学位論文要旨



No 118113
著者(漢字) 賀,麗蘋
著者(英字)
著者(カナ) ハア,リビン
標題(和) キャピラリー電気泳動法による糖分離機構および蘚類膜外Mn-SODの糖鎖の解析
標題(洋)
報告番号 118113
報告番号 甲18113
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2502号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大久保,明
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 講師 安保,充
内容要旨 要旨を表示する

第一部キャピラリー電気泳動法による誘導体化糖の分離分析とその分離機構

 糖タンパク質やグリコサミノグリカンなどの複合糖質から得られる微量のオリゴ糖および単糖を分析する場合、感度が高く、かつ優れた特異性を有する検出法と高い分離能を兼ね備えた分析法が必要である。キャピラリー電気泳動法(CE)は短時間で分析が完了し、分離能が高く、必要な試料が微量であり、環境負荷が少ない分析法として近年注目を集めている。糖を高感度で検出するためには、UVなどの吸収を持つ化合物の誘導体に標識する必要がある。本研究では、還元末端を2-アミノ安息香酸(2-AA)で標識し、その標識された糖誘導体が、キャピラリーゾーン電気泳動(CZE)で良好に分離分析できることを示し、その分離機構が糖誘導体の溶液内立体構造と電荷によることをNMRと分子モデリング計算法により証明した。

1.糖誘導体のキャピラリー電気泳動法による分離分析とその分離についての考察

 2-AAを用いて糖の標識化反応を行い、CEによる分離を行った。まずこの標識反応の最適条件や標識率を調べ、CEによる検量線を検討した。その結果、溶媒には水を用い、65℃、2時間、pH5.7、2-AAの濃度を0.2M、糖と2-AAの濃度比を1対2としたとき、60%以上の標識率が得られた。検量線は10μMから600μMの範囲で直線性を示し、検量限界は100fmolであった。

 リン酸泳動液を用い、泳動液のpHを5.5から7.0まで変化させ、糖誘導体をCEによる分離を行ったところ、pH5.5で最適な分離が得られ、セロビオースとマルトース(Mal)の二糖、六炭糖のマンノース(Man)とグルコース(Glc)、五炭糖のリボース(Rib)とキシロース(Xyl)、四炭糖のトレオースとエリトロース、三炭糖のグリセルアルデヒドの各誘導体が分子量の大きい順で良好に分離された。特に注目する点は、ManとGlc誘導体、またRibとXyl誘導体が、分子量が同じであるにもかかわらず、明瞭に分離していた点である。pHが6.0、7.0と上昇すると、電気浸透流が大きくなるため溶出が早くなり分離能が低下した。CZEでは、試料の泳動速度は、試料の電気泳動速度と電気浸透流速度の和で決まる。試料の電気泳動速度は、試料の電荷量と溶媒の粘度およびストークス半径によって規定される。今回の分析条件では、糖誘導体の負電荷は同一であるので、分離の要因はストークス半径の大小に基づくものと思われる。つまり分子全体は負に帯電していることから、ストークス半径が大きいものが早く、小さいものほど遅く検出されることになる。ManとGlc誘導体、またRibとXyl誘導体が顕著に分離したことは、分子量が同じでも、水酸基の立体異性に基づくストークス半径のわずかな違いが分離の要因であると考察した。

 糖のCE分離にはホウ酸の添加が有効であり、実用的な分析がなされている。ホウ酸はシスジオール基をもつ化合物と安定なエステルを形成することが知られている。そのためCE分析では単に誘導体自身のストークス半径だけではなく、ホウ酸との結合が分離に効果的に働くと考えられる。泳動液に150mMのホウ酸を添加した場合、主な単糖の誘導体が短時間でよく分離できた。特に六炭糖であるMan、Gal、Glc、また五炭糖であるRibとXylの各誘導体が明確に分離した。この時は、ホウ酸を添加しない時とは異なり、Rib誘導体は六炭糖より先に検出された。これらの結果から、ホウ酸を泳動溶液に添加することにより、糖のエステル化が起こり、pHが中性領域でも高い分離能が得られることが示された。

