学位論文要旨



No 118124
著者(漢字) 富川,泰次郎
著者(英字)
著者(カナ) トミカワ,タイジロウ
標題(和) 癌遺伝子導入細胞に対して選択的に作用する新規抗腫瘍物質の研究
標題(洋)
報告番号 118124
報告番号 甲18124
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2513号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 早川,洋一
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 福井,泰久
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 癌化は、癌遺伝子の活性化を含む複数の遺伝子変異により成立する。癌遺伝子はその多くが細胞周期の制御に関わっているが、こうした細胞周期を制御する癌関連遺伝子の中に、アポトーシスに関与するものが報告されている。代表的な癌遺伝子であるmyc、E2F、cdc25A、アデノウイルスE1Aなどは、細胞周期をG1期からS期に進行させる役割を担うだけでなく、細胞に対してアポトーシス感受性を増大させる。特にE2FはS期に働く遺伝子のプロモーター領域に結合し、DNA合成関連遺伝子の発現を正に制御していることから、すべての増殖の盛んな細胞において共通に活性化していると考えられる。しかし、同時にE2Fはp53の安定化に寄与するp19ARFの発現を促進し、細胞のアポトーシス感受性を増大させる。正常細胞ではE2FはRB蛋白質によって負に制御されているが、多くの癌細胞でRB蛋白質の機能失活が認められている。したがって、癌細胞に共通してE2Fの脱制御が存在すると考えられ、このような癌細胞ではアポトーシス感受性が増大していることが予想される。

 一方で、癌細胞はアポトーシスを抑制するシステムをも有している。癌抑制遺伝子p53はヒト癌において最も高頻度に変異が観察される癌関連遺伝子であるが、細胞周期を制御するだけでなく、DNA損傷に伴いアポトーシスを誘導することが知られている。これは遺伝情報に損傷を受けた不必要な細胞を排除する癌抑制機構であると考えられる。多くの癌細胞ではRBの失活とともにp53の機能の消失が起こっており、アポトーシス感受性の亢進とともにアポトーシス抑制機構を獲得していると考えられる。

 ヒトパピローマウイルスは子宮頸癌の発癌に深く関わっているDNAウイルスであるが、ヒトパピローマウイルス16型のE7癌遺伝子産物はアデノウイルスのE1Aと同様、癌抑制遺伝子産物であるRB蛋白質と結合してこれを不活性化する。また、同じヒトパピローマウイルス16型のE6癌遺伝子産物はp53と結合し、その分解を促進する。したがって、これらの癌遺伝子を細胞に導入することにより、アポトシース誘導と抑制機構のモデルを構築することができる。そこで、本研究では、癌細胞に対して選択的に作用する新しい抗癌剤の発見とアポトーシスの制御機構の解明をめざして、微生物代謝産物を対象として、ヒトパピローマウイルス癌遺伝子導入細胞に対して選択的なアポトーシス誘導物質の探索を試みた。

2.QN5727の単離精製と構造解析

 ヒトパピローマウイルスのE6およびE7癌遺伝子を導入したラットグリア細胞に対して選択的に細胞死を誘導する抗腫瘍物質の探索を行った結果、土壌より分離した細菌Pseudomonas sp.QN05727株の培養液から新規活性物質QN5727を見いだした。

