学位論文要旨



No 118158
著者(漢字) 二瓶,義明
著者(英字)
著者(カナ) ニヘイ,ヨシアキ
標題(和) コイ筋発生に伴うミオシン重鎖遺伝子の発現変動の解析
標題(洋) Expression Analysis of Carp Myosin Heavy Chain Genes during Muscle Development
報告番号 118158
報告番号 甲18158
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2547号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 千葉大学 教授 大日方,昂
 東京大学 助教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

 ミオシンIIは筋肉に普遍的に存在する分子で分子量約20万の重鎖2本と分子量約2万の軽鎖4本から1分子が構成されている。このうち重鎖サブユニットには筋収縮に重要なアクチン結合およびATPase触媒部位が存在する。高等脊椎動物では、筋肉を構成するミオシン重鎖には組織および発生段階特異的に発現する複数のアイソフォームが存在する。例えばヒト骨格筋では、成長過程で胎児型、周生型、成体型の順に骨格筋型ミオシンII重鎖アイソフォームの発現変換が生じる。成体では筋繊維の収縮速度の違いに応じて、遅筋でI型、速筋でIIa、IIxおよびIIb型のミオシン重鎖アイソフォームが発現する。また、骨格筋と同様に横紋筋である心筋には、αおよびβ型の2種類の重鎖アイソフォームが発現する。一方、魚類では、コイ成体が温度馴化に伴い、性状の異なる速筋型ミオシン重鎖アイソフォームを発現することが明らかとされているが、胚発生時における特異的アイソフオームの存在およびその消長は不明である。また、成体の遅筋および心筋における重鎖アイソフォームの存在状態についても知見がない。

 本研究はこのような背景の下、コイ筋分化制御機構の解明の一環として、コイ胚型、遅筋型および心筋型ミオシン重鎖アイソフォームのcDNAクローニングを行った。次に、これらアイソフォームにつき、筋分化過程における遺伝子発現パターンの変化を調べた。さらに筋特異的遺伝子の転写因子Eタンパク質E12をクローン化し、筋分化に伴う発現パターンを調べたもので、その概要は以下の通りである。

1.コイ・ミオシン重鎖アイソフォームのcDNAクローニング

 まず、孵化直後のコイ仔魚より作製したfirst strand cDNAを鋳型に、既報のミオシン重鎖遺伝子の保存性の高い領域の塩基配列を参照して合成したプライマーを用いて3'RACEを行った。その結果、ミオシン重鎖中のL-メロミオシンのC末端側約4分の1をコードする3種類のcDNAクローン、MyHCemb1、MyHCemb2およびMyHCemb3が得られた。次に、これらの3'側非翻訳領域を特異的プローブとして用い、孵化仔魚より作製したcDNAライブラリーから上記の3クローンのスクリーニングを行った。さらに5'RACEを行い、ここで得られたcDNA断片の塩基配列を重ね合わせ、MyHCemb1、MyHCemb2およびMyHCemb3cDNAの全長を決定した。各cDNAはそれぞれ、全長5,989、5,985および5,973bpからなり、それぞれ1,933、1,935および1,939アミノ酸をコードしていることが明らかとなった。

 次に、10℃、20℃および30℃に5週間以上馴化させたコイ成体(平均体重約300g)より遅筋を採取し、先と同様に3'RACEを行ったところ、10℃および30℃馴化魚の遅筋より異なる2種類のcDNAクローンが得られた。次に、より5'側の塩基配列を求めるため、既報の他生物種の塩基配列をもとにプライマーを合成してPCRを行い、その塩基配列を決定した。以上の結果、MyHC分子全体の57%をコードするcDNAクローン、MyHCS10(3420bp)およびMyHCS30(3422bp)が得られた。両cDNAクローンとも1,111アミノ酸をコードしていた。また、同様に10℃、20℃および30℃馴化魚の心筋を対象に3'RACEを行ったところ、1種類のcDNAクローン、MyHCcardを得た。決定されたcDNA部分断片は627bpからなり、173アミノ酸をコードしていた。

 これらcDNAクローンから演繹されたミオシン重鎖アイソフォームのアミノ酸配列を、既報の10℃および30℃馴化コイ成体で主成分として発現する速筋型アイソフォーム、MyHCF10およびMyHCF30とともに比較したところ、各アイソフォームは大きく2つのグループに分けられた。すなわち、MyHCemb1、MyHCemb2、MyHCF10およびMyHCF30は88〜95%のアミノ酸同一率を示し、いずれも速筋型アイソフォームと判断された。一方、MyHCemb3、MyHCS10、MyHCS30およびMyHCcard間のそれは88〜96%で、これらは遅筋型アイソフォームと考えられた。なお、両グループ間のアミノ酸同一率は74〜79%であった。

2.コイ・ミオシン重鎖アイソフォームの筋分化過程および温度馴化魚における遺伝子発現パターン

 コイ筋分化過程における各ミオシン重鎖アイソフォームの遺伝子発現パターンを調べるため、3'側非翻訳領域をプローブとしてノザンブロット解析を行った。解析に用いた全RNAは、発生段階の試料からは全組織を一括して、一方、成体からは筋組織別に分けて抽出した。なお、コイ胚の発生は17〜20℃で進行させ、孵化後の仔魚は20℃で飼育した。また、MyHCF10およびMyHCF30の遺伝子発現パターンも同時に解析した。その結果、MyHCemb1およびMyHCemb2のmRNAは、受精後61時間の心臓の鼓動開始時から発現がみられ、その後、両mRNA蓄積量は孵化後1ケ月まで増大を続けた。なお、MyHCemb1 mRNAは孵化後7ケ月の稚魚でもわずかな発現がみられたが、MyHCemb2mRNAはこの段階の稚魚では確認できなかった。MyHCemb3mRNAは、受精後77時間の眼胞に色素沈着がみられる段階から発現し、その後はMyHemb1 mRNAと同様の推移を示した。MyHCS10およびMyHCS30のmRNAはいずれも孵化直後の仔魚より発現がみられ、MyHCcard mRNAは受精後61時間から発現していた。

 次に、10℃、20℃および30℃馴化コイ成体におけるミオシン重鎖アイソフォーム遺伝子の発現を速筋、遅筋および心筋に分けて調べたところ、MyHCemb1 mRNAは10℃および20℃馴化魚の速筋で発現がみられた。本重鎖アイソフォームのmRNA蓄積量はとくに20℃馴化魚の速筋で高かったが、遅筋では全く発現がみられなかった。MyHCemb2遺伝子はコイ成体の速筋および遅筋のいずれにおいても発現が認められなかった。MyHCemb3mRNAは10℃〜30℃馴化コイ速筋および遅筋のいずれにおいても発現がみられたが、30℃馴化魚の遅筋での蓄積量はきわめてわずかであった。MyHCemb1、MyHCemb2、MyHCemb3のmRNAはいずれも心筋での発現は確認されなかった。なお、コイ成体の速筋型MyHCF10およびMyHCF30のmRNAは孵化後1ヶ月までは全く発現が確認されなかったことから、MyHCemb1、MyHCemb2、MyHCemb3はいずれも胚型ミオシン重鎖アイソフォームと判断された。MyHCS10 mRNAは10℃および20℃馴化魚の遅筋で発現し、MyHCS30 mRNAは10℃、20℃および30℃馴化魚のいずれにおいても発現がみられた。MyHCcard mRNAはコイ成体のすべての筋組織において発現しており、とくに心筋での蓄積量が高かった。

3.Eタンパク質E12のcDNAクローニングおよび筋分化における発現パターン

 ミオシン重鎖アイソフォームの発現調節には筋分化制御因子MyoDファミリーの関与が明らかにされているが、未だ不明な点が多く残されている。そこで、MyoDファミリーとヘテロ2量体を形成して筋特異的遺伝子の転写調節を行うEタンパク質E12をコイよりクローニングした。

 まず、コイ孵化仔魚より作製したfirst strand cDNAを鋳型とし、既報の他生物種Eタンパク質遺伝子の塩基配列を参考にプライマーを合成して3'RACEを行い、Eタンパク質E12の分子全体の約50%をコードするcDNA断片を得た。次に、5'RACEを行い、先のcDNA断片と合わせて全長2,507bpの塩基配列を決定した。このcDNAは586アミノ酸をコードしていた。演繹アミノ酸配列を既報のゼブラフィッシュ、アフリカツメガエルおよびヒトのものと比較したところ、81、47および41%のアミノ酸同一率が得られた。コイE12においてもMyoDファミリーと同様にbasic helix-loop-helix(bHLH)領域が存在し、この領域のアミノ酸同一率は約90%ときわめて高かった。したがって、コイE12もMyoDファミリーとHLH領域を介してヘテロ2量体を形成し、両者のbasic領域がDNAの特異配列に結合してミオシン重鎖遺伝子などの筋特異的遺伝子の転写を活性化することが示唆された。

 次に、コイE12をコードするcDNA断片をプローブとしてノザンブロット解析を行い、種々の発生段階における遺伝子発現パターンを調べた。その結果、E12mRNAは、測定に供した受精後30時間から孵化後7ケ月の試料まで一貫して高い蓄積量がみられた。この発現パターンの結果と既報のコイMyoDファミリーのそれとを合わせても、E12はMyoDファミリーと相互作用し、ミオシン重鎖遺伝子をはじめとする筋特異的遺伝子の転写調節に深く関与することが示唆された。

 以上、本研究により、コイにおける胚型、遅筋型および心筋型ミオシン重鎖アイソフオームの存在および筋分化過程におけるそれらの遺伝子発現パターンが明らかにされ、既報の速筋型ミオシン重鎖アイソフォームの遺伝子発現パターンとの相違が明確に示された。さらに、筋分化過程における関連転写因子E12の発現パターンが示されたもので、これらの成果は魚類の筋分化制御機構を解明する上で基礎的知見を与えるのみならず、比較生理生化学上にも資するところが大きいものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 高等脊椎動物では、筋肉を構成するミオシン重鎖(MyHC)には組織および発生段階特異的に発現する複数のアイソフォームが存在する。魚類では、コイが温度馴化に伴い、性状の異なる速筋型MyHCアイソフォームを発現することが明らかとされているが、胚発生時、成体の遅筋および心筋に特異的なアイソフォームの存在およびその消長については不明な点が多い。そこで本論文では、コイ筋分化機構の解明の一環として、コイ胚型、遅筋型および心筋型MyHCアイソフォームのcDNAクローニングを行い、筋分化過程における遺伝子発現の変化を調べた。さらに、MyoDファミリーとヘテロ2量体を形成して筋特異的遺伝子の転写調節を行うEタンパク質E12をコイよりクローニングし、筋分化に伴う発現パターンを調べた。

 まず、コイ孵化仔魚を対象にcDNAライブラリーからのスクリーニング、3'および5'RACEを行い、3種類のMyHCアイソフォーム、MyHCemb1、MyHCemb2およびMyHCemb3の全長をコードする塩基配列を決定した。次に、10℃、20℃および30℃に馴化させたコイ成体より遅筋および心筋を採取し、3'RACEを行った。その結果、10Cおよび30C馴化魚の遅筋より2種類のcDNAクローン、MyHCS10およびMyHCS30が、心筋より1種類のcDNAクローン、MyHCcardが得られた。以上6アイソフォームの演繹アミノ酸配列を、既報の速筋型アイソフォーム、MyHCF10およびMyHCF30とともに比較したところ、MyHCemb1、MyHCemb2、MyHCF10およびMyHCF30は88〜95%のアミノ酸同一率を示し、速筋型アイソフォームと判断された。一方、MyHCemb3、MyHCS10、MyHCS30およびMyHCcard間のそれは88〜96%で、これらは遅筋型アイソフォームと考えられた。

 次に、コイ筋分化過程における各MyHCアイソフォームの遺伝子発現パターンを調べるため、ノザンブロット解析を行った。その結果、MyHCemb1、MyHCemb2およびMyHCemb3のmRNAは、受精後61時間の心臓の鼓動開始時から発現がみられ、両mRNA蓄積量は孵化後1ヶ月まで増大を続けた。なお、MyHCemb1およびMyHCemb3のmRNAは孵化後7ケ月の稚魚でもわずかな発現がみられたが、MyHCemb2mRNAはこの段階の稚魚では確認できなかった。MyHCS10およびMyHCS30 mRNAはいずれも孵化直後の仔魚より発現がみられ、MyHCcard mRNAは受精後61時間から発現していた。次に、10℃、20℃および30℃馴化コイ成体における発現を速筋、遅筋および心筋に分けて解析したところ、MyHCemb1 mRNAは10℃および20℃馴化魚の速筋で発現していたが、遅筋では全く発現がみられなかった。MyHCemb2遺伝子はコイ成体の速筋および遅筋のいずれにおいても発現が認められなかった。MyHCemb3 mRNAは速筋および遅筋のいずれにおいても発現がみられた。なお、コイ成体の速筋型MyHCF10およびMyHCF30のmRNAは孵化後1ケ月までは全く発現が確認されなかったことから、MyHCemb1、MyHCemb2およびMyHCemb3は胚型MyHCアイソフォームと判断された。MyHCS10 mRNAは10℃および20℃馴化魚の遅筋で発現し、MyHCS30 mRNAは10℃、20℃および30℃馴化魚のいずれにおいても発現がみられた。MyHCcard mRNAは成魚のすべての筋組織において発現しており、とくに心筋での蓄積量が高かった。

 次に、コイ孵化仔魚を対象に3'および5'RACEを行い、E12全長の塩基配列を決定した。演繹アミノ酸配列を他生物種のものと比較したところ、コイE12においてもbasic helix-loop-helix領域が存在し、この領域のアミノ酸同一率は約90%ときわめて高かった。次に、ノザンブロット解析により、種々の発生段階におけるE12の遺伝子発現パターンを調べたところ、E12mRNAは、測定に供した受精後30時間から孵化後7ヶ月の試料まで一貫して高い蓄積量がみられた。この発現パターンの結果と既報のコイMyoDファミリーのそれとを合わせても、E12はMyoDファミリーと相互作用し、MyHC遺伝子をはじめとする筋特異的遺伝子の転写調節に深く関与することが示唆された。

 以上本論文は、コイ胚型、遅筋型および心筋型MyHCアイソフォームの存在および筋分化過程におけるそれらの遺伝子発現パターンを明らかにし、既報の速筋型MyHCアイソフォームの遺伝子発現パターンとの相違を明確に示した。さらに、筋分化過程における関連転写因子E12の発現パターンを示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク