学位論文要旨



No 118131
著者(漢字) 本間,康平
著者(英字)
著者(カナ) ホンマ,コウヘイ
標題(和) 大腸菌由来ニトロ還元酵素NfsBの相図による結晶化条件最適化とF124S変異体の結晶構造解析
標題(洋)
報告番号 118131
報告番号 甲18131
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2520号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 清水,謙多郎
 産業技術総合研究所 主任研究所員 安宅,光雄
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨 要旨を表示する

 現在環境に存在するニトロ化合物のほとんどは人間の活動によるものである。爆薬、農薬、染料、可塑剤などの製造段階で大量に使われており、大きな環境汚染の問題となっている。このためニトロ化合物の分解、代謝機構は環境工学の観点から興味深い。実際にニトロ化合物を代謝する菌によるTNTなどの環境汚染物質の浄化は活発に研究されている。

 大腸菌ではNfsA、NfsB、NfsCなどのニトロ還元酵素があり、その中でNfsAとNfsBは生化学的研究が進んでいる。本研究の試料であるNfsBは補酵素としてFMNを有し、反応速度論的解析によりPing Pong Bi Bi機構であると判明した。この酵素では第一基質のNADHまたはNADPHから2電子を受け取った補酵素のFMNが、第二基質のニトロ化合物に電子を与え還元させる。しかし、構造に基づいた反応機構の詳細はまだ不明なままである。

1 大腸菌由来ニトロ還元酵素NfsBの結晶化条件最適化

 タンパク質分子の作用機構を解明するための立体構造決定は主にタンパク質結晶のX線結晶構造解析で行う。しかしタンパク質は結晶化させることが容易ではない。タンパク質の結晶化が困難な理由は、タンパク質の化学的、物理的性質が多様であるためにその結晶化条件も多様であるのに加えて、タンパク質の結晶化条件のパラメータも、タンパク質濃度、結晶化剤の種類、結晶化剤濃度、温度、pHなど多様であるからである。このことは確かに結晶化溶液条件設定の困難さを表しているが、同時に適切な溶液条件を選んでやれば結晶化をコントロールできる可能性があるということを表している。タンパク質の結晶化パラメータが変化すると、結晶析出の有無、結晶形、結晶の大きさ、結晶析出までの時間と、結晶化の挙動、様子にあらゆる変化をもたらす。パラメータに依存した、それらの挙動を網羅的に解析するために、マッピングという手法で結晶のモルフォロジーについての形態的な相図(モルフォドロム)を描く必要がある。

 モデルタンパク質として大腸菌由来ニトロ還元酵素NfsBの析出状態や結晶の形態などの様子を、[タンパク質濃度-沈殿剤濃度]の平面上にモルフォドロムとして表した。パラメータを細かく網羅的に変化させることでNfsBの結晶化の全体像を把握出来るようになる。まず、良質な結晶化を実現させるため精製方法を再検討した。菌体破砕後に硫安分画の行程を加えた。また、各段階で補酵素であるFMNを添加し、常に過剰量存在するように改良した。これによりSDS-PAGEによる純度検定で99%以上の純度を実現した。次に以前の結晶化条件を再検討した。以前の結晶化条件は、100mM MES buffer(pH6.0)、ポリエチレングリコール(PEG)4,000 20%(w/v)であったが、pHをMES Bufferの緩衝能の範囲(5.5-7.0)において0.2刻みで、また沈殿剤であるPEGの濃度と種類(分子量)を6,000と10,000に換えて検討をおこなった。その結果、pHは5.5、PEG4,000 10%(w/v)程度において最良の結晶が得られることが明らかになった。これ以後の実験には結晶化剤は100mM MES buffer(pH5.5)、PEG4,000を用いた。また、NfsBは結晶化添加剤としてNAD+を添加すると、対称性の高い正方晶の結晶が得られるが、NAD+の添加量についても検討した。0.1M、0.2M、0.5MのNAD+を、結晶化溶液量の1/10量添加して検討した。その結果、0.1MのNAD+で得られる結晶が最も析出が早く良質であったので、これ以後の実験において添加剤はこれを用いた。

 従来、タンパク質の結晶化実験で取られる蒸気拡散法はタンパク質試料が少量で済み、かつ濃縮されることにより結晶化条件をある程度検索出来るという利点があるが結晶化溶液の状態は変化していくため、結晶化の全体像を把握することは出来ない。ここでは結晶化の全体像を知るために、結晶化方法はマイクロバッチ法を用いた。この方法は試料調製後にサンプルは外部の系との接触がないので、NfsBの結晶化のモルフォロジーを[NfsB濃度-沈殿剤濃度]平面上に点としてマッピングすることが出来る。また、野生型NfsBと同様のモルフォドロムをF124S変異体について作製した。さらに、野生型と変異体においてNAD+を添加した系についても作製した。F124は活性ポケットの一番奥に位置することから、F124S変異体の結晶化条件は野生型の結晶化条件と大差はないと予測されていたが、NAD+添加の系においても無添加の系においても、野生型と変異体の結晶化モルフォドロムの比較によって、確かに差がないことが明らかになった。

 次に沈殿剤であるPEG4,000の蒸気輸送速度の定量化をおこなうことにより、蒸気拡散法による結晶化ドロップの濃縮履歴を把握することが出来た。この情報によりこれまで把握しにくかった蒸気拡散法での結晶化のコントロールが可能になり、欲しい結晶を欲しい日数で得られるようになった。

 本章における結晶化のモルフォドロム作製等の実験によって、NfsB結晶化条件の全体像が把握出来、結晶化の自在なコントロールも可能になった。

2 タンパク質結晶成長研究への新たな試み

 タンパク質の結晶化条件のパラメータには、上に挙げた化学的なパラメータの他に、重力、磁場、対流など物理学的なパラメータが存在する。そのようなパラメータがタンパク質の結晶化にどのような影響があるか、特殊な実験環境下において盛んに研究されている。

 本章ではクリノスタットという一種の回転装置を用いてNfsBの結晶化実験をおこなった。三次元クリノスタットは、直交する二軸を、三次元的にむらなく回転させることにより、試料搭載面の試料に印加される重力ベクトルの方向性が打ち消され、時間的な平均としての重力効果が相殺されて、擬似的な微小重力環境が作出される装置である。これをタンパク質の結晶化に利用した例はまだ報告がなく、初めての試みである。

 搭載試料の調製はモルフォドロムの結果を利用してマイクロバッチ法でおこなった。クリノスタットのハード的な制限により、結晶化プレートは蒸気拡散用プレートを用いてハンギングドロップ方式でおこなったが、結晶化ドロップ溶液の沈殿剤濃度とスポンジ状のリザーバ保持材に浸潤させる沈殿剤溶液の沈殿剤濃度を同一にして行った。これにより、通常の密閉型バッチ法と同様の結晶が得られる。コントロールとしては、同一の結晶化条件のプレートを表置きと裏置きの2通りでおこなった。

 このコントロールプレート裏表とクリノスタット搭載試料の比較において、興味深い観察がされた。つまり、上から下への地球重力の影響で析出した結晶は沈降し、器壁界面あるいは気液界面に囚われて成長したが、クリノスタットでは結晶は界面に完全に囚われることなく溶液中に浮かんだ状態での成長が進んだような観察がされた。器壁界面や気液界面に結晶が沈降してしまうと、極微結晶の取り込みやスタックによって構造解析には適さない結晶になることがある。これがクリノスタットによって沈降が解消され、単結晶のままでの成長を可能にしていることが示唆された。また、条件によっては、クリノスタットでは結晶化ドロップ中央部に小結晶の集合ができ、その周りにドロップ中央部で集合を作っている結晶よりもやや大きい結晶が成長しているのが観察された。クリノスタットの回転による流れによって小結晶が集合し、その集合に取り込まれなかった結晶が結果的に溶液中のタンパク質を優先的に取り込み、大きく成長していることが示唆された。

 これらの結果を受けて、クリノスタット利用で得られた結晶について、X線回折強度データを収集した。その結果、コントロールと比較して、結晶の大きさに由来する、より高分解能のデータを得ることが出来たが、結晶の質については顕著な向上がみられなかった。したがって、NfsBの結晶成長へのクリノスタットの効果は、前述した沈降のキャンセル効果と流れの効果であると示唆された。

 タンパク質結晶成長へのクリノスタット利用は新たな試みであり、結晶化のパラメータをひとつ増やすことで、構造解析に適した単結晶の育成のさらなる可能性を広げる有意な実験方法である。

3 大腸菌由来ニトロ還元酵素NfsB F124S変異体の結晶構造解析

 NfsBのF124をSerに換えた変異体は野生型NfsBより高いフラビン還元活性を示すことが分かっており、構造機能相関の観点から興味深い。そこで本章ではNfsBもBF124S変異体のX線結晶構造解析をおこなった。

 前章において最適化された単結晶を用いて解析をおこなった。結晶学的パラメータを計算した結果、この結晶は空間群P41212、格子定数はa=b=57.4A、c=263.3A,α=β=γ=90°であり、野生型の結晶と同じである。すでに結晶構造が解かれているNfsBの野生型の立体構造のモデルを用いて分子置換法によるX線結晶構造解析を行った。その結果、2.0A の分解能でFMNとの複合体の構造解析に成功した。その際のNfsBの立体構造モデルの精度を表す統計値は、R-factor=19.4%、free-R=22.8%であった。これは良質な立体構造モデルが得られたことを意味する。

 非対称単位中のNfsBはホモダイマーであるが、A鎖とB鎖では電子密度マップに差がみられた。A鎖のS124残基付近に位置する補酵素FMNではイソアロキサジン環のre faceにおいてNAD+とみられる電子密度が現れた反面、FMNのN1原子に隣接するB鎖のF70残基はその電子密度がみだれていた。これは結晶化バッファーに添加したNAD+が産物阻害により、活性中心に結合していることを示唆する。しかし、その電子密度は形がはっきりしないため複合NAD+の分子モデルを作成するにはいたらなかった。今までラベリングなど生化学的な研究ではFMNのre faceと相互作用する還元型NADHのニコチン環の水素はpro-R水素であることがわかっていることからNAD+とNfsBの複合体形成の様式は推定可能であった。さらに、野生型のNfsBとF124S変異体の立体構造モデルを重ね合わせた結果、特にA鎖のF123,B鎖のN67,F70において側鎖が大きく変化し、変異体の構造は野生型に比べて活性ポケットが大きく広がっていることが明らかになった。このことから、NfsBのフラビン還元活性上昇は活性部位の広がりにより、ニトロ化合物よりも大きなフラビン類が基質となり得たと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はタンパク質の結晶化研究のモデルタンパク質として、大腸菌由来ニトロ還元酵素NfsBを選び、その結晶化の全体像を把握し、それにより理論的なアプローチで結晶化のコントロールを可能にした結果について述べている。また、タンパク質の結晶化パラメータには、重力、対流など物理学的なパラメータも存在するが、そのようなパラメータがタンパク質の結晶化にどのような効果をもたらすか報告している。さらに、構造生物学的な視点から、NfsBのF124S変異体のX線結晶構造解析をおこない、NfsB F124S変異体の基質認識機構について考察している。本論文は全6章からなる。

 第1章ではタンパク質の結晶化・結晶成長研究の概説と、結晶化の相図・モルフォドロムからのアプローチによるタンパク質結晶化のコントロールの可能性について述べている。タンパク質の結晶化が困難な理由は、タンパク質の性質が多種多様であるのに加え、結晶化条件のパラメータも多岐にわたっているからである。このことは確かに結晶化剤選択の困難さを表しているが、同時に適切な結晶化剤を選んでやれば結晶化を確実にコントロールできる可能性があるということを表しており、タンパク質結晶化の最適化とコントロールが要求されている。また、本研究のモデルタンパク質となった大腸菌由来ニトロ還元酵素NfsBについて全般の概説を行い、その分類と生理学的意義について説明している。NfsBのF124S変異体は野生型NfsBよりはるかに高いフラビン還元活性を示すことが分かっており、構造機能相関の観点からとても興味深いものである。X線結晶構造解析による、F124S変異体の基質認識機構の解明が求められている。

 第2章では、タンパク質試料やその他の緩衝液試薬類の調製について、筆者のおこなった実験プロトコルが詳細に述べられている。これに従えば、筆者の実験条件、試料調製を完全に再現出来るようになっている。

 第3章は、大腸菌由来ニトロ還元酵素である野生型NfsBもB及びNfsB F124S変異体において、その結晶化の相図・モルフォドロムを把握し、かつその結晶化を理論的なアプローチで現実にコントロールしょうとするものである。結晶化溶液はマイクロバッチ法で調製し、パラフィンオイルを重層して密封している。この方法によりサンプルは試料調製後に外部の系との間に物質の移動がないので、NfsBの結晶化のモルフォロジーを[NfsB濃度-沈殿剤濃度]平面上に点としてマッピングすることが出来ている。野生型NfsBと同様のモルフォドロムをF124S変異体についても作製している。さらに、野生型と変異体において第一基質の反応産物であるNAD+を添加した系についても作製している。これらの結果、野生型と変異体の比較において、NAD+添加の系においても無添加の系においても、結晶化モルフォドロムがほぼ同一であった。F124は活性ポケットの一番奥に位置することから、F124S変異体の結晶化条件は野生型の結晶化条件と大差はないと予測されていた通り、結晶化の相図・モルフォドロムから確かに差がないことが明らかになった。次に、沈殿剤であるPEG4,000の蒸気輸送速度の定量化をおこなうことにより、蒸気拡散法による結晶化ドロップの濃縮履歴を把握している。この結果とモルフォドロム・相図の結果を組み合わせることにより、タンパク質結晶化の最も一般的な方法である蒸気拡散法のコントロールを可能にした。すなわち、欲しい結晶を欲しい日数で得られるようになった。

 第4章では、NfsBの結晶化を宇宙の微小重力環境下でおこなうことについて報告している。スペースシャトルによる宇宙実験においては15日間と限られた期間であるので、地上にいるフライト待機中に結晶が析出しては意味が無い上に、フライト期間中に構造解析可能なサイズにまで成長させる必要がある。NfsBについては、結晶化を自在にコントロール出来るようになっているので、宇宙結晶化実験の条件設定は正に理論的なものであった。また、クリノスタットという一種の回転装置を用いてNfsBの結晶化実験をおこなった結果についても報告している。クリノスタットをタンパク質の結晶化に利用した例はまだ報告がなく、初めての試みである。

 第5章ではモルフォドロム・相図作製によりNfsB F124S変異体について結晶化条件を最適化された良質な単結晶が得られたので、NfsB F124S変異体のX線結晶構造解析をおこなった結果について報告している。すでに結晶構造が解かれているNfsBの野生型の立体構造のモデルを用いて分子置換法によるX線結晶構造解析を行った。その結果、2.0Aの分解能でFMNとの複合体の構造解析に成功した。R-factor=19.4%、free-R=22.8%であり、これは良質な立体構造モデルが得られたことを意味する。A鎖のS124残基付近に位置する補酵素FMNではイソアロキサジン環のre faceにおいてNAD+とみられる電子密度が現れた反面、FMNのN1原子に隣接するB鎖のF70残基はその電子密度がみだれていた。これは結晶化バッファーに添加したNAD+が産物阻害により、活性中心に結合していることを示唆する。しかし、その電子密度は形がはっきりしないためNAD+との完全な複合分子モデルを作成するにはいたらなかった。今までラベリングなど生化学的な研究ではFMNのre faceと相互作用する還元型NADHのニコチン環の水素はpro-R水素であることがわかっていることからNAD+とNfsBの複合体形成の様式は推定可能であった。さらに、野生型NfsBとF124S変異体の立体構造モデルを重ね合わせた結果、特にA鎖のF123、B鎖のN67、F70において側鎖が大きく変化し、変異体の構造は野生型に比べて活性ポケットが大きく広がっていることが明らかになった。このことから、NfsBのフラビン還元活性上昇は活性部位の広がりにより、ニトロ化合物よりも大きなフラビン類が基質となり得たと考えられた。

 第6章では、以上の結果をまとめている。

 本研究により、モデルタンパク質NfsBの結晶化条件を探索し精密化することで、構造解析に適した良質な単結晶を実際に得ることが出来た。ひとつのタンパク質の結晶化条件と、結晶化に向けてその性質を詳細に調べることは、そのタンパク質の良質な単結晶を得られるばかりでなく、他のタンパク質の結晶化に有用な知見を得ることに繋がる。本研究で得られた知見は、学術上貢献するところ大であると考えられる。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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