学位論文要旨



No 118137
著者(漢字) 朴,海龍
著者(英字)
著者(カナ) パク,ヘーリョン
標題(和) 分子シャペロンGRP78の発現を抑制する物質に関する研究
標題(洋)
報告番号 118137
報告番号 甲18137
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2526号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 早川,洋一
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 加藤,茂明
内容要旨 要旨を表示する

 小胞体(ER)ストレス応答は、細胞にある種のストレスが負荷され小胞体の機能が障害された際、細胞が死から逃れるための防衛機構である。そのうち最も大きな役割を担う機構は、分子シャペロンの発現によるものである。代表的なストレス応答分子シャペロンはGRP78であるが、これは小胞体内に立体構造が異常なタンパク質が蓄積すると発現し、異常タンパク質の正常化を促進する活性を有する。

 ERストレス応答は外界からのストレスより細胞を保護する役目を果たすが、一方で多くの癌細胞が小胞体内で起こる分子シャペロンの誘導を活性化させ、薬剤耐性を獲得していることが報告されている。特に、固形癌の中心部では血管新生が十分でないため、常に低グルコース、低酸素状態になっており分子シャペロンの活性化が促進されている。したがって、ERストレスから誘導されるGRP78の発現を阻害するような薬剤は、化学療法が困難な固形癌に対し有効な制癌剤となることが期待される。そこで、ERストレス応答を制御する物質のスクリーニングを、約25,000株の微生物代謝産物について行ったところ、土壌分離放線菌Streptomyces versipellis 4083-SVS6株から新規活性物質を単離しversipelostatinと命名した。本研究は、新規分子シャペロン誘導阻害物質versipelostatinに関して行ったものである。

1.スクリーニング法

 スクリーニングはGRP78の遺伝子転写検出法であるリポーターアッセイを用いて行った。ERストレスによって活性化されるプロモーターであるERSEの下流に、リポータージーンであるルシフェラーゼを挿入したプラスミドで形質転換したHeLa細胞(HeLa78C6)を用いた。本細胞に、微生物代謝産物由来のサンプルおよびERストレス誘導物質ツニカマイシンを同時に添加し、誘導されるルシフェラーゼ活性を定量することによってサンプルの活性評価を行った。

2.分子シャペロン誘導阻害物質versipelostatinの単離・精製、構造決定

 Versipelostatinの単離・精製は、生産菌の培養濾液を酢酸エチルにて抽出後、シリカゲルカラムおよびODS-HPLCを用いて行い、versipelostatinを約2Lの培地より35mg単離した。

 Versipelostatinの分子式は、高分解能FAB-MSによりC61H94O17と決定した。UVスペクトルにおいて250nmおよび270nmに特徴的な吸収が観測され、テトロン酸の存在が示唆された。COSYおよびHMBCスペクトルの解析の結果、3つの部分構造と、3分子の糖の存在を明らかにした。これらの部分構造の結合は、HMBCスペクトルにおける遠距離スピン結合を解析することにより決定した。テトロン酸部分については、分子式および各炭素の化学シフト値を類縁化合物と比較することにより明らかにした。Versipelostatinの糖部分については、各プロトン間の結合定数の解析、および5%塩酸メタノール処理により得られたメチル化糖の比旋光度の文献値との比較により、2分子のD-digitoxoseおよび1分子のD-cymaroseと決定した。また、これらの立体化学については、NOEおよび1H-13Cの結合定数を解析することにより、図1に示すように決定した。本化合物はテトロン酸マクロライド系化合物であるが、17員環からなるテトロン酸マクロライドはversipelostatinが初めての報告例である。

3.Versipelostatinの生物活性

 本スクリーニングで用いたHeLa78C6細胞を、2μg/mlのツニカマイシンで処理すると小胞体ストレスが誘導されルシフェラーゼが産生される。この時、versipelostatinは、ツニカマイシンによるルシフェラーゼ産生を濃度依存的に阻害し、そのIC50値は約10μMであった。一方、本化合物は100μMという高濃度においても弱い細胞毒性しか示さなかった。このように、HeLa78C6細胞においてGRP78誘導活性を阻害することが確認されたが、次にERストレス応答が亢進することにより、制癌剤への薬剤耐性を獲得しているヒト大腸癌細胞HT-29細胞、およびヒト繊維肉腫細胞HT1080細胞を用いてversipelostatinの効果を検討した。HT-29細胞におけるグルコース飢餓による分子シャペロン誘導をRT-PCRにて検討した結果、熱ショックタンパクHSP70およびアクチンなどの発現には影響を与えず、GRP78およびGRP94の発現を特異的に抑制することを明らかにした。また、分子シャペロンのタンパクレベルをウェスタンブロットにより検討した結果、HT-29およびHT1080両細胞において、低濃度でGRP78の誘導を阻害することを明らかにした(図2)。この時、ストレス負荷をかけていない状態では、GRP78のタンパクレベルに影響を与えなかったことから、本物質はERストレス負荷により誘導されるGRP78の発現のみを選択的に阻害することが判明した。

 次にこのERストレス負荷によって誘導されるGRP78の発現を阻害することにより、癌細胞のERストレス感受性を回復させ細胞死を誘導するかを検討した。図に示すようにERストレス応答が強く活性化されているHT-29およびHT1080細胞では、グルコース飢餓あるいは2-デオキシグルコース(2-DG)単独処理では細胞死は誘導されない。それに対し、グルコース飢餓あるいは2-DG存在下versipelostatinを同時に処理すると、顕著な細胞増殖の停止、あるいはアポトーシスが誘導されることが観察された(図3)。本結果により、細胞死抑制に働くGRP78の誘導を特異的に阻害することにより、ERストレスヘの感受性を回復させることが確認することができた。生体内では、各正常組織は酸素およびグルコースが豊富に存在する条件下におかれているため、versipelostatinは影響を与えないと考えられる。それに対し、酸素、グルコースとも飢餓状態にある固形癌の中心部環境は固形癌特有のものであり、versipelostatinがこのような部位で特異的に細胞死を誘導することが期待される。Versipelostatinはストレス下で誘導される分子シャペロンの発現を特異的に阻害するはじめての化合物であるが、本物質によりERストレス応答が優れた癌分子標的の一つであることを証明することができた。今後、Versipelostatinを含めたこの種の癌分子標的薬剤による固形癌治療の可能性が期待される。

4.まとめ

 GRP78誘導阻害物質の探索を行なった結果、微生物代謝産物より新規17員環テトロン酸マクロライド系化合物versipelostatinを見出した。Versipelostatinは、HeLa78C6、HT-29およびHT-1080細胞において、ERストレスにより誘導されるGRP78の発現を特異的に抑制した。さらに、versipelostatinは癌細胞においてERストレスヘの感受性を回復させ、生体内での固形癌特有の環境モデルにおいて特異的に細胞死を誘導することを見出した。

 Versipelostatin, a novel GRP78/Bip molecular chaperone down-regulator of microbial origin. H. -R. Park, K. Furihata, Y. Hayakawa, K. Shin-ya. Tetrahedron Lett.,43,6941-6945(2002)

図1.Versipelostatinの構造

図2.Versipelostatinのグルコース飢餓および2-DG誘導GRP78発現阻害活性

図3.VersipelostatinによるERストレス負荷下での細胞死誘導

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、新しい抗癌剤の発見をめざして、固形癌における小胞体(ER)ストレス応答シャペロンGRP78の発現抑制物質の探索を行ったものであり、序論に続く4章からなる。

 序論では、研究の背景、ならびに本研究の目的と意義について述べている。小胞体ストレス応答は、細胞にある種のストレスが負荷され小胞体の機能が障害された際、細胞が死から逃れるための防衛機構である。代表的なストレス応答分子シャペロンはGRP78であるが、これは小胞体内に立体構造が異常なタンパク質が蓄積すると発現し、異常タンパク質の正常化を促進する活性を有する。固形癌の中心部では血管新生が十分でないため、常に低グルコース、低酸素状態になっており分子シャペロンの活性化が促進されている。したがって、ERストレスから誘導されるGRP78の発現を阻害するような薬剤は、化学療法が困難な固形癌に対し有効な制癌剤となることが期待される。

 第1章では、分子シャペロンGRP78の発現抑制物質versipelostatinの生産、単離、構造解析について述べている。スクリーニングはGRP78プロモーターの下流にルシフェラーゼ遺伝子を挿入したプラスミドで形質転換したHeLa細胞(HeLa78C6)を用いたリポーターアッセイにより行い、Streptomyces versipellis 4083-SVS6株より、新規活性物質versipelostatinを単離した。

 Versipelostatinの分子式は、高分解能FAB-MSによりC61H94O17と決定し、UVスペクトルよりテトロン酸の存在が示唆された。COSYおよびHMBCスペクトルの解析の結果、3つの部分構造と、3分子の糖の存在を明らかにした。これらの部分構造の結合は、HMBCスペクトルにおける遠距離スピン結合を解析することにより決定した。テトロン酸部分については、分子式および各炭素の化学シフト値を類縁化合物と比較することにより明らかにした。Versipelostatinの糖部分については、各プロトン間の結合定数の解析、および5%塩酸メタノール処理により得られたメチル化糖の比旋光度の文献値との比較により、2分子のD-digitoxoseおよび1分子のD-cymaroseと決定した。また、これらの立体化学については、NOEおよび1H-13Cの結合定数を解析することにより、図に示すように決定した。17員環からなるテトロン酸マクロライドはversipelostatinが初めての報告例である。

 第2章ではversipelostatinの生物活性について述べている。本スクリーニングで用いたHeLa78C6細胞をERストレス誘導物質ツニカマイシンで処理するとルシフェラーゼが産生される。この時、versipelostatinは、ツニカマイシンによるルシフェラーゼ産生を濃度依存的に阻害し、そのIC50値は約10μMであった。次にERストレス応答が亢進しているヒト大腸癌細胞HT-29細胞、およびヒト繊維肉腫細胞HT1080細胞を用いてversipelostatinの効果を検討した。グルコース飢餓または2-デオキシグルコース(2-DG)処理による分子シャペロン誘導をRT-PCRおよびウェスタンブロットにより検討した結果、HT-29およびHT1080両細胞において、versipelostatinは低濃度でGRP78の誘導を阻害することが判明した。また、グルコース飢餓あるいは2-DG存在下versipelostatinで処理することにより、顕著な細胞死が誘導された。

 第3章では実験結果の考察を述べている。VersipelostatinはERストレス下で誘導される分子シャペロンの発現を特異的に阻害するはじめての化合物であるが、本物質によりERストレス応答が優れた癌分子標的の一つであることを証明することができた。今後、versipelostatinを含めたこの種の癌分子標的薬剤による固形癌治療の可能性が期待される。

 第4章は実験の部であり、詳細な実験法について述べている。

 以上、本研究は、分子シャペロンGRP78の誘導阻害物質の探索において発見した新規17員環テトロン酸マクロライドversipelostatinが、グルコース飢餓に基づくERストレスにより誘導されるGRP78の発現を抑制し、固形癌細胞に対して特異的に細胞死を誘導することを見出したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

図.Versipelostatinの構造

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