学位論文要旨



No 118130
著者(漢字) 堀井,孝昭
著者(英字)
著者(カナ) ホリイ,タカアキ
標題(和) 腸球菌の性フェロモンシグナル伝達系に関する研究
標題(洋)
報告番号 118130
報告番号 甲18130
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2519号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 大坪,栄一
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 鈴木,義人
 東京大学 助教授 作田,庄平
内容要旨 要旨を表示する

 腸球菌Enterococcus faecalisはグラム陽性の腸内常在菌であり、院内感染の原因菌として注目されている。E. faecalisが持つある種のプラスミドは、プラスミド非保持菌の分泌する性フェロモンのシグナルにより保持菌(供与菌)から非保持菌(受容菌)へと高頻度に伝達される(図1)。現在までに複数のフェロモン応答性接合伝達プラスミドが発見されており、それぞれのプラスミドが病原性や薬剤耐生等をコードしていることから、この高頻度伝達システムによる薬剤耐性遺伝子の蔓延は臨床医学上の問題になっている。性フェロモンは7または8残基のオリゴペプチドであり、プラスミドpXに対して特異的な性フェロモンcXが存在すると考えられている。プラスミド上には性フェロモンの受容体(TraA)や自己の性フェロモンによる接合伝達の誘導を回避するためのインヒビター(iX)、受容菌と供与菌の性的凝集に関与する細胞表面のタンパク質(aggregation substance : AS)の遺伝子などがクラスターを形成してコードされている。バクテリオシンプラスミドpPD1ではcPD1のインヒビターiPD1をコードするipd遺伝子がTraAタンパク質をコードするtraA遺伝子の上流に逆向きに存在し、そのやや下流にASをコードするasp遺伝子が存在している(図2A)。TraAはpPD1にコードされる321アミノ酸残基、38kDaのタンパク質であり、細胞質中にその存在が確認される。TraAは既知のタンパク質と明確な相同性を示さず、配列からその機能を予想することは困難であった。一方、traA遺伝子を破壊したpPD1供与菌が常に自己凝集を示すことからTraAは性的凝集における負の制御因子であり、また[3H]cPD1を用いたトレーサー実験からcPD1の細胞内受容体であることが明らかにされている。その制御機構については、DNA結合能が見られることから転写制御因子として機能している可能性が指摘されていた。本研究ではpPD1供与菌におけるcPD1のシグナル伝達系に着目し、cPD1の細胞内受容体TraAが制御しているシグナル伝達の開始段階について解明することを目的とした。

1.供与菌の性フェロモン認識における特異性の解析

 これまでの研究から性フェロモンcPD1はpPD1供与菌の細胞内に取り込まれ、細胞内タンパク質TraAに結合することが明らかにされている。また、他の性フェロモン応答性プラスミドpADl、pCF10にもTraAと相同性を持つ性フェロモン受容体がコードされている。本章ではプラスミド供与菌のリゾチーム処理菌体を用いて性フェロモンと供与菌体内のTraAの結合における特異性を解析した。まず、種々のプラスミド供与菌における[3H]cPD1の取り込み量を測定したところ、pPD1供与菌のみに取り込みが見られた。このことから、cPD1はpPD1供与菌体のTraAにのみ特異的に認識されることが判明した。次に、これまでに構造決定のなされている性フェロモンおよびインヒビターそれぞれ5種を[3H]cPD1と競合的にpPD1供与菌に作用させ、[3H]cPD1の取り込み量を測定した。その結果、cPD1およびiPD1のみに[3H]cPD1の結合阻害が見られた。また、種々のcPD1アナログペプチドを合成して同様に解析したところ、TraAに対してきわめて低い結合活性しか示さなかった。これらの結果より、pPD1供与菌の細胞内におけるTraAとcPD1およびiPD1の結合には非常に高い特異性が存在し、結合するペプチドの8残基の構造を厳密に認識していることが示された。

