学位論文要旨



No 118150
著者(漢字) 伊藤,裕才
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ユウサイ
標題(和) 藍藻由来のシデロフォアに関する研究
標題(洋) Studies on cyanobacterial siderophores
報告番号 118150
報告番号 甲18150
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2539号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 助教授 村上,昌弘
内容要旨 要旨を表示する

 鉄は全ての生物において必須な金属原子であるが、近年、水中の鉄濃度が微細藻類の消長に強く関わっているとして微細藻類の鉄獲得機構が注目されている。鉄欠乏下において細菌やカビ類はシデロフォアと呼ばれる強力な低分子キレーターを放出し、その鉄錯体を特異的レセプターから細胞内に取り込む機構を備えている。原核生物である藍藻類は、酸素発生型の光合成以外に鉄酵素nitrogenaseを用いて窒素固定も行うため、過剰の鉄が必要とされる。藍藻類もシデロフォアによる鉄獲得機構を備えるとの報告が過去に数例あり、湖沼での藍藻ブルーム形成の一因は、シデロフォアによる鉄の独占によるとの推測もなされている。しかしながら、単離・構造決定された藍藻シデロフォアは僅か一例のみであり、藍藻種間のシデロフォア産生能に関しても統一的な報告はない。またシデロフォア自身は金属過剰症への対症薬剤として使用されており、薬理学の面からも新規シデロフォアの知見は重要である。これらの観点から藍藻類のシデロフォア産生能の評価およびその化学的性状に関する研究を行った。

1.藍藻類のシデロフォア産生能のスクリーニング

 ブルームに関わる淡水産藍藻種を中心に41株の藍藻類を鉄欠乏下で培養し、それらのシデロフォア産生能をCAS法による鉄キレート活性によって評価した。その結果、ブルーム形成の代表種であるMicrocystis aeruginosa、Oscillatoria agardhiiは予想に反して産生活性を全く示さなかった。また単細胞性Synechocydtis sp、Synechococcus leopoliensisも同様に活性を示さなかった。一方、Anabaena cylindrica、A. variabilis、Nostoc sp、Scytonema hofmanni、Fischerella ambigua、Calothrix brevissima等の窒素固定能力をもつヘテロシスト形成糸状性藍藻は強力なシデロフォア産生活性を示した。また嫌気的条件下のみで窒素固定を行うとされるPlectonema boryanum等のヘテロシスト不形成糸状性藍藻の一部も活性を示した。これはシデロフォア産生能力がブルーム形成と関係がないことを示すと同時に、窒素固定能力との強い相関を示唆するものであった。

2.Anabaena cylindrica NIES-19の産するシデロフォアanachelin類の構造および化学性状

 窒素固定種の代表種であるA.cylindrica NIES-19の産生するシデロフォアの構造を明らかにするために、本株を鉄欠乏合成培地中で大量培養し、培地上清よりODSカラムおよび逆相HPLCを用いて2つのシデロフォアanachelin-2(1)およびanachelin(2)を単離した。両物質の平面構造は1次元および各種2次元NMR解析、MS分析、アミノ酸分析を用いて決定された(Figure1)。すなわち、両物質は中心部にThr-Ser(1)-Ser(2)という連続する3つの親水性アミノ酸群を含み、そのN末に6-amino-3,5,7-trihydroxyheptanoic acid(Atha)が結合し、C末には植物由来のアルカロイドとして報告のあるN,N-dimethyl-3-amino-1,2,3,4-tetrahydro-7,8-dihydroxyquinolin(Dmaq)が結合していることが判明した。さらに1はAthaの6-NH2と5-OH間で、また2は6-NH2と7-OH間でsalicylicacid(Sal)と共に2-hydroxyphenyl-oxazolineを形成しており、両物質は構造異性体であることが判明した。

 Thrの立体化学はMarfey法によりL体と決定した。SerはD、L体が1:1で存在したため、部分加水分解により得たSer(1)-Ser(2)-DmaqのN末をダンシル化し、その加水分解物をキラルGC分析に付しL-Serのみが検出されたことから、Ser(1)がD体、Ser(2)がL体であると決定した。Dmaqの絶対立体化学は、1,2をメチル化後に加水分解することで得られたMeDmaqのアミノ基にBoc-phenylglycine法を用いることで3S-Dmaqであると決定した。Athaの相対立体は、acetonide化した2のNMR解析から3,5位がsynであるとし、1の1NMRにおいて7位を選択的に照射することで得られた5,6位間のJ値から、その相対配座をsynと決定した。絶対立体は部分加水分解より得たSal-Athaをメチルエステル化後、3位の水酸基にMosher法を適用することで3S,5R,6R-Athaと決定した。

 1および2の鉄錯体のMS分析から、両物質は鉄分子と1:1で結合することが判明した。配位子はDmaqのカテコール性水酸基および2-hydroxyphenyl-oxazolineのフェノール性水酸基と窒素原子であると推定される。両物質はこれまでに他の微生物から報告されているものとは全く異なる構造をもつ新規シデロフォアであり、藍藻類が独自の構造のシデロフォアを持つことを強く示した初めての例である。

3.Anabaena variabilis M-204およびNIES-23の産するシデロフォアschizokinenの構造および化学性状

 A.variabilisは嫌気下においては栄養細胞内にnitrogenaseを発現させる特異なヘテロシスト形成種であり、窒素固定の研究に頻繁に用いられている。そこでA.variabilisの産するシデロフォアの単離・構造決定を行った結果、A.variabilis M-204およびヘテロシスト不形成変異株であるNIES-23の両株のシデロフォアは、クエン酸を中心に左右対称な構造を持つヒドロキサム酸系の既知シデロフォアschizokinen(3)であることが判明した(Figure2)。Schizokinen(3)はBacillus megateriumより最初に発見され、またAnabaena sp.PCC7120よりも唯一の藍藻シデロフォアとして報告されている。

4.Oscillatoria tenuis UTEX1566の産するシデロフォアoscillabactinの構造および化学性状

 O.tenuis UTEX1566はヘテロシスト不形成糸状性藍藻の1種である。本株を鉄欠乏培地中で通気培養を行い、濃縮したろ液をODSカラムに付し、含水メタノールで溶出させた。CAS活性を示した50%メタノール画分を逆相HPLCに供することでoscillabactinA(4)を得た。MSおよび各種NMRスペクトル解析により、Salおよび2つのβ-Alaが容易に確認された。さらにoxazoleを含む特異なカルボン酸3-[2'-(2"-amino-1"-hydroxybutane-4"-yl)oxazole-4'-yl]-2,3-dihydroxypropionic acid(Ahoda)の構造が決定された。また未同定の窒素原子および水酸基を考慮し、環状ヒドロキサム酸1,2-dihydro-1,3-dihydroxy-2-oxopyridine(Ddop)を構築した。各ユニットはHMBC相関によって結合され(Figure3)、全ての窒素原子の存在は1H-15N HMBC相関で確認された。

 しかし、4のSal-Ahodaのアミド結合は、この部位がoxazoline環の加水分解物であることを強く示唆していた。そこでCAS活性を示す100%MeOH画分を精査したところ、4よりも分子量が18小さいoscillabactin(5)の単離に成功した。NMR解析により5のoxazoline環の存在が証明され、さらに5はDMSO溶媒中で容易に4の前駆体であるエステル体6へと開環した。これにより本株の真のシデロフォアは5であり、4は培養中もしくは精製過程で生じた加水分解物と判明した。

 Oscillabactin A(4)の鉄錯体のESI-MSスペクトルは4が鉄と1:1結合することが示し、これは5も同様であることを強く示唆した。Oscillabactin(5)の配位子は2-hydroxyphenyl-oxazolineのフェノール性水酸基と窒素原子、Ahodaのoxazole窒素原子および3位の水酸基、そしてDdopのヒドロキサム酸構造であると推定される。Ddopのようなhydroxypyridinone構造は生体からのプルトニウム除去剤になりうるとして近年精力的な研究がなされているが、本構造がシデロフォア内の配位子の1つとして含まれていたのは5が初めての例である。

 以上、本研究において、藍藻種間におけるシデロフォア産生能の有無が藍藻種の窒素固定能と強く相関することが示された。またほとんど未開拓であった藍藻シデロフォアの構造解析の結果、1,2や5のように極めて新規かつ複雑な構造を有していることが明らかにされた。これらは生態・進化の観点からみても非常に興味深い結果である。今後はこれら藍藻シデロフォアが、環境中の鉄循環や他の微生物群に対してどのような影響を及ぼしているのかということを解明していく必要があると思われる。

Figure1.Structures of anachelin-2(1)and anachelin(2).

Figure2.Structures of schizokinen(3)

Figure3.Structures of oscillabactinA(4),oscillabactin(5)and ester intermediate to 4(6)

審査要旨 要旨を表示する

 近年、水中の鉄濃度が微細藻類の消長に強く関わっているとして微細藻類の鉄獲得機構が注目されている。特に原核生物である藍藻類は、酸素発生型の光合成以外に鉄酵素nitrogenaseを用いて窒素固定も行うため、過剰の鉄が必要とされる。藍藻類も細菌と同様にシデロフォアによる鉄獲得機構を備えるとの報告が過去に数例あり、湖沼での藍藻ブルーム形成の一因は、シデロフォアによる鉄の独占によるとの推測もなされている。しかしながら、これまで単離・構造決定された藍藻シデロフォアは僅か一例のみであり、藍藻種間のシデロフォア産生能に関しても統一的な報告はない。これらの観点から藍藻類のシデロフォア産生能の評価およびその化学的性状に関する研究を行った。

 第1章では、シデロフォア産生能のスクリーニングをブルームに関わる淡水産藍藻種を中心に41株の藍藻類を鉄欠乏下で培養し、それらのシデロフォア産生能をCAS法による鉄キレート活性によって評価した。その結果、ブルームの代表種であるMicrocystis属などの単細胞性の藍藻類は活性を示さなかった。一方、Anabaena cylindrica、A.variabilis、Nostoc sp、Scytonema hofmanni、等の窒素固定能力をもつヘテロシスト形成糸状性藍藻は強力なシデロフォア産生活性を示した。また嫌気的条件下のみで窒素固定を行うとされるPlectonema boryanum等のヘテロシスト不形成糸状性藍藻の一部も活性を示した。これはシデロフォア産生能力がブルーム形成と関係がないことを示すと同時に、窒素固定能力との強い相関を示唆するものであった。

 第2章では、窒素固定種の代表種であるA.cylindrica NIES-19の産生するシデロフォアの構造を明らかにするために、本株を鉄欠乏合成培地中で大量培養し、培地上清よりODSカラムおよび逆相HPLCを用いて2つのシデロフォアanachelin-2(1)およびanachelin(2)を単離した。両物質の平面構造は1次元および各種2次元NMR解析、MS分析、アミノ酸分析を用いて決定した。

 Anachelin類は、これまでに他の微生物から報告されているものとは全く異なる構造をもつ新規シデロフォアであり、藍藻類が独自の構造のシデロフォアを持つことを強く示した初めての例である。

 第3章では、Anabaena variabilis M-204およびNIES-23よりクエン酸を中心に左右対称な構造を持つヒドロキサム酸系の既知シデロフォアschizokinenを単離・構造決定した。SchizokinenはBacillus megateriumより最初に発見され、またAnabaena sp.PCC7120よりも唯一の藍藻シデロフォアとして報告されている。

 第4章では、Oscillatoria tenuis UTEX1566の産するシデロフォアの単離・構造を行った。O.tenuis UTEX1566はヘテロシスト不形成糸状性藍藻の1種である。本株を鉄欠乏培地中で通気培養を行い、濃縮したろ液より各種クロマトグラフィーを用いてoscillabactinA(3)を単離し、MSおよび各種NMRスペクトル解析によりその構造を決定した。しかし、3はoxazoline環が加水分解物された化合物であることが強く示唆された。そこでCAS活性を示す100%MeOH画分を精査したところ、3よりも分子量が18小さいoscillabactin(4)の単離に成功した。NMR解析により4のoxazoline環の存在が証明され、これにより本株の真のシデロフォアは4であることが分かった。

 以上、本研究において、藍藻種間におけるシデロフォア産生能の有無が藍藻種の窒素固定能と強く相関することが示された。またほとんど未開拓であった藍藻シデロフォアの構造解析の結果、1,2や4のように新規かつ複雑な構造を有していることが明らかにされた。これらは生態・進化の観点からみても非常に興味深い結果である。これらの成果は学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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