学位論文要旨



No 118160
著者(漢字) 山内,視嗣
著者(英字)
著者(カナ) ヤマウチ,ミツグ
標題(和) ミトコンドリアゲノム分析に基づく十脚甲殻類の分子系統学的研究
標題(洋)
報告番号 118160
報告番号 甲18160
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2549号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 教授 小川,和夫
 東京大学 教授 西田,周平
 東京大学 助教授 小島,茂明
 国立科学博物館 研究部長 武田,正倫
内容要旨 要旨を表示する

 十脚目(Decapoda)は,その名の通り5対の胸脚をもつことによってまとめられた甲殻類(Crustacea)の一分類群であり,エビやカニ,ヤドカリなど人間にとってなじみの深い動物から構成される.これらの動物は,食用として世界的に重要な地位を占めることは言うまでもなく,きわめて多様性に富んでおり,およそ1,200属に含まれる10,000種が確認されている.十脚類を構成する根鰓亜目(クルマエビ類:Dendrobranchiata)と抱卵亜目(Pleocyemata)の二亜目は,十脚類内の二大系統として多くの研究者に認められており,前者は根鰓をもち,ノープリウス幼生期に孵化すること,後者は卵を腹肢に付着させて保育し,ノープリウス幼生期より後期で孵化することなどが,それぞれの特徴としてあげられる.しかし,種数でも十脚類の9割以上を占める抱卵亜目内8下目の関係に目を移すと,形態形質に基づく様々な系統仮説が提唱されているのが現状で,これまで一致した見解は得られていない.十脚類全体の系統関係を把握するためには,幅広い分類群を対象として,DNA塩基配列のような客観的なデータに基づく系統関係の構築が必要となってきている.

 そこで,本研究ではミトコンドリアDNA(mtDNA)全塩基配列分析に基づく分子系統学的手法を用い,十脚類の単系統性の検証や,十脚類内部の系統関係を明らかにすることを目的とした.これまで,十脚類ではウシエビ(Penaeus monodon)とホンヤドカリ属の一種(Pagurus longicarpus)の2種でmtDNA全塩基配列が決定されているが,従来のように塩基配列決定にクローニング技術を用いていたのでは,限られた時間の中で多くの種のmtDNA全塩基配列を決定することができない.そのため,まず,1)十脚類のmtDNA全塩基配列を迅速に決定するためのPCRを基本とした手法の確立を目指した.次に,2)その確立された手法を用いて,十脚類全体を幅広く代表するように選んだ33種の甲殻類のmtDNA全塩基配列を新たに決定した.そして,3)これらのデータに基づき十脚類ミトコンドリアゲノムの特徴を明らかにするとともに,十脚類の系統関係を解析した.

十脚類ミトコンドリアゲノム全塩基配列決定法の確立

 現在までに多くの動物のmtDNA全塩基配列が様々な手法により決定されてきたが,本研究では,ロングPCR法と十脚類汎用プライマーを用いて,迅速かつ簡便に十脚類のmtDNA全塩基配列を決定する手法を確立できた.まず,ロングPCR法を用いてmtDNA全周を3-4分割して増幅し,その産物を鋳型に両端からプライマーウォーキング法によって塩基配列を決定した.次いで,この方法で決定された十脚類3種を含む計5種の甲殻類mtDNA全塩基配列と,すでに発表されている他の甲殻類や昆虫類のmtDNAのデータをもとに,十脚類ミトコンドリアゲノムに対する約80個の汎用プライマーを作成した.そして,残りの28種に対しては,ロングPCR法で増幅されたmtDNA全周分の産物を鋳型に,これらの十脚類汎用プライマーを使ったPCRでmtDNA全体を約40個の短い断片として増幅し,それらのPCR産物を直接塩基配列決定法でシーケンスした.

十脚類ミトコンドリアゲノムの特徴

 調べた十脚類ミトコンドリアゲノムは,全長が15,271〜17,119bpの範囲にあり,後生動物一般にみられる13個のタンパク質遺伝子,22個のtRNA遺伝子,および2個のrRNA遺伝子をもっていた.また,調べた33種のうち,甲殻類と昆虫類に共通する典型的な遺伝子配置と異なる特異な遺伝子配置をもつものが18種いた.これらの遺伝子配置変動は,縦列重複とそれに続く遺伝子の欠失という過程で説明できるものが多かったが,3種では逆位型の配置変動がみられた.また,10種にみられたtRNALeu(CUN)遺伝子の逆位に関しては,反対の鎖にコードされるtRNALeu(UUR)遺伝子が縦列重複することによって,そのどちらか一方がtRNALeu(CUN)遺伝子の機能をもち,もとのtRNALeu(CUN)遺伝子が欠失するといった過程を経て生じたと推察された.それらは,オキアミ目,オトヒメエビ下目,アナジャコ下目,ならびにヤドカリ下目それぞれで独立に獲得されたと考えられた.

ミトコンドリアゲノム全塩基配列に基づく十脚類の系統解析

 本研究で対象となった33種は,過去の系統仮説や,各グループの単系統性を可能な限り検証できるように選定した種で,各亜目,各下目からは2種以上を選ぶことを基本とした.また上記の分析対象種には,十脚類の単系統性やその姉妹群を確かめるための外群(シャコ類1種と,オキアミ目2種,ならびにアンフィオニデス目1種)も含まれている.誤った系統関係を導くおそれのあったユメエビ(Lucifer typus)を除く上記の32種と,これまでにmtDNA全塩基配列が決定されている3種を加えた全35種のmtDNAデータから,13個のタンパク質遺伝子(第三座位を除く)と21個のtRNA遺伝子(tRNASer(ACN)遺伝子を除く),そして2個のrRNA遺伝子を抜き出し,計9,172塩基を解析に用いた.系統解析には,パラメーター数が多くより緻密な系統再構成が可能なGTR+1+Γモデルを用いた最尤法を採用し,系統樹の内部枝の信頼性はベイズ法から算出される事後確率で評価した.

 アンフィオニデス目Amphionidaceaの系統学的位置:透明なビニル袋のような変わった背甲をもつアンフィオニデスAmphionides reynaudiiは,以前からサクラエビ科やコエビ類に似た特徴が指摘されてきた.しかし,Williamson(1973)は,あまりにも十脚類と形態が異なるという理由から,これらの特徴は収斂進化の結果であるとして,十脚目やオキアミ目と独立した.A. reynaudii1種から成るアンフィオニデス目を創設した.

 十脚類の単系統性:上記のアンフィオニデス目の問題を除くと,十脚類が非単系統群であるとする研究はほとんどない.しかし逆に,十脚類が単系統であることを明確な証拠に基づいて示した研究も少ない.これは,鰓が背甲に格納され,胸部付属肢8対のうち,後ろの5対が鉗脚あるいは歩脚として発達するといった形質が,他の甲殻類と区別するためには直観的にわかりやすい共有派生形質であったことに起因していると考えられる.本研究において,図1に示したように十脚類が単系統であることが初めて分子系統学的に高い確率(100%)で支持された.これによって,十脚類内部の各分類群間の系統関係を本格的に検討することが可能になったといえる.

 十脚類内部の系統関係:本研究の結果,これまで形態学的な証拠からその存在が認められてきた根鰓亜目(クルマエビ類)と抱卵亜目の二大系統は姉妹群であり,それぞれ単系統群であることが高い確率(100%)で支持された(図1).それに加えて根鰓亜目では,tRNASer(AGN)遺伝子のアンチコドンが他の十脚類やオキアミ類と異なっており,これがこの類が単系統群であることを示す共有派生形質となることも判明した.抱卵亜目内では,オトヒメエビ下目はコエビ下目と姉妹群を形成し,それらと歩行類が姉妹群となることが明らかとなった.また,歩行類や,その他のいくつかの下目もその単系統性が強く支持された.これまでイセエビ下目に含まれていたセンジュエビ(Polycheles typholps)は,本系統樹ではこれまでの系統仮説と異なりザリガニ下目に含まれた.

 近年,提唱されたいくつかの系統仮説においても,十脚類の中ではクルマエビ類が最初に分岐するという認識は共通しており,この仮説は本研究でも支持された.一方,抱卵亜目内に関しては,これまでオトヒメエビ下目がどのグループと姉妹群を形成するかといった問題に集約されて議論されてきたが,本研究の結果はBurkenroad(1981)が提唱した系統仮説と一致した.しかし,その他の代替仮説と本研究で得られた系統関係間には,統計的な有意差はみられなかった.さらに本研究で扱うことができなかったプロカリス類は,形態学的にクルマエビ類やコエビ下目と類似し,その系統的位置が問題となっている.今後,これらを含めた解析が望まれる.

 歩行類の系統関係:歩行類には5下目が含まれるが,それぞれのグループの単系統性が問題視されてきたため,これまでの研究では歩行類全体を対象として内部の系統関係を論じることは少なかった.本研究の結果シャコでは,センジュエビがザリガニ下目に含まれたことを除くと,各下目の単系統性は強く支持された.イセエビ下目は歩行類の中では早くに分岐した一群であり,次いでザリガニ下目,アナジャコ下目と続いて分岐し,ヤドカリ下目とカニ下目が姉妹群の関係にあることが本研究から示唆された(図1).特に,アナジャコ下目やカニ下目に関しては,これまでの研究ではヤドカリ下目との形態的な類縁性が数多く指摘され,それぞれの単系統性についても疑問がもたれてきた.しかしこれら3下目には,塩基配列による系統解析の結果に加えて,各下目に固有のミトコンドリア遺伝子配置も発見され,これらが単系統群であることがさらに強く支持された.本研究は,mtDNA全塩基配列データが,その塩基配列をもとにした系統解析に有効なだけではなく,遺伝子配置情報という強力な系統推定の指標を提供しうることを示した.

図1 ミトコンドリアゲノム全塩基配列データに基づいて推定された十脚類を中心とする甲殻類35種の系統関係

ミトコンドリアゲノムの13個のタンパク質遺伝子(第3座位を除く),21個のtRNA遺伝子(tRNSer(AGN)を除く),2個のrRNA遺伝子から得られた9,172塩基を用い,GTR+I+Γモデルによって得られた最尤樹(-lnL=130,919.30)である.内部枝の数字はベイズ法で得られた事後確率(%)を示す.*を付した種のデータは国際DNAデータバンクから得た.

審査要旨 要旨を表示する

 十脚甲殻類は,重要な水圏資源生物であると同時に,その形態・生態が著しく多様であることから,甲殻類の中でも特に注目されるグループである.しかしその系統関係は,形態形質に基づく様々な系統仮説が提唱されてはいるものの,安定した結論が出ていないのが現状である.近年,系統関係の解明にDNAに刻まれた遺伝情報の解析が有用であることが明らかになり,十脚類の分子系統解析の試みも始まっているが,分析分類群数,分析塩基数のいずれの点からもまだ十分とは言えない.そうした中で,魚類などにおける高次分類群の系統関係の解明に有効であることが示されたミトコンドリアDNA(mtDNA)の全塩基配列データを用いた系統解析に着目し,多くの分類群を分析対象にして,十脚類の系統関係の解明を目指したのが,本研究である.

 論文は6章から成る.緒言を述べた第1章に続く第2章では,十脚類ミトコンドリアゲノムに対する約80個の汎用プライマーを作成し,これらとロングPCR法やネステッドPCRなどを用いて,迅速かつ簡便に十脚類のmtDNA全塩基配列を決定する手法を確立した.この手法により,新たに33種の十脚類mtDNA全塩基配列を決定した.第3章では,新たに調べられた33種についてのデータを基礎に,十脚類のミトコンドリアゲノムの特徴について整理した.すなわち,それは全長が15,271〜17,119bpの範囲にあり,後生動物全般に見られるのと同じ13個のタンパク質遺伝子,22個のtRNA遺伝子,および2個のrRNA遺伝子をもっていることを明らかにした.その上で,個々の遺伝子の特徴などを検討している.

 続く第4章では,上記mtDNA塩基配列データを基にした系統解析を行っている.この解析には,十脚類の既存の系統仮説や,各グループの単系統性を可能な限り検討できるように選定した全35種のmtDNAデータ(各9,172bp)を用いた.系統解析方法には,GTR+I+Γモデルを用いた最尤法を採用し,系統樹の内部枝の信頼性はベイズ法から算出される事後確率で評価した.その結果,センジュエビとアンフィオニデスAmphionides reynaudiiがこれまでの分類と整合性のない系統関係を示したことを除くと,これまでに設定されている各目,亜目,下目はそれぞれ単系統群を形成し,(オキアミ類(クルマエビ類((コエビ類+オトヒメエビ類)+(イセエビ類(ザリガニ類(アナジャコ類(カニ類+ヤドカリ類)))))))という系統関係が得られた.

 この系統樹では,これまで十脚類の外に位置すると考えられていたA. reynaudiiは,十脚類のなかのコエビ下目に含まれた.十脚類内の系統関係では,形態学的な証拠から従来その存在が認められてきた根鰓亜目(クルマエビ類)と抱卵亜目はそれぞれ単系統群であり,姉妹群関係にあることが示された.抱卵亜目内では,オトヒメエビ下目とコエビ下目が姉妹群を形成し,そのクレードは本研究で単系統群であることが示された「歩行類」(上記のイセエビ類からカニ類+ヤドカリ類までを含むグループ)と姉妹群となることが明らかとなった.歩行類の単系統性という点は,Burkenroad(1981)の提唱と整合的であり,歩行内部の関係については,Scholtz and Richter(1995)が形態形質を基に推定したところとかなり一致した.

 mtDNA全塩基配列決定からは,塩基配列データだけでなく,遺伝子配置に関する貴重な情報も得られる.第5章ではこの側面を検討した.その結果,オキアミ目,オトヒメエビ下目,アナジャコ下目,カニ下目,ならびにヤドカリ下目は,塩基配列を用いた系統解析から単系統群であることが明らかとなったが,これらのグループについてはそれに加えて,共有派生形質とみなせるmtDNA遺伝子のユニークな配置がみられることを明らかにした.さらに,上記各群に属する12種のtRNALeu(CUN)遺伝子は,甲殻類に典型的なmtゲノムとは逆の鎖にコードされているのみならず,その鎖上にある別のtRNALeu(UUR)とよく似た塩基配列を有しているという現象のあることを指摘した.これは,tRNALeu(UUR)遺伝子が縦列重複し,その片方がtRNALeu(CUN)遺伝子の機能をもつに至る一方,元のtRNALeu(CUN)遺伝子が消失するといった過程を経て生じたと推察している.最後に第6章の「総合考察」では,以上の研究結果を総括するとともに,今後の研究の展望を論じている.

 以上のように,本論文は,大量のmtDNA塩基配列データを自ら提出し,それに基づいて知見の不足していた十脚甲殻類のミトコンドリアゲノムの特徴を明らかにするとともに,十分に信頼できる分子系統関係を提示した.そしてこれを基礎に,これまで包括的に論じられることがなかった十脚類の系統関係について多くの重要な議論を行った.こうした知見と議論は,水圏の重要な生物群のひとつであるこの類の多様性の理解に向けての重要な貢献であると判断された.よって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた.

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