学位論文要旨



No 118156
著者(漢字) 近藤,秀裕
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,ヒデヒロ
標題(和) キンギョ培養細胞増殖の温度依存性に関する研究
標題(洋)
報告番号 118156
報告番号 甲18156
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2545号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 助教授 三谷,啓志
 東京大学 助教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

 魚類は変温動物でその体温は環境水温とほぼ等しい。温度は代謝反応に大きな影響を及ぼすことから、水温は魚類の生息範囲を決定する大きな要因となる。冷水性、温帯性、熱帯性の魚種が存在するのはこのような理由による。しかしながら例外も存在し、温帯域の閉鎖系水域に生息するキンギョCarassius auratusやコイCyprinus carpioは冬の0℃付近から夏の30℃以上まで広い温度域に生息可能である。このような魚類の種特異的な温度反応の機構を解明するために多くの試みがなされて、培養細胞を用いた研究も行われた。その結果によると、魚類の培養細胞は、恒温動物のそれと同様に、一般的にはその体温、すなわち魚類の場合は生息水温とほぼ等しい温度域で増殖可能である。ところが、幅広い温帯域に生息するキンギョの培養細胞は20℃から37℃までの広い温度域で増殖可能であることが報告された。しかしながら、このような魚類培養細胞の増殖温度を決定する分子機構は未だ不明である。

 本研究はこのような背景の下、広温度域性のキンギョを対象に、まず尾鰭から線維芽細胞を調製した。次に、得られた培養細胞につき、20℃、25℃、30℃および35℃での培養条件を検討した。また、キンギョ培養細胞において培養温度依存的に発現量が変化する遺伝子を探索した。さらに、キンギョ培養細胞の増殖可能な上限温度を明らかにし、このときの細胞の分子レベルの変化を調べたもので、得られた研究成果の概要は以下の通りである。

1.培養細胞の温度依存的増殖パターン

 キンギョ成魚の尾鰭から線維芽細胞を調製した。この培養細胞を5%ウシ胎児血清および5%コイ血清を含む培地中、20℃、25℃、30℃および35℃で培養したところ、各温度における集団倍加時間はそれぞれ、約36、35、20および18時間であった。次に、20℃で培養した細胞を35℃へ移したところ、20℃で継続的に培養した細胞に比べ増殖速度は増大した。一方、35℃で培養した細胞を20℃へ移したところ、35℃で継続的に培養した細胞に比べ増殖速度は著しく低下した。さらに、20および35℃で培養した細胞につき、2、10および20%コイ血清を含む培地を添加し細胞増殖を観察したところ、いずれの温度においても、血清濃度の上昇に伴い増殖速度は大きく増大した。また、20℃、20%コイ血清を含む培地で培養した細胞の増殖は、35℃、2%コイ血清を含む培地で培養した細胞とほぼ同じ増殖能を示した。

 次に、キンギョ培養細胞の増殖を促進するコイ血清中の成分を調べた。コイ血清を限外濾過により分画したところ、分子量1万以下およびそれ以上の両画分の成分とも単独では細胞増殖活性を示さず、両画分の共存が細胞増殖に必須であることが明らかとなった。さらに、分子量1万以上の高分子成分画分につき超遠心分離で血清リポタンパク質画分を調製し、その細胞増殖活性を調べたところ、本リポタンパク質画分は細胞増殖活性を示した。また、血清リポタンパク質を除いた66kDa成分を主成分とする画分にも細胞増殖活性が認められた。なお、本研究で調製したいずれのコイ血清画分においても、その細胞増殖活性は培養温度の影響を受け、20℃での培養増殖速度は35℃のそれに比べて明らかに低かった。

2.培養温度依存的に発現変動する遺伝子の探索

 キンギョ培養細胞の温度適応機構を明らかにする目的で、20℃および35℃で培養した細胞につき、cDNA-RDA法を用いmRNA蓄積量に差のある成分を検索した。その結果、ニジマスのI型コラーゲンα鎖と相同性をもつcDNA断片が35℃で発現量が多い遺伝子としてクローン化された。本DNA断片は106塩基からなり、ニジマスI型コラーゲンα1、2および3鎖とそれぞれ73.6、49.1および75.5%の塩基同一率を示した。ノーザンブロット法によりキンギョ培養細胞における本I型コラーゲンα鎖遺伝子の発現量の培養温度依存的な変化を調べたところ、20℃および25℃で培養した細胞に比べ、30℃では約1.5倍、35℃では約5倍高いmRNA蓄積量を示した。

 哺乳類培養細胞のI型コラーゲンα鎖のmRNA蓄積量は培養日数の経過とともに増大することが知られている。そこで、20℃および35℃でキンギョ培養細胞におけるI型コラーゲンα鎖mRNA蓄積量の経時変化を調べた。まず、培養開始後1日目の細胞におけるI型コラーゲンα鎖mRNA蓄積量は20℃の細胞に比べて35℃のものが著しく高い値を示した。いずれの培養温度においてもI型コラーゲンα鎖mRNA蓄積量は培養日数の経過に伴い上昇したが、35℃で培養した細胞におけるI型コラーゲンα鎖mRNA蓄積量は20℃のものにくらべ、いずれの時点においても高い値を示した。また、培養温度を20℃から35℃へ移行し培養した場合、I型コラーゲンα鎖mRNA蓄積量の上昇率は、20℃で継続的に培養したものに比べ著しく高かった。一方、培養温度を35℃から20℃へ移行し培養した細胞では、I型コラーゲンmRNA蓄積量は移行前のものとほとんど変わらなかった。

 35℃で培養した細胞の増殖速度が20℃で培養したものに比べ著しく高いことから、I型コラーゲンα鎖mRNA蓄積量の経時的な変化は細胞の増殖能と関係することが考えられた。そこで、35℃で2%コイ血清を含む培地および20℃で20%コイ血清を含む培地を用いることで、異なる温度で増殖速度をそろえたキンギョ培養細胞につきI型コラーゲンmRNA蓄積量の変化を調べた。その結果、前者の35℃で培養した細胞のI型コラーゲンα鎖mRNA蓄積量は、後者の20℃で培養した細胞のそれに比べ著しく高かった。一方、2%および20%コイ血清を含む培地中35℃で培養した細胞の間で比較したところ、後者の20%コイ血清で培養した細胞は前者の細胞に2%コイ血清で培養した細胞に比べて増殖速度が大きかったにも関わらず、I型コラーゲンmRNA蓄積量は若干高い値を示したに過ぎなかった。したがって、キンギョ培養細胞でのI型コラーゲンの発現は増殖速度に依存したものではなく、培養温度に依存して増大することが明らかとなった。

3.培養上限温度付近における細胞内タンパク質成分の変化

 キンギョ培養細胞が幅広い温度域で増殖可能である理由の一つに、その細胞の培養上限温度がニジマスなどの冷水性魚類の培養細胞のものに比べて高いことが考えられる。このようなキンギョ培養細胞の特性を解明するため、培養上限温度を明らかにし、そのときの細胞内タンパク質成分の変化を調べた。まず、キンギョ尾鰭由来培養細胞は培養温度が40℃に達すると増殖を停止することが示された。培養温度をさらに45℃に上昇させると細胞は数時間のうちに死滅した。次に、20℃で培養した細胞の培養温度を35℃および40℃へ上昇させたときの細胞内タンパク質成分の変化をSDS-PAGEで解析した。その結果、細胞内に70kDa成分が持続的に発現し、30kDa成分の一過的な発現が観察された。両成分とも培養温度を20℃から35℃へ上昇させたときにはほとんど観察されなかった。なお、培養温度を40。℃へ上昇させたときに観察された70kDa成分について、部分アミノ酸配列を決定したところ、HSP70であることが明らかとなった。

 そこで、キンギョHSP70をコードするcDNA断片をクローニングし、これをプローブとして培養温度の上昇に伴うHSP70mRNA蓄積量の変化をノーザンブロット法により調べた。その結果、20℃から35℃へ培養温度を上昇させた場合、温度移行1時間後から2時間後までmRNAのわずかな蓄積がみられた。次に、培養温度を20℃から40℃へ移行したときには、温度移行1時間後から4時間後まで著しい蓄積がみられた。一方、35℃で培養した細胞につき培養温度を35℃から40℃へ上昇させたときには、温度移行1時間後から2時間後までHSP70mRNAの蓄積がみられた。これらのHSP70mRNAの蓄積は、いずれの温度条件においても先述のHSP70の蓄積より早い段階で生じた。

 ある程度の高温以上になると細胞内タンパク質は変性する。そこで、キンギョ培養細胞内成分の熱安定性を調べるため、キンギョ尾鱗由来培養細胞について示差走査熱量分析(DSC分析)を行った。すなわち、キンギョ培養細胞をHEPES緩衝液(pH7.0)中に懸濁し、毎分1℃の昇温速度で5℃から110℃までのDSC分析に供したところ、5℃から35℃付近までは吸熱ピークはみられなかった。その後、35℃から40℃付近より吸熱反応が始まり、50℃付近には極大ピークがみられた。さらに、50℃以上の温度においてもいくつかのピークが確認された。

 以上、本研究により、キンギョ培養細胞は20℃から35℃までの幅広い温度で増殖可能であるが、30℃や35℃で培養したときの増殖速度が大きく、I型コラーゲンα鎖のmRNA蓄積量も高くなることが明らかにされた。また、細胞は40℃で増殖が停止し、45℃で細胞死が誘導されることが示された。一方、HSP70の発現は培養温度が35℃ではほとんどみられず、40℃となったときに著しく蓄積することが明らかにされた。これらの成果は魚類の温度適応機構の一端を示したもので、比較生理生化学上に資するところが大きいものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 魚類は変温動物でその体温は環境水温とほぼ等しい。温度は代謝反応に大きな影響を及ぼすことから、水温は魚類の生息範囲を決定する大きな要因となる。しかしながら例外も存在し、温帯域の閉鎖系水域に生息するキンギョCarassius aura tusやコイのCyprinus carpioは冬の0℃付近から夏の30℃以上まで広い温度域に生息可能である。さらに、培養細胞を用いた研究においても、キンギョのそれは20℃から37℃までの広い温度域で増殖可能であることが報告された。しかしながら、このような魚類培養細胞の増殖温度を決定する分子機構は未だ不明である。本論文はこのような背景の下、広温度域性のキンギョを対象に、尾鰭から調製した線維芽細胞につき種々の培養温度における増殖速度、培養温度依存的に発現量が変化する遺伝子の探索、増殖可能な上限温度を明らかにした。

 まず、キンギョ尾鰭から線維芽細胞を調製し、5%ウシ胎児血清および5%コイ血清を含む培地中、20℃、25℃、30℃および35℃で培養したところ、それぞれ36、35、20および18時間の集団倍加時間で増殖した。また、本細胞の培養温度を変化させると、速やかに各温度に特異的な増殖速度で増殖した。次に、キンギョ培養細胞の増殖を促進するコイ血清中の成分を調べた。コイ血清について分子量1万以下の低分子画分および一万以上の高分子画分に分画し細胞増殖活性を調べたところ、両画分の共存が細胞増殖に必須であった。さらに、分子量1万以上の高分子成分画分につき超遠心分離で分画したところ、コイ血清リポタンパク質が細胞増殖活性を示した。

 次に、20℃および35℃で培養した細胞につき、cDNA-RDA法を用いmRNA蓄積量に差のある成分を検索した。その結果、ニジマスのI型コラーゲンα鎖と相同性をもつcDNA断片が35℃で発現量が多い遺伝子としてクローン化された。本DNA断片は106塩基からなり、ニジマスI型コラーゲンα1、2および3鎖とそれぞれ73.6、49.1および75.5%の塩基同一率を示した。ノーザンブロット法によりキンギョ培養細胞における本I型コラーゲンα鎖遺伝子の発現量の培養温度依存的な変化を調べたところ、20℃および25℃で培養した細胞に比べ、30℃では約1.5倍、35℃では約5倍高いmRNA蓄積量を示した。

 さらに、キンギョ培養細胞におけるI型コラーゲンα鎖mRNA蓄積量の経時変化を調べた。20℃および35℃で培養した細胞においてもI型コラーゲンα鎖mRNA蓄積量は培養日数の経過に伴い上昇したが、その増加率は35℃で培養した細胞において20℃のものにくらべ高い値を示した。また、培養温度を20℃から35℃へ移行し培養した場合、I型コラーゲンα鎖mRNA蓄積量の増加率は、35℃で継続的に培養したものに近い値を示した。一方、培養温度を35℃から20℃へ移行し培養した細胞におけるI型コラーゲンα鎖mRNA蓄積量は、20℃で継続的に培養したものに近い増加率で増大した。次に、20℃と35℃で培養した細胞の増殖速度が等しくなるよう、コイ血清濃度を調製したときのI型コラーゲンmRNA蓄積量の変化を調べたところ、35℃で2%コイ血清を含む培地中で培養した細胞におけるI型コラーゲンα鎖mRNA蓄積量は、20℃で20%コイ血清を含む培地中で培養した細胞のものに比べ著しく高かった。

 次に、キンギョ培養細胞の培養上限温度を明らかにし、その温度域における細胞内成分の変化を調べた。キンギョ尾鰭由来培養細胞は培養温度が40℃に達すると増殖を停止し、45℃に上昇させると死滅した。培養温度の上昇に伴う細胞内タンパク質成分の変化をSDS-PAGEで解析したところ、40℃に移行した細胞において70kDa成分が顕著に観察された。本70kDa成分について、部分アミノ酸配列を決定したところ、HSP70であることが明らかとなった。そこで、キンギョHSP70をコードするcDNA断片をクローニングし、これをプローブとして培養温度の上昇に伴うHSP70mRNA蓄積量の変化をノーザンブロット法により調べた。その結果、HSP70のmRNAの蓄積は培養温度を40℃へ上昇させた場合のみならず、20℃から35℃へ培養温度を移行した細胞においてもみられた。さらに、キンギョ培養細胞内成分の熱安定性を調べるため、キンギョ尾鰭由来培養細胞をDSC分析に供したところ、40℃付近から熱変性に伴う吸熱反応がみられた。

 以上本論文は、キンギョ培養細胞は20℃から35℃までの幅広い温度で増殖可能であるが、30℃や35℃で培養したときの増殖速度が大きく、I型コラーゲンα鎖のmRNA蓄積量も高くなることを明らかにした。また、細胞は40℃で増殖が停止し、45℃で細胞死が誘導されることを示した。さらに、HSP70が40℃で著しく蓄積することを明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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