No | 118147 | |
著者(漢字) | 西野,智彦 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ニシノ,トモヒコ | |
標題(和) | ストレス条件下における海洋細菌の生理状態に関する研究 | |
標題(洋) | Studies on the physiological state of marine bacteria under stressed conditions. | |
報告番号 | 118147 | |
報告番号 | 甲18147 | |
学位授与日 | 2003.03.28 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第2536号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 水圏生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 自然環境中の微生物は常に低栄養、低温、高あるいは低pH、活性酸素、紫外線、乾燥などのストレス下に置かれている。それらの群集の大部分は顕微鏡では存在が確認されるものの、通常の方法では培養、分離ができない。その中には今だに培養法が見つかっていないものがいる一方で、本来培養できる菌でありながら、それができない生理状態(viable but non-culturable state :VNC状態)に陥っているものも存在している。 VNC状態に移行する現象は海洋に存在しているビブリオ属をはじめ、大腸菌、サルモネラ属など多種多様な細菌について報告されている。また、培養可能な細菌がVNC状態に移行した後、条件に応じて再び培養できる状態になることも報告されている。このような培養能の復帰が認められることから、VNC状態とは微生物がストレス条件下で種を保存していくための生存戦略の現れと見ることもできる。 環境中で生きている細菌のほとんどが培養できない状態にあることから、自然環境下に存在する細菌の生理状態を知るためには、VNC状態がどのような性質であるかを理解することが重要である。しかしながら、この生理状態には未知の部分が多い。その解析上の最大の問題点は、VNC状態への移行時の細胞集団は、死菌体、VNC状態の菌体、培養可能な菌体の3種類から構成される混合集団となっていることである。VNC状態の菌を他から分取する方法がない限り、その性質を解明することはできない。 本研究ではこの問題を解決するために、まずVNC状態の細菌集団を作り出し、菌体集団の分取を行い、それらの菌体の生理状態を明らかにすることを最終目的とした。具体的にはVibrio科の海洋細菌を用いて低温、低栄養下でのVNC状態への移行条件の検討を行い、つぎに密度勾配法によって培養能の異なる菌体を分画する方法を確立した。さらに分画された細胞について原子間力顕微鏡を用いた形態観察を行った。 1.VibrioのVNC移行について A.Vibrio parahaemolyticusの低温、低栄養下におけるVNC状態への移行と昇温処理効果 VNC状態の理解のため、モデル系として有機物無添加の人工海水中で低温下(4℃)においたV.parahaemolyticus(ATCC 17802)を用い、VNC状態への移行の条件検討、各種高分子の合成阻害剤の添加効果、昇温効果などの影響について調べた。全菌数はDAPI染色後、蛍光顕微鏡下で、生菌数は1/5ZoBell 2216E寒天培地にて計測した。生理活性を持つ菌数の計測法として、LIVE/DEAD BacLight kit(Mol.Probes)を用いた。このモデル条件下で、V.parahaemolyticusの生菌数は3日間で2.5×105 CFU/mLから4.3×102 CFU/mLへと減少した。この間、BacLight kitによる菌数は3.3×105 cells/mLから7.1×104 cells/mLと緩やかに減少したが、全菌数は4.0×105 cells/mLのままだった。3日目のBacLight kitによる菌数と生菌数の間に2桁の差があったことから、菌はVNC状態に移行したと判断した。この低温飢餓下に1日おかれた菌体を室温に一定時間戻すと、その後たとえ低温下に戻してもその後の生菌数の低下が見られなくなった。