学位論文要旨



No 118154
著者(漢字) 加藤,扶美
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,フミ
標題(和) 魚類の塩類細胞に関する機能形態学的研究
標題(洋)
報告番号 118154
報告番号 甲18154
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2543号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 金子,豊二
 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 兵藤,晋
内容要旨 要旨を表示する

 硬骨魚類の体液浸透圧は淡水魚、海水魚を問わず海水の約1/3に相当する300mOsm/kg程度に保たれている。鰓は腸、腎臓と共に魚類において重要な浸透圧調節器官であり、特に、鰓上皮に存在する塩類細胞は、体内外におけるイオン輸送機能を担う細胞であると考えられている。これまで塩類細胞に関する研究は、主にサケ、ウナギなどの回遊性魚類や淡水嗜好性の強い広塩性魚であるティラピア等の魚種を用いて知見が蓄積されてきた。そのため、塩類細胞は海水中で発達しイオン排出に重要であると考えられてきたが、近年、淡水中におけるイオンの取込みに関与することが示唆されている。魚類の生息環境におけるイオン組成は多様性に富みいずれの環境中に生息する魚類においても塩類細胞によるイオン輸送が重要であると考えられるが、その機能は必ずしも明らかではない。

 ウミメダカ(killifish,Fundulus heteroclitus)は主に汽水域に生息する広塩性魚である。海水、淡水の双方に適応できる優れた浸透圧調節能を有することから、浸透圧調節機能の解明に好適な実験魚である。本研究ではウミメダカを用い、淡水環における塩類細胞の形態および機能の多様性を明らかにすることを目的とした。

第1章ウミメダカの発育に伴う塩類細胞の分布の変化

 硬骨魚類の胚・仔魚期には鰓をはじめとする浸透圧調節器官が未発達である。この時期、体表や卵黄嚢上皮に分布する塩類細胞が浸透圧調節を行うことが知られている。ウミメダカにおいて胚・仔魚期の塩類細胞に関する報告はなく、成魚の塩類細胞についての研究を進めるにあたり、個体の発生に伴う塩類細胞の発達過程を知ることは基礎的知見として重要である。

 海水飼育したウミメダカから得た受精卵を20℃の海水で飼育し、発生に伴う塩類細胞の分布の遷移を観察した。固定した胚、仔魚のwhole-mount試料を蛍光標識したNa+/K+-ATPase抗体を用いて免疫染色し、体表に分布する塩類細胞をレーザースキャン顕微鏡により検出した。塩類細胞にはイオン輸送タンパクであるNa+/K+-ATPaseが局在するため、それに対する抗体を用いて塩類細胞を特異的に検出することができる。また、鰓の発達を観察するため、パラフィン切片による観察もあわせて行った。塩類細胞は受精後4日目まで卵黄嚢上皮にのみ存在していた。受精後6日目には卵黄嚢上皮に加え、胚体表面にも塩類細胞が観察できた。この時期には鰓弓が分化したが鰓弁は未発達で、鰓に塩類細胞は観察できなかった。受精後15日目の孵化仔魚には鰓弁が発達し、ピットを介して環境水と接する機能的な鰓塩類細胞が認められた。以上のように、塩類細胞は個体の発生に伴い卵黄嚢上皮、胚体、鰓へとその分布を移しながら継続的に存在し、胚・仔魚期の浸透圧調節に関与していることが示された。

第2章ウミメダカ成魚における海水型および淡水型塩類細胞

 ウミメダカは鰓蓋膜にも多くの塩類細胞が存在することが知られ、この鰓蓋膜は電気生理学的実験に広く用いられてきた。一方、鰓に分布する塩類細胞についての知見は乏しい。そこで、海水および淡水中のウミメダカにおける塩類細胞の形態学的・生理学的知見を得ることを目的とし、ウミメダカ成魚を海水および淡水にそれぞれ1ヶ月間馴致した。

 鰓および鰓蓋膜の塩類細胞を蛍光標識したNa+/K+-ATPase抗体を用いて免疫染色し、レーザースキャン顕微鏡で観察した。その結果、一般的知見に反し、塩類細胞は海水群よりも淡水群で大きく発達した。さらに透過電顕および走査電顕で細胞の微細構造を観察すると、海水中では環境水に接する塩類細胞の頂端部が陥入しピットを形成していたのに対し、淡水中では頂端部に微絨毛を発達させ表面積を著しく拡大していた。また、Na+/K+-ATPase活性および酸素消費量に、海水と淡水の間で差は認められなかった。これまで、塩類細胞は海水中で形態的な発達を示し、体内に過剰となるイオンを排出するという捉え方が一般的であったが、本章の結果は塩類細胞の淡水中での発達とイオン取込み機能を示唆するものである。

第3章ウミメダカの淡水適応に伴う鰓塩類細胞の挙動

 環境水の浸透圧変化に直面したとき、塩類細胞はどのような挙動を示して新たな環境への適応を可能にしているのだろうか。たとえば、海水から淡水への移行に伴い、海水型の塩類細胞は新たに分化する淡水型の細胞によって置き換わるのか、あるいは海水型塩類細胞が形態・機能を変化させて淡水型塩類細胞として機能するのかは未だ明らかではない。そこで、海水馴致したウミメダカを淡水へ直接移行し、1ヶ月後までの塩類細胞の形態変化を観察した。

 移行3時間後、海水型の特徴である細胞複合体を形成しながら細胞頂端部に微絨毛を発達させる塩類細胞が見られた。また、海水中でのイオン排出機能を示すと考えられるCl-チャンネル(CFTR)の免疫染色を行ったところ、移行後1日以内に反応性が消失した。これらは海水型塩類細胞が形態・機能を変化させて淡水型へ遷移していく過程であると考えられる。

 次に、淡水移行に伴う細胞の入替わりを観察するため、新たに時間差蛍光二重染色法を確立した。移行直前および移行後3日目に異なる励起波長をもつ蛍光プローブで塩類細胞を二重標識した後、鰓の塩類細胞を観察した。この手法により、移行前から存在し続ける塩類細胞と移行後3日間に新たに出現した塩類細胞を同一組織上で検出することができた。移行3日後の全塩類細胞数に対する新に出現した細胞の割合は、海水馴致群(1.2%)、淡水馴致群(1.8%)と比較して移行群(14.7%)で有意に高かった。このことから、ウミメダカでは海水から淡水への移行が塩類細胞の入替わりを促進することが示された。以上の結果から、ウミメダカでは海水型塩類細胞の形態・機能が迅速に淡水型へと変化することによる短期的な環境適応と、細胞の入替わりによる長期的な環境適応の連携によって、淡水馴致が可能となることが示された。

第4章低Ca2+環境水中での塩類細胞の形態学的発達

 塩類細胞は様々な環境中で異なったイオン輸送を発現することが示唆されているが、その形態的発達は盛んなイオンの取込みを示すと考えられる。そこでまず、Ca2+に着目し、淡水中でのCa2+濃度が塩類細胞の形態に与える影響を観察した。環境水中Ca2+濃度を0.1、0.5(通常淡水レベル)、2.5mMに調整し、通常の淡水に馴致したウミメダカを移して1週間飼育した。その結果、環境水Ca2+濃度が低いほど塩類細胞が大型化することが明らかとなった。その微細構造を観察すると、0.1、0.5mM群ではほぼ全ての鰓塩類細胞が頂端部に微絨毛を発達させていた。一方2.5mM群では、頂端部を陥入させてピットを形成する細胞も観察できた。さらに、低Ca2+環境ではCa2+取込みに関与するNa+/K+-ATPase活性が上昇した。これらの結果から、ウミメダカの塩類細胞が淡水環境でのCa2+取込みに関与することが示唆された。

第5章低NaCl環境中でのvacuolar-typeprotonpumpによるNa+の取込み

 魚類の鰓を介したNa+の取込みに関しては、その部位および機構について不明な点が多い。そこで、淡水馴致したウミメダカをNa+濃度を0.1、1(通常淡水レベル)、10mMに調整した環境水に7日間移行し鰓塩類細胞の形態変化を観察することで、塩類細胞のNa+取込みへの関与を検討した。その結果、塩類細胞は環境水中Na+濃度が低いほど大型化した。透過電顕および走査電顕を用いた観察より、特に低Na+環境中の塩類細胞は頂端部に微絨毛を発達させ、表面積が拡大していることが明らかとなった。

 一方、vacuolar-typeprotonpump(V-ATPase)は、H+を能動輸送することでNa+取込みの駆動力を供給すると推測されている。そこでウミメダカの鰓から、V-ATPaseのAサブユニットをコードするcDNAをクローニングし、その全長を決定した。これに対する抗体を作製し免疫電顕法で観察したところ、V-ATPaseは特に低Na+環境中で塩類細胞の体内側の細胞膜(basolateral膜)に局在することが明らかとなった。以上の観察により、ウミメダカ鰓塩類細胞は低Na+環境水中で形態的に発達し、Na+取込みに関与することが示された。特に、basolateral膜に存在するV-ATPaseは、その能動的なH+輸送によりNa+チャンネルを介したNa+の取込みに関与すると考えられる。

 以上、ウミメダカを実験材料とした一連の研究により、以下のことが結論づけられる。

1)鰓が発達する以前の発育初期において、塩類細胞は卵黄嚢上皮、胚体とその分布を移しながら常に体液浸透圧調節の役割を果たす。

2)海水、淡水中で形態の異なる2型(海水型、淡水型)の塩類細胞が発達し、海水中でのイオン排出ばかりでなく淡水中でのイオン取込みにも塩類細胞が関与する。

3)海水馴致魚の淡水移行に伴い、既存の海水型塩類細胞の形態・機能が迅速に淡水型へと変化し、淡水への短期的適応を可能としている。さらに淡水移行後に新たな淡水型塩類細胞の分化が促進される。

4)塩類細胞は低Ca2+環境水中で形態的に発達し、Ca2+の取込みに関与する。

5)低Na+環境水中で塩類細胞は形態的発達を示すと共にbasolateral膜にV-ATPaseを発現させNa+の取込みを行う。

審査要旨 要旨を表示する

 申請者の加藤扶美は、「魚類の塩類細胞に関する機能形態学的研究」の中で、汽水域に生息する広塩性魚であるウミメダカを用いて、淡水環境における塩類細胞の形態および機能の多様性を明らかにした。これまでの塩類細胞の機能に関する研究は、主に通し回遊魚やティラピアなどの淡水嗜好性の強い広塩性魚種で進められ、魚が海水に適応する上で体内に過剰となる塩類を塩類細胞が排出するという画一的な捉え方がなされてきた。本研究では海水嗜好性のウミメダカを淡水に適応させることで、塩類細胞の淡水におけるイオン輸送機能を解明する様々な試みがなされた。

 まず、成魚で鰓に存在する塩類細胞が、発育初期には卵黄を覆う卵黄嚢上皮や胚体の表皮に分布し、鰓の分化・発達に伴ないその存在部位が卵黄嚢上皮や体表から鰓へと遷移する様子が明らかとなった。次に鰓の塩類細胞に着目し、淡水および海水に馴致した魚で形態の異なる細胞(淡水型・海水型)が発達することを見出した。これまでに調べられた魚種の多くで塩類細胞は海水中で大きく発達するが、ウミメダカでは淡水中においてさらに顕著な形態学的機能亢進像を示した。このことは、海水中ばかりでなく淡水中においても、塩類細胞がイオン輸送に深く関わっていることを示している。魚を海水から淡水に移すと海水型塩類細胞は淡水型へと形態と機能が変化し、塩類細胞の機能の可塑性が明らかとなった。また新規に開発した時間差蛍光二重染色法により、環境の塩分濃度が変化すると既存の細胞がその形態と機能を切替えるばかりでなく、塩類細胞の入替わりが促進されることが明らかとなった。さらに、淡水中で発達する塩類細胞が体内に不足するNa+やCa+を取込むことが示された。

 何れの研究成果もこれまでにない新しい知見に富み、長い歴史をもつ塩類細胞の研究に新たな一歩を残すものである。また、光学顕微鏡から電子顕微鏡レベルでの詳細な形態観察に加え、イオン輸送タンパクの分子生物学的解析や新規の機能形態学的手法の開発など、多面的な研究手法を駆使し塩類細胞の機能解明に臨んだ申請者の研究姿勢は、審査員の先生方からも高く評価されたところである。申請者はこれまでの研究成果を遅れることなく学術雑誌に投稿し、本研究の大部分はすでに掲載または受理済みである。

 以上の研究成果は国際的にも高く評価できるものであり、本論文が博士号に十二分に値するというのが審査員の共通した認識である。

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