学位論文要旨



No 118115
著者(漢字) 石丸,喜朗
著者(英字)
著者(カナ) イシマル,ヨシロウ
標題(和) アクチン制御因子CAPの味細胞特異的発現の発見とその解析
標題(洋)
報告番号 118115
報告番号 甲18115
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2504号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 助教授 反町,洋之
内容要旨 要旨を表示する

 味覚は生命維持に必要な食物の摂取、有害な物質の忌避を決定する重要な外部感覚である。食物は主に舌上皮に存在する味蕾という組織で受容され、その情報は味神経を通じて最終的に脳へと到達する。味蕾は約50-100個の細胞から構成されており、これらには味受容細胞(味細胞)、支持細胞、基底細胞といった機能的に異なる細胞が含まれる。また、味蕾細胞は約10日でターンオーバーを繰り返していることから、様々な分化段階の細胞が共存する。本研究では、味細胞と味細胞以外の細胞の特性や機能に関わる分子、また、味蕾細胞分化に関わる分子を同定することを目的に、単一細胞ライブラリーの作製、ディファレンシャルスクリーニングを行った。研究当初は味覚受容体が同定されておらず、味細胞を定義することもできなかったことから、味細胞マーカー分子の獲得も視野に入れて上記研究を行った。

1.単一細胞ライブラリーから味細胞特異的発現を示すアクチン制御因子CAPの同定

 まず、ラット舌有郭乳頭を含む上皮を剥離し、さらに実体顕微鏡下で味蕾を単離したのち、ピペッティングによって単一の細胞に分離させた。味細胞を含む紡錘形細胞を単離し、それぞれからcDNA合成とPCR増幅を行った。得られた増幅cDNAの品質を評価するため、味蕾発現遺伝子をプローブとしてサザンブロット解析を行い、cDNA合成・増幅の効率が良いと判断された3個の細胞からcDNAライブラリーを作製した。

 次に、細胞特異的発現分子を獲得するため、ディファレンシャルスクリーニング、塩基配列解析、in situハイブリダイゼーションの3段階のスクリーニングを行った。細胞ごとに発現量に違いが見られるcDNAを平均的cDNA量からの差として抽出し、該当するクローンを2個のライブラリーから合計460個単離した。この中から、味蕾細胞機能への関わりが期待されるがまだ報告のないクローンなど15種のcDNAクローンを選択し、有郭乳頭味蕾における発現様式をin situハイブリダイゼーションによって解析したところ、アクチン制御因子であるCAP(cyclase-associated protein)が、味蕾特異的でかつ一部の味蕾細胞特異的に強く発現することが明らかになった。

 CAPは真核細胞普遍的に存在するアクチン制御因子であり、N末端領域、中央に位置するポリプロリン領域、C末端領域に分けられる。C末端領域はGアクチンと結合する領域であり、アクチン制御に直接関わる。一方、N末端領域とポリプロリン領域は他のタンパク質との相互作用領域と考えられているが、哺乳類CAPに関してはこれらと相互作用する分子は未同定である。酵母CAPのcAMP経路における機能、粘菌CAPがN末端領域を介してPIP2による制御を受けること、また、ショウジョウバエCAPのC末端領域(Gアクチン結合領域)が極性細胞の形態形成に重要であることなどを総合して考えたとき、味蕾におけるCAPに関して、(1)味蕾細胞の分化過程における形態形成、(2)味覚シグナル伝達分子の移動・局在、(3)シナプス伝達などの際にアクチン系細胞骨格を制御する、といったいくつかの仮説が想定される。そこで以下、味蕾におけるCAP機能を明らかにする目的で、(1)CAP発現細胞の同定と細胞内局在、(2)上流因子の検討とCAP分子同士の相互作用、(3)味蕾におけるCAPとコフィリンの関係を解析した。

2.CAP発現細胞の性質の解析

 CAPが発現する細胞の性質とその細胞内存在部位を調べるため、CAP特異的ポリクローナル抗体を作製し、免疫染色を行った。まず、甘味、苦味両方の味覚シグナル伝達経路に位置する3型IP3受容体を発現する細胞とCAP発現細胞との関係を、免疫二重染色によって解析した結果、CAP発現細胞は3型IP3受容体発現細胞、すなわち味を受容する細胞系列(味細胞系列)に含まれた。次に、シナプス伝達に機能するSNAP25を発現する細胞との関係を同様に解析した結果、CAPとSNAP25発現細胞はほぼ一致し、CAPは味神経とシナプスを形成している成熟した味細胞で特異的に発現することが明らかになった。

 さらに、3型IP3受容体発現細胞におけるCAP陽性細胞と陰性細胞の違い、すなわち、異なる細胞系譜に属するのか、あるいは、同じ細胞系譜に含まれる分化段階が違う細胞であるかを調べるため、出生後の味蕾分化過程における各分子の発現解析を行った。その結果、CAPはSNAP25同様に、味蕾細胞マーカー分子サイトケラチン8や3型IP3受容体よりも1週程度遅れて発現し始めた。つまり、CAPを発現する細胞は、3型IP3受容体発現細胞と同じ細胞系譜に属し、分化段階後期になってシナプス関連分子と共に発現を開始することが強く示唆された。 また、苦味受容細胞系譜を示すガストデューシン陽性細胞との関連を検討したところ、互いの陽性細胞の一部が重なることが示された。同様の分化過程の解析から、CAP陽性ガストデューシン陰性細胞は甘味受容細胞を、CAP陰性ガストデューシン陽性細胞は分化途中の苦味受容細胞を表していることが明らかになった。すなわち、CAPは神経伝達機能を有する成熟した甘味と苦味の受容細胞に発現していることが示された。

 細胞内の存在部位については、主に細胞の上半分に、一部は基底部の細胞質部位に局在し、それぞれ、味覚シグナリングおよびシナプス伝達という場で、CAPがアクチン系細胞骨格を制御することが予想された(図参照)。

3.CAPの上流因子の解析

 CAPはN末端領域やポリプロリン領域において他の因子からの調節を受け、アクチン系細胞骨格を制御していると考えられる。このCAPの上流に位置する制御因子を同定するため、ここではCAPのポリプロリン領域とこれと相互作用するSH3領域に着目し、様々な分子に存在するSH3領域に関して、酵母two-hybrid法とGST pull down法を用いて解析した。同時にこれまでにも報告があったCAPの各領域間の相互作用も検討し、他分子との相互作用との比較からCAPがとりうる分子状態を考察した。

 具体的には、味細胞におけるシナプス構造及び細胞接着構造における足場タンパク質SAPファミリーのSH3領域、ショウジョウバエCAPで遺伝学的相互作用をすることが知られている非受容体型チロシンキナーゼAblのSH3領域とFアクチン結合タンパク質Menaのポリプロリン結合領域を検討した。その結果、これらの分子に関しては現在までのところ、次に示すCAPの各領域間の相互作用ほど明確な結合は上記方法では検出されなかった。一方、CAPの各領域間の相互作用に関しては、C末端領域同士の強い分子間相互作用、N末端領域とC末端領域のそれよりは弱いが有意な分子内・分子間相互作用が示された。以上の結果、上記の方法では、CAP分子内およびCAP同士の強い相互作用の中に、他分子との弱い相互作用が埋もれてしまっている可能性が示唆された。

 そこで、SH3領域を持つ37種類のタンパク質を固定したPVDF膜を用い、分子内・分子間相互作用が起きにくいCAPのポリプロリン領域と各種SH3領域との相互作用を解析した。その結果、非受容体型チロシンキナーゼSrcをはじめ、いくつかの分子が強度は強くないが、ある程度特異的に相互作用する可能性が示された。今後、味細胞において、これらの分子がCAPに対してどのように作用し、それがどのような生理的意義を持つかを明らかにしたい。

4.CAPの下流因子の解析

 従来CAPは、そのC末端領域がGアクチンと直接結合することで、細胞内のフリーなアクチンモノマ一濃度を減少させ、その結果アクチン繊維の重合を阻害すると考えられてきた。しかし最近、別のアクチン制御因子であるコフィリンに関する免疫沈降実験と生化学的解析から、CAPはフリーのGアクチンをトラップするだけではなく、GアクチンのADP-ATP交換反応を促進させること、また、コフィリンのアクチン繊維脱重合活性を促進させることが新たに示された。つまり、CAPはコフィリンと共にアクチン繊維のターンオーバー速度を主に促進する方向に調節する可能性が出てきた。

 そこで、味蕾におけるコフィリンの発現様式を調べたところ、RT-PCR法ではコフィリン1が主なコフィリンファミリー発現分子と同定されたため、コフィリン1特異的抗体を用いて免疫染色した。その結果、CAPと同様に一部の味蕾細胞に強い染色が観察され、さらに、CAPとの免疫二重染色の結果、コフィリン1とCAPはほぼ同じ細胞に発現していることが明らかになった。この結果は分化過程における発現開始時期の解析からも支持された。すなわち、味蕾おいては、CAPはコフィリン1と協調してアクチン系細胞骨格を制御していると考えられる。

 以上のように本研究から、アクチン制御因子CAPが分化段階後期の味細胞特異的に発現することを明らかにし、コフィリン1と協調してアクチン繊維の流動性を高めている可能性が提案された。具体的には、味細胞が味神経とシナプスを形成する際に、あるいはシナプス小胞輸送など味細胞の味覚伝達機能が発現する際に、アクチン系細胞骨格の再構築が行われ、そこでCAPが作用していると考えられる。今後、味蕾の培養細胞を用いた細胞レベル、あるいは、味蕾細胞特異的発現分子プロモーターを用いた遺伝子導入動物系による個体レベルでの機能をCAP/コフィリン系の発現・存在状態の変化から解析したい。また、解析途中である上流制御因子の同定とそのCAP活性調節機構も明らかにし、味蕾におけるCAPの機能の全体像を解明したい。

発表論文

Ishimaru, Y., Yasuoka, A., Asano-Miyoshi, M., Abe, K.and Emori, Y. An actin-binding protein, CAP, is expressed in a subset of rat taste bud cells. Neuro Report, 12, 233-235(2001)

審査要旨 要旨を表示する

 味覚は生命維持に必要な食物の摂取、有害な物質の忌避を決定する重要な外部感覚である。食物を受容する組織である味蕾は、機能や分化段階が多様な約50-100個の細胞から構成されている。本論文では、一部の味蕾細胞に特異的に発現し、味蕾細胞を機能や分化から特徴づける分子を同定して、その分子から味蕾細胞の働きを解明することを目的としている。具体的には、単一細胞ライブラリーの作製とディファレンシャルスクリーニングを行った結果、味蕾特異的でかつ一部の味蕾細胞特異的に強く発現するアクチン制御因子CAP(cyclase-associated protein)の同定に成功した。さらに、味蕾におけるCAP機能を明らかにする解析を行った。

1.単一細胞ライブラリーから味細胞特異的発現を示すアクチン制御因子CAPの同定

 まず、単離したラット味蕾細胞からcDNA合成とPCR増幅を行い、最終的に単一細胞cDNAライブラリーを作製した。次に、細胞特異的発現分子を獲得するため、ディファレンシャルスクリーニング、塩基配列解析、in situハイブリダイゼーションの3段階のスクリーニングを行った。その結果、アクチン制御因子であるCAPが、味蕾特異的でかつ一部の味蕾細胞特異的に強く発現することが明らかになった。以下、味蕾におけるCAP機能を明らかにする目的で、(1)CAP発現細胞の同定と細胞内局在、(2)上流因子の検討とCAP分子同士の相互作用、(3)味蕾におけるCAPとコフィリンの関係を解析した。

2.CAP発現細胞の性質の解析

 CAPが発現する細胞の性質とその細胞内存在部位を調べるため、CAP特異的ポリクローナル抗体を作製し、免疫染色を行った。甘味、苦味両方の味覚シグナル伝達経路に位置する3型IP3受容体、シナプス伝達に機能するSNAP25、苦味受容細胞系譜を示すガストデューシンそれぞれを発現する細胞と、CAP発現細胞との関係を免疫二重染色によって解析した。その結果、CAP発現細胞は3型IP3受容体発現細胞、すなわち味を受容する細胞系列(味細胞系列)に含まれ、SNAP25発現細胞とほぼ一致し、ガストデューシン発現細胞とは互いの陽性細胞の一部が重なることが示された。さらに、CAP発現細胞を分化段階から調べるため、出生後の味蕾形成過程における各分子の発現解析を行った。その結果、CAPはSNAP25同様に、味蕾細胞マーカー分子サイトケラチン8や3型IP3受容体、ガストデューシンよりも1週程度遅れて発現し始めた。

 以上より、CAPは神経伝達機能を有する分化段階後期の成熟した甘味と苦味の受容細胞に発現していることが示された。

 細胞内の存在部位については、主に細胞の上半分に、一部は基底部の細胞質部位に局在し、それぞれ、味覚シグナリングおよびシナプス伝達という場で、CAPがアクチン系細胞骨格を制御することを想定している。

3.CAPの上流因子の解析

 CAPのポリプロリン領域と相互作用し、上流からCAPを制御する因子を同定するため、様々な分子に存在するSH3領域とポリプロリン領域との相互作用に関して、酵母two-hybrid法、GST pull down法、フィルター・オーバーレイ法を用いて解析した。同時にこれまでにも報告があったCAPの各領域間の相互作用も検討し、他分子との相互作用との比較からCAPがとりうる分子状態を考察した。

 CAPの各領域間の相互作用に関しては、C末端領域同士の強い分子間相互作用、N末端領域とC末端領域のそれよりは弱いが有意な分子内・分子間相互作用が示された。一方、CAPのポリプロリン領域とSH3領域を持つ37種類のタンパク質との相互作用をフィルター・オーバーレイ法で解析した結果、非受容体型チロシンキナーゼSrcをはじめいくつかの分子が、強度は強くないがある程度特異的に相互作用する可能性が示された。今後、味細胞において、これらの分子がCAPに対してどのように作用し、それがどのような生理的意義を持つかを明らかにすることが課題である。

4.CAPの下流因子の解析

 最近、別のアクチン制御因子であるコフィリンに関する免疫沈降実験と生化学的解析から、CAPはフリーのGアクチンをトラップするだけではなく、GアクチンのADP-ATP交換反応を促進させること、また、コフィリンのアクチン繊維脱重合活性を促進させることが新たに示された。つまり、CAPはコフィリンと共にアクチン繊維のターンオーバー速度を主に促進する方向に調節する可能性が出てきた。

 味蕾におけるコフィリンの発現様式を調べるため、RT-PCR法から主なコフィリンファミリー発現分子と同定されたコフィリン1特異的抗体を用いて免疫染色した。その結果、CAPと同様に一部の味蕾細胞に強い染色が観察され、さらに、CAPとの免疫二重染色の結果、コフィリン1とCAPはほぼ同じ細胞に発現していることが明らかになった。この結果は分化過程における発現開始時期の解析からも支持された。すなわち、味蕾においては、CAPはコフィリン1と協調してアクチン系細胞骨格を制御していると考えられる。

 以上本論文は、アクチン制御因子CAPが分化段階後期の味細胞特異的に、コフィリン1と共に存在することを明らかにし、コフィリン1と協調してアクチン繊維の流動性を高めている可能性を明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク