析に成功したAzoRの結晶構造は、電子供与体をNADH特異的、補酵素をFMNとするDT-diaphorase型酸化還元酵素のはじめての例であった。本論文は第四章からなる。

 第一章では、まず、有害であり難分解性化合物であるアゾ化合物を、大量生産が可能な微生物の酵素によってマイルドなコンディションで分解、無毒化することの重要性について述べている。そして、AzoRはアゾ化合物を分解する微生物のスクリーニングの過程で、メチルレッドを分解する酵素として同定されたものであり、電子供与体をNADH特異的とすること、補酵素がFMNであること、ping-pong Bi-Biで反応が進行して、アゾ基を還元分解する酸化還元酵素であるということを解説している。さらに、環境問題に関することにとどまらず、AzoRの相同遺伝子が多くの微生物で保存されていることから、生体内でも重要な役割を果たしているであろうという推測もし、本研究の重要性について説明している。

 第二章では酸化型AzoRの結晶構造解析について述べている。AzoRは相同性を持つタンパク質の立体構造が報告されていないため、Pt誘導体結晶の作製をし、SIRAS法(Single Isomorphous replacement with Anomalous Scattering method)によってAzoRと補酵素であるFMNとの複合体の立体構造を1.38Aの分解能で決定した方法について述べている。ここでは、AzoRの結晶化から、重原子誘導体の迅速な作製方法、構造計算について順次その結果を示しながら立体構造の決定にいたるまでの経緯、および得られた立体構造の妥当性をRamachandran Plotなどを用いながら事細かに記述してある。また、酸化型AzoRの全体構造についても解説してある。それは、5本のβ-シートが2本、および3本のα-ヘリックスによりサンドイッチされた構造をとっているものであった。また、温度因子の解析からAzoRは1本非常にフレッキシブルなループを持つことも明らかにしている。

 第三章では、まず酸化還元酵素ではその反応機構を解明するにあたって、還元型での立体構造決定がいかに重要なことであるかを解説し、還元型AzoRの結晶構造解析について述べている。ここでは、第二章で構造決定に成功した酸化型AzoRをプローブとし、分子置換法により還元型AzoRの立体構造を1.8Aの分解能で決定した方法、計算について述べている。ここでも還元型AzoRの結晶作製の方法から構造計算について詳細に述べ、そして得られた立体構造の妥当性をRamachandran Plot、結晶学的統計値などを用いながら事細かに記述してある。また、酸化型AzoRでゆらぎの大きかったループの電子密度が確認できなかったことを指摘し、その理由について説明している。それは、還元型のAzoRになったとき、ループがフリップし、自由度が上昇したと言うことであった。また、それは活性中心に近いことから活性発現に重要であるということも示唆するものであった。

 第四章では、酸化型AzoRの構造、還元型AzoRの構造から多岐にわたりその構造機能相関について述べている。まず、AzoRはホモダイマーで活性発現するということを明らかにした。そして、活性中心でFMNのisoalloxazine ringのsi-face側からしか基質を取り込めないという事を明らかにし、AzoRの反応がping-pong Bi-Bi機構で進行するという、これまでに得られている酵素学的結果と、本研究で立体構造決定に成功したAzoRの構造が、構造機能相関のうえからも合致していることを明らかにした。また、活性中心にあるFMNは14本の水素結合によってペプチドと結合しており、本酵素はFMNが非共有結合で補酵素として働くフラボプロテインであることを明らかにした。そして、類似構造を持つタンパク質についてもサーチしている。その結果、AzoRはDT-diaphorase(EC.1.6.99.2)[電子供与体:NAD(P)H、補酵素:FAD]と似た構造を持つことを明らかにした。このことは、DT-diaphorase型酸化還元酵素で電子供与体をNADH、補酵素をFMNとする新規構造を持つタンパク質の結晶構造解析に成功したということを意味する。そして、なぜAzoRとDT-diaphoraseが異なった電子供与体認識、および補酵素が結合しているのかを、トポロジー、アミノ酸配列、立体構造のあらゆる観点から考察している。その結果、AzoRのNADH認識の機構が新規なものであるということを示唆した。つまり、新たな興味深い課題もここで提案している。次に、酸化型AzoRと還元型AzoRの比較をし、そこから以下のようなことを発見している。まず、FMNのisoalloxazineは還元されるとそのN10、N5を軸とし、折り曲がる構造をとることは知られているが、その方向はFMNのみが還元されたときのそれとは逆方向の折れ曲がりであることを明らかにした。そして、活性中心を覆うループが還元型になると活性中心への基質のコンタクトができやすいように開くことも明らかにした。また、活性中心のフェニルアラニンのchi1がフリップすることも明らかにした。そしてisoalloxazine平面からの距離が約7Aのところにあり、基質をπ-πオービタルによる基質認識に関与しているのではないかという示唆をしている。また、活性中心付近にあるチロシンの自由度が高いため、これが基質を認識の際にインディユーストフィットするのではとの議論もしている。以上の様に、酵素の基質認識、プロダクトインヒビションなどについて議論できたのも還元型の結晶構造解析に成功してこそ得られた知見であろう。また、通常FMNのisoalloxazine ringにハイドライドイオンが転移する際にはN5位を攻撃し、N1がプロトネートする。しかしながら、AzoR中のFMN isoalloxazineはN1が141Gly N-Hと水素結合しており、これは還元型でも保たれるものであることを明らかにした。しかしながら、isoalloxazine 02は144 HisのNEと水素結合しており、これは還元型でも保たれることも明らかにした。つまり、AzoRの2電子転移反応は、通常の反応とは違ったエノールを介した2電子転移反応であることを酸化型、還元型のAzoRの立体構造解析により強く示唆するものとなった。

 以上のように、本研究で得られた知見は、学術上貢献するところ大であると考えられる。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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