学位論文要旨



No 118157
著者(漢字) 高須賀,明典
著者(英字)
著者(カナ) タカスカ,アキノリ
標題(和) カタクチイワシの初期生活史における成長速度と生残決定機構
標題(洋)
報告番号 118157
報告番号 甲18157
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2546号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 佐野,光彦
 東京大学 助教授 山川,卓
内容要旨 要旨を表示する

 成長速度が高い個体が選択的に生残する-このパラダイムによって、浮魚類の初期生活史における成長速度は加入の成否を決定すると考えられている。物理・生物環境によって生残ポテンシャルである成長速度は決定される。そして、被食は主要かつ直接的な死亡要因である。本研究では、耳石微細構造解析によって、カタクチイワシEngraulis japonicusの初期生活史における成長速度を調べ、これを中心に一連の生残決定過程を追った。

 カタクチイワシは、沿岸域のみならず沖合域にも広く分布して再生産を行なっていることが示されてきた。しかし、海域ごとの成長速度決定機構は明らかではない。本研究では、まず、(1)黒潮続流域及び黒潮・親潮移行域における仔魚の成長速度と環境要因の関係を調べることで成長速度決定機構を明らかにし、これを温暖な環境の東シナ海及び沿岸域である相模湾における結果と比較した。次に、(2)黒潮続流域及び黒潮・親潮移行域における仔稚魚の摂餌生態と栄養段階を調べ、同様に相模湾の仔魚と比較した。

 成長速度と生残のパラダイムは、これまでサイズ(負のサイズ選択的死亡)と時間(高死亡率ステージの期間)の概念によって間接的に説明されてきた。さらに、野外で成長速度と被食の関係を直接的に示した研究例はない。本研究では、(3)実際に被食によって死亡した個体の成長速度を直接的に調べることによって、野外においてある瞬間の成長速度と被食の関係を実証し、時間ともサイズとも独立して作用する被食メカニズムを明らかにした。また、捕食者組成の変動からこのメカニズムの重要性を考察した。さらに、(4)短期的な累積生残過程においてこの被食メカニズムの存在を検証した。

1.仔魚の成長速度と環境要因

 仔魚の成長速度決定機構を明らかにするために、成長速度と水温及び餌環境との関係を調べ、海域間で比較した。

 黒潮続流域及び黒潮・親潮移行域では1996〜1997、1999〜2000年、東シナ海では2000〜2002年の春季〜夏季に、夜間、中層トロールあるいはORIネットによって仔魚を採集した。動植物プランクトンはNORPAC-twinネットの鉛直曳網によって採集した。相模湾では2000〜2001年の夏季〜秋季に、日の出後、商用シラストロールによって仔魚を採集した。仔魚の耳石(扁平石)微細構造解析によって、孵化時から採集時までの平均成長速度を算出するとともに、biological intercept法によるback-calculationを行い、成長履歴を求めた。

 黒潮続流フロントから黒潮・親潮移行域にかけての表面水温16〜21℃の範囲で、成長速度は表面水温と正の相関があった。一方、餌密度で成長速度の変動を説明することはできなかった。成長履歴では、黒潮続流域の仔魚の成長速度が高水準で推移していたのに対し、黒潮・親潮移行域の仔魚の成長速度は経時的に急激に低下していた。しかし、暖水塊付近の仔魚や夏季の仔魚の成長速度低下は緩やかであった。高水温の東シナ海では、仔魚の成長速度は、水温ではなく餌密度で説明された。相模湾の仔魚の成長速度は、摂餌率で説明されたが、21℃までは表面水温と正の相関があり、これ以上では成長速度は低下した。

 黒潮続流によって輸送される仔魚は、黒潮・親潮移行域へと北上回遊・分散を行なっており、暖水塊もしくは高い水温との遭遇の有無、即ち北上回遊のタイミングが仔魚の生残ポテンシャルを決定するという生残機構が考えられる。一方、東シナ海及び相模湾では、成長速度と水温の関係のbreakpointを超えた場合、餌環境が成長速度の制限要因となり得る。

2.仔稚魚の摂餌生態と栄養段階

 北上した仔魚のその後の生残可能性を評価するために、黒潮続流域及び黒潮・親潮移行域において仔稚魚の食性と餌環境及び栄養段階の変動を調べた。また、栄養段階の推移を相模湾の仔魚と比較した。

 摂餌率は全海域で成長に伴なって上昇した。消化管内容物組成とそれに基づいた対応解析、餌選択性解析の結果、黒潮続流域ではOncaea属及びSapphirina属、黒潮・親潮移行域ではOncaea属及びCorycaeus属のカイアシ類が稚魚期の主要餌生物であった。また、成長に伴なって大型Calanus目のカイアシ類の割合が増えた。これらの主要餌生物密度は、黒潮続流域よりも黒潮・親潮移行域の方が高かった。窒素安定同位体比(δ15N)は成長に伴なって8.0〜10.5%。の範囲で上昇し、体長約40〜60mmの稚魚で既に成魚の栄養段階に達していた。一方、相模湾の仔魚では、少なくとも体長約15〜35mmの間、餌組成に変化は無く、δ15N値は9.4〜13.3%の範囲で変動があったが、成長に伴なう上昇は見られなかった。

 北上回遊・分散をしつつ仔魚期を生残した個体にとって、黒潮・親潮移行域の良好な餌環境は、その後の成長、成熟に対する好条件を提供すると考えられた。一方、相模湾のシラス漁場では、漁場に滞留する後期仔魚期の間、同じ餌資源を利用していた。

3.仔魚の成長速度と被食メカニズム

 海中においてある瞬間、実際に成長速度が低い個体が被食によって死亡しているのか、もしそうならば、その死亡はサイズ依存性か、という点から、成長速度が被食に直接的に及ぼす影響を野外で実証した。さらに、その影響を生じた発育段階、影響の個体発生的変化及び捕食者魚種間の差異を明らかにした。

 2000〜2001年の夏季〜秋季に、相模湾のシラス漁場において、同所分布する仔魚とその捕食者を商用シラストロールの同一曳網で同時に採集した。捕食者の胃内容物から摘出した仔魚、即ち実際に被食によって死亡した仔魚(被食仔魚)及び捕食者と同時に採集した仔魚、即ち被食仔魚が由来する個体群からの一時的生残仔魚(対照仔魚)間で、孵化時から採集時(被食時)までの平均成長速度、成長履歴、体長を比較した。なお、消化の進行によって体長測定不能な被食個体については、耳石半径から体長を復元した。

 被食仔魚の平均成長速度は対照仔魚のものよりも有意に劣っていた。この現象は、負のサイズ選択的被食では説明しきれず、同じサイズ間での成長速度の差によるものであることが明らかとなった。また、この差は体長25mm以上の個体で顕著であった。成長履歴の比較では、被食仔魚と対照仔魚の成長速度の差は、孵化直後から採集時(被食時)まで継続的に見られた。捕食者の魚種ごとに比較すると、アカカマス、スズキ、カンパチは成長速度にもサイズにも選択性を示さなかった。一方、イシモチ、マアジ、ウルメイワシ、カタクチイワシ稚魚は成長速度の低い仔魚、そして時にサイズの小さい仔魚を選択していた。

 群の中で成長速度が劣った個体は、高成長個体に比べ、同じサイズであっても、被食に対するvulnerabilityが増大すると考えられる。このことは、成長速度のレベル自体が、負のサイズ選択的死亡とも高死亡率ステージの期間とも独立して、被食に直接的に影響を及ぼすことを意味している。以上より、サイズと時間の概念による既存の仮説("bigger is better"及び"stage duration"仮説)とは理論的には独立しながらも共同的に作用し得る新しい"growth-selective predation"仮説(メカニズム)を提唱した。この被食メカニズムは、発育に伴なって有効となる。さらに、捕食者の魚種によって作用が決定されることが示された。メカニズムの背景には、捕食者遭遇時における仔魚の対捕食者行動能力の差があると考えられる。

 捕食者と仔魚の栄養関係を安定同位体比特性によって調べた結果、捕食者は仔魚よりほぼ1栄養段階高く、過去継続的に仔魚を捕食していたことが示された。ただし、安定同位体比が低い捕食者も一部存在し、これらはシラス漁場に来遊して間もないことが示唆された。さらに、シラス漁場周辺海域に設置された定置網による漁獲物の単位努力量当たり漁獲量(CPUEkg/day)の経月変動を調べた結果、2000年はマイワシ、2001年はマアジのCPUEが卓越しており、そのピークの時期はカタクチイワシとほぼ一致していた。このような場合、小型の浮魚類捕食者からの"growth-selective predation"によって仔魚の生残は大きな影響を受けるであろう。

4.仔魚の成長速度に関連する3つの生残決定仮説の検証

 約2週間という短期的な累積生残過程において、成長速度に関する3つの生残決定仮説("growth-selective predation","bigger is better","stage duration"仮説)を検証した。

 相模湾のシラス漁場において、約2週間の間隔をおいて仔魚を採集し、共通する孵化日範囲に孵化していた個体を抽出した。約2週間後に採集した仔魚(生残仔魚)の成長履歴を最初に採集した仔魚(由来個体群の仔魚)のものと比較した。さらに、成長速度と変態開始時期、即ち仔魚期間との関係を調べた。

 生残仔魚の成長速度は、過去に由来個体群の仔魚より劣っていた期間があったものの、発育に伴なってその優劣は入れ替わっていた。その結果、由来個体群の採集日時点では、生残仔魚の方が由来個体群の仔魚よりも体長は有意に小さかったが、成長速度は有意に高かった。また、既に変態を開始している仔魚と変態開始最小日齢(40日齢)を超えているが未変態である仔魚の成長履歴に顕著な差は見られなかった。

 成長速度が高い個体は、成長速度が低いより大型の個体よりも生残確率が高い場合があることが時間累積的生残過程で示された。これは"bigger is better"仮説への反証例であると同時に、"growth-selective predation"仮説の支持例であると考えられる。また、"stage duration"仮説によって、成長速度と仔魚期間の関係から生残が決定されているとは限らないことが示唆された。

 水産資源の持続的利用のための適正な資源管理を究極の目標として、多獲性浮魚類の加入量変動機構の解明は膨大な研究の焦点であってきた。本研究では、輸送・回遊を介して遭遇した物理・生物環境によって生残ポテンシャルである成長速度に変動が生じ、被食を直接的死亡要因として最終的な生残可否が決定するというカタクチイワシの初期生活史における生残過程を追った。このようなカスケード生残過程において、成長速度決定機構と新たな成長速度依存の被食メカニズムの存在を明らかにすることによって、本研究の成果は、浮魚類の加入量変動機構の解明に貢献するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 成長速度が高い個体が選択的に生残する-このパラダイムによって、浮魚類の初期生活史における成長速度は加入の成否を決定すると考えられている。本論文では、耳石微細構造解析によって、カタクチイワシEngraulis japonicusの初期生活史における成長速度を調べ、これを中心に一連の生残決定過程を追った。

1.仔魚の成長速度と環境要因

 黒潮続流域及び黒潮・親潮移行域、東シナ海、相模湾における仔魚の成長速度と水温及び餌利用可能度との関係を調べた。全海域を通じて見ると、表面水温21℃付近までは、成長速度は水温に伴なって上昇し、これ以上では低下していた。一方、成長速度と餌密度の関係に海域を通じた傾向は見られず、水温と餌密度にも相関関係は無かった。以上より、成長速度は水温によって一次的に決定されると考えられる。海域ごとに見ると、黒潮続流域及び黒潮・親潮移行域では南北の水温勾配が成長速度の主要決定要因である一方、東シナ海及び相模湾では高水温時には餌利用可能度の影響があることが示された。

 成長履歴の比較からは、黒潮続流域から黒潮・親潮移行域への仔魚の北上回遊・輸送が示唆され、暖水塊等による高水温との遭遇の有無、即ち北上のタイミングが仔魚の生残ポテンシャルを決定すると考えられた。

2.仔稚魚の摂餌生態と栄養段階

 黒潮続流域及び黒潮・親潮移行域における仔稚魚の食性と餌環境を調べた結果、黒潮続流域ではOncaea属及びSapphirina属、黒潮・親潮移行域ではOncaea属及びCorycaeu属のカイアシ類が主要餌生物であり、成長に伴なう餌生物の切り換えが見られた。安定同位体比の推移では、体長約40-60mmで既に成魚の栄養段階に達っしていた。一方、相模湾の仔魚の餌組成及び栄養段階には成長に伴なう変化は見られなかった。

3.仔魚の成長速度と被食メカニズム

 実際に被食によって死亡した仔魚の成長速度を直接的に調べることによって、ある瞬間の成長速度と被食の関係を初めて野外で実証した。相模湾のシラス漁場において、同所分布する仔魚と捕食者を商用シラストロールの同一曳網で同時に採集し、捕食者の胃内容物から摘出した仔魚(被食仔魚)と捕食者と同時に採集した仔魚(対照仔魚)間で、成長速度及び体長を比較した。被食仔魚の成長速度は対照仔魚のものよりも有意に劣っていた。この現象は、負のサイズ選択的被食ではなく、同じサイズ間での成長速度の差によって説明された。成長速度が劣った個体は、高成長個体に比べ、同じサイズであっても、被食に対するvulnerabilityが増大すると考えられる。これは、成長速度のレベル自体が、負のサイズ選択的死亡とも高死亡率ステージの期間とも独立して、被食に直接的に影響を及ぼすことを意味している。以上より、サイズと時間の概念による既存の仮説("bigger is better"及び"stage duration"仮説)とは理論的に独立的かつ共同作用的に働く新しい"growth-selective predation"仮説(メカニズム)を提唱した。さらに、このメカニズムは発育に伴なって有効となり、捕食者の魚種に特異的であることを示した。この新しい被食メカニズムは、仔魚の捕食者回避能力の差によると考えられ、捕食者の最適摂餌理論からも妥当に説明された。

 捕食者と仔魚の安定同位体比特性の比較から、過去継続的に仔魚の成長速度に対する選択的被食があったことが示唆された。さらに、"growth-selective predation"が有効な捕食者と無効な捕食者とでは、定置網1揚網当たり漁獲量の経月変動が異なっていた。仔魚のシラス漁場への加入量と"predator field"の時空間的一致・不一致によって、成長速度に対する選択的被食の強度も経時変動すると考えられる。

4.仔魚の成長速度に関連する3つの生残決定仮説の検証

 短期的生残過程において、成長速度に関する3つの生残決定仮説を検証した。シラス漁場において、約2週間の間隔をおいて仔魚を採集した。約2週間後に採集した仔魚(生残仔魚)と最初に採集した仔魚(由来個体群の仔魚)間で成長履歴を比較した結果、最初の採集日時点では、生残仔魚の方が体長は小さかったが、成長速度は有意に高かった。即ち、高成長個体は大型の低成長個体よりも生残確率が高かった。これは"bigger is better"仮説への反証例であり、"growth-selective predation"仮説の支持例であると考えられる。また、成長速度と変態に明瞭な関係は認められず、"stage duration"仮説は支持されなかった。

 本論文は、カタクチイワシの初期生活史におけるカスケード生残過程において、主に成長速度決定機構と新たな成長速度依存の被食メカニズムの存在を明らかにした。その成果は、浮魚類の加入量変動機構の解明に貢献するものと考えられる。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文としての価値を有すると認めた。

UTokyo Repositoryリンク