学位論文要旨



No 118148
著者(漢字) 町田,龍二
著者(英字)
著者(カナ) マチダ,リュウジ
標題(和) カイアシ類ミトコンドリアDNAの構造特性とその系統解析への適用
標題(洋) Structural characteristics of copepods mitochondrial DNA and its application for phylogenetic studies
報告番号 118148
報告番号 甲18148
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2537号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西田,周平
 東京大学 教授 寺崎,誠
 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 教授 木暮,一啓
内容要旨 要旨を表示する

 カイアシ類(Copepoda)は,節足動物門・甲殻類綱に属し,後生動物内の亜綱生物群としては地球上で最も個体数の多い動物群の1つである.200科,1,650属からなり11,500種が知られるが,その数は実在する種数の15%程度であるといわれている.その生息場所はほぼ全ての水圏環境におよび,淡水から海水,塩湖,零下の極域海,温泉にもその生息が確認されており,鉛直的な範囲では水深10,000メートル以上のフィリピン海溝から,また標高5,540メートルのヒマラヤ山麓でもその出現が報告されている.その生活様式は,浮遊性,底生性,寄生性と非常に多様である.このように,水圏環境に広く適応,多様化したカイアシ類の進化史を理解するためには,その類縁関係と種分化の過程を明らかにする必要がある.しかし,カイアシ類の進化的な理解の基礎となる系統関係については,非常に知見が乏しい.

 本研究ではカイアシ類の進化過程を理解することを目的として,細胞内小器官ミトコンドリアに存在するミトコンドリアDNAを遺伝標識として解析を行った.ミトコンドリアDNAは単一起源に基づくことが明らかな上,組み替えがない,母系遺伝をする,進化速度が速いといった特徴から非常に多くの動物の系統,集団解析に利用されている.本研究では,まずはじめにカイアシ類ミトコンドリアDNA全塩基配列,または部分塩基配列を決定し,カイアシ類ミトコンドリアDNAの特徴を明らかにするとともに,カイアシ類汎用プライマーを作成した.つづいて,作成したカイアシ類汎用プライマーを用いて,外洋性のNeocalanus属カイアシ類のミトコンドリアDNA約4,000塩基対を決定し,系統関係を解明するとともに,生態学的な情報とあわせて,本属カイアシ類の進化過程を推定した.また,この過程においてカラノイダ目カイアシ類では,単一個体内に多数のミトコンドリアDNA塩基配列型(ハプロタイプ)が確認されたことから,メッセンジャーRNAを逆転写した相補的DNAを解析し,多数得られたハプロタイプの起源について検討を行い,カイアシ類の系統または集団解析におけるミトコンドリアDNAの遺伝標識としての有用性について論議した.

カイアシ類ミトコンドリアDNAの特性

 潮間帯に生息するTigriopus japonicus(Harpacticoida目)と外洋性のEucalanus bungiiとNeocalanus cristatus(Calanoida目)のミトコンドリアDNAをロングPCRとプライマーウォーキングにより決定した.T.japonicusにおいては全塩基配列,14,628塩基対が決定した.この全ミトコンドリアDNA塩基配列の決定は,甲殻類では5番目,カイアシ類では初の報告である.E.bungiiとN.cristatusにおいては部分塩基配列,それぞれ,9,530と7,965塩基対が決定した.全塩基配列が明らかとなったT.japonicusでは,一般的な後生動物と同様の13個のタンパク質遺伝子,2個のリボゾームRNA遺伝子,22個の転移RNA遺伝子から構成されていた.T.japonicusのミトコンドリアゲノムはさらに,他の一般的な節足動物と比較すると非常にコンパクトであり,遺伝子配置が大きく異なり,かつ全ての遺伝子が片側の鎖にコードされているという特徴を示した(図1).一般的に,ミトコンドリアDNAの遺伝子配置は保存的であり,このような大規模な配置変動は軟体動物(イガイ,マイマイ)や,線形動物などでは知られているが,節足動物門でははじめて見出された現象である.また,T.japonicusのタンパク質遺伝子をアミノ酸配列に翻訳し,すでに報告のある他の節足動物と比較したところ,その進化速度が非常に速いことが推察された.

 また,E.bungiiとN.cristatusの解析領域においては,両種共に8個のタンパク質遺伝子,2個のリボゾームRNA遺伝子がそれぞれコードされていたものの,転移RNA遺伝子はE.bungiiでは11個,N.cristatusでは2個のみコードされていた.また,両種の遺伝子配置は同じ目内の生物でありながらも大きく異なっており,さらにT.japonicusとは異なり両種の遺伝子は両側の鎖にコードされていた.

 以上解析の終了した3種のミトコンドリアDNA塩基配列をもとに,カイアシ類汎用プライマーをタンパク質遺伝子COIとリボゾームRNA遺伝子srRNAについて作成した,このカイアシ類汎用プライマーを5目(Calanoida目,Cyclopoida目,Harpacticoida目,Poecilostomatoida目,Siphonostomatoida目)のカイアシ類に適用したところ,Siphonostomatoida目を除く4目のカイアシ類において良好な増幅を確認した.

多数の塩基配列型(ハプロタイプ)の解析

 Neocalanus属カイアシ類の系統解析(後述)を行うにあたり,本属各種のミトコンドリアDNA約4,000塩基対を決定したところ,種によって頻度が異なるものの,明瞭なダブルピークがそのエレクトロフェログラムに認められた.このようにダブルピークの確認された領域においては,そのPCR産物のクローニングを行うと,非常に多数のミトコンドリアDNA塩基配列型(ハプロタイプ)が得られることがわかった.この結果は,実際に機能している多数のミトコンドリアDNA塩基配列が存在する,またはミトコンドリアDNA配列が核に挿入された偽遺伝子が存在する可能性が考えられた.そのため,本属カイアシ類N.cristatus,N.flemingeri,N.plumchrusの3種を用いて,同一個体からDNAとメッセンジャーRNAを共に抽出し(メッセンジャーRNAにおいては逆転写した後に相補的DNAをもとに)ミトコンドリアDNAのタンパク質遺伝子COIの配列をそれぞれから決定,比較した.

 その結果メッセンジャーRNAから解析を行った場合は1種類の配列のみが得られるものの,DNAから解析を行った場合は多数のミトコンドリアDNA配列が得られることがわかった.このことは,これらのカイアシ類の核DNAに多数のミトコンドリアDNAの偽遺伝子が存在することを示唆している.特に,N.plumchrusではDNAから解析を行った場合は,全て偽遺伝子のみが増幅,配列決定されており,このことからDNA解析の初期に行うロングPCRにおいて選択的に偽遺伝子のみが増幅されている可能性が示唆された.

 以上の結果から,カイアシ類ミトコンドリアDNAを解析する場合には偽遺伝子の影響を考慮した上で解析を行う必要があり,場合によってはクローニングやメッセンジャーRNAから得られた配列を比較,解析する必要があることが示された.

Neocalanus属の系統解析

 Neocalanus属カイアシ類全6種とともに,体長に変異の見られるN.flemingeriの大型個体を含む全7個体のミトコンドリアDNA約4,000塩基対を新たに作成したプライマーを用いて増幅,決定した.なお得られた配列の遺伝子配置を決定したところ,N.gracilisでは他の本属カイアシ類と異なり,タンパク質遺伝子ND6が遺伝子配置変動により解析領域から欠失していることが明らかとなった.系統解析にはタンパク質遺伝子COIの1,462塩基対を供した.外群にはEucalanus bungiiを用いた.また偽遺伝子による影響を検討するために,N.cristatus,N.flemingeri,N.plumchrusの3種においてはメッセンジャーRNAを逆転写した相補的DNAの結果(1350〜1510塩基対)も解析に含めた.系統解析には,最大節約法と近隣結合法を用い,系統樹の内部枝の信頼度を統計的に評価した.

 この結果,統計的に信頼度の高い1つの系統樹が得られた(図2).この樹形によると本属は大きく2つのグループに分けられた.第一のグループは,太平洋と大西洋の熱帯,亜熱帯海域に生息するN.gracilisとN.robustiorによって構成され,もう一方のグループには太平洋南北の亜寒帯海域に生息するN.tonsus,N.cristatus,N.plumchrus,N.flemingeriが含まれた.また後者のグループ内では,北太平洋に分布する3種からなるクレードの共通祖先が南大洋に生息するN.tonsusから分岐し北太平洋に進出した後,N.cristatusから他の北太平洋種(N.flemingeriとN.plumchrus)の共通祖先が続いて分岐していることが推定された.北太平洋に分布する3種は,成体になると上顎にある咀嚼歯を失うことが知られているが,これは北太平洋に進出した本グループの共通祖先が北太平洋亜寒帯域の環境に適応した結果獲得した派生的な形質であることがうかがえる.

 以上,本研究ではカイアシ類のミトコンドリアDNAの全塩基配列を本分類群ではじめて決定したほか,遺伝子配置が保存的でない,進化速度が非常に速いといった特徴を明らかにした.また,Neocalanus属を用いDNAとメッセンジャーRNAから決定した塩基配列を比較し,偽遺伝子について論議するとともに,ミトコンドリアDNAの遺伝指標としての有用性について検討した.また,新たに作成したプライマーを用いて,Neocalanus属の系統関係を明らかにし,その進化過程を推定した.今後,より多くの外洋性カイアシ類の系統関係を明らかにするとともに,分子時計を用いて系統樹に時間軸を入れることにより,外洋環境における本生物群の多様性獲得メカニズムを明らかにすることができると考える.

図1.Tigriopus japonicusと典型的な節足動物のミトコンドリアDNAの遺伝子配置.

遺伝子のうち他の遺伝子とは逆の鎖にコードされているタンパク質とリボゾームRNA遺伝子は下線を付し,転移RNA遺伝子は図の下に示した.相同なタンパク質とリボゾームRNA遺伝子を線で結んだ.

図2.Neocalanus属カイアシ類の最節約樹.

内部枝の数字は1,000回の試行に基づくブーツストラップ確率を示す.種名の後ろに解析した核酸の種類を示す.

審査要旨 要旨を表示する

 カイアシ類(Copepoda)は,節足動物門・甲殻類綱に属し,後生動物内の亜綱生物群としては地球上で最も個体数の多い動物群の1つである.その生息場所はほぼ全ての水圏環境におよび,生活様式は,浮遊性,底生性,寄生性と非常に多様であり、多くの海洋生物資源の天然餌料としても重要である。本研究ではカイアシ類の分子系統学における方法論の確立を目的として,ミトコンドリアDNAを遺伝標識としてた解析を行った.はじめにカイアシ類ミトコンドリアDNA全塩基配列,または部分塩基配列を決定し,ミトコンドリアDNAの特徴を明らかにするとともに,カイアシ類汎用プライマーを作成した.つづいて,これらプライマーを用いて,外洋性のNeocalanus属カイアシ類の系統関係を解析し,本属カイアシ類の進化過程を推定した.また,この過程において単一個体内に多数の塩基配列型が確認されたことから,メッセンジャーRNAを逆転写した相補的DNAを解析し,多数得られたハプロタイプの起源について検討した.

カイアシ類ミトコンドリアDNAの特性

 潮間帯に生息するTigriopus japonicus(Harpacticoida目)と外洋性のEucalanus bungiiとNeocalanus cristatus(Calanoida目)のミトコンドリアDNAをロングPCRとプライマーウォーキングにより決定した.T.japonicusにおいては全塩基配列14,628塩基対が決定した.この全ミトコンドリアDNA塩基配列の決定は,甲殻類では5番目,カイアシ類では初の報告である.E.bungiiとN.cristatusにおいては部分塩基配列,それぞれ9,530と7,965塩基対を決定した.T.japonicusでは,一般的な後生動物と同様の13個のタンパク質遺伝子,2個のリボゾームRNA遺伝子,22個の転移RNA遺伝子から構成されていた.さらに,他の一般的な節足動物と比較すると非常にコンパクトであり,遺伝子配置が大きく異なり,かつ全ての遺伝子が片側の鎖にコードされているという特徴を示した.一般的に,ミトコンドリアDNAの遺伝子配置は保存的であり,このような大規模な配置変動は軟体動物や線形動物などでは知られているが,節足動物門でははじめて見出された現象である.また,T.japonicusのタンパク質遺伝子をアミノ酸配列に翻訳し,報告のある他の節足動物と比較したところ,その進化速度が非常に速いことが推察された

 以上解析の終了した3種のミトコンドリアDNA塩基配列をもとに,カイアシ類汎用プライマーをタンパク質遺伝子COIとリボゾームRNA遺伝子srRNAについて作成し、4つの目(もく)に適用した結果、良好な増幅を確認した。

多数の塩基配列型(ハプロタイプ)の解析

 Neocalanus属カイアシ類の系統解析を行うにあたり,本属各種のミトコンドリアDNA約4,000塩基対を決定したところ,明瞭なダブルピークがそのエレクトロフェログラムに認められた.ダブルピークの確認された領域においては,そのPCR産物のクローニングを行うと,非常に多数のミトコンドリアDNA塩基配列型(ハプロタイプ)が得られた.この結果は,実際に機能している多数のミトコンドリアDNA塩基配列が存在する,またはミトコンドリアDNA配列が核に挿入された偽遺伝子が存在する可能性が考えられた.そのため,本属カイアシ類N.cristatus,N.flemingeri,N.plumchrusの3種を用いて,同一個体からDNAとメッセンジャーRNAを共に抽出し、ミトコンドリアDNAのタンパク質遺伝子COIの配列をそれぞれから決定,比較した.

 この結果メッセンジャーRNAから解析を行った場合は1種類の配列のみが得られるものの,DNAから解析を行った場合は多数のミトコンドリアDNA配列が得られた.このことは,これらのカイアシ類の核DNAに多数のミトコンドリアDNAの偽遺伝子が存在することを示唆している.特に,N.plumchrusではDNAから解析を行った場合は,全て偽遺伝子のみが増幅,配列決定されており,DNA解析の初期に行うロングPCRにおいて選択的に偽遺伝子のみが増幅されている可能性が示唆された.

Neocalanus属の系統解析

 Neocalanus属カイアシ類全6種のミトコンドリアDNA約4,000塩基対を新たに作成したプライマーを用いて増幅,決定した.系統解析には,最大節約法と近隣結合法を用い,系統樹の内部枝の信頼度を統計的に評価した.この結果,信頼度の高い1つの系統樹が得られ、本属は大きく2つのグループに分けられた.一方のグループは,太平洋と大西洋の熱帯,亜熱帯海域に生息する2種により構成され,他のグループには太平洋南北の亜寒帯海域に生息する4種が含まれた.また後者のグループ内では,北太平洋に分布する3種からなるクレードの共通祖先が南大洋に生息するN.tonsusから分岐し北太平洋に進出した後,N.cristatusから他の北太平洋種(N.flemingeriとN.plumchrus)の共通祖先が続いて分岐していることが推定された.

 以上本研究はカイアシ類におけるミトコンドリアDNAの構造的特性と水産資源生物の餌生物として重要なNeocalanus属カイアシ類における偽遺伝子の存在,および本属における種間の系統関係を明らかにした.また本研究で開発されたカイアシ類4目に適用可能なユニバーサルプライマーは,今後カイアシ類研究,ひいては海洋生物資源の維持・保全にも大いに寄与すると考えられる.これら本研究で得られた知見は,学術上並びに応用上貢献するところが少なくなく,よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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