学位論文要旨



No 118120
著者(漢字) 加地,友弘
著者(英字)
著者(カナ) カジ,トモヒロ
標題(和) 免疫寛容状態にあるCD4陽性T細胞のプロテオーム解析
標題(洋)
報告番号 118120
報告番号 甲18120
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2509号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 久恒,辰博
 東京大学 助教授 八村,敏志
内容要旨 要旨を表示する

 我々の生体は常に外来の抗原に曝されているが、免疫系の防御機構により恒常性が保たれている。しかしながら、自己抗原や食物抗原などの生体に必須な物質に対して、免疫系の防御反応は起こらず不応答化が誘導され、このような現象は免疫寛容として知られる。特に経口的に摂取した抗原に対する不応答状態を経口免疫寛容と呼び、自己免疫疾患やアレルギーなどの免疫系の破綻による病気の治療に応用が模索されているが、現状では詳しい誘導機構などはわかっていない。また、免疫寛容状態では末梢のCD4陽性T細胞が抗原特異的に不応答化しているが、どのような機構で不応答状態が誘導・維持されているのか未だ不明な点が多い。すなわち、免疫寛容状態のCD4陽性T細胞の特性を明らかにすることは、免疫疾患の抑制といった応用的な観点からも非常に重要である。

 我々の研究室において、卵白オバルブミン(OVA)特異的なT細胞レセプター(TCR)を発現するトランスジェニックマウス(OVA23-3マウス)に長期的に卵白配合食を摂取させることで、全身性免疫系におけるCD4陽性T細胞が寛容状態になることが明らかとなっている。本研究ではこのようにして誘導された免疫寛容状態のCD4陽性T細胞の細胞特性を、2次元電気泳動を用いてタンパク質レベルで明らかにしようと試みた。

第1章 抗原未感作マウスCD4陽性T細胞のプロテオームマップの作製

 プロテオームとは、細胞や組織に発現しているタンパク質の全体を指し、その解析は主に2次元電気泳動を用いて行われる。さらにおのおののスポットの同定には、タンパク質の特異的分解法と質量分析計を利用したペプチドマスフィンガープリント法が主に用いられる。プロテオーム解析はポストゲノム時代の新たな分野として期待されているが、その解析には正確なプロテオームマップのデータベースが必要となってくる。しかしながら、プロテオームマップは特定の細胞種にのみ作製されているのが現状で、マウスのCD4陽性T細胞に対しては全く作製されていない。そこで本章では、抗原未感作なOVA23-3マウスの脾臓CD4陽性T細胞が抗原に感作した際に起こる細胞内タンパク質の変化を解析するのを目的とし、抗原未感作なCD4陽性T細胞に対するプロテオームマップを作製した。

 まず、MACS法により98%以上の純度に精製した脾臓CD4陽性T細胞を溶解した。この際細胞の状態による個々のタンパク質の発現量を比較しやすいようにするため、細胞全体を直接超音波破砕し、それを試料とした。また、プロテオームマップの再現性を高めるために、1次元目は市販されている固定化pH勾配ゲルを用いて等電点電気泳動を行い、2次元目はSDS-PAGEを用いて分子量により分離した。等電点電気泳動はpH4.0-7.0のワイドレンジの固定化pH勾配ゲル、pH4.0-5.0、pH4.5-5.5、pH5.0-6.0、pH5.5-6.7のナローレンジの固定化pH勾配ゲルを用いて銀染色で検出したところ、1300以上のスポットを確認した。それぞれのスポットを切り出し、トリプシン消化により生じたタンパク質特異的なペプチドの分子量を、マトリックス支援レーザー脱離イオン化/飛行時間型質量分析計(MALDI-TOF MS)を用いて測定した。各タンパク質から生成されるペプチドは特異的なものであることから、測定された分子量を配列が公開されているタンパク質データベース上で検索することでタンパク質を同定した。現在までに300以上のスポットを同定し、WEB上にて公開中である。また、これらのマップが他のTCRトランスジェニックマウスでも利用できるかどうか、別のOVA特異的TCRトランスジェニックマウスであるDO11.10 TCRトランスジェニックマウスから脾臓CD4陽性T細胞を調製し、2次元電気泳動を行ったところ、ほぼ同じ分離パターンが得られ、作製した抗原未感作CD4陽性T細胞のプロテオームマップの汎用性が示された。

第2章 免疫寛容状態のCD4陽性T細胞のプロテオーム解析

 OVA23-3マウスに抗原として卵白を20%含む飼料(卵白食)を4週間自由摂取させ、脾臓のCD4陽性T細胞の寛容を誘導した。この寛容状態のCD4陽性T細胞はin vitroにおける抗原提示細胞存在下OVA刺激に対して、増殖能・インターロイキン(IL)-2・IL-4・IL-10・インターフェロン-γサイトカイン産生能が、コントロール食を摂取させたマウス由来の抗原未感作なCD4陽性T細胞に比べ、著しく低下していた。

 そこで、経口免疫寛容状態のCD4陽性T細胞の特性を明らかにするため、経口免疫寛容状態と抗原未感作な脾臓CD4陽性T細胞を、2次元電気泳動を用いて発現タンパク質の比較を行い検討した。その結果、コントロール食摂取群由来のCD4陽性T細胞と比較して、卵白食摂取群由来のCD4陽性T細胞では、有意に発現が上昇しているスポットを26個、減少しているスポットを16個見出した。そのうち、第1章で作製したプロテオームマップなどを利用して、35スポットをペプチドマスフィンガープリント法により同定した。これら同定したタンパク質の中では、Caspase-3が大きく免疫寛容状態で誘導されており、そのターゲットとなるアクチン・STE20-like kinase MST1などのタンパク質の減少も確認された。

 次にCD4陽性T細胞を、細胞表面抗原のCD62LとCD44で分類したところ、抗原未感作な状態ではナイーブ型(抗原未感作型、CD62LhighCD44low)が90%近く存在するが、卵白食摂取後では36%近くまで減少し、逆にメモリー型(CD62LlowCD44high)が60%以上に上昇していた。セルソーターを用いて、コントロール食摂取群由来のCD62LhighCD44lowCD4陽性T細胞、卵白食摂取群由来のCD62LhighCD44lowおよびCD62LlowCD44highCD4陽性T細胞を分離して、増殖応答能・サイトカイン産生能を検討したところ、卵白食摂取群由来のナイーブ型・メモリー型いずれの細胞群も抗原刺激に対して低応答性であった。さらに、mRNAを抽出し、発現差のあったタンパク質について、それぞれ定量RT-PCRを行ったところ、卵白食摂取群由来の細胞群どうしでも、mRNAの発現が大きく違うことが、明らかとなった。これらのことより、in vivoにおいて免疫寛容状態にあるCD4陽性T細胞は、それぞれ性質の異なった低応答性の細胞群から構成されていることが示された。

第3章 免疫寛容状態のCD4陽性T細胞におけるCaspase-3の働き

 第2章において免疫寛容状態のCD4陽性T細胞において、アスパラギン酸特異的システインプロテアーゼ群の一つであるCaspase-3の働きが示唆された。Caspase-3は主にプロテアーゼとして基質タンパク質を切断し、細胞のアポトーシスを誘導するのに主要な役割を果たしていることが報告されている。その活性化にはプロセッシングが必要となるが、実際免疫寛容状態のCD4陽性T細胞においてもプロセッシングを受けていることが、ウェスタンプロットにより明らかとなった。そこで免疫寛容状態のCD4陽性T細胞がアポトーシスを起こしているのかどうか、Annexin V染色によるフローサイトメトリー解析及びDNAの断片化量から検討したところ、コントロール群との差は認められず、非アポトーシス状態であることが明らかとなった。このことから、免疫寛容状態のCD4陽性T細胞では抗アポトーシス分子(抗Caspase分子)の活性が上昇していることが示唆され、Caspase-3の活性を最も阻害する内因性タンパク質であるX-linked inhibitor of apoptosis(XIAP)のタンパク量について調べた。その結果、免疫寛容状態のCD4陽性T細胞では、XIAPのタンパク量が優位に増加していることが明らかとなった。従って、免疫寛容状態のCD4陽性T細胞は、生存とアポトーシスの微妙なバランスを、アポトーシスを促進・阻害する分子の発現によって保っていることが示唆された。