2.糖誘導体の構造および電気泳動挙動についての解析

 糖誘導体の構造および電気泳動の挙動についてNMRを用いて検証を行った。各種の糖誘導体について、単離精製を行い、NMR測定のサンプルとした。まず六炭糖及び五炭糖誘導体の立体構造をNMRで調べた。六炭糖を例とすると、グルコースの誘導体、2-AA-Glcとマンノースの誘導体、2-AA-Manの構造の違いはC-2の不斉だけであるが、C-2の水酸基の立体配置とベンゼン環のカルボキシル基との相互配置により、化学シフトは2-AA-Glcと2-AA-Manで大きく異なる。NMRにより、両者のカップリング定数が得られ、このカップリング定数の中で最も異なるのはH-2とH-3の間のJ23であり、C-2の不斉に基づく主鎖のC-2/C-3の二面角の違いが分子構造に最も大きく影響していることが考えられる。さらに、Karplusの式によりカップリング定数から求めた二面角に基づいて、分子構造計算ソフト(PC Spartan Pro)を用いて、各糖誘導体の安定配座を求めた。計算した安定配座の構造モデルより、2-AA-GlcではC-3、C-4、C-5位で折れ曲がり、一方、2-AA-Manでは伸びた構造であることが示唆された。すなわち、2-AA-Glcは糖炭素鎖が2-AA-Manよりも立体的にやや小さくなり、ストークス半径が2-AA-Manより小さいためにCEで遅く溶出すると考えられ、このことはCEの結果と一致する。五炭糖の2-AA-Ribと2-AA-Xylも同じ結果で、2-AA-Xylはストークス半径が2-AA-Ribより小さくなり、遅く溶出すると考えられ、CEの結果と一致する。

 次に、ホウ酸による電気泳動の挙動に対する影響を考察するため、精製した糖誘導体をホウ酸と反応させ、得られたエステルの13C,11B,1HのNMR測定を行った。NMRの結果から、2-AA-Glcはホウ酸と主にジエステルを形成し、一方、2-AA-Rib、2-AA-Malなどはモノエステルのみを形成した。2-AAのカルボン酸が電荷を与えるので、ホウ酸モノエステルの電荷は-2、ジエステルの電荷は-3となる。従って、リン酸泳動液の場合と異なり、2-AA-Ribの電荷が-2、2-AA-Glcの電荷が-3となり、電荷が主な分離の要因で、2-AA-Ribが2-AA-Glcより先に検出されたと考えられ、これはCEの結果と一致する。

 このように、泳動液にホウ酸を加えた分離では糖誘導体とホウ酸エステルを形成するため、ホウ酸との結合数や結合のしゃすさが分離に影響を及ぼすことが確認された。

第二部 蘚類ネジグチコケ(Barbula Unguiculata)膜外Mn-SODの糖鎖の解析

 コケ植物は最初の陸上植物であると考えられ、生物が酸性毒性にどのように適応していたかを考察する上で重要な位置にあると考えられる。1999年、蘚類ネジグチコケの細胞の膜外に局在するタンパク質として、スーパーオキシドジスムターゼ(SOD)活性を持った膜外Mn-SODが発見され、コムギの発芽時に特異的に発現するジャーミンと呼ばれるタンパク質と高い相同性が示された。そのため、このタンパク質はジャーミン様タンパク質と定義され、新規糖タンパク質と推定される。近年、このようなジャーミン様タンパク質はすべて糖タンパク質で、植物に普遍的に存在することが分かりつつあり、その性質についての研究、考察が盛んに行われているが、生理学的役割は未だに不明で、特に糖鎖構造についての報告はほとんどなされていない。

 本研究では、ネジグチコケの膜外Mn-SODの生理的な意義を解明するため、まずこのタンパク質に関する生化学的知見とその糖鎖構造の解析を行った。

3.蘚類ネジグチコケ(B.Unguiculata)の細胞培養および膜外Mn-SODの抽出精製

 グルコースを炭素源、硝酸カリウムを窒素源とする培地を臍つきフラスコに入れ、好気明条件、25℃で大量培養を行った。遠心により培養細胞を集め、膜外Mn-SODを1M Naclで抽出し、90%飽和硫酸アンモニウムで塩析、沈殿画分を回収した。次にTris-HClに再溶解した後、透析し、透析内液について熱処理による部分精製を行った。Superdexゲル濾過クロマトグラフィーにより活性画分を回収し、更に逆相クロマトグラフィーにより精製分取した。この精製したものを本タンパク質の生化学的性質および糖鎖の解析に供した。

4.ネジグチコケ膜外Mn-SODの生化学的性質および糖鎖構造の解析

 本タンパク質はゲル濾過クロマトグラフィーより、分子質量が137kDaと推定された。一方、強酸性条件や70℃以上の熱処理を行うことでサブユニット単位に分離することが判り、そのサブユニットの分子質量は非還元SDS-PAGEで28kDaであり、MALDI-TOF-MSでは約22kDaであった。このことから、本タンパク質は六量体を形成することが示唆された。また、本タンパク質は耐熱性を示し、70℃以下で、多量体のままであり、SOD活性を維持した。一方、サブユニットに分離すると同時にSOD活性も確認されなくなった。

 本タンパク質は金属酵素であるため、ゼーマン原子吸光分析法で金属含量を求めた。その結果、サブユニット当たり約1原子のMnを含むことが判明した。

 糖鎖構造の解析については特異的な糖鎖を認識して結合するレクチンを利用し、レクチンブロットによる糖鎖構造の絞りこみを試みた。膜外Mn-SODをPVDF膜に転写し、八種類のビオチン標識レクチンを用い、感度が高いアビジンービオチン化酵素複合体で検出する方法(ABC法)によって膜外Mn-SODの糖鎖構造の推定を行った。その結果、膜外Mn-SODの糖鎖はアスパラギン型糖鎖であり、またアスパラギンに最も近いGlcNAc残基にL-Fucがα1-6結合した構造であることが強く示唆された。精製した膜外Mn-SODをアスパラギン型糖鎖切断酵素であるグリコペプチダーゼF(GPF)で消化し、消化しないものとの比較を行ったところ、SDS-PAGEでは明らかなバンドの変化が認められた。さらに、糖鎖の分子量と結合部位をMALDI-TOF-MSで求めることを試みた。その結果、サブユニットの全アミノ酸配列から想定される分子量も考慮し、糖鎖の分子量が1300-1400の範囲であることが判明した。また、アスパラギン型糖鎖はタンパク質にNX(T/S)の構造が必要であり、本タンパク質のアミノ配列にはこの配列は55-57残基一箇所しかない。それゆえ、55番目のアスパラギンが糖鎖の付加部と考えられた。

 またSDS-PAGE後の膜外Mn-SODのバンドを切り取ってゲル内トリプシン消化を行い、その断片をセミミクロHPLCにより分取した。それらの一部をGPFで消化し、MALDI-TOF-MSで分子量の変化する断片を探索し、糖残基結合ペプチド断片の特定も試みた。さらに糖鎖構造を決定するため、膜外Mn-SODの糖鎖をヒドラジン分解後、ピリジルアミノ化し、高速液体クロマトグラフィーによる二次元糖鎖マップ法によって、糖鎖構造の推定を試みた。以上のいくつかの方法よりこのタンパク質は(GlcNAc)3、:Man3、:Xyl:Fucという構造をもつと推定した。今後は続けて確認を行う予定である。

5.まとめ

 本研究第一部では、NMRにより糖誘導体の立体構造を示し、CEによる誘導体化糖の分離機構を解明した。NMRのデータよりCEの分離理論を裏付けたのは本研究が初めてと考えられる。この基礎研究の結果を生かし、他の手段とともに糖の高感度分析の多くの分野での実用が期待される。第二部では、蘚類ネジグチコケの膜外Mn-SODについて生化学的性質や糖鎖構造の解析を行った。得られた知見はこの糖タンパク質をはじめジャーミン様タンパク質の生理的役割の解明への応用が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 糖鎖は、生体内でタンパク質や脂質と結合し、重要な機能的役割を担っていることが知られている。糖タンパク質における糖鎖は、細胞の発生、分化、細胞間接着さらには免疫やがんの転移などの生命現象に深く関っている。また糖鎖の機能として、タンパク質の溶解性やその代謝に関与しており、その構造に関して多くの知見を得ることは機能発現機序を解明する上で大変重要である。本研究では、キャピラリー電気泳動法を用いた糖鎖の分析手法の開発ならびに未知糖鎖の構造を解析することを目指した。本研究は二部構成よりなる。

