学位論文要旨



No 118116
著者(漢字) 伊藤,大輔
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ダイスケ
標題(和) 昆虫の生理に関わる生物活性天然物の合成研究
標題(洋)
報告番号 118116
報告番号 甲18116
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2505号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 作田,庄平
 東京大学 助教授 渡邉,秀典
内容要旨 要旨を表示する

 1950年頃から始まった世界の人口爆発は最近になって当初の予測を下回ることが報告されてはいるもののすでに総人口は60億人を超えており、現在ではそれに懸かる様々な問題が山積している。なかでも農学に関わる問題のうち特に重要なものは食糧問題であり、これまで生産効率の向上を目的とした農薬の使用が必要不可欠であった。しかしながら環境問題が顕在化している現在、従来の合成農薬に代わる環境への負荷が少ない農薬、もしくは新たな防除方法の開発が重要となり活発に研究がなされてきている。そのような状況のなか筆者は、問題解決の糸口の一端となるべく、特に害虫の防除に関して有用と考えられる生物活性天然有機化合物の合成研究、およびそれに有用な新規不斉反応の開発に関する研究を行った。

1.ミナミアオカメムシの性フェロモンの高効率合成1)

 ミナミアオカメムシ(Nezara viridula(L.))は熱帯・亜熱帯地域を中心に全世界的に分布する害虫であり、非常に広い植食性を持つことが知られている。そのオスが放出する性フェロモンの主要構成成分は1および2であるが、同種のミナミアオカメムシでも生息地域によってフェロモン中の1と2の比率が異なり、さらに近縁種のアオカメムシもそれらを異なる比率で用い、比率の違いによって交雑をさけ、種の保存を行っていることが明らかにされてきた。従ってこれらカメムシ類の生態およびフェロモンを用いた防除の研究を行うには、1と2をそれぞれ純粋に合成して任意にブレンドして用いることができれば便利であると考え、それらの効率的な合成法の確立を目的として研究を行った。

 既知の光学活性カルボン酸3を出発原料としてブロモラクトン化、側鎖部分の導入、立体選択的なメチル基の導入および立体特異的アンチ脱離によりわずか4工程で1を合成した。そして1からさらに3工程でエポキシドの立体化学を反転することにより2へと変換することにも成功した。この合成法は短段階・高選択的という当初の目的を達成し、十分量のサンプルを供給することが可能であることから、ミナミアオカメムシの生態および防除の研究に寄与できるものと考える。

2.新規不斉オキシマイケル付加反応の開発とそれを利用したオリーブミバエの性フェロモン成分の合成2)

 天然有機化合物中には様々な官能基が含まれており、活性の発現に重要な役割を果たすことが多い。なかでもβ-ヒドロキシカルボニル構造は多くの天然有機化合物中に含まれる重要な部分構造であり、その構築法として最も直接的で効率的なものはα,β-不飽和カルボニル化合物に対するアルコキシドなどの酸素求核剤の1,4-付加反応、すなわちオキシマイケル付加反応が考えられる。これまでにもいくつかのオキシマイケル付加反応の報告がなされてきたが、アキラルなα,β不飽和カルボニル化合物とキラルなアルデヒドやケトンを用いた立体選択的な分子間オキシマイケル付加反応はこれまでに知られていなかった。そこでキラルなケトンとしてD-グルコース由来の糖ケトン4とD-フルクトース由来の5を用いた、アキラルなδ-およびγ-ヒドロキシーα,β-不飽和カルボニル化合物との新規不斉オキシマイケル付加反応の開発を行った。

 炭酸セシウムを塩基としてアセトニトリル中で反応を行った結果、糖ケトン4,5とアルコール6a-dからなるジオキシラン形成反応では、反応自体は進行するものの選択性はあまり高くなかった。ところが4と6eからなるジオキサン形成反応の選択性は7:1と比較的良好であり、更なる検討の結果トルエン中でn-C16H33Me3NOHを用いた場合、13〜16:1という良い選択性で反応が進行することを見いだした。

 そこでつぎに本反応を利用した天然物合成を行った。11に対する不斉oxy-Michael付加反応は9:1で進行して環化体12を与え、その後糖部分を除去して13へと変換することができた。13は農業害虫であるオリーブミバエの性フェロモン成分であり、フェロモンの活性本体であるオレアンの合成中間体でもある。これにより本反応が実際の天然物の合成にも有用な反応であることが実証できた。

3.昆虫摂食阻害物質アザジラクチンの合成研究

 アザジラクチン14はインドセンダン(Azadirachta indica A. Juss(Meliaceae))の種子から単離されたリモノイドであり、広範な種の昆虫に対して強力な摂食阻害活性と成長阻害活性を示す。そのうえ害虫の天敵となる肉食性昆虫やミミズなどの益虫および脊椎動物に対して無毒なことから新たな農薬として注目を浴びている。アザジラクチンはこれまでに多くの合成研究が行われてきたがいまだに全合成は達成されていない。それはC8-C14結合が非常に大きな立体障害のために構築が困難なためである。しかし当研究室ではすでにラジカル環化反応によってモデル化合物でのC8-C14結合の構築に成功しており、著者はそれによる全合成を目指した研究を行った。合成計画としてはピロンとジエンラクトンを用いた分子内ディールス・アルダー反応(IMDA)によって16としたのち右側部分を導入し、ラジカル環化反応によってC8-C14を有するかたちでのデカリン環構築を行うというものである。4位置換ピロンを用いればその立体障害によってIMDAがエンド選択的に進行するとともにA環上の官能基の導入が可能となり、さらにα,β-不飽和ラクトンを用いることでラジカル環化反応が効率よく進行するものと考えた。そして種々のピロンを用いてIMDAの検討を行ったところ予想に反し望むエンド付加体16ではなくエキソ付加体19が優先的に得られてきた。このことによりIMDAの選択性が当初予想した立体的要因ではなく、ピロンとラクトンの酸素官能基の電子的要因で支配されていることが示唆された。

 そこでつぎにピロンのディールス・アルダー付加体が脱炭酸しやすいことを利用してA環部分の立体反転を行う合成経路について検討を行うこととした。これまでのところピロン上にプロパルギルエーテルとメチル基を有する20についてIMDAを行った結果、IMDAにつづいて脱炭酸反応とクライゼン転位が一挙に進行したアレン21を得ることができた。21のアレン部分はアルデヒドヘ、さらにα,β-不飽和ケトン部分はメチルケトンとメチルエステルに変換することで22へと変換可能であると考えられる。そして22は分子内アルドール反応によって閉環し、望む立体化学を有する23へと変換可能であると考え現在検討を行っている。

1) Kuwahara,S.; Itoh,D.; Leal,W.-S.; Kodama, O.Tetrahedron Lett. 1998, 39, 1183-1184.

Kuwahara,S.; Itoh,D.; Leal,W.-S.; Kodama,O.Tetrahedron 1998, 54, 11421-11430.

2) Watanabe,H.; Machida,K.; Itoh,D.; Nagatsuka,H.; Kitahara,T.Chirality 2001, 13, 379-385.

Watanabe,H.; Itoh,D.; Kitahara,T.Synthesis 2000, 13, 1925-1929.

(2S,3R,6S,7Z)-2,3-Epoxy-7,10-bisaboladiene1

(2S,3R,6S,7Z)-2,3-Epoxy-7,10-bisaboladiene2

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は昆虫に関わる生物活性天然物の合成と新規な不斉反応の開発に関するもので全3部よりなる。近年、新たな害虫防除法として昆虫フェロモンやその他天然より得られる物質を利用する方法が注目されているが、それらを利用するには合成化学的手法で試料を供給する必要があり、また構造活性相関研究も必要となる。そのため著者は効率的なフェロモンの合成法の確立および天然物の合成に有用な新規不斉反応の開発と構造活性相関研究を視野に入れた複雑な天然物の新たな合成方法論の開発を目指した研究を行った。

 まず序論で研究の背景と意義を論じたのち、第一部では世界的な農業害虫であるミナミアオカメムシの性フェロモン成分1,2の効率的合成法の確立について述べている。既知の光学活性カルボン酸3から始め、わずか4工程でまず1を合成したのち、さらに3工程で1のエポキシドの立体配置を反転することによって2を合成している。この方法は既知の合成法に比べ短工程で効率的であるためにフェロモンサンプルの供給を容易にし、今後のフェロモンを用いたミナミアオカメムシの防除の研究にも大いに貢献可能なものとなっている。

 第二部では新規不斉オキシマイケル付加反応の開発とそれを用いたオリーブミバエの性フェロモン成分の合成について述べている。天然物にはβ-ヒドロキシカルボニル構造を有するものが多く存在するが、著者はその構築法で最も簡便かつ効率的な方法としてα,β-不飽和カルボニル化合物に対する酸素求核剤のマイケル付加反応(オキシマイケル付加反応)を立案した。従来も類似の反応は存在したが、アキラルなα,β不飽和カルボニル化合物に対してキラルなケトンを用いる分子間での不斉反応の例は存在しなかったことから、その検討を行った。

 その結果、D-グルコース由来のキラルケトン4を用いたδ-ヒドロキシエノン5との不斉オキシマイケル付加反応において、溶媒にトルエン、塩基触媒にn-C16H33Me3NOHを用いた場合、高い立体選択性(13〜16:1)で反応が進行してジオキサン6を与えることを見いだした。そして著者はこの反応を用いて農業害虫であるオリーブミバエの性フェロモン成分の合成を行い、本反応が実際の天然物合成にも利用可能な有用な反応であることを示した。

 第三部ではアザジラクチンの合成研究について述べている。アザジラクチンは非常に強力な昆虫摂食阻害物質でありながら主な対象となる鱗翅目昆虫以外には毒性が低く易分解性であるなど優れた特徴を有している。そのため著者は最終的にはその構造活性相関研究を視野に入れた全合成研究を行った。合成計画としてはピロンを用いた分子内ディールス・アルダー反応(IMDA)によるA環部の構築と、ラジカル環化反応を用いた左右のユニットを有するデカリン骨格の構築を鍵反応としたものを選択している。なお、ラジカル環化反応は他の研究グループとは異なるデカリン構築法であり、現時点でのアザジラクチンの骨格合成法としては最も有望なものとなっている。

 その結果、IMDAでは望む立体選択性を得ることができなかったが、その原因が電子的な要因であることを示唆する結果を得た。そのためそこで得られた異性体からの立体反転によってA環部の構築を行う方法の検討などを行い、現在では、ピロン15の一段階でのIMDA、脱炭酸反応、クライゼン転位とその後の変換で得られたアレン16からの立体反転によるアザジラクチンA環部構築の検討を行っている。著者はこの方法が当初の計画よりも効率的なA環合成法になり得るものであるとしており、今後の進展に関心が持たれるものである。

 以上、本論文はミナミアオカメムシの性フェロモン成分の効率的な合成法の確立、天然物合成に有用な新規不斉オキシマイケル付加反応の開発およびそれによるオリ一ブミバエの性フェロモン成分の合成、さらには新規な方法論による昆虫摂食阻害物質アザジラクチンの全合成研究を行ったものである。これらの研究を通じて合成化学上有益な様々な知見を得ていることから、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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