 次に免疫寛容状態のCD4陽性T細胞のTCRからの細胞内シグナル伝達におけるCaspase-3の働きについて検討した。これまで当研究室において経口免疫寛容状態のCD4陽性T細胞において、TCRシグナルの下流では、カルシウム/Nuclear Factor of Activated T cells(NFAT)の経路に障害があることが示されている。2次元電気泳動における結果から、TCRシグナル複合体における重要なアダプター分子であるGrb2-related adaptor downstream of Shc(GADS)のタンパク量が免疫寛容状態のCD4陽性T細胞で減少していたこと、さらにGADSがCaspase-3のターゲットであることから、Caspase-3によりGADSが切断されていることが示唆された。そこでウェスタンブロットにより検討したところ、GADSが免疫寛容状態のCD4陽性T細胞で切断されていることが明らかとなった。そこで、このようなCaspase-3の働きが、免疫寛容状態のCD4陽性T細胞におけるTCR刺激時のシグナル複合体形成に与える影響について検討した。まず、GADSを中心とするTCRシグナル複合体を抗GADS抗体を用いた免疫沈降法により分離し、抗リン酸化チロシン抗体でウェスタンブロットを行ったところ、免疫寛容状態のCD4陽性T細胞において、TCR ζ chain、Linker of activated T cells(LAT)、SH2 domain-containing leukocyte protein of 76kDa(SLP-76)、Phospholipase-Cγ1(PLC-γ1)のチロシシリン酸化量の減少が示され、さらに複合体に会合してくるTCR ζ chain、zeta-associated protein-70(ZAP-70)、SLP-76、PLC-γ1の量も減少していた。従って免疫寛容状態のCD4陽性T細胞では、GADS-SLP-76を中心としたTCRシグナル複合体の形成が出来ず、下流にシグナルを伝えられないことが示唆された。特に、PLC-γ1は細胞内カルシウムの放出に重要な役割を果たしており、その活性が免疫寛容状態のCD4陽性T細胞において減少していることは、カルシウム/NFAT経路の障害の大きな要因となっていると考えられる。

 以上、本研究では免疫寛容状態のCD4陽性T細胞について初めてプロテオーム解析から検討した結果、免疫寛容状態のCD4陽性T細胞は非アポトーシス状態を保ったままCaspase-3の活性を上昇させ、TCRシグナル複合体を含む様々なタンパク質を切断することで、「免疫寛容」という特別な不応答状態を維持していることが明らかとなった。また、in vivoおいて経口免疫寛容状態のCD4陽性T細胞は異なった性質を持つ細胞群から構成されていることも明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

 我々は常に外来の抗原に曝されているが、免疫系の防御機構により恒常性が保たれている。しかし、経口的に摂取した食物抗原などの生体に必須な物質に対しては免疫系の防御反応は起こらず不応答化が誘導され、この現象を経口免疫寛容と呼ぶ。経口免疫寛容状態では末梢のCD4陽性T細胞が抗原特異的に不応答化しているが、どのような機構で不応答状態が誘導・維持されているのか未だ不明な点が多い。

 これまでに、卵白オバルブミン(OVA)特異的なT細胞レセプター(TCR)を発現するトランスジェニックマウス(0VA23-3マウス)に長期的に、抗原として20%卵白配合食(卵白食)を摂取させることで、全身性免疫系におけるCD4陽性T細胞が寛容状態になることが明らかとなっている。本論文ではこのようにして誘導された免疫寛容状態のCD4陽性T細胞の細胞特性を、プロテオーム解析を用いて明らかにしようと試みた。

 第1章では抗原未感作な0VA23-3マウスの脾臓CD4陽性T細胞が抗原に感作した際に起こる細胞内タンパク質の変化を解析するのを目的とし、抗原未感作マウスCD4陽性T細胞のプロテオームマップの作製を行った。まず、MACS法により98%以上の純度に精製した脾臓CD4陽性T細胞を溶解し、固定化pH勾配ゲルを用いて2次元電気泳動を行ったところ1300以上のスポットを確認した。それぞれのスポットは、ゲル内トリプシン消化を行い、生じたタンパク質特異的なペプチドの分子量を、マトリックス支援レーザー脱離イオン化/飛行時間型質量分析計を用いて測定し、データベース検索行い同定した。現在までに300以上のスポットを同定し、抗原未感作CD4陽性T細胞のプロテオームマップを作製した。

 第2章では免疫寛容状態のCD4陽性T細胞のプロテオーム解析を行った。0VA23-3マウスに卵白食を4週間自由摂取させ、脾臓のCD4陽性T細胞の寛容を誘導した。この寛容状態のCD4陽性T細胞はin vitroにおける抗原提示細胞存在下OVA刺激に対して、増殖能・サイトカイン産生能が、コントロール食を摂取させたマウス由来の抗原未感作なCD4陽性T細胞に比べ、著しく低下していた。そこで、この2群の脾臓CD4陽性T細胞の発現タンパク質を2次元電気泳動を用いて比較したところ、経口免疫寛容状態のCD4陽性T細胞で、有意に発現が上昇しているスポットを26個、減少しているスポットを16個見出した。そのうち、第1章で作製したプロテオームマップなどを利用して、35スポットをペプチドマスフィンガープリント法により同定した。発現量の増加した分子の一つは、システインプロテアーゼであるcaspase-3であることが判明し、さらにcaspase-3の標的タンパク質が3つ切断されている可能性が示され、caspase-3の機能亢進が経口免疫寛容状態のCD4陽性T細胞で起こっていることが示唆された。

 第2章において免疫寛容状態のCD4陽性T細胞において、caspase-3の働きが示唆されたので、第3章ではその働きについて検討した。Caspase-3はアポトーシスの主要分子だが、経口免疫寛容状態のCD4陽性T細胞は、annexin Vによる染色やDNAの断片化率の測定から非アポトーシス状態であり、さらに内在性のcaspase抑制分子であるXIAPの発現を上昇させていることを明らかにした。またcaspase-3の標的であり、TCRシグナル複合体におけるアダプター分子のGADSの発現量が、経口免疫寛容状態のCD4陽性T細胞で減少していたが、ウェスタンブロットにより、GADSが経口免疫寛容状態のCD4陽性T細胞で強く切断されていることを示した。そこで、GADSを中心とするTCRシグナル複合体を抗GADS抗体を用いた免疫沈降法で分離し、リン酸化や分子の会合量を検討したところ、TCR ζ鎖、LAT、SLP-76、PLC-γ1のリン酸化・会合量が減少していることが示された。特にSLP-76の会合は顕著に抑制されていた。従って、経口免疫寛容状態のCD4陽性T細胞では、caspase-3の働きによってGADS-SLP-76を中心としたTCRシグナル複合体の形成が出来ず、下流にシグナルを伝えられないことが示唆された。

 以上、本論文では免疫寛容状態のCD4陽性T細胞について初めてプロテオーム解析から検討した結果、免疫寛容状態のCD4陽性T細胞は非アポトーシス状態を保ったままcaspase-3の活性を上昇させ、TCRシグナル複合体を含む様々なタンパク質を切断することで、「免疫寛容」という特別な不応答状態を維持していることを明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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