学位論文要旨



No 118144
著者(漢字) 田中,英臣
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヒデオミ
標題(和) ゼブラフィッシュの突然変異体を用いた三叉運動神経の発生機構の解析
標題(洋) Genetic analysis of development of trigeminal motor neurons in zebrafish
報告番号 118144
報告番号 甲18144
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2533号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 理化学研究所 チームリーダー 岡本,仁
 東京大学 助教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

 脊椎動物の初期発生において、神経管内に生まれた神経細胞の多くは生まれた場所から自身が最終的に分化する場所まで移動する。また、運動神経細胞は神経管外において決まった経路で軸索を伸張し自身が支配する特定の筋肉へと結合する。これら神経細胞の移動と、標的筋肉に対する特異的な軸索誘導の分子機構の詳細は不明である。この問題を解決するためのモデルとして、著者はゼブラフィッシュの三叉運動神経に注目した。Islet-1遺伝子とα-actin遺伝子の組織特異的エンハンサーによって緑色蛍光蛋白質(GFP)を発現するIslet-1-GFPおよびα-actin-GFPトランスジェニックゼブラフィッシュ系統では、生体内における大部分の運動神経細胞、および随意筋が可視化される。特に三叉運動神経細胞は、神経軸索が体表の直下を伸張することから詳細な観察および色素注入等の操作が容易である。また、ゼブラフィッシュは遺伝学的解析が可能であり、突然変異体を単離してから原因遺伝子を同定するまでの方法が確立されている。著者は、これらトランスジェニック系統を用い、ゼブラフィッシュにおける三叉運動神経後核(Vp)について、細胞移動および運動軸索の投射様式の観察を行った。さらに、これらの観察より得られた知見をもとに、Vpの細胞移動および軸索投射の過程に異常が認められる突然変異体として、freeze frame(fzf)およびsidewalk(sdw)の両突然変異体を単離し、これら突然変異体の解析を行った。

1)下顎における三叉運動神経の軸索投射様式の解析

 初めに、三叉運動神経が自身の標的筋肉に向かって、どの様に軸索を伸張させるのかを明らかにするため、三叉運動神経の軸索走行と標的筋肉の発生過程を同時に観察した。第3菱脳節(r3)の両側に発生したVpの軸索は神経管を出た後、第1鰓弓内を腹側へ向けて伸張し、受精後52時間目までに下顎へ達した。この時、第1鰓弓に由来するintermandibularis anterior(ima)および、intermandibularis posterior(imp)は未だ認められないが、第2鰓弓に由来するinterhyal(ih)およびhyohyal(hh)は既に分化している。これら4種類の筋肉は下顎筋群を構成する。その後、受精後54時間目にVpの軸索の成長円錐は、第1鰓弓-第2鰓弓境界に達すると、その伸展方向を転じ、この境界に沿って正中線へ向けて伸張した。同時に、imaおよびimpが成長円錐周辺において分化した。正中線を越えたVpの軸索は受精後58時間目に伸張を一度停止した。やがて受精後62時間目に、Vpの軸索の成長円錐は後方に方向を転じて伸張を再開し、第1鰓弓-第2鰓弓境界を越えてihへと伸張した。これらの結果より、従来第1鰓弓由来の筋肉のみに投射するとされていた三叉運動神経がゼブラフィッシュにおいては第2鰓弓由来の筋肉にも投射することが明らかとなった。

 次に、一方向より伸張するVpの軸索が、第1鰓弓-第2鰓弓境界を越えた後、反対側のihのみに投射するのか、あるいは両側のihに投射しているのかを調べるため、Vpの軸索を脂溶性色素であるDiIを用いて順行性に標識し、末梢において標識された軸索の分布を調べた。その結果、標識された軸索は両側のih上に観察された。

 さらに、Vpの軸索のうち、同側へ投射する軸索と反対側へ投射する軸索がそれぞれ異なる運動神経細胞に由来している可能性を調べるために、Vpの軸索のうち一方のih上の軸索のみをDiIを用いて逆行性に標識し、標識された軸索およびr3内における標識された細胞の分布を調べた。その結果、標識された軸索が反対側のih上に認められ、さらにr3内において標識された細胞が両側に観察された。これらの結果は、Vpの軸索が、第1鰓弓-第2鰓弓境界において分岐し、両側のihへと投射していることを示唆している。また、この結果は、Islet-1-GFPプラスミドを一過性にモザイクに取り込ませて、Vpの軸索の末梢における分布を調べた結果とも一致した。そこで、r3で発生したVpの軸索の多くは、第1鰓弓-第2鰓弓境界で分岐し、両側のihへと投射するものと結論した。

 Vpの軸索が下顎の正中線上を交差するとき、両側より伸びてきたVpの軸索の成長円錐は、相互作用しているように観察された。Vpの軸索の第1鰓弓-第2鰓弓境界における分岐と正中線における交差が、両側に由来する軸索間の相互作用に依存しているかどうかを調べるため、r3内において右側のVpのみをレーザー照射により選択的に除去し、残された左側のVpの軸索走行への影響を経時的に観察した。その結果、残された左側のVpに由来する軸索は、コントロールと同様の正常な走行を示した。これらの結果から、両側のVpの軸索走行は互いに独立しており、軸索の誘導はVpの軸索と伸張経路上に存在すると思われる因子との相互作用に依るものであると考えられた。

 以上述べたVpの軸索の複雑な振る舞いは、多くの分子によって制御されているものと思われた。そこで、この機構の解明のために変異原としてN-ethyl-N-nitrosoureaを用いた突然変異体のスクリーニングを行い、下顎においてVpの軸索の投射に異常が認められる突然変異体として、sidewalk(sdw)を単離した。sdwでは、Vpの軸索のうち反対側へ伸びる軸索が認められなかった。しかし、標的筋肉の構造は野生型と同様で、軸索誘導機構における異常が推定された。sdwにおいてVpの軸索がどのように伸張するかを調べるため、経時的観察を行った。その結果、sdw胚では、Vpの軸索は正中線を越えることが出来ないが、第1鯉弓-第2鯉弓を越えて同側のihへと投射するタイミングは、野生型と同様であることが明らかとなった。これらの結果から、SDWは、Vpの軸索の分岐または反対側への投射のみに関与しており、同側のihへの投射は別の分子機構で制御されている可能性が推定された。

 これらsdwで認められた変異がVp自身の異常に由来するものなのか、あるいはVpの軸索が投射する環境の異常に由来するものであるのかを調べた。すなわち、rhodamine-dextranで標識した野生型胚の細胞をsdw胚に移植し、モザイク解析を行ったところ、野生型胚に由来するVpの軸索は、sdw胚内において同側のihのみに投射することが観察された。これらの結果から、sdwの変異はVpの軸索投射について細胞非自律的に作用しているものと考えられた。

 以上の結果から、Vpの下顎における軸索走行は、左右独立に行われており、これら軸索の分岐および標的筋肉への誘導は、SDW遺伝子がその生産に関与する前後軸に沿った正中線近傍からのシグナルと、第1鰓弓-第2鰓弓境界の左右軸に沿ったシグナルの少なくとも2つの分子機構により制御されていることが明らかとなった。

2)後脳内における三叉運動神経の発生過程の解析

 脊椎動物において後脳は、7つの分節構造より構成されており、それぞれ第1〜第7菱脳節(r1〜r7)と称される。ゼブラフィッシュには2つの三叉運動神経核がある。三叉運動神経前核(Va)はr2内に、三叉運動神経後核(Vp)はr3にそれぞれ発生する。初めにこれらの三叉運動神経細胞の各菱脳節内における発生過程を調べた。受精後48時間目において、それぞれの三叉運動神経細胞はともに各菱脳節内の内側に発生した。その後、Vaは受精後72時間目までに背側に広く分散した。ところが、Vpは受精後60時間目までに内側から外側へと移動し、さらに受精後72時間目までに腹外側へと移動した。また、r2においては認められなかったGFP陽性細胞群がr3の内側部に認められた。これらの結果から、2つの三叉運動神経はそれぞれの菱脳節内において全く異なる発生様式をとることが明らかとなった。

 これら2つの三叉運動神経の発生過程のうち、特にr3内において認められたVpの細胞移動に注目し、この過程に異常が認められる突然変異体として、freeze frame(fzf)を単離した。fzf胚においてVpはr3の内側に局在した。Vpがfzf胚においてr3内をどのように移動するかを調べるため、Vpの発生過程を経時的に調べたところ、受精後60時間目から72時間目にかけて起こる腹外側への移動が阻害されていることが明らかとなった。

 さらに、fzf胚においてVpが、移動のみならず分化も阻害されている可能性を調べるため、全ての三叉運動神経の軸索が含まれているr2近傍の経路を、DiIを用いて逆行性に標識し、標識された細胞のr3内における分布を調べた。その結果、移動が阻害されているほとんど全てのVpが標識された。Vpは移動を阻害されているにもかかわらず分化し、軸索を後脳の外に伸張させていることが明らかとなった。これらの結果から、FZFはVpの細胞移動にのみ関与している可能性が考えられた。

 fzf胚においては、これらr3におけるVpの移動の阻害に加え、受精後48時間目以降にr3の内側、視蓋の前縁部、さらに神経管の背側部において異所的にGFP陽性細胞の誘導が観察された。これらGFP陽性細胞は介在神経の一種であると思われるが、その分類は不明である。

 これらの結果から、fzfは、r3内におけるVpの細胞移動のみならず、r3の内側、視蓋の前縁部、さらに神経管の背側部における様々な神経細胞の発生後期における分化および維持にも関与していることが推定された。

 本研究では、経時的に厳密に制御されている神経細胞分化のプログラムの1ステップのみを特異的に乱す突然変異を単離出来ることを示した。これらの突然変異の原因遺伝子を同定することによって、神経細胞が分化の分岐点においてどの様な機構でその振る舞いを決定するのかを明らかにすることが出来ると期待される。とりわけ、fzfは、神経細胞の放射軸方向の移動に、sdwは、神経軸索の分岐の誘導に関与していると考えられる。これらの分子機構は未だほとんど不明で、fzfとsdwの分子的実体を知ることによって新しい研究の突破口が開けることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 脊椎動物の初期発生において、運動神経細胞の軸索がどの様に標的筋肉へと伸張するのか、また、細胞が脳内をどの様に移動するのかその詳細は不明である。この問題を解明するため、本論文では大部分の運動神経細胞、および随意筋が生体内で可視化されるIslet-1-GFPおよびα-actin-GFPトランスジェニックゼブラフィッシュ系統を用いて三叉運動神経後核(Vp)の軸索の投射様式および細胞移動の観察を行った。さらに、この過程に異常が認められる突然変異体を単離して解析を行った。

 初めに、Vpの軸索伸張と下顎筋の発生過程を観察した。第3菱脳節(r3)の両側に発生したVpの軸索は受精後54時間目に下顎の第1鰓弓-第2鰓弓境界に到達すると方向を転じ、この境界に沿って正中線を越え停止した。受精後62時間目に、Vpの軸索は後方に方向を転じて伸張を再開し、第1鰓弓-第2鰓弓境界を越えて第2鰓弓に由来するinterhyal(ih)へと伸張した。この結果、従来第1鰓弓由来の筋肉のみに投射するとされていた三叉運動神経がゼブラフィッシュでは第2鰓弓由来の筋肉にも投射することが明らかとなった。

 両側のVpの軸索は下顎の正中線上で交差した。この交差がVpの軸索の伸張に必要かどうかを調べるため、右側のVpをレーザー照射により除去し、左側のVpの軸索走行への影響を調べた。左側のVpに由来する軸索は正常に伸張した。そこで両側のVpの軸索走行は互いに独立しており、軸索と伸張経路上に存在すると思われる因子との相互作用により誘導されると考えられた。次に、同側へ投射するVpの軸索と反対側へ投射する軸索が異なる細胞に由来する可能性を調べるため、同側のih上のVpの軸索をDiIにより逆行性に標識し、標識された軸索の分布を調べた。標識された軸索は反対側のih上にも認められた。そこで、同一の軸索が分岐し、両側のihへ投射していると考えられた。

 Vpの軸索伸張に関与する分子機構を調べるため、変異原としてN-ethyl-N-nitrosoureaを用いてこの過程に異常が認められる突然変異体のスクリーニングを行い、sidewalk(sdw)を単離した。sdwでは、標的筋肉の構造は正常であるが、反対側へ伸びるVpの軸索が認められなかった。sdwにおけるVpの軸索の伸張過程を経時的に観察したところ、反体側へのVpの伸張は阻害されるが、同側への伸張は正常であることが明らかとなった。そこで、SDWはVpの軸索の反対側への伸張のみに関与しており、同側への伸張は別の分子機構で制御されている可能性が推定された。この変異がVp自身と、Vpの軸索が投射する環境のどちらの異常によるものかを細胞移植によるモザイク解析を行い調べた。正常胚に由来するVpの軸索は、sdw内において同側のihのみに投射することが観察された。この結果、sdwの変異はVpの軸索が投射する環境に異常をもたらすと考えられた。以上の結果から、下顎におけるVpの軸索の標的筋肉への誘導は、SDW遺伝子がその生産に関与する正中線近傍と、第1鰓弓-第2鰓弓境界の少なくとも2つの分子機構により制御されていることが明らかとなった。

 次に、r3におけるVpの発生過程を調べた。受精後48時間目までにVpはr3の内側に発生した。その後、受精後60時間目までに内側から外側へと移動し、さらに受精後72時間目までに腹外側へと移動した。この結果から、Vpの移動は、内側から外側、さらに外側から腹外側の2つの経路を経ることが明らかとなった。本論文ではさらに、r3内におけるVpの細胞移動に異常が認められる突然変異体として、freeze frame(fzf)を単離した。fzfにおいてVpはr3の外側に局在した。fzfにおけるVpの発生過程を調べたところ、外側から腹外側への移動が強く阻害されることが明らかとなった。さらに、Vpの分化が阻害されている可能性を調べるため、三叉運動神経のほぼ全ての軸索をDiIにより逆行性に標識し、r3内における標識細胞の分布を調べた。その結果、ほとんどのVpが標識され、後脳の外に軸索を伸張していることが明らかとなった。この結果、FZFはVpの分化ではなく、細胞移動のみに関与している可能性が考えられ、2つの経路は異なる分子機構で制御されている可能性が考えられた。fzfでは、この他に、受精後48時間目以降にr3の内側、視蓋の前縁部、さらに神経管の背側部に異所的にIslet-1-GFP陽性細胞の誘導が観察された。そこで、FZFはVpの細胞移動の他に、神経管内における様々な神経細胞の分化および維持にも関与していることが推定された。

 以上本論文は、経時的に厳密に制御されている神経細胞分化のプログラムの1ステップのみを特異的に乱す突然変異を単離出来ることを示した。今後これらの突然変異の原因遺伝子を同定することによって、神経細胞が分化の分岐点においてどの様な機構でその振る舞いを決定するのかを明らかにすることが出来ると期待され、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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