2.TraAとDNAの相互作用についての解析

2-1.DNA上のTraA結合部位の決定

 これまでの研究から、pPD1上のtraAの一部およびipd遺伝子を含む約2.3kbの領域を欠損するとcPD1非応答性の表現型を示すことが明らかにされており、この領域に性フェロモンシグナル伝達に必須な領域が存在することが示唆されていた。また、この2.3kbの領域に相当するDNA断片をAluIで消化した後にTraAを添加して電気泳動を行うとtraAおよびipdの上流にあたる260bpのバンドが特異的に消失し、この領域にTraAが結合する可能性が考えられた。そこでこの領域(図2B)におけるTraA結合部立をDNase I footprinting法により解析した。その結果、1ヶ所の顕著なフットプリント(tab1)と2ヶ所のやや弱いフットプリント(tab2、tab3)が見られ、これらはipd遺伝子のプロモーターの上流に位置していた(図2B)。次に、tab1からtab3を全て含むDNA断片(P1-P3)およびtab1のみを含むDNA断片(P2-P3)をプローブとしてgel mobility shift assayによるTraAの結合解析を行った(図3A〉。プローブP2-P3ではTraAの濃度によらず一定のシフトを示すのに対し、プローブP1-P3では高濃度のTraA存在下において高分子側にシフトしたDNA-TraA複合体のスメアなバンドが観察された。この結果は、低親和性のtab2およびtab3領域に複雑な結合様式でTraAが結合するためと予想される。また、tab1のみを含むDN A断片をDraIで切断するとバンドのシフトが見られず、TraAがtab1領域に結合していることが確認された。

2-2.TraAのDNA結合活性に対するcPD1/iPD1の影響の検討

 Tab1のみを含むDNA断片をプローブとしてgel mobility shift assayを行い、TraA-DNA複合体に対するcPD1およびiPD1の影響を検討した。その結果cPD1を加えた際にわずかな移動度の増加が見られたが、iPD1を加えたときにはさらに移動度が増加した(図3B)。これは、iPD1が結合することによってTraA-DNA複合体に何らかの高次構造の変化が起こっているためと考えられる。

2-3. TraA-DNA複合体におけるDNA bendingについての解析

 DNase I footprinting およびgel mobility shift assayにおいてcPD1およびiPD1添加によるTraAのDNA結合親和性への影響は見られず、TraAは常にDNAに結合した状態で転写制御を行っていると考えられた。さらに2-2の結果より、DNA bendingの現象が起こっている可能性が示唆された。tab1領域を含むDNA断片を組み込んだbending assayベクターを各種制限酵素で切断した約150bpのDNA断片10種を用いて、TraAについてDNAbending assayを行った。その結果、TraA存在下でDNA bendingが見られ、移動度の検討からTraAの結合によって57度のDNA bendingが起こっていると計算された。cPD1およびiPD1を加えて同様の実験を行ったところ、それぞれ角度が53度および43度に緩和された。これらの角度の相対的な変化は、gel mobility shift assayにおけるシフトしたバンドの移動度の変化と一致していた。

3.TraAの構造と活性についての解析

 TraAの主要な活性として、性フェロモン結合活性とDINA結合活性が明らかにされている。これらの活性を司るドメインのTraA分子上における同定を目的として、TraAの末端欠損体の活性検定を行った。TraAのC末端9、45、155残基またはN末端100、200残基を欠損して発現し、[3H]cPD1に対する結合活性およびDNA結合活性について解析した。その結果C末端9残基を欠損した場合のみ活性を維持しており、その他は両方の活性を失っていた。これらの結果からTraAの部分欠損体は高次構造を維持することができず.一定以上の欠損が起こると性フェロモン結合活性とDNA結合活性を同時に失うものと考えられる。

4.ipdおよびtraAの転写解析

 pPD1供与菌にcPD1を添加して培養を行い、添加前と添加後の菌体よりRNAを抽出してmRNAのノーザン解析を行った。その結果cPD1添加後直ちにtraAの転写が減少し、ipdの転写が劇的に増加していた(図4)。ipdの転写量はcPD1添加後60分間にわたって増加し続けていた。また、プライマーエクステンション法によってこれらのmRNAの転写開始点を解析したところ、これらはほぼ同じ点から転写が開始されていた(図2B)。

5.TraAによる転写制御機構の解析

 pPD1供与菌においてTraA遺伝子の3'部分を欠損したTraA破壊株は、恒常的に細胞凝集を示す。この株からRNAを抽出してTraAおよびipd遺伝子の転写についてノーザン解析を行ったところ、TraAの転写が停止し、ipdの転写が活性化されていた。これはcPD1存在下のpPD1供与菌と同様の転写様式であり、cPD1受容体であるTraAが転写制御因子として機能している可能性が強く示唆された。

