学位論文要旨



No 118151
著者(漢字) 大久保,範聡
著者(英字)
著者(カナ) オオクボ,カタアキ
標題(和) メダカのゴナドトロピン放出ホルモン(GnRH)とその受容体の構造・機能解析 : そこから見えてくる脊椎動物GnRHシステムの進化と機能
標題(洋) Identification and Characterization of Gonadotropin-Releasing Hormones (GnRHs) and their Receptors in the Medaka Oryzias latipes : Evolutionary and Functional Implications for the Vertebrate GnRH System
報告番号 118151
報告番号 甲18151
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2540号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 朴,民根
 国際基督教大学 準教授 小林,牧人
内容要旨 要旨を表示する

 ゴナドトロピン放出ホルモン(Gonadotropin-Releasing Hormone;GnRH)は、アミノ酸10個から成る神経ペプチドの一種であり、下垂体からのゴナドトロピン分泌を促進するとともに、性行動を引き起こすはたらきをもつことが知られている。それゆえ、GnRHは脊椎動物の生殖機能を中枢レベルで制御する主物質として、これまで生殖生理学の分野で多くの関心を集めてきた。一方、GnRHの機能は、Gタンパク質共役型7回膜貫通受容体であるGnRH受容体(GnRH receptor;GnRH-R)によって仲介されることが知られている。近年、一脊椎動物種内に複数種のGnRH分子およびGnRH-R分子が存在することが明らかになりつつある。しかしながら、脊椎動物が何種類のGnRH分子とGnRH-R分子をもつのか、またそれらの分子がそれぞれどのような生理的役割を担っているのかという基本的な疑問が現在でも未解決のまま残されている。そこで本研究では、これらの問題点を明らかにするため、メダカ(Oryzias latipes)を実験モデルに選定し、GnRHとGnRH-Rの構造・機能解析を行うこととした。メダカは、モデル動物としての基盤整備が揃いつつあることや、生殖生理に関する知見が豊富に蓄積されていることなどから、本研究におけるモデルとして最も適していると判断した。

第1章 脊椎動物は何種類のGnRH分子種をもつのか

 これまでに、メダカやヒトを含め、多くの脊椎動物が2種類のGnRH分子種をもつことが報告されているが、マダイなど、ごく一部の魚種からは3種類のGnRH分子種が同定されている。このことから現在、本当にごく一部の魚種のみが3種類のGnRH分子種をもつのかという問題が議論の的となっている。そのような背景のもと、本章ではまず、メダカからGnRHのクローニングを試みた。その結果、メダカは既知のchicken-II-type GnRH(cGnRH-II)とsalmon-type GnRH(sGnRH)という2種類のGnRH分子種に加え、第3のGnRH分子種をもつことが分かり、この新規分子種をmedaka-type GnRH(mdGnRH)と命名した。一方、ヒトはmammalian-typeGnRH(mGnRH)とcGnRH-IIという2種類の分子種をもつことが知られているが、メダカの各GnRH遺伝子座の構造とヒトのドラフトゲノムデータとの間でシンテニー解析を行ったところ、メダカのmdGnRHは系統上、ヒトのmGnRHと相同分子であることが明らかとなった。同様に、メダカのcGnRH-IIとヒトのcGnRH-IIが相同関係にあることも確認された。一方で、メダカのsGnRH遺伝子座と相同なゲノム領域がヒトの10番染色体上に見つかったが、その領域にはsGnRH遺伝子は存在せず、さらにヒトのドラフトゲノム全体を検索してもsGnRH様遺伝子は認められなかった。これらのことから、メダカとヒトの共通祖先はメダカと同様、3種類のGnRH分子種をもっていたが、ヒトの系統では、進化の過程(硬骨魚類と分岐した後)でsGnRH相当遺伝子が失われ、2種類のGnRH分子種のみをもつようになったというモデルが考えられた。

第2章 それぞれのGnRH分子種はどのような生理的役割をもつのか

 本章では、それぞれのGnRH分子種の生理的役割を明らかにするため、メダカがもつ各GnRH分子種の発現・機能解析を行った。まず、組織学的実験の結果から、mdGnRHは視索前野のニューロンで合成され、下垂体へと輸送されることが分かった。一方、cGnRH-IIとsGnRHはそれぞれ中脳被蓋と終神経節で合成され、ともに下垂体へは運ばれず、脳内に広く輸送されることが明らかとなった。これらのことから、メダカ生体内では、mdGnRHが下垂体からのゴナドトロピン分泌を促進する役割をもつこと、cGnRH-IIとsGnRHは脳内で何らかの機能をもつことが推察された。次に、メダカ全脳培養系を用いた実験により、cGnRH-IIとsGnRHはともに、ニューロンの活動電位を抑制することが知られている2種類のprotein tyrosine phosphatase(PTPαとPTPε)の遺伝子発現を抑制する機能をもつことが明らかとなった。従って、cGnRH-IIとsGnRHはともに脳内において、これらのPTPの発現を抑制することで、ニューロンの興奮性を高める役割をもつことが推察された。GnRHによる性行動の促進は、このようなPTPの抑制を介した分子メカニズムにより引き起こされるものと考えられる。また、ゲノム上では、cGnRH-IIとPTPαの遺伝子、sGnRHとPTPεの遺伝子がそれぞれ隣り合って存在していることが分かり、このような遺伝子の並び方が、GnRHがもつPTPの発現に対する抑制効果に対して意味をもつのか否かに興味がもたれる。また、トランスジェニック技術を用いて、メダカ初期発生過程における各GnRHニューロンの発生パターンの可視化を試みたところ、mdGnRHニューロンは鼻部と視索前野付近の2箇所で同時多発的に発生すること、sGnRHニューロンもこれら2箇所で同時発生することが明らかとなり、mdGnRHとsGnRHが発生学的に同一起源であることが分かった。その後、個体の成長に伴って、鼻部の各GnRHニューロンは終神経節まで移動するとともに、mdGnRHの発現は視索前野のみに、sGnRHの発現は終神経節のみに限定されていくことで、これら2種類のGnRH分子の機能分担が生じるようになることが考えられた。また、sGnRHは初期発生過程において、胸腺原基付近でもその発現が認められ、sGnRHの免疫系への関与が示唆された。一方、cGnRH-IIニューロンに関しては、中脳で発生するという予備データを得ているが、その詳細については今後の課題である。

第3章 脊椎動物は何種類のGnRH-R分子をもつのか

 最近、キンギョと霊長類が2種類のGnRH-R分子をもつこと、カエルが3種類のGnRH-R分子をもつことが報告された。しかしながら、脊椎動物が何種類のGnRH-R分子をもつのかは依然はっきりしていない。そこで本章ではまず、メダカからGnRH-Rのクローニングを試みた。その結果、3種類のGnRH-R分子が同定され、それらをGnRH-R1、GnRH-R2、およびGnRH-R3と命名した。このうち、GnRH-R1とGnRH-R3は、同じGnRH-Rサブタイプに属しており、魚類の初期進化過程に起こったゲノム重複により分岐した分子であることが、分子系統樹解析と各遺伝子座の構造解析によって明らかとなった。従って、これらメダカのGnRH-Rは、2つのサブタイプ(GnRH-R1/GnRH-R3のサブタイプとGnRH-R2のサブタイプ)に分類されることが分かった。一方で、ヒトもメダカと同様、別々のサブタイプに分類される2種類のGnRH-R(GnRH-RIとGnRH-RII)をもつことが報告されているが、メダカとヒトがもつGnRH-R遺伝子座の構造を比較したところ、メダカのGnRH-R1/GnRH-R3はヒトのGnRH-RIIと相同分子であることが示された。しかしながら、メダカのGnRH-R2とヒトのGnRH-Rlは相同関係にないことが示唆された。このことから、メダカとヒトの共通祖先は3つのGnRH-Rサブタイプをもっていたが、メダカとヒトはともに、進化の過程で1つずつ別々のGnRH-Rサブタイプを失い、両者とも、2つのサブタイプのみをもつようになったというモデルが考えられた。加えて、同様のゲノム比較解析により、ヒトでは、もともと1番染色体上に存在していたGnRH-RII遺伝子座が、染色体重複とレトロトランスポゾンのはたらきにより、3コピーまで数を増したが、その全てが偽遺伝子化していることが示唆された。

第4章 それぞれのGnRH-R分子はどのような生理的役割をもつのか

 本章では、各GnRH-R分子がもつ生理的役割を明らかにするために、メダカがもつ各GnRH-Rのリガンド選択性と組織発現パターンを調べた。その結果、まず、それぞれのGnRH-Rは異なるリガンド選択性を有することが分かった。GnRH-R1は3種類のGnRH分子の全てに高い反応性を示したが、GnRH-R2はcGnRH-IIのみに特異的に高い反応性を示し、sGnRHとmdGnRHに対しては、cGnRH-IIの数百倍以上という極めて高い濃度でないと応答を引き起こさなかった。一方、GnRH-R3はcGnRH-IIとsGnRHに対して、同程度の高い反応性を示したが、mdGnRHに対しての反応性は低いことが分かった。次に、各GnRH-Rの組織発現パターンを調べたところ、3種類のGnRH-R分子は全て、脳内の広範囲にわたる領域と下垂体において発現していることが明らかとなり、それらの発現パターンに差異は認められなかった。これらの結果を考え合わせると、メダカの3種類のGnRH-Rは、どれも共通の発現部位を有するが、異なるリガンド選択性を示すことで、生体内ではそれぞれが異なる役割を演じていることが推測された。

 以上の研究によって、脊椎動物種が何種類のGnRH分子とGnRH-R分子をもつのか、また、それらの分子がそれぞれどのような生理的役割を担っているのかについての大まかな図式が見えてきた。今後、より詳細な研究が行われることにより、脊椎動物のGnRHシステムの進化・機能の全貌、ひいては中枢レベルでの生殖制御機構の全容が明らかになることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 神経ペプチドの一種であるゴナドトロピン放出ホルモン(GnRH)は、下垂体からのゴナドトロピン分泌を促進するとともに、性行動を引き起こすはたらきをもつ。近年、一脊椎動物種内に複数種のGnRH分子およびGnRH受容体(GnRH-R)分子が存在することが明らかになりつつあるが、脊椎動物が何種類のGnRH分子とGnRH-R分子をもち、それらの分子がそれぞれどのような生理的役割を担っているのかという疑問が現在でも未解決のまま残されている。本研究は、これらの問題点を明らかにするため、メダカを実験モデルに選定し、GnRHとGnRH-Rの構造・機能解析を行ったものである。

 まずメダカからGnRHの同定を試み、メダカは既知の2種類のGnRH分子種(cGnRH-IIとsGnRH)に加え、第3の新規GnRH分子種(mdGnRHと命名)をもつことを明らかにした。一方、ヒトは2種類のGnRH分子種をもつことが知られているが、メダカの各GnRH遺伝子座とヒトのドラフトゲノムデータとの間でシンテニー解析を行ったところ、メダカとヒトの共通祖先はメダカと同様、3種類のGnRH分子種をもっていたが、ヒトの系統では、進化の過程(硬骨魚類と分岐した後)でsGnRH相当遺伝子が失われ、2種類のGnRH分子種のみをもつようになったというモデルが考えられた。

 組織学的実験により、mdGnRHは視索前野で合成され、下垂体へと輸送されること、cGnRH-IIとsGnRHはそれぞれ中脳被蓋と終神経節で合成され、ともに脳内に広く輸送されることが明らかとなった。このことから、メダカ生体内では、mdGnRHが下垂体からのゴナドトロピン分泌を促進する役割をもち、cGnRH-IIとsGnRHは脳内で何らかの機能をもつことが推察された。また、cGnRH-IIとsGnRHはともに、ニューロンの活動電位を抑制することが知られている2種類のフォスファターゼ(PTPαとPTPε)の遺伝子発現を抑制する機能をもつことが明らかとなり、これら2種類のGnRH分子が、PTPの抑制を介して、性行動を促進するはたらきをもつことが考えられた。一方、トランスジェニック技術を用いて、メダカ初期発生過程における各GnRHニューロンの発生パターンを調べたところ、mdGnRHニューロン、sGnRHニューロンともに嗅覚器原基と視索前野付近の2箇所で同時多発的に発生することが明らかとなった。また、sGnRHは胸腺原基付近でもその発現が認められ、sGnRHの免疫系への関与が示唆された。一方、cGnRH-IIニューロンに関しては、中脳で発生するというデータを得た。

 次に、メダカからGnRH-Rのクローニングを行ったところ、2つのサブタイプに分類される合計3種類のGnRH-R(GnRH-R1/GnRH-R3及びGnRH-R2)が同定された。一方で、ヒトもメダカと同様、別々のサブタイプに分類される2種類のGnRH-Rをもつことが報告されているが、メダカとヒトがもつGnRH-R遺伝子座の構造を比較したところ、メダカとヒトの共通祖先は3つのGnRH-Rサブタイプをもっていたが、メダカとヒトはともに、進化の過程で1つずつ別々のGnRH-Rサブタイプを失い、両者とも、2つのサブタイプのみをもつようになったというモデルが考えられた。加えて、同様のゲノム比較解析により、ヒトでは、もともと1番染色体上に存在していたGnRH-RII遺伝子座が、染色体重複とレトロトランスポゾンのはたらきにより、3コピーまで数を増したが、その全てが偽遺伝子化していることが示唆された。

 次に、メダカがもつ各GnRH-Rのリガンド選択性を調べたところ、それぞれのGnRH-Rは異なるリガンド選択性を有することが分かった。GnRH-R1は3種類のGnRH分子の全てに高い反応性を示したが、GnRH-R2はcGnRH-IIのみに特異的に高い反応性を示した。一方、GnRH-R3はcGnRH-IIとsGnRHに対して、同程度の高い反応性を示すが、mdGnRHに対しての反応性は低いことが分かった。また、3種類のGnRH-R分子は全て、脳内の広範囲にわたる領域と下垂体において発現していることが明らかとなった。これらのことから、メダカの3種類のGnRH-Rは、どれも共通の発現部位を有するが、異なるリガンド選択性を示すことで、生体内ではそれぞれが異なる役割を演じていることが推測された。

 以上、本論文は、メダカのGnRHおよびその受容体の構造と機能を明らかにするとともに、そこから見えてくる脊椎動物GnRHシステムの進化と機能を推察したもので、学術上寄与するところが大きい。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと判定した。

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