 高分解能FAB-MSにより、QN5727の分子式はC23H24N2O6と決定した。QN5727のNMRスペクトルは室温ではブロードになるため、-12℃の低温条件下で測定した。その結果、互いに類似した二組のピークが1:1の積分比で観測され、これは同一の平面構造を持つ二つの化合物に由来することが示唆された。片方の化合物について構造解析を行ったところ、COSYスペクトル解析により3つの部分構造(C-4〜C-6、C-8〜C-18、C-20〜C-22)が判明し、これらの繋がりはHMBCスペクトル解析によって明らかになった。22位の炭素の化学シフトと分子式から、残った窒素原子が22位に結合してイミン構造をとることが判明した。2位にカルボニル炭素が結合することと窒素原子にメトキシル基が結合することは、HMBCスペクトルにおける4-結合の遠距離スピン結合から明らかになった。15位のオキシメチンプロトンとカルボニル炭素の間に遠距離スピン結合が観測されたことから、QN5727は12員環マクロライドであることが判明した。オレフィンの幾何異性はスピン結合定数より8位と17位はE配置、10位と20位はZ配置であることが示され、これはNOESYスペクトルの解析により確認した。また、メトキシル基と22位の間のNOEからオキシムはE配置であると決定した。もう一方の化合物も同様の解析により、全く同一の平面構造を有していることが判明した。二つの化合物の関係は12〜16位のスピン結合定数に差が認められたことから、互いに配座異性体であることが示された。

 QN5727の相対立体配置について、NOE、1H-1Hおよび1H-13Cスピン結合定数により解析した結果、図1に示すような立体構造が示唆された。さらにQN5727の塩酸-メタノール分解物における13位と15位の相対配置を確認することにより、QN5727の相対立体配置を下図のように決定した。QN5727の絶対立体配置と立体配座については現在、検討中である。

 以上の結果から、QN5727はベンゾラクトンェナミド構造を有するV-ATPase阻害剤Oximidine IやLobatamide Aの類縁化合物であることが判明した。

3.QN5727の生物活性

 ヒトパピローマウイルス癌遺伝子導入ラットグリア細胞と、各種癌遺伝子により形質転換したラット3Y1細胞を用いて、QN5727の活性を検討した。QN5727はヒトパピローマウイルスのE6およびE7遺伝子導入ラットグリア細胞に対して低濃度で(IC50 4.2nM)細胞死を誘導した。QN5727で処理した細胞をHeochst33258で染色すると、クロマチンの凝縮、核の断片化が観察されたことから、QN5727による細胞死はアポトーシスによるものであることが確認された。また、ON5727は低濃度で、rasやsrcにより形質転換した3Y1細胞の増殖を阻害した(IC50ras-3Y14.5nM、src-3Y14.5nM)。しかし、これらの細胞に対する作用はウイルス癌遺伝子導入細胞に対する細胞死誘導と異なって細胞周期停止によるものであった。一方、正常3Y1細胞に対するIC50値は上記細胞と比較して、10〜30倍以上の高い値を示し(IC50 140 nM)、QN5727がこれらの癌遺伝子を導入した細胞に対して選択的な活性を有することが示唆された。

 ras遺伝子導入3Y1細胞を20nMのQN5727で処理すると、サイクリン依存性キナーゼ阻害蛋白質であるp21WAF1の発現が上昇することが観察された。一方、3Y1細胞では同濃度のQN5727で処理してもp21WAF1の発現上昇は観察されなかった。

 QN5727のV-ATPase阻害活性について検討するため、QN5727で処理した3Y1細胞をアクリジンオレンジで染色した。その結果、未処理細胞ではアクリジンオレンジにより酸性オルガネラの染色が観察されたのに対して、QN5727で処理した3Y1細胞では観察されなかった。したがって、QN5727がV-ATPase阻害活性を有することが示された。QN5727のV-ATase阻害活性とp21WAF1発現誘導、癌遺伝子の機能との関連性については現在解析中である。

4.まとめ

 Pseudomonas sp.と同定した細菌の培養液から、癌遺伝子導入細胞に対して選択的にアポトーシスまたは細胞周期停止を誘導する新規ベンゾラクトンェナミドQN5727を見いだした。QN5727はV-ATPase阻害活性を有し、癌遺伝子導入細胞にp21WAF1の発現を誘導することが明らかとなった。ON5727を分子プローブとして用い、V-ATPase阻害活性に基づく癌遺伝子導入細胞に選択的なp21WAF1発現機構を解析することにより、新しい癌分子標的の解明と癌治療法の開発が期待される。