 TraAおよびcPD1/iPD1が以上の転写調節を行っていることをin vitroで検証するために、in vitro transcriptionによる解析を行った。まずE. faecalisの菌体から3段階の精製過程を経てRNA polymeraseを精製し、活性検定および各サブユニットの同定を行った。これを用いてTraAおよびipdのプロモーター領域にあたるDNA断片を鋳型としたin vitro transcriptionを行ったところ、TraA非存在下およびTraAとcPD1の存在下ではTraAとiPD1の存在下と比較してiPD遺伝子の転写量が若干増加していることが観察された。

 以上の結果から、E. faecalisのpPD1供与菌における性フェロモンcPD1のシグナル伝達系ではTraAが細胞内受容体としてcPD1およびiPD1の構造を厳密に認識して結合し、TraAおよびipd遺伝子の転写を制御することによって細胞凝集誘導の最初のステップを調節しているものと考えられる。その制御機構についてのモデルを図5に示す。通常pPD1供与菌の細胞内ではTraA-iPD1複合体がDNAに結合し、TraAおよびipdは低レベルで転写されている。ここに受容菌の分泌するcPD1が取り込まれて一定以上の濃度に達すると、iPD1と競合的にcPD1がTraAに結合しTraAの転写が停止すると共にipdの転写が活性化される。traAの転写が停止して一定の時間が経過すると細胞内のTraA濃度が減少し、開放されたプロモーターからはさらに高レベルのipdの転写が行われる。転写されたipdのRNAが何らかの形で下流の遺伝子の発現を制御し、最終的に細胞の接合およびプラスミドの伝達が誘導される。

参考文献

Horii, T., Nagasawa, and J. Nakayama. 2002. Functional analysis of TraA, the sex pheromone receptor encoded by pPD1, in a promoter region essential for the mating response in Enterococcus faecalis. J. Bacteriol. 184:6343-6350.

図1:腸球菌の性フェロモン応答性プラスミド伝達

受容菌(Recipient)の分泌する性フェロモンを供与菌(Donor)が取り込み、細胞表面にASを発現する。ASの作用で凝集した供与菌と受容菌は接合し、プラスミドの伝達を行う。

図2:pPD1上の性的凝集に関与する遺伝子

(A)traA、ipdおよびaspの遺伝子マップ。それぞれTraA、iPD1およびASをコードしている。

(B)traAおよびipd上流のTraA結合領域のDNA配列。下線(135-202)は図3Bで用いたプローブを示す。

図3:Gel mobility shift assay

(A)1-5:probe P1-P3, 6-10:probe P2-P3, 11-15: DraI-digested probe P2-P3.

(B)1:probe only, 2: probe and TraA, 3:probe, TraA, and cPD1, 4:probe, TraA, cPD1, and iPD1,5: probe, TraA, and iPD1

図4:pPD1供与菌のノーザン解析

traA(A)およびipd(B)について、それぞれ図2Aに示すプローブPA、PIを用いて解析した。1-6はそれぞれcPD1添加前、添加後15、30、60、90、120分後のRNAをサンプルとした。

図5:TraAによる転写制御機構のモデル

審査要旨 要旨を表示する

 腸球菌Enterococcus faecalisはグラム陽性の腸内常在菌であり、院内感染の原因菌として注目されている。E. Faecalisが持つある種のプラスミドは、プラスミド非保持菌の分泌する性フェロモンのシグナルにより保持菌(供与菌)から非保持菌(受容菌)へと高頻度に伝達される。それらのプラスミドが病原性や薬剤耐性等をコードしていることから、このシステムによる薬剤耐性遺伝子の蔓延は臨床医学上の問題になっている。性フェロモンはオリゴペプチドであり、プラスミドpXに対して特異的な性フェロモンcXが存在する。プラスミド上には性フェロモンの受容体(TraA)や自己の性フェロモンによる接合伝達を抑制するインヒビター(iX)、受容菌と供与菌の性的凝集に関与する細胞表面のタンパク質の遺伝子などがクラスターを形成してコードされている。プラスミドpPD1ではインヒビターiPD1をコードするjPd遺伝子がTraAタンパク質をコードするTraA遺伝子の上流に逆向きに存在している。TraAはpPD1にコードされる321アミノ酸残基、38kDaのタンパク質であり、細胞質中にその存在が確認されている。TraA遺伝子を破壊したpPD1供与菌が常に自己凝集を示すことから、TraAは性的凝集における負の制御因子であり、cPD1の細胞内受容体であること、また、DNA結合能が見られることから転写制御因子として機能している可能性が指摘されていた。本研究はpPD1供与菌におけるcPD1の細胞内受容体TraAが制御しているシグナル伝達の開始段階を解明したもので、序論およびそれに続く6章からなる。

 序論では、上記の研究背景を述べている。

 第1章では、pPD1供与菌の性フェロモン認識における特異性の解析を行っている。供与菌のリゾチーム処理菌体を用いて性フェロモンと供与菌体内のTraAの糸拾の特異性を解析したところ、[3H]cPD1の取り込みはpPDl供与菌のみに認められた。また、他の性フェロモンやインヒビターによる[3H]cPD1の取り込み阻害活性を見たところ、cPDlおよびiPD1のみに阻害が見られた。これらの結果から、pPD1供与菌内におけるTraAとcPD1およびiPD1の結合には非常に高い特異性が存在していることが示された。

 第2章では、大腸菌発現系を用いてTraAをGSTとの融合タンパク質として大量発現し、精製後にGSTを除去し、最終精製を行って、TraA組み換え体タンパク質を得たことを述べている。

 第3章では、pPDl上のむTraAの一部および剃遺伝子を含む約2.3kbの領域にTraAが結合する可能性が考えられたので、TraA結合部位をDNase I footprinting法により解析したことを述べている。その結果、1ヶ所の顕著なフットブリント(tab1)と2ヶ所のやや弱いフットプリント(tab2、tab3)が見られ、これらはipd遺伝子のプロモーターの上流に位置していた。さまざまなDNA断片を用いてゲルシフトアッセイを行った結果から、tab1が最も親和性力が高く、tab2およびtab3は親和性が弱いことがわかった。次に、tab1切のみを含むDNA断片をプローブとしてゲルシフトアッセイを行い、TraA-DNA複合体に対するcPD1およびiPDlの影響を検討したところ、cPD1を加えた際にわずかな移動度の増加が見られ、iPD1を加えたときにはさらに移動度が増加したことから、複合体に高次構造の変化が起こっていると推定した。すなわち、DNA bendingが起こっている可能性が示唆されたので、tab励1領域を含むDNA断片を用いてDNA bending assayを行った。その結果、cPDlを加えた時よりiPD1を加えた時のほうがbendingの角度が緩和されたことから、この構造変化が転写活性に寄与していると推定された。

 第4章では、TraAのさまざまな欠損体を調製し、[3HlcPD1に対する結合活性およびDNA結合活性について解析している。その結果C末端9残基を欠損した場合のみ活性を維持しており、その他は両方の活性を失ったことから、ほぼ分子全体が機能を発揮するのに必要であることがわかった。

 第5章では、供与菌にcPD1を添加して、添加前と添加後の菌体におけるipdおよびtraAの転写解析を行った。その結果、cPD1添加後直ちにtraAの転写が減少し、jpdの転写が劇的に増加していた。jpdの転写量はcPD1添加後60分間にわたって増加し続けていた。また、プライマーエクステンション法による解析からこれらはほぼ同じ点から転写が開始されていることがわかった。

 第6章ではTraAおよびcPD1/iPD1が以上の転写調節を行っていることをin vitroで検証するために、in vitroで転写解析を行っている。E. faecalisの菌体から3段階の精製過程を経て得られたRNA polymeraseを用いて、traAおよびjpdのプロモーター領域にあたるDNA断片を鋳型としたin vitro転写を行ったところ、TraA非存在下およびTraAとcPD1の存在下ではTraAとiPD1の存在下と比較してjpd遺伝子の転写量が若干増加していることが観察された。

 以上、本論文は腸球菌E.faecalisのプラスミドpPD1供与菌における性フェロモンcPD1のシグナル伝達系における初期応答反応を詳細に調べ、その中心的役割を果たしているTraAの転写調節機構について新たな知見を提供したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の論文として価値あるものと認めた。

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