学位論文要旨



No 118164
著者(漢字) ハギ,ユリア スゲハ
著者(英字) Hagi,Yulia Sugeha
著者(カナ) ハギ,ユリア スゲハ
標題(和) インドネシア水域における熱帯ウナギAnguilla marmorataの生活史
標題(洋) Life History of Tropical Eel Anguilla marmorata in the Indonesian Waters
報告番号 118164
報告番号 甲18164
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2553号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 黒倉,壽
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 白木原,國雄
内容要旨 要旨を表示する

 ウナギ属魚類Anguilla spp.(以下,ウナギ)は熱帯を中心に,世界に広く分布し,その特異な回遊生態は古くから多くの研究者の注目を集めてきた.また,食資源動物としても重要で,日本では年間13万トンもの消費がある.しかし,近年シラスウナギの採捕量は,太平洋,大西洋ともに減少傾向にある.ウナギ資源の保全と持続的利用を図るためには,ウナギの生活史や産卵回遊生態に関する基礎研究が急務である.これまでウナギの研究は温帯ウナギを中心に進んできており,熱帯ウナギに関するものは限られている.

 熱帯ウナギの代表ともいえるAnguilla marmorata(オオウナギ)は,インド洋から東太平洋に至るウナギの中で最も広い分布域をもつ.しかし本種の生活史はほとんどわかっておらず,成長,成熟,性比などの基本的な生物学的情報すら得られていない.

 そこで本研究では,ウナギの分布中心ともいえるインドネシアに調査定点を設け,5年間に亘ってA.marmorataの生態調査を行い,本種の生活史の全発育段階について生物学的基礎知見を広く集積することを目的とした.

第1章レプトケファルス

 海洋におけるA.marmorataのレプトケファルスの分布と成長について検討した.2000年1-3月に東京大学海洋研究所研究船白鳳丸で太平洋西部海域とセレベス(スラウェシ)・スールー海を,また2001年5月にはインドネシア科学院研究船バルナジャヤVIIでスラウェシ島周辺海域を調査し,IKMTネット(目合0.5-1.0mm)によりウナギ属レプトケファルスの採集を試みた.太平洋西部海域からウナギ属レプトケファルス4種7個体(全長28.0-47.0mm)が,またスラウェシ島周辺海域から5種60個体(8.5-50.7mm)が採集された.これらは形態による種査定が困難であるため,ミトコンドリアDNA16SrRNA遺伝子領域(以下16SrRNA)の部分塩基配列(500塩基)を決定し,既報の配列と比較することにより種査定を行った.その結果,得られた標本の内訳は,A.marmorataが13個体(28.0-50.7mm),A.celebesensisが41個体(12.3-47.8mm),A.borneensisが3個体(8.5-35.4mm),A.interiorisが1個体(48.9mm),A.bicolor pacificaが7個体(31.3-49.2mm),A.obscuraが1個体(36.7mm),A.australisが1個体(47.0mm)であることがわかった.A.marmorataは他の種に比べて比較的大きな個体が採集され,西部太平洋からスラウェシ島周辺のマッカサル海峡,トミニ湾,セレベス海と広く出現した.一方,A.borneensisとA.celebesensisは,孵化後2週間前後と推定される全長10mm前後の小型個体が採集され,前者についてはセレベス海に,後者についてはセレベス海とトミニ湾にそれぞれ産卵場があるものと推察された.走査電子顕微鏡を用いてA.marmorataレプトケファルス10個体の耳石を解析したところ,日齢は54-87日(平均67.4)であることがわかった.これらの孵化日は,太平洋の標本で11月,インドネシア周辺海域の標本では3月であると推定された.また,本種の平均成長率は0.58mm/day(範囲0.43-0.77)と推定され,A.japonicaの成長率と変わらなかった.なお,マッカサル海峡で採集された変態中の個体は,日齢147日の12月生まれの個体であることもわかった.

第2章シラスウナギ

 1997年1月から2001年12月の5年間に亘り,スラウェシ島北部ポイガル川河口の砕波帯で定期的にシラスウナギの接岸生態調査を行った.手網を用いて,原則として毎月1回新月の夜間にシラスウナギの採集を行ったところ,計54,788尾の標本を得た.この他スラウェシ島中部のポソ川河口においても接岸したシラスウナギの採集を行い,計525尾を得た.PCR-RFLP法により,背鰭始部と肛門位置の間の脊椎骨数が14以上の個体はA.marmorata,6-12のものはA.celebesensis,4以下のものはA.bicolor pacificaと判別してよいことがわかったので,これに基づいて標本の種判別を行った.その結果,ポイガル川では全調査期間に計17,338個体のA.marmorataが出現したと推定された.これらの全長は平均50.3mm,体重は0.16gで,体サイズには年,月それぞれで変異が認められた.ポイガル川のA.marmorataは5年間に亘り,ほぼ周年出現したが,ポソ川では1999年9-11月および2000年には7-11月に接岸の空白期が認められた.また,ポイガル川におけるA.marmorataの採集尾数は,年(226-6,023尾)と月(0-4,327尾)によって大きく変動した.A.marmorataの接岸は夜間に限られ,月齢でみると採捕尾数のほとんどが新月の日に集中していた.ポイガル川で採集したA.marmorata284尾(全長46.0-56.5mm)のうち39尾とポソ川(139尾,46.0-57.0mm)のうち32尾の平均接岸日齢はそれぞれ151.2日(範囲140-165)と153.2日(117-203)で,差はなかった.ポイガル川のA.marmorataシラスウナギの孵化日組成をみると,周年産卵していることが明らかになった.一方,ポソ川の標本の孵化日組成には空白期があり,1999年4-5月と2000年2-5月には孵化はなかったものと推定された.

第3章黄ウナギ

 A.marmorataの淡水生活期に関する生物学的情報を得るため,2000年から2002年にインドネシア・スラウェシ島北部の5地点(マララヤン,カラセイ,モヨンコタ,コマンガアン,ポイガル)と中