 第一部では、分析法としてキャピラリー電気泳動法の有用性を示し、その分離機構についてNMRを用いて解析した。

 第1章では第一部の序論として本研究の第一部の背景と目的を述べている。

 第2章では糖誘導体のキャピラリー電気泳動法(CE)による分離分析とその分離について述べている。CEは短時間で分析が完了し、分離能が高く、必要な試料が微量であるなどの利点を有する、優れた分析方法である。糖の還元末端を2-アミノ安息香酸(2-AA)で標識し、CEで分離分析を行った。種々の条件検討の結果、誘導体化糖は迅速かつ高感度に定量分析することが可能であり、単糖組成分析に有効であることを示した。

 第3章では、糖誘導体の構造およびキャピラリー電気泳動法の分離挙動に関してのNMRを用いた解析について述べている。糖誘導体のリン酸泳動液中の分離を行った場合、分子量、電荷が同一の五炭糖であるRibとXyl、ならびに六炭糖であるManとGlcが明瞭に分離していることを確認し、このことは、これら誘導体のストークス半径の差に起因すると考え、NMRならびに分子モデリング手法による3次元構造の解析を行い、両誘導体間でストークス半径に差のあることを示し、CEの泳動挙動を論理的に説明した。泳動液にホウ酸を加えた分離挙動について、13C-NMR、11B-NMRを用いて調べた。糖誘導体とホウ酸エステルを形成するため、ホウ酸との結合形態、その結果生じるホウ酸エステルの電荷とストークス半径などの因子が分離に影響を及ぼすことが確認された。NMRの結果からCEの分離理論を裏付けたのは本研究が初めてであり、この研究成果を活かし、他の分析手段と共に糖の高感度分析の多くの場面で実用化が期待される。

 第二部では、実際の糖タンパク質として蘚類ネジクチゴケ(B.Unguiculata)の膜外Mn-SODを対象とし、いくつかの手法を用いて糖鎖の構造解析を行った。

 第4章では第二部の序論として、本研究の第二部の背景を述べ、この分野での位置づけを明確にしている。

 第5章では蘚類ネジクチゴケの細胞培養および膜外Mn-SODの抽出精製について述べている。熱処理による部分精製、ゲル濾過クロマトグラフィーにより活性画分を回収し、更に逆相クロマトグラフィーにより精製分取した。

 第6章ではネジクチゴケ膜外Mn-SODの生化学的性質について述べている。本タンパク質は分子質量が123kDaと推定され、そのサブユニットの分子質量はMALDI-TOF-MSでは約22kDaであったため、本タンパク質は六量体を形成することが示唆された。また、ゼーマン原子吸光分析法で金属含量を求めた結果、サブユニット当たり約1原子のMnを含むことが判明した。

 第7章では糖鎖構造の解析について述べている。糖鎖構造の解析についてはまず8種類のビオチン標識レクチンを用い、感度が高いアビジンービオチン化酵素複合体で検出する方法(ABC法)によって膜外Mn-SODの糖鎖構造の推定を行った。その結果、膜外Mn-SODの糖鎖はアスパラギン型糖鎖であり、またアスパラギンに最も近いGlcNAc残基にL-Fucがα1-6結合した構造が強く示唆された。また55番目のアスパラギンが糖鎖の付加部と推定した。さらに糖鎖構造を決定するため、膜外Mn-SODの糖鎖をヒドラジン分解後、ピリジルアミノ化し、高速液体クロマトグラフィによる二次元糖鎖マップ法によって、糖鎖構造の推定をした。以上のいくつかの方法によりこのタンパク質は(GlcNAc)3:Man3:Xyl:Fucという構造をもつと推定した。

 以上本論文は、生命活動に深く関っている糖鎖について、NMRならびに分子モデリング手法によりキャピラリー電気泳動法での糖誘導体の分離機構を解明し、あわせて蘚類ネジクチゴケの膜外Mn-SODについて生化学的性質や糖鎖構造の解析を行ったもので、学術上応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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