すなわち、それ以後のVNC状態への移行が抑制された。この昇温条件は30℃、20分が最適であった。また、この抑制はDNA,RNA、タンパク質合成阻害剤の添加により見られなくなること、定常期の菌体では見られないことから、VNC状態への移行には増殖期に依存して発現する遺伝子群の発現が関与していると考えられた。 B.Vibrio alginolyticusのVNC状態への移行にエネルギー獲得系がもたらす役割 前章においてVNC状態への移行には遺伝子の発現が関与していることが示唆された。実際には多くの遺伝子がVNC状態への移行に関わっていると予想されるが、その解析例はごくわずかである。ここではエネルギー獲得系の遺伝子の関与を見るために、V.alginolyticusのナトリウム駆動型呼吸鎖(以下ナトリウムポンプ)に着目した。ナトリウムポンプとは、Vibrio科を始めとする海洋細菌が持つ呼吸鎖で、低栄養、弱アルカリ性でナトリウムに富む環境でのエネルギー獲得に有利と考えられている。 pH8.5、Na+濃度10mMの栄養飢餓条件下で、ナトリウムポンプ欠損の変異株(Nap-2)と野生株(138-2)とを比較したところ、欠損株は野生株に比べVNC状態へ速やかに移行した。また、欠損株は野生株に比べ、活性酸素感受性が高く、低栄養濃度下での増殖も不十分であった。これより、VNC移行には少なくともエネルギー獲得系が関与していると考えられた。一般に細菌のエネルギー代謝には多数の遺伝子発現が関係しているため、そのVNC状態への移行には多くの道筋があるものと予想される。 2.密度勾配遠心分離による生理状態の異なる菌体の分画 VNC状態への移行期の細胞集団には、少なくとも死菌体、VNC菌体、培養できる菌体が含まれる。VNC状態の菌のみを分取して解析することはその理解に必須のステップである。そこで、V.parahaemolyticusを用い、密度勾配遠心分離法の検討を行った。 人工海水培地で室温(25℃)にて静地培養された菌に対し、Percollによる密度勾配遠心分離を行い、密度の差による分画を行なった。それぞれの分画について培養能、ストレス耐性を比較した。培養能は生菌数を全菌数で除することにより求めた。ストレス耐性は4℃の低温、飢餓条件下に3日置いた後の生菌数を初日の生菌数で除した値を用いた。定常期の純粋培養菌液について分画をおこなったところ、密度の異なる多くの画分が得られた。それぞれについて培養能とストレス耐性を測定したところ差が見られ、この分画法によってそれぞれの性質が異なる細胞集団に分けられることが明らかになった。一般に、密度が高い菌体集団の培養能は高かったが、ストレス耐性は低かった。逆に密度が低い菌体集団の培養能は低かったが、この中で培養可能な菌体のストレス耐性は高かった。現在得られた条件ではVNC状態の菌はまだ他の菌との混合状態にあるが、今後条件検討によってその分取は可能と判断している。今回の検討により、Percollを用いた密度勾配遠心分離法は生理的に異なる集団を分けるための新たな手法として有用であることが明らかになった。 3.原子間力顕微鏡(AFM:Atomic Force Microscopy)を用いた形態観察 形態は細菌の生理状態を示す最も基本的な性質である。密度の差に応じて生理状態の異なる菌体集団が分画されたことから、密度の異なる集団の形態観察を試みた。形態観察には電子顕微鏡に比べ、試料調製が容易で高倍率の画像を得ることができるAFMを用いた。AFMは微小物体の表面とプローブとの間に働く原子間力を検出し、目的物体の表面形状、サイズ、表面特性を高倍率に測定することができる。AFMがこの目的で使われた例はないため、まず方法論的な検討を行ない、次いで密度勾配法で分画した菌の観察を行った。 A.AFMの海洋細菌観察への応用 AFMの海洋細菌の観察への応用を目的として、培養細胞、天然海水の群集を用いて検討を行った。ガラス表面に付着させた菌、フィルター上に濃縮した菌についてその全体あるいは断面の形状観察、サイズ測定などを行った。フィルター表面は平滑である必要があり、検討の結果、Isopore filterが最適であった。細菌は一般に上下方向に圧縮されていた。さらに桿菌は中央が凹む形状を示した。