学位論文要旨



No 118161
著者(漢字) 山本,軍次
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,グンジ
標題(和) 日本産フナにおける変異と3倍体系統の生成に関する実験的・進化遺伝学的研究
標題(洋) Experimental and evolutionary genetic studies on intraspecific variation and genesis of triploid lineages in the crucian carp (Carassius auratus) in Japan
報告番号 118161
報告番号 甲18161
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2550号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 黒倉,壽
 国際基督教大学 準教授 小林,牧人
 国立科学博物館 研究室長 松浦,啓一
内容要旨 要旨を表示する

 脊椎動物の多くは両性生殖により遺伝的に多様な子孫を残すが、一部に単性の単為生殖をおこなうものも存在する。両性生殖の優勢な脊椎動物の中で単為生殖系統がどのようにして出現し、維持されているのかを明らかにすることは、両性生殖の意義を理解するためにも重要であると考えられる。これら単為生殖系統は一般に近縁種間の交雑にその起源があるとされている(Dawley 1989)。魚類においては3目4科7属から雌性生殖をおこなう系統が知られており、そのほとんどは近縁種間の交雑により起源したと考えられている(Vrijenhoek 1989)。

 このうち日本列島全域に広く分布しているギンブナCarassius auratus langsdorfiiは雌性生殖をおこなう3倍体の全雌集団よりなるとされている(小林1971)。この雌性生殖フナは生態や分布等の点から、これまで知られている他の単為生殖脊椎動物のような雑種起源か否かについては疑問点が残されており、雌性生殖フナの起源を明らかにすることは脊椎動物の単為生殖の進化について重要な知見を与えるものと思われる。そこで本研究では、日本産フナ属魚類における雌性生殖系統の進化的起源の解明を目的に分子集団遺伝学的な解析をおこなった。さらに、そこから得られた新たな仮説について実験的な検証を実施した。

日本産フナ属魚類の遺伝的変異と系統類縁関係

 雌性生殖ギンブナの進化的起源を解明するには、フナ属魚類内の系統類縁関係の知識が必須である。細谷(2000)によって提案された最新の分類では、日本産フナ属魚類は形態的特徴からいくつかの種あるいは亜種に区分されており、雌性生殖をおこなうギンブナはその一つとして位置づけられている。この体系に従って形態的に分類した日本産フナ属魚類全種(亜種)の標本を用いて系統解析をおこなった。すなわち、C. cuvieri(ゲンゴロウブナ)、C. auratus subsp. 1(ナガブナ)、C. a. subsp. 2(キンブナ)、C. a. grandoculis(ニゴロブナ)、C. a. buergeri(オオキンブナ)、C. a. langsdorfii(ギンブナ)、およびアジア大陸産フナ属魚類C. a. auratusとC. a. gibelioの標本をもちい、ミトコンドリアDNA(mtDNA)調節領域前半部約320塩基対の塩基配列を分析し、そのデータから母系の類縁関係の解明を試みた。日本産フナ属魚類の標本については、フローサイトメトリーにより正確に倍数性を判別した。また核ゲノム全域から広く遺伝的変異を抽出できるAFLP(Amplified Fragment Length Polymorphism)法による分析を実施し、その結果を基に系統解析をおこなって、mtDNAデータからの結果と比較した。

 mtDNA塩基配列データをもとにした近隣結合法および最節約法による系統解析の結果、全フナ属魚類は4つのサブグループ、A、B、CおよびDに分かれた。サブグループAおよびBはそれぞれゲンゴロウブナC. cuvieriおよびロシア産フナC. a. giberioだけから成り、サブグループCは中国産フナC. a. auratusと一部の日本産フナを含んでいた。サブグループDは日本産フナのほとんどの個体から構成された。形態的分類による日本産C. auratus各亜種は系統樹上でそれぞれ単系統にまとまらず、3倍体ギンブナも多系統となった(Templeton test、p<0.001)。AFLP分析の結果でもmtDNA分析の結果と同様に、日本産C. auratus各亜種は単系統にまとまらなかった。また3倍体ギンブナは、それぞれ同所的な2倍体個体と単系統群を形成する傾向があった。これらから日本産C. auratusの分類は系統関係を反映しておらず、再考の余地があることが示唆された。特に3倍体フナはギンブナとして独立の亜種(研究者によっては種)にされているが、異なる起源に由来する複数の系統を含んでいるとみてよいことが明らかになった。