図1. QN5727の構造

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、新しい抗癌剤の発見をめざして、癌遺伝子導入細胞に対して選択的に作用する抗腫瘍物質の探索を行ったものであり、序論に続く3章からなる。

 序論では、研究の背景、ならびに本研究の目的と意義について述べている。第1章では、子宮頸癌の発癌に関わるヒトパピローマウイルスのE6およびE7癌遺伝子産物が癌抑制遺伝子産物p53およびRBをそれぞれ不活性化することに着目し、ヒトパピローマウイルスのE6およびE7癌遺伝子を導入したラットグリア細胞に対して選択的に細胞死を誘導する物質の探索を行った。その結果、土壌分離細菌Pseudomonas sp.QNO5727株の培養液から新規活性物質QN5727を見いだした。

 高分解能FAB-MSにより、QN5727の分子式はC23H24N2O6と決定した。-12℃の低温条件下で測定したQN5727のNMRにおいて、互いに類似した2組のピークが1:1の積分比で観測された。COSYおよびHMBCスペクトルによる構造解析の結果、両者はベンゾラクトンエナミド構造を含む同一の平面構造を有していることが判明した。NOEおよびスピン結合定数を解析した結果、両者が配座異性体であることが判明するとともに、図に示すような立体構造が示された。さらにQN5727を塩酸-メタノールで処理して得られたメタノール付加体に改良Mosher法を適用することにより、QN5727の絶対立体配置を決定した。

 QN5727はヒトパピローマウイルスのE6およびE7遺伝子導入ラットグリア細胞に対して低濃度で(IC50 42nM)アポトーシスを誘導し、rasやsrcにより形質転換したラット3Y1細胞のG1期停止を誘導した(IC50 ras-3Y1 45nM、src-3Y1 14 nM)。これらの細胞においてQN5727はサイクリン依存性キナーゼ阻害蛋白質P21WAF1の発現を上昇させた。一方、正常3Y1細胞に対するIC50値は上記細胞と比較して10〜30倍以上の高い値を示し(IC50 140nM)、QN5727がこれらの癌遺伝子を導入した細胞に対して選択的な活性を有することが示された。QN5727で処理した3Y1細胞をアクリジンオレンジで染色した結果、アクリジンオレンジによる酸性オルガネラの染色が抑制されたことから、QN5727がV-ATPase阻害活性を有することが示された。

 第2章では、rasの変異によりアポトーシス抵抗性を獲得したがん細胞に対して選択的にアポトーシスを誘導する物質の発見を目的として、rasに依存して生存するBa/F3細胞に対して選択的に細胞死を誘導する物質を探索した。その結果、Talaromyces sp.3656-A1株の培養物中に目的の活性を有する新規物質rasfoninを見いだした。各種NMR解析により、rasfoninは不飽和δ-ラクトンにアシル側鎖が結合した新規化合物であることが判明した。RasfoninはIL-3非存在下でrasを強制発現させたBa/F3細胞に対して低濃度でアポトーシスを誘導したが、IL-3依存的に増殖するBa/F3細胞に対する活性はその10分の1以下であった。また、Aspergillus sp.SS15株の培養物中に、rasfoninと同様の活性を有する物質aspochalasin Dを見出した。Aspochalasin Dはras依存性のBa/F3細胞に対して低濃度で選択的な細胞死を誘導したが、同一骨格を有する新規物質aspochalasin Hは25mg/ml以下では細胞死を誘導しなかった。Aspochalasin Dの添加によって細胞死を起こした細胞にはアポトーシスに特徴的なDNAの断片化が観察された。

 第3章は実験の部であり、詳細な実験法について述べている。

 以上、本研究は、癌遺伝子導入細胞に対して選択的に作用する抗腫瘍物質の探索により発見したQN5727、rasfonin、aspochalasin DおよびHの構造と活性を明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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