学位論文要旨



No 118140
著者(漢字) 黒田,乃生
著者(英字)
著者(カナ) クロダ,ノブ
標題(和) 白川村荻町における文化的景観の保全に関する研究
標題(洋)
報告番号 118140
報告番号 甲18140
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2529号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 下村,彰男
 東京大学 教授 熊谷,洋一
 東京大学 教授 箕輪,光博
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 助教授 小野,良平
内容要旨 要旨を表示する

 1960年代後半(昭和40年代)に始まったまちなみ保存運動の延長上にある現在の「景観保全」は、徐々に形骸化し、「景観」の意味するものや「保全」がもたらした結果に関して、検討が十分進んでいるとは言い難い。中でも、本研究の対象としている、人々の生活の反映としての「文化的景観」(Cultural Landscape)を保全するとはどのようなことなのか、十分把握され、議論されているとはいえない。そこで、本研究では白川村荻町を対象地としたケーススタディによって、「文化的景観の保全」の、保全に至る背景、景観の変遷、景観に対する認識、保全のしくみ、の4点からその実態を明らかにする。

 従って、本研究の目的は以下の4点である。

(1)文化的景観に対する働きかけや、社会背景によって変化する視線を包括する概念を「まなざし」と定義し、その変遷を明らかにする。

(2)文化的景観において対象となる空間の変遷と、文化的景観を形成している人間のいとなみ(文化)とのかかわりを明らかにする。

(3)文化的景観に対する住民と地域外からの来訪者の認識を比較し、その同異を明らかにする。

(4)文化的景観の保全という観点から、保全制度および維持管理の現状と問題点を明らかにする。

 第1章では以上の背景と目的を示した。また、「文化的景観」について世界遺産の定義と国内外の用例を整理し、特に我が国では海外に比べて世界遺産の文化的景観の定義をもとにしているものが中心で、それ以外の用例も散見され今後の使用の増加も考えられるものの、まだ明確な定義づけがないことを指摘した。これらの定義と用例を鑑みて、本研究では「文化的景観」を「ある文化の影響をうけた景観」とし、背景と目的から得られる条件を満たす対象地として岐阜県大野郡白川村荻町を設定した。

 第2章は「まなざしの変遷」とし、まず、「研究者」が何を見たか、その結果として文化財および世界遺産になった「荻町集落」の何が価値とされているのか、次に村内外の人々がそれぞれ何を観光資源として見てきたか、最後にそれらのまなざしによって生じた「白川村像」の変遷を明らかにした。これらの過程でいつ、どのような背景のもと、人々のまなざしが荻町と合掌造りの建物に集中していったのかその原因を考察した。

 方法は資料分析によった。分析対象は、白川村に関する研究、書籍、旅行誌、村の広報誌とし、あわせて村の行った調査報告書と新聞記事によって分析した。

 結果として以下のことが明らかになった。文化的景観が保全されるに至る経緯としては、明治期にはじまった大家族研究がきっかけで、合掌造りの建物に関する研究がはじまり、その後昭和中期に建築史の分野で価値づけされ、昭和後期に合掌造りの建物は文化財となった。その後、1976年(昭和51年)に荻町集落が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。しかし、これは住民の保存運動が契機となっているものの、「建築史研究」における単体の建物に対する保存の手法が用いられ、農村という地区の特徴が省みられないまま文化的景観の保全が始まったことが明らかになった。さらに、この「建築史研究」のまなざしは現在の荻町における保全制度及び人々の認識における合掌造りの建物偏重の原因であることが示唆された。

 また、昭和中期まで観光資源として認識されていた滝や河川風景などに替わり、荻町集落の文化的景観そのものが観光資源となり、それまでの村の念願であった「観光立村」が実現した。しかし、自然資源を含む村全体の豊富な観光資源を活用したい村の意向とは逆に、ひとびとのまなざしは荻町のみに完全に集中した。こうしたまなざしはそのときどきのイメージにも繋がっており、「奇異」から「桃源郷」「秘境」「悲しみ」を経て、「ふるさと」へとイメージが変遷したことが明らかになった。

 第3章は「対象空間としての文化的景観の変遷」とし、空間要素と利用の変遷を把握し、それをふまえて、大小2つのスケールから空間の変遷を明らかにした。まず、地区の空間を構成している要素の変化を量、形態、位置、という3つの視点から整理するとともに、それらの利用の変化を把握した。次に、大スケールとして、集落全体の土地利用を中心とした空間の変化を把握した。最後に小スケールとして、立地から合掌造り家屋の分類し、建物とそれを取りまく要素について地区内の具体的な場所における変遷を把握した。

 方法として、要素や利用に関しては文献資料の読みとり及び現地踏査、ヒアリングを行った。また、集落全体の土地利用等の変遷を把握するために絵図、航空写真、写真を分析した。

 結果として、要素の変遷と土地利用から、空間の変遷は5期に分けることができた。具体的には、集落空間において、江戸期には合掌造りの建物は畑とともに集落と森林の境界にあったものが、昭和中期にかけて次第に田に囲まれるようになり、昭和後期以降田の減少と共に建物周辺の要素は細分化され、現在に至っているという変遷が明らかになった。集落が保全に向けて動き出した時機でもある昭和後期以降に合掌造りの建物以外の要素で特に大きな変化がおこっていることから、合掌造りの建物の保存及び集落景観の保全が、同時に合掌造りの建物へのまなざしの集中を生み、結果として文化的景観の混乱を招いたことが示唆された。さらに、「合掌造りの建物」を差別化することで、他の文化的景観を構成している要素と合掌造りの建物の本来的な意味における関係に替わって、観光に必要な要素との新たな関係が発生していることが明らかになった。

 第4章は「観光の現状と景観認識」とし、現在の観光形態を踏まえて、観光の方向性と景観認識を明らかにした。現在の地区における観光形態がどのようなものであるのかを把握したうえで、地域外からの来訪者である観光客と住民の意識の同異からそれぞれどのようなグループが存在するのかを明らかにした。また、観光資源としての景観という視点から、地区の文化的景観が具体的に現在観光客にどのように伝わっているのか、また住民はどのように認識しているのかを明らかにした。

 方法としては、意識の把握では観光客と住民に対する対面式のアンケート調査を、認識されている景観の把握には写真撮影調査を行い、それぞれについて分析した。

 結果として、地区は周遊型観光の立寄り地として位置づけられており、その活動も表層的なものになっており、こうした、現状の観光形態にはかならずしも満足していない観光客のグループがあること、さらにそのグループは非観光業の住民と近い反応を示していることが明らかになった。また、写真撮影の調査からは観光客は合掌造りの建物や花に集中し、住民はより多様な要素を総体として認識していることが明らかになった。現在の表層的な観光形態では来訪者に提供されている視点は地区の主役である合掌造りの建物を見物するだけのものに偏りがちであることが問題点として確認された。

 第5章は「景観保全制度及び維持管理の現状」とし、保全制度の内容とその運用及び維持管理主体から景観保全の現状を把握し、前章までの考察をふまえ、文化的景観保全の視点から問題点を明らかにした。

 方法としては資料分析及びヒアリングを行った。

 現状として、国(法律)、地方自治体(条例、計画・基準)、住民組織(協定)と3つの主体による4つの段階で規制が設けられており、地区指定及び具体的な基準が設けられていることが整理された。また、誘導策として国、地方自治体、財団による補助金、維持管理主体として住民、財団、法人の存在とそれぞれの役割および運営の実態が整理された。

 以上の結果と前章までの考察をふまえて、2つの問題点が明らかになった。

 ひとつめは、「文化的景観の保全」とされているものが、建造物の保存に大きく偏っていることが問題点としてあげられる。住民運動から始まった保全の考え方には当初「周囲の自然環境を守る」という理念があったにもかかわらず、規制は主に単体の建造物に対する「文化財保存」の見地から設定されているおり、その結果として建物に対する具体的な基準及び現状変更における協議の一方で、それ以外の要素及び要素間の関係に対する方策は後手にまわっていることが明らかになった。

 二つめには、保全の規制の改訂及び追加において、明確な保全の目標や方針のないまま、その時々の問題に対応するという姿勢が問題点としてあげられた。結果として、見直されていない基準に関しては現状との齟齬も見られ、維持管理においても、建物以外の空間要素の保全に向けていくつかの方策を打ち出しているものの、「修景」という名のもとに単発的なものになるおそれもあることが考察された。

 第6章は結論とし、本論で明らかになったことをまとめ、考察し、これからの課題について述べた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、地域における人々の生活を反映しつつ形成される動態としての「文化的景観(Cultural Landscape)」という観点から、景観保全の現状と課題を論じたものである。1960年代後半に始まったまちなみ保存運動の延長上にある現在の景観保全は、「景観」の意味するものや「保全」がもたらした結果に関して再検討が求められている。そこで本研究では、岐阜県白川村荻町を対象地として、景観に対する視線や認識の変遷、景観と人々の営みとの相互的な関わりの変遷、住民と域外者との景観に対する認識の異同、景観保全の仕組みの現状と問題点について明らかにすることを目的とし、これらを通して景観保全に関する現状の問題点や今後のあり方について論じている。

 第1章では背景と目的を明示している。また、「文化的景観」について世界遺産の定義と国内外の用例を整理し、特にわが国では世界遺産における文化的景観の定義をもとにしているものが中心であり、まだ明確な定義づけがないことを指摘している。これらの定義と用例を鑑みて、本研究では「文化的景観」を「ある文化の影響をうけた景観」とし、対象地として岐阜県大野郡白川村荻町を設定している。

 第2章は「まなざしの変遷」とし、白川村に関する研究論文、書籍、旅行誌、調査報告書等の資料・文献調査を通して、白川村の文化的景観が、いかに見られ認識されてきたかについての変遷を明らかにしている。その結果、明治期からの大家族研究を契機として合掌造りの建物に関する研究がはじまり、建築史の分野で価値づけされて、荻町集落が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。しかしながら、単体の建物に対する保存の手法が用いられ、農村という地区の特徴が十分検討されないまま文化的景観の保全が始まったことが明らかになった。

 第3章は「対象空間としての文化的景観の変遷」とし、空間要素の形態と利用の変遷を把握し、大小2つのスケールから空間の変遷を明らかにしている。方法として、要素や利用に関しては文献資料及び現地踏査、ヒアリング調査を行い、土地利用等に関しては絵図、航空写真、写真を分析している。その結果、景観を構成する要素と土地利用から変遷を5期に分けることができた。そして、集落が保全に向けて動き出した時機でもある昭和後期以降に合掌造りの建物以外の要素に大きな変化がおこっていることから、合掌造りの建物の保存及び集落景観の保全が、合掌造りの建物へのまなざしの集中を生み、結果として文化的景観の混乱を招いたことが示唆された。

 第4章は「観光の現状と景観認識」とし、地域外からの来訪者である観光客と住民の景観認識および意識の異同を明らかにし、景観保全の進め方について考察している。方法としては、意識の把握では観光客と住民に対する対面式のアンケート調査を、認識されている景観の把握には写真撮影調査を行った。その結果、現在は周遊型観光の立寄り地として位置づけられ、活動も表層的になっていること、またこうした現状の観光形態には満足していない観光客のグループがあること、さらにそのグループは非観光業の住民と近い反応を示していることが明らかになった。

 第5章は「景観保全制度及び維持管理の現状」とし、資料分析及びヒアリング調査によって、保全制度の内容とその運用及び維持管理主体から景観保全の現状を把握し、文化的景観保全の視点から問題点を明らかにしている。その結果、現状では、国、自治体、住民組織と3つの主体による4つの段階で規制が設けられていることが整理された。また、誘導策として国、自治体、財団による補助金、維持管理主体として住民、財団、法人の存在と各々の役割および運営の実態が整理された。そして、文化的景観の保全とされているものが建造物の保存に大きく偏っていること、明確な保全の目標や方針のないまま問題に対処されていること、の問題点が明らかになった。

 第6章は結論とし、本論で明らかになったことをまとめ、今後の課題について論じた。

 以上、本研究は人々の生活を反映しつつ形成される動態としての景観の概念を、文化的景観として明確化するとともに、文化的景観保全の観点から景観保全の現状と変遷を再検討し、その問題点を明らかにしたものと評価できる。本研究で得られた知見は、今後の景観保全や農村景観に関する研究および実践に大きな影響を与えるものと考えられ、学問上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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