日本産2倍体および3倍体フナの遺伝的関係と3倍体系統の起源

 日本産3倍体フナの起源を明らかにするため、日本全国のフナのより詳細な遺伝的比較をおこなった。全国16か所より2倍体と3倍体両方のC. auratusを採集し、先の分析と同じくmtDNA調節領域前半部約320塩基対の塩基配列データから両者の遺伝的な関係を調査した。

 467個体から得られた114の塩基配列型(ハプロタイプ)中34ハプロタイプ(29.3%)は、複数の採集地点に共通して出現した。また16地域のうち12か所(75%)で、同所的な2倍体と3倍体の間でmtDNAハプロ夕イプの共有が認められた。倍数性別に各地域標本間の遺伝距離を比較したところ、同所的な2倍体と3倍体の間の遺伝距離は0.0044〜0.0341(平均0.0173)であったのに対し、異所的3倍体間の遺伝距離は0.0114〜O.0553(平均0.0288)で、後者は統計的に有意に高い数値を示した(無作為化検定、p<0.001)。すなわち全国に生息する3倍体フナは同所的に生息する2倍体と近縁である傾向を示した。このことは3倍体フナが単一的に起源した後に分布を拡大したものではなく、むしろ多くの地域で2倍体有性生殖フナから派生したという見方を強く支持する。

実験的手法に基づく3倍体系統の生成についての検討

 3倍体系統が多起源的であり同所的2倍体集団ときわめて近縁であることから、3倍体系統が今日でも新しく生じていることが示唆される。この新たな考えを検証するため、実験的な手法で3倍体系統の起源の解明を試みた。本研究では、2倍体雌由来の非還元的2倍体卵が通常の半数体精子によって受精することにより3倍体系統が新たに生じているという仮説を立て、人工授精と孵化仔魚の倍数性を判定することによりその検証をおこなった。

 実験は2産卵期にわたり実行された。2001年度は3月〜7月に愛媛県重信川産1個体、長野県浦野川産1個体そして群馬県城沼産2個体の2倍体雌から卵を採取した。採取した卵はコイ精子により媒精され、自然条件下と同様の条件で孵化まで発生を進めさせた。また同時に数個体の3倍体雌からも採卵し、同様の実験をおこなった。孵化した仔魚の倍数性を、フローサイトメトリー法により、核内のDNA量を比較することでを判定した。その結果、全ての採集地点で非還元2倍体卵に由来するものと思われる仔魚が発生していることが明らかになった。また3倍体雌由来の仔魚からも異常な倍数性(4〜6倍体、異数体、モザイク倍数体等)が検出された。

 2002年度には試料の採集地点を長野県諏訪湖の1地点に限定し、5〜7月にかけて規模のより大きい実験を実施した。2倍体雌および3倍体雌各約20個体から採卵し、同産地の2倍体雄から採取した精子により媒精し、前年度と同様の手法にて仔魚の倍数性を調査した。その結果、2倍体雌からは22腹中15腹から非還元卵由来の3倍体およびモザイク倍数体等の仔魚が得られた。また一腹内の3倍体仔魚の比率は、ほとんどの親魚で10%以内であったが、1例のみ50個体中13個体(26%)の仔魚が3倍体である親魚が確認された。3倍体親では19腹中9腹から、前年度と同様各種の異常な倍数性の仔魚が得られた。3倍体雌由来仔魚においても一腹内の異常倍数性の比率はほとんどの個体で10%以内であったが、1腹のみ50個体中16個体(32%)に倍数性異常を起こした個体が確認された。以上の二期にわたる複数の地域での発生実験の結果から、多くの2倍体親が頻度の差こそあれ3倍体の仔魚を産みだしていること、高頻度で非還元卵を産む雌も存在すること、そしてそれは一部地域のみの現象ではなく広い範囲で起こっているであろうことが判明した。日本産フナにおける3倍体系統の多くが同所的な2倍体集団と遺伝的に近縁であるのは、この頻繁な3倍体の生成に起因すると思われる。また親魚が自らとは異なる倍数性を持つ仔魚を生み出すこの現象は、2倍体雌においてだけみられるのではなく、3倍体雌にも存在することが明らかになった。