断面の形状を確認することにより海水中の細菌と非生物体粒子とを分別することが可能で、こうした求められた細菌数は蛍光顕微鏡による測定値と一致した。これらの結果から、AFMが海洋細菌の観察に応用できることが確認された。 B.密度の異なる細胞の形態観察 密度の差によって分画された菌体についてAFMを用いた形態観察を行った。典型的な例として、Perco11による密度勾配遠心分離により分画した二つの集団について検討を行った。密度の高いフラクションには、培養能が高く、ストレス耐性が低い群集が含まれ、密度の低いフラクションには培養能が低いものの、その中で培養できる菌のストレス耐性は高い群集が含まれていた。前者を観察したところ、主に球状の菌からなっていた。一方後者には桿状の菌が多かったが、他の様々な形態の菌も含まれていた。菌の"質感"にも違いが認められたことから、培養能、ストレス耐性がそれぞれの細胞の形態と関連しているのではないかと考えられる。 本研究ではVNC状態への移行が短時間で抑制されること、さらにその抑制には遺伝子の発現が伴っていることを示した。また、これまで指摘されていなかった生命活動に必須なエネルギー獲得に関する遺伝子発現の重要性を示した。さらに、VNC状態の細胞の解析時に問題とされていた菌体集団の不均一性の問題を解決するために、密度の差に応じた細胞分取法を確立した。この細胞分取法によって分別された細胞集団は培養能、ストレス耐性が異なっていた。また、これらの細胞集団は形態的にも異なることをAFMによる観察を行って明らかにした。 | |
審査要旨 | 自然環境中の微生物は常に低栄養、低温、紫外線、乾燥などのストレス下に置かれている。それらの群集の大部分は顕微鏡では存在が確認されるものの、通常の方法では培養、分離ができない。その中には今だに培養法が見つかっていないものがいる一方で、本来培養できる菌でありながら、それができない生理状態(viable but non-culturable state:VNC状態)に陥っているものも存在している。こうしたVNC状態の菌の生理状態の解明は、天然の細菌の生理状態の解明に直接関わるだけでなく、天然水界中に広く分布している病原菌などの潜在的な危険性を見積もる上でも極めて重要である。この概念は従来の細菌学の根本的な見直しを迫るものではあるが、主に方法論的な難しさのために研究が必ずしも進んでいない状況である。 申請者はこの生理状態の解明のために、三つのアプローチを試み、この研究の進展に大きな貢献をした。第一に、海洋細菌、腸炎ビブリオ(Vibrio parahaemolyticus)を低温、低栄養下におくことにより、VNC状態を作る系を考案した。この系は再現性も高く、また極めて短時間にVNC状態への移行を可能にする。従って、モデル系として極めて有効と考えられる。このモデル系を使い、腸炎ビブリオのVNC移行は菌体の増殖期、濃度、温度変化の影響を受けること、さらにこれらの変化は遺伝子の発現に関わることを明らかにした。第二に、このような系で作られる菌液から、VNC状態の菌のみを分取する方法を検討した。すなわち、上記の系で得られるVNC状態の菌は、異なる生理状態の菌群の混合状態として存在する。VNC状態の菌は全体の10%程度と予想され、従来のアプローチでは混合群集をまとめて解析しており、そのために明瞭な結果が得られなかった。申請者は密度勾配を用いて異なる培養能、ストレス耐性を持つ菌を分取することに成功し、この分野に大きな方法論的改善をもたらした。第三に申請者は原子間力顕微鏡に注目し、海洋細菌に初めてこの機器を応用した。方法論的な検討の後にVNC状態の細菌を観察し、それが他の菌と形態的に明瞭に異なることを明かにした。 申請者は学問的に難しい研究課題を扱ったが、非常に独創的なアプローチを導入することにより、この研究領域に貢献を果した。論文は投稿中であるが、国際的に注目を集めるものと予想される。また、多くの研究は指導教官の指示よりも、むしろ本人の発想に基づくものであり、研究者としての資質は十分に備えていると判断される。さらに、申請者は多くの論文を発表しており、博士(農学)の学位を受けるに十分な学識と実績を備えているものと判断した。 | |
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