学位論文要旨



No 118146
著者(漢字) 勝川,木綿
著者(英字)
著者(カナ) カツカワ,ユウ
標題(和) 進化生態学からみた魚類の繁殖戦略と個体数変動様式の関係
標題(洋)
報告番号 118146
報告番号 甲18146
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2535号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松田,裕之
 東京大学 教授 白木原,国雄
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 小松,輝久
 東京大学 助教授 山川,卓
内容要旨 要旨を表示する

 生物の個体数変動とそれを生み出すメカニズムの解明を目指す個体群生態学的研究は,水産資源をはじめとする野生生物資源の持続的安定的供給という応用科学としての要請と密接に関連して発展してきた.水産生物資源の管理保全のみならず,害虫や鳥獣など有害生物の防除でも,個体数管理は共通の重要な問題である.野生物個体群の個体数をある範囲の個体数水準に維持管理するためには,個体数変動機構の解明が必要不可欠と考えられる.個体数は,気候などの非生物的要因,天敵,競争種,餌生物などの生物的要因の作用が相互に複雑にからみ合い,さらに個体群の量(個体数)と質(遺伝子頻度)が密接な関連をもって変動する.魚類の中でも個体数変動が大きいことで知られるマイワシ(Saedinops melanostictus)は,多いときは日本の全国漁獲量にして450万トン(1988年),少ないときは9千トン(1965年)と500倍も変動する.高水準期の漁獲量は経済的上限に達しているため,実際の個体数の変動はこれより大きいものと考えられる.これは,陸上生物で観察される個体数の変動幅に比べてもひけをとらない.

 本研究では,変動様式機構解明のため生活史特性を調べたこれまでのアプローチとは異なり,適応戦略という進化生態学的視点から生息環境と生活史特性および個体群動態の関係を明らかにする.適応戦略は,自然淘汰の結果,生息環境にもっとも適応した形質(戦略)が選ばれるという考えに基づく.各齢または各生活史段階における生存率,成長率,繁殖率の間にエネルギー投資のトレードオフがあると仮定し,またエネルギー生産量が体重に依存すると仮定した上で,最適な投資配分のスケジュールを求めた.体重とエネルギーの関係が線形または非線形であるかにより,また生存率と生存へのエネルギー投資の関係の非線形性などにより,最適な生活史戦略は異なるが,選択された生活史戦略を大きく3つのパターンに分けることができる.一つはある齢まで成長と生存に投資し,ある成熟齢で繁殖して死ぬ一回繁殖,次に成熟齢で繁殖と生存に投資し,同じ体長で翌年も産み続ける限定成長の多回繁殖,最後に成熟後も繁殖・成長・生存の3者すべてに投資し続ける無限成長の多回繁殖である.哺乳類は限定成長を行うが,多くの魚類は無限成長を行う.ところが,これら3者を統一的に説明する数理モデルは,今まで研究されてこなかった.本研究は,これら3者が選択される条件を共通の数理モデルで説明することを目的とする.

1.2生活史段階モデルによる解析

 安定環境における多回繁殖の成長スケジュールは,理論的には多くの場合,成熟後成長を止める限定成長であることが理論的に示されている.ところが,魚類の多くは成熟後も成長を止めない成長様式である.では,なぜ魚類は成熟後も成長にエネルギーを投資し続けるのだろうか?魚類の生活史の特徴は,初期生残率が大きく変動することである.本研究では初期生残率の変動に着目し,数理モデルを用いて魚類の生活史が変動する初期生残率に対する適応戦略であるかを検証する.本モデルでは,ある齢におけるエネルギー生産量をその齢での体重の関数と考えた.エネルギー生産y(wx)は体重wxの関数としてy(wx)=awxbとした.また,エネルギーを成長,繁殖,生命維持にそれぞれ,ui,gi,si(ui+gi+si=1)の割合で投資配分すると仮定する.添え字iは生活史段階を表す.成長に投資すれば翌年の体重が増え,繁殖や生命維持により多くのエネルギーを投資した場合,その齢の繁殖率あるいは生存率が高くなる.繁殖率Fx,は繁殖投資比ux,に比例して増加するとし,次のように与えたFx(wx,ux)=c2uxy(wx).c2は正の定数,繁殖投資比や体重が増加すると繁殖率が増加する.また,生存率Px,は投資比sx,に依存すると仮定し,Px(sx)=sx/μ+sxと与えた.μは正の定数で生存のコストを表す.生物が生存に一定のエネルギーを投資をした場合,生存コストが高いほど,生存率が低くなる.各齢における投資配分(戦略)が決まれば,初期生残率以外の各齢における体重,繁殖率,生存率が定まる.これを以下のようなレフコビッチ行列(齢構成モデルにおけるレスリー行列を,生活史段階別に書き改めたもの)で表現することができる.

 成長するメリットα,生存コストμ,体重とエネルギー生産量の関係,エネルギー生産関数アロメトリー式の指数部bとする.また初期生残率をδ(t)で与え,ランダムに変動すると仮定した.安定環境(δ(t)=一定)の場合,自然淘汰によって選ばれる最適生活史戦略は,長期的な平均個体数増加率を最大にする戦略であり,これは上記レフコビッチ行列の最大固有値に対応する.初期生残率がランダムに変動する場合,上記のレフコビッチ行列の第1行に確率変数が含まれることになるが,その場合の長期的個体数増加率は,平均生残率などを用いた固有値解析では評価できないことが知られている.そこで,最も単純な2段階モデル,すなわち1歳において成長・生残・繁殖への投資の選択肢を持ち,2歳においてはこれ以上成長せず,生残と繁殖への投資の選択肢を持つ(生き残った場合には,第2段階に留まり,繁殖を繰り返す)モデルを考えた.このモデルを用いて,数値計算によって1000年後の個体数が最も多くなる戦略を最適戦略とした.その結果,エネルギー生産と体重の関係が線形(b=1)か非線形飽和型(b<1)かによって,最適生活史戦略のパターンが分かれることがわかった.多回繁殖の無限成長が最適解となるのは,初期生残率が変動し,成長したときのエネルギー生産量が大きい場合であることがわかった.一方,エネルギー生産量が少ない場合,初期生残率が変動しても限定成長が選ばれた.無限成長は安定環境での最適成熟サイズよりも小さいサイズで繁殖を開始する.そのため,最適サイズで繁殖した場合よりも生涯の産仔(産卵)数は少なくなる.しかし,変動環境下では,魚類に特徴的な無限成長は,成熟齢を早くすることにより,繁殖機会が増加する.これに対して安定環境下では,生物は子の数を最大にする戦略,一回繁殖あるいは限定成長が最適戦略となる.この解析結果をさらに吟味するため,3段階モデルを解析した.その結果,2段階モデルと定性的に同様の結果を示したが,2歳まで成熟を待ってから繁殖を開始し,さらに無限成長を行うものなど,より多様な生活史戦略が現れた.

2.最適戦略と個体数変動の関係

 次に,得られた最適戦略とその個体数変動の関係について考察する.個体数変動は生息する海洋環境に依存すると考えられている.川崎(1982)は,植物プランクトンの生産量と年変動が大きい高緯度海域に生息する種の個体数は大変動する一方で,植物プランクトンの生産性と環境変動が小さい低緯度海域に生息する種の個体数変動は比較的安定していると指摘した.従来の研究では,異なる環境で異なる生活史戦略をもつ生物の個体数変動について議論していた.ここでは,最適戦略の個体数変動様式を,それぞれの戦略が最適となった異なる環境下で比べるのではなく,同じ環境で他の戦略をとったときの理論的に予測される変動様式と比較することにより,最適戦略の個体数変動様式の特徴を明らかにする.環境変動が大きい場合,無限成長の個体数変動幅は,一回繁殖や限定成長の戦略よりも小さい.成熟齢を早め,繁殖回数を増加させる無限成長は,加入に失敗し個体数が減少しても,低年齢で繁殖することで個体数減少分をすばやく補う効果があるのかもしれない.また,初期生残率の変動によって個体群の齢構成がゆがむ.しかし,常に各齢で繁殖する個体がいることによって,齢構成のゆがみを素早く修復し,その結果,個体数変動幅が狭くする効果があると考えられる.すなわち,多回繁殖・無限成長が資源変動幅を大きくするのではなく,環境変動幅が大きい環境に適応した多回繁殖・無限成長は,むしろ変動幅を緩和する効果があると考えるべきである.

3.生活史戦略の多様性と漁獲の影響評価の関係

 最後に,生活史戦略の多様性と漁獲の影響評価の関係について議論する.現在,漁業の資源の持続性への影響は加入量あたり産卵親魚量(SPR)という指標が広く利用されている.しかし,この指標は産卵後の初期生残率の変動を考慮していない.実際には,資源の持続性と安定性は,上記の研究で明らかなように,繁殖を一斉に行うか,年を隔てて分散して行うかによって異なる.一言で言えば,資源の産卵親魚の齢構成がある年級群に固まるか,分散するかによって資源の持続性は異なる.つまり,変動環境下の魚類は繁殖においてリスク分散戦略をとっている.これは漁業にも適用される考え方である.すなわち,同じSPRであっても,若齢から高齢まで分けて漁獲するのと,ある齢以上を集中して漁獲するのでは,資源の持続性に与える影響が異なる(後者が大きい)ことが示された.また,同じSPRでも後者の方が漁獲量も多いことが予想される.したがって,一概に後者が不適切な漁業とは言えない.しかし,SPRという指標が変動環境下の資源については必ずしも妥当な指標ではないことがわかった.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、魚類等の繁殖と成長様式の適応的意義に関するもので、7章よりなる。多くの魚介類は、成熟後も成長を続ける無限成長と呼ばれる生活史をとる。成熟齢、成長曲線、自然死亡率などの生活史が遺伝的に規定され、最も多くの子孫を残すことができる生活史が進化していくという進化生態学の理論によれば、以前は生物の生活史は生涯で一度だけ繁殖する一回繁殖か、成熟後は成長を止めて繁殖を繰り返す限定成長のどちらかをとると説明されていた。著者は魚類に広くみられる加入率の年変動に注目し、新知見を得るべく以下の研究を行った。

 第1章の緒言において本研究の背景と意義、第2章において既存の安定環境下での生活史理論について紹介した後、第3章では変動環境下での生活史戦略を説明するための最も単純な数理モデルである2ステージモデルを考案、解析している。従来の先行研究では、一回繁殖と多回繁殖、あるいは限定成長と無限成長という2者の成立する条件を解明するに留まり、これら3者が最適な生活史になる条件を統一的に示すことができなかった。生活史を成長と繁殖と生存という3者に対するエネルギー配分の問題として捉え、上記の一回繁殖(semelparity)、限定成長(indeterminate growth)、無限成長(indeterminate growth)を一つの数理モデルによって統一的に説明した点が、本論文の第1の特長である。著者は安定環境下において無限成長が最適になる条件が限られていることを解析的に示している。さらに計算機実験の結果、無限成長は特に初期生残率が環境条件などによって大きく年変動する場合、及び生存率を高めるためのコストが高く、大きくなるまで成長することが繁殖率(産卵数)の向上に大きく寄与する場合に適応していることを明らかにしている。一回繁殖は安定環境で生存のコストが高い場合に適応した生活史であり、かつ、成長のコストが高い場合には一歳で成熟し、低い場合には二歳以降に成熟する傾向にあることが示された。また、限定成長は安定環境で生存のコストが低い場合に適応した生活史である。

 第4章では、環境変動が成熟齢に及ぼす影響を調べるために、3ステージモデルについて数値計算を行っている。成長のコストが低ければ十分大きくなるまで成長してから繁殖を開始すると生涯の産卵量を最大にできる.しかし,この戦略では繁殖回数が少なく、リスク分散をはかれないことがある。無限成長はこのような条件のもとで選択されることを明らかにしている。

 本論文の第2の特長として、上記の進化生態学的知見を水産資源の変動機構および管理基準に応用し、新しくかつ有益な知見を導いたことである。第5章では、変動環境における最適生活史の個体数変動の特徴を解明し、無限成長が個体数変動を緩和するものであることを明らかにしている。資源変動は加入量の年変動とそれに適応した生物の個体数変動からなる.ところが、無限成長が初期生残率の年変動が激しい環境に適応しているために、従来、無限成長は個体群変動が大きいと考えられてきた.しかし、同じ環境条件のもとで無限成長をとる生物と限定成長あるいは一回繁殖をする生物の資源変動幅を仮想的に比較してみると、リスク分散を図る無限成長の方が資源変動幅は小さくなることが示された。

 第6章では、生活史形質の進化生態学的研究を水産資源管理理論に応用している。加入乱獲とは次世代に確保すべき資源を過剰に獲ってしまうことである。その指標として、従来は漁業があるときとないときの生涯期待産卵量の比(%SPRという)が用いられてきた。しかし、この指標は産卵回数を反映していない。本論文では同じ%SPRをもつが産卵回数が異なる複数の漁獲方策、つまり未成魚から少しずつ漁獲するが産卵回数は多い方策と、未成魚を保護しつつ成魚をたくさん獲るが産卵回数は少ない方策の間で、次世代以降の資源量と変動幅を計算機実験により比較した。その結果、未成魚を保護しても産卵回数を減少させる方策は、同じ%SPRでも資源を乱獲する傾向が生じ、%SPRが適切な指標ではないことを明らかにしている。第7章では、ニシンや大西洋マダラなどさまざまな資源のデータをもとに、本論文の妥当性と今後の課題を考察している。

 以上本論文は、魚類などに広くみられる無限成長という生活史が変動環境による加入率の年変動に適応していることを理論的に明らかにし、この生活史が加入率の年変動がもたらす資源変動幅を緩和する効果があること、魚類が産卵回数を増やすような生活史を進化させているのに一回だけ産卵させるような漁獲方針を奨励することは資源の持続的利用を図る上で理論的に不適切であることを初めて明らかにした。これは進化生態学のみならず、水産資源学における新たな知見を得たもので学術上応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が、博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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