 これまでに報告されてきた脊椎動物における雌性生殖系統は、異種間交雑にその起源があるとされている。日本産フナにおいて、3倍体個体が直接の異種間交雑を経ずに各地の2倍体から独立に生じるという今回の知見は、脊椎動物における単為生殖系統の進化について新たな問題を提起すると考えられる。雌性生殖系統は全個体が雌からなるので、短期的には両性生殖の2倍の増殖率を示すが、遺伝的に均質なクローン体であるため、変動する環境下では長期に存続できないと考えられている(Maynard-Smith 1989)。近年、単為生殖脊椎動物においても低いレベルでの遺伝子の組み換えや、精子由来の少量のDNAの混入の例が報告されている(Bogart 1989、Shartl et al. 1995、Alves et al. 1998)。2倍体から新たに生成した3倍体フナが成熟して雌性生殖をおこなうのであれば、フナの雌性生殖系統においては両性生殖集団から新たな系統が次々に加入してくることにより、その集団が安定的に維持されているものと考えられる。

 非還元卵に由来する倍数化現象は、他の魚類にも存在している可能性がある。雌性生殖3倍体が確認されたわけではないが、実際に非還元2倍体卵を生成する例が最近ドジョウMisgurnus anguillicaudatusで見いだされている(Arai et al., 2000、Morishima et al., 2002)。フナが2倍体非還元卵を産む生理学的・細胞学的機構や、あるいはその生成頻度を調節可能であるかどうかは、今後検証すべき問題である。また、2倍体から3倍体が生成されるだけでなく、3倍体から2倍体への遺伝的な寄与があるならば、フナは単為生殖世代と両性生殖世代を交代させる繁殖戦略を採っているという可能性さえ考え得るが、そのような現象は脊椎動物では全く知られておらず、その可能性の検討は非常に興味深い課題である。

審査要旨 要旨を表示する

 雌性生殖をおこなう3倍体のフナが日本列島全域に広く分布することが知られている。最近ではこれらをギンブナCarassius auratus langsdorfiiと呼ぶようになりつつあるが,このフナの実態はまだよく分かっていない。雌と雄が存在する(つまり性が存在する)のが通常である脊椎動物の中にあって,通常すべてが雌であるこのギンブナはユニークな存在であり,その起源と維持機構を明らかにすることは,性の存在理由という基本的な生物学的問題を解く手がかりを提供することにつながろう。本論文には,そのような展望のもとに,日本産フナの雌性生殖系統の進化的起源の解明を目的にして,分子集団遺伝学的解析および人為交配を通じた実験的解析を実施し,その結果を取りまとめたものである。

 論文は5章からなっている。まず緒言で背景と課題を明らかにしたあと,第2章で,日本産フナ属魚類全体の分類と遺伝的・系統的関係との関連性について解析している。日本産フナ属魚類は現在,形態的特徴から2種に区分され,そのうちの1種に5つの亜種があるとされており,雌性生殖をおこなうギンブナはそのうちの1亜種と位置づけられている。形態的に分類した日本産フナ属魚類全種(亜種)の標本を対象に,ミトコンドリアDNA(mtDNA)調節領域前半部320塩基対の塩基配列を分析し,そのデータから母系の類縁関係を調べた。試料となった標本の倍数性はフローサイトメトリーないし血球サイズ測定によって判定した。その結果,全フナ属魚類は4つのサブグループに分かれ,ゲンゴロウブナC. cuvieriの独自性は支持されたが,その他の日本産C. auratus各亜種は系統樹上でそれぞれ単系統にまとまらず,3倍体のギンブナも多系統となった(Templeton test, p<0.001)。核ゲノムから見た遺伝的・系統関係を探るため,核ゲノム全域から広く遺伝的変異を抽出できるAFLP(Amplified Fragment Length Polymorphism)法による分析を実施したところ,mtDNA分析の結果と同様に日本産C. auratus各亜種は単系統にはまとまらないことが明らかになった。

