学位論文要旨



No 118133
著者(漢字) 守,智子
著者(英字)
著者(カナ) モリ,トモコ
標題(和) 原形質連絡を通じた高分子物質の移行に関する研究
標題(洋)
報告番号 118133
報告番号 甲18133
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2522号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 林,浩昭
内容要旨 要旨を表示する

 高等植物には隣接する細胞を連結する原形質連絡(plasmodesmata, PD)と呼ばれる構造がある。PDにより植物体を構成するほぼすべての細胞の細胞質がつながり、symplastを構成している。植物はPDを通じ、水や代謝産物のやり取りを細胞間で行っている。PDを通過することのできる物質の大きさには上限がある(size exclusion limit, SEL)。通常、高等植物のSELはlkDa程度であり、水や代謝産物などの低分子しか通過することができないと考えられてきた(Mezitt and Lucas, 1996)。

 その一方で、植物ウィルスはPDを通り、細胞間を移行して植物体内を拡がっていくと考えられている。植物ウィルスは分子量が数百万を越える巨大な分子であり、ウィルス分子のPDの通過には、ウィルス自身がコードする移行タンパク質(MP)が必要であると考えられている(Meshi et a1., 1987; Holt and Beachy, 1991)。

 また近年、植物由来のタンパク質も細胞間を移行することが報告されるようになった。イネ篩管液から単離、同定されたイネチオレドキシンh(rice TRXh、約13kDa)もその一つであり、タバコ成熟葉葉肉細胞において蛍光ラベルしたrice TRXhが細胞間を移行すること、約10kDaの蛍光物質の細胞間移行を可能にすることが報告されている(Ishiwatari et al., 1998)。

 ウィルスや植物のタンパク質などの高分子物質がどのような機構で細胞間を移行しているのかは今のところ不明である。

 本研究ではrice TRXhを用いてPDのSELの変化と植物の成長やウィルスの移行の関係を明らかにすることを目的とした。

1. rice TRXhを過剰発現する形質転換タバコのSELと成長について

 これまでの研究で大腸菌で発現させたrice TRXhが細胞間移行することは示されているが、植物体内で発現させてPDのSELを増大させたという報告はまだない。そこでrice TRXhを過剰発現する形質転換タバコを作成し(当研究室、藤原徹作成)、独立なホモライン6-4、13-3、28-2を確立した。ウェスタン解析により、この3ラインの葉におけるrice TRXhの発現を確認した。

 マイクロインジェクション実験により、rice TRXhを発現する形質転換体の葉肉細胞のSELに変化がみられるかどうかを調べた結果、rice TRXhを発現する形質転換体では12kDaの蛍光物質F-dextranが野生型タバコに比べ有意に高い頻度で細胞間を移行した。つまり、rice TRXhを植物体内で過剰発現することにより、PDのSELを増大することが確認できた。いくつかのウィルスのMPを過剰発現する形質転換体でもSELの増大が観察されているが、植物のタンパク質を植物体内で発現させ、SELの増大が観察されたのは今回が初めてである。

 SELの増大によってsymplasticな細胞間の輸送が変化していると考えられ、植物の成長にも影響をもたらす可能性がある。そこで、バーミキュライトおよびMS固形培地上で栽培したrice TRXhを発現するタバコと野生型タバコの乾燥重を比較したが、有意な違いはみられなかった。また、葉の面積や根の長さの比較も行ったが、有意な違いはみられなかった。以上のことから、SELの増大は植物の成長に影響を与えないと考えられた。

2. rice TRXhを過剰発現する形質転換体における変異型トバモウィルスの細胞間移行について

 研究の進んでいるタバコモザイクウィルス(TMV)の細胞間移行に必要なMPの機能と比較することで、rice TRXhがSELを増大させる機能に対する知見が得られるのではないかと考えた。TMVのMPを発現する形質転換体のSELは10kDa程度であり(Wolf et al., 1989)、この形質転換体においてはMPを持たないTMV(△MP-TMV)の移行が相補されることが知られている。Rice TRXhを発現する形質転換体のSELも同程度であることが本研究で明らかになったので、△MP-TMVの移行を相補できるのではないかと考えた。MPを持つTMV(+MP-TMV)と△MP-TMVの感染実験(感染を追跡するために外皮タンパク質(CP)遺伝子の代わりにGFP遺伝子を導入したTMVを用いた)の結果、+MP-TMVは野生型タバコとrice TRXhを発現するタバコにおいてGFPで観察できる感染斑を形成したが、△MP-TMVは両者においてGFPの感染斑はみられなかった。すなわちrice TRXhはTMVのMPの機能を相補して野生型ウィルスと同程度の移行を引き起こすことはできなかった。これはMPが多くの機能を持っているのに対し、rice TRXhはその一部の機能であるPDの透過性を変化させる機能しか持っておらず、△MP-TMVの移行を相補できなかったものと考えられた。

 そこで、この機能だけに欠陥のあるMPを持つウィルスなら移行を相補できるのではないかと考えた。MPに変異を持つトマトモザイクトバモウィルス(ToMV)LQ37E(MPの37番目のセリンがグルタミン酸に変異、37E-MP)、LQ37T(同じくスレオニンに変異、37T-MP)を用いた(Kawakami et al., 1999)。12kDaF-dextranと大腸菌で作成した各MPを混合し、野生型タバコにマイクロインジェクションした結果、野生型MPでは100%の頻度で12kDa F-dextranの細胞間移行が観察されたのに対し、両変異型MPの場合には移行頻度は20%以下であった。このことから両変異型MPはPDの透過性を変化させる機能に少なくとも何らかの欠陥があると考えられた。また各MPを19.6kDa F-dextranとともにマイクロインジェクションした結果、37E-MPはrice TRXhを発現する形質転換タバコで野生型タバコに比べ有意に移行頻度が高かったのに対し、37T-MPでは違いがみられなかった。また、各変異型MPを持つウィルスの感染実験の結果、LQ37Eはrice TRXhを発現するタバコでは2細胞以上にGFPの蛍光が拡がった頻度が野生型タバコに比べ有意に高かったのに対し、LQ37Tでは違いはみられなかった。以上の結果から、rice TRXhは37E-MPの移行能力を相補し、LQ37Eの移行を少なくとも一部相補することが示された。これは植物由来のPDの移行性を変化させるタンパク質を用いて植物ウィルスの移行を制御した世界で初めての例である。

3. rice TRXhを発現する形質転換体における変異型RCNMVの細胞間移行について

 さらにrice TRXhの機能について知見を得るために、変異型のMPを持つRCNMV(red clover necrotic mosaic virus)を用いた。RCNMVは2本のRNAをgenomeとし、RNA1には複製酵素とCPが、RNA2にはMPがコードされている。またRNA2の3'末約300塩基がRNA1の転写に必要であることが報告されている(Sit et al., 1998)。RNA1はCP遺伝子部分に変異型MP-GFP融合タンパク質の配列を導入したもの、RNA2は野生型MPができないようにしたRCNMV(128+BAM、161+BAM)を用いて実験を行った。これらの変異型MPは細胞間移行しないこと、PDに局在しないことが、上記と同様のRNA1とMPの開始コドンATGを削ったRNA2を用いて調べられている(Tremblay et al., Plasmodesma 2001 abstracts)。RCNMVの宿主となるNicotiana benthamianaを用いてrice TRXhを過剰発現する形質転換体を作成し、変異型RCNMVの感染実験を行った結果、rice TRXhを発現する独立なN.benthamiana形質転換体2ライン(Nb41、Nb44)において、形質転換植物における移行頻度を理論値と考えた場合のみ野生型植物に比べ有意に細胞間を移行していた。つまり、これらの変異型MPを持つRCNMVの細胞間移行はrice TRXhにより完全には相補されないことが示唆された。一方、PDに局在していると考えられるGFPの蛍光が観察されたので、1細胞におけるPDに局在すると考えられる蛍光の数を数えた結果、128+BAMの場合にはNb41において、161+BAMの場合にはNb41、Nb44において野生型植物と比べ有意に多くの蛍光の数が観察された。以上の結果からrice TRXhは変異型MPと何らかの相互作用をし、変異型MPをPDに運ぶ可能性が示唆された。

 本研究で細胞間移行能力を持つrice TRXhを植物体内で発現してもPDのSELが増大することが示された。またPDのSELが高まることは植物の成長に影響を与えないことが示唆された。ウィルスを使った実験からは、rice TRXhの細胞間移行とウィルスの移行との間には共通する機構があることが推測された。これまでウィルスのMPが進化的に植物タンパク質由来である可能性が指摘されてきたが、本研究によって初めて実験的に植物のタンパク質とMPの両者がウィルスの移行に影響を持つことが示された。今後、37E-MPと37T-MPの機能の違いを解析することにより、rice TRXhが細胞間移行する機能はより明らかになると考えられる。またrice TRXhが細胞間移行する機能が解明されることにより、植物体内でおきている他の高分子物質の細胞間移行の機能に対して知見を与えることができると考える。

審査要旨 要旨を表示する

 第1章では研究の背景と目的を述べている。植物には隣接する細胞を連結する原形質連絡(plasmodesmata, PD)と呼ばれる構造があり、細胞間の水や代謝産物のやりとりを行っている。PDを通過することのできる物質の大きさには上限(size exclusion limit, SEL)があり、約1kDaである。一方、分子量が数百万を越える植物ウィルスがPDを通り、細胞間を移行していく。これにはウィルス自身がコードする移行タンパク質(MP)が必要である。また近年、植物由来のタンパク質も細胞間を移行することが報告されるようになり、植物栄養・肥料学研究室でイネ篩管液から単離、同定されたイネチオレドキシンh(rice TRXh、約13kDa)もその一つである。本研究ではrice TRXhを発現させたタバコを用いてPDのSELの変化と植物の成長やウィルスの移行の関係を明らかにすることを目的とした。

 第2章ではrice TRXhを過剰発現する形質転換タバコのホモラインを作成し、12kDaの蛍光物質F-dextranを葉肉細胞にマイクロインジェクションすることより、形質転換体のSELに変化がみられるかどうかを調べた。その結果、rice TRXhを発現する形質転換体では野生型株に比べ有意に高い頻度で蛍光物質が細胞間を移行した。細胞間移行能力を持つ植物のタンパク質を植物体内で発現させ、SELの増大が観察されたのは本研究が初めてである。SELの増大により細胞間の輸送が変化し、植物の成長に影響をもたらす可能性があると考えられた。しかし、バーミキュライトおよびMS固形培地上で栽培したrice TRXhを発現するタバコと野生型タバコの乾燥重、葉の面積や根の長さなどに有意な違いはみられなかった。

 第3章では変異型トバモウィルスを用いて、ウィルスの細胞間移行に必要なMPとrice TRXhの機能を比較した。タバコモザイクウィルス(TMV)のMPを発現する形質転換体のSELも増大しており、MPを持たないTMV(△MP-TMV)の移行が相補されることが知られている。△MP-TMVの感染実験の結果、rice TRXhはTMVのMPの機能を相補して野生型ウィルスと同程度の移行を引き起こすことはできなかった。これはMPが多くの機能を持っているのに対し、rice TRXhはその一部のPDの透過性を変化させるという機能しか持っていないためと考えられた。そこで、この機能だけに欠陥のあるMPならその機能を相補できるのではないかと考え、MPに変異を持つトマトモザイクトバモウィルス(ToMV)LQ37E(MPの37番目のセリンがグルタミン酸に変異、37E-MP)、LQ37T(同スレオニンに変異、37T-MP)を用いた。各MPを19.6kDa F-dextranとともにマイクロインジェクションした結果、37E-MPはrice TRXhを発現する形質転換タバコで野生型タバコに比べ有意に移行頻度が高かったのに対し、37T-MPでは違いがみられなかった。また、感染実験の結果からは、LQ37Eはrice TRXhを発現するタバコでは2細胞以上にGFPの蛍光が拡がった頻度が野生型タバコに比べ有意に高かったのに対し、LQ37Tでは違いはみられなかった。以上の結果から、rice TRXhは37E-MPの移行能力を相補し、LQ37Eの移行を少なくとも一部相補することが示された。これは植物由来のPDの移行性を変化させるタンパク質を用いて植物ウィルスの移行を制御した世界で初めての例である。

 第4章では変異型RCNMM(red clover necrotic mosaic virus)を用いて実験を行っている。RCNMVの宿主となるNicotiana benthamianaを用いてrice TRXhを過剰発現する形質転換体を作成し、変異型RCNMVの感染実験を行った結果、変異型MPを持つRCNMVの細胞間移行はrice TRXhにより完全には相補されないことが示唆された。しかし、PDに局在していると考えられるGFPの蛍光がrice TRXhを発現する形質転換体で野生型植物と比べ有意に多く観察された。以上の結果からrice TRXhは変異型MPの原形質連絡局在機能を相補している可能性が示唆された。

 第5章ではPDを移行する能力を持つrice TRXhの機能とMPの機能について比較、考察を行っている。

 以上本論文は、rice TRXhをタバコで発現させたとき、PDのSELが増大すること、PDのSELが高まることは植物の成長に影響を与えないこと、rice TRXhの細胞間移行とウィルスの移行との間には共通する機構があることを初めて示したもので、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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