 そこで第3章では,従来の分類にとらわれず,全国16か所より2倍体と3倍体両方のC. auratusを採集し,mtDNA塩基配列データ(各320塩基対)をもとに詳細な遺伝的比較をおこなった。467個体を分析した結果,114の塩基配列型が得られたが,16地域のうち12か所(75%)で,同所的な2倍体と3倍体の間で塩基配列型の共有が認められた。同所的な2倍体と3倍体の間の遺伝距離は平均0,017であったのに対し,異所的3倍体間は平均0.0288で,後者の方が統計的にも有意に高い数値を示した。この結果は,全国に生息する3倍体フナは,3倍体同士よりも同所的に生息する2倍体に近縁であるという傾向があることを示している。これに基づき,3倍体フナが一度起源した後に分布を拡大したものではなく,むしろ多くの地域で2倍体有性生殖フナから派生したという見方が導かれることを論じている。

 以上の結果に基づき,3倍体系統が今日でも新しく生じているという作業仮説を立て,この新たな考えを検証しようとしたのが第4章である。この仮説は,2倍体雌由来の非還元的2倍体卵が通常の半数体精子によって受精することにより3倍体系統が新たに生じているとするもので,人工授精によって生じる孵化仔魚の倍数性を逐一判定することによりその検証をおこなっている。実験は2産卵期にわたり実行された。2001年度は愛媛県重信川,長野県浦野川,および群馬県城沼産2倍体雌から卵を採取し,媒精後,孵化まで発生を進めさせた。孵化した仔魚の倍数性はフローサイトメトリーにより判定した。その結果,全ての採集地点で非還元2倍体卵に由来すると思われる仔魚が発生していることが明らかになった。そこで2002年度には,3倍体を生じる2倍体雌の割合や,一腹における3倍体仔魚の割合を明らかにするため,試料の採集地点を長野県諏訪湖に限定し,より規模の大きい実験を実施した。2倍体雌22個体から採卵し,同地の2倍体雄から採取した精子により媒精し,前年度と同様の手法にて一腹あたり50個体の仔魚の倍数性を調査した。その結果,2倍体雌22個体中15個体から非還元卵由来と考えられる3倍体仔魚が得られた。また一腹内の3倍体仔魚の比率は,ほとんどの親魚で10%以内であったが,20%近い親魚も確認された。以上の2期にわたる複数の地域での実験の結果,多くの2倍体親が頻度の差こそあれ3倍体の仔魚を産み出していること,そしてそれは一部地域のみの現象ではなく広く各地で起こっている現象であることを解明した。

 以上の結果を踏まえて,第5章では総合的な考察を試みている。これまでに報告されてきた脊椎動物における雌性生殖系統は,異種間交雑にその起源があるとされている。今回の結果は,日本産フナにおいては,3倍体個体が直接の異種間交雑を経ずに各地の2倍体から独立に生じていることを明らかにしており,この知見は,脊椎動物における単為生殖系統の進化について新たな問題を提起することを指摘している。雌性生殖系統は全個体が雌からなるので,短期的には両性生殖の2倍の増殖率を示すが,遺伝的に均質なクローン体を形成するため,変動する環境下では長期に存続できないと考えられている。しかし,3倍体雌性生殖フナは全国に広く安定的に分布している。本研究が明らかにした2倍体から新たに生じた3倍体フナが成熟して雌性生殖をおこなうのであれば,フナの雌性生殖系統においては両性生殖集団から新たな系統が次々に加入してくることになるので,その結果,3倍体フナ集団が安定的に維持されている可能性のあることを論じている。

 以上のように,本論文は,広範囲の採集に基づく規模の大きなDNA分析を行うとともに,そこから導き出されたユニークな仮説を実験的に検討して,フナにおいてはもとより脊椎動物全体においてもこれまでまったく知られていなかった新しい現象の存在を解明するという大きな成果を挙げている。この成果はさらに,他の脊椎動物においてこのような現象が本当に見られないのかどうか,非還元卵を産む生理学的・細胞学的機構はどのようなものか,そのような卵の産生割合を環境条件に応じて親が調節可能であるかどうか等,様々な興味深い課題を提起するもので,当該分野に重要な貢献をなすものと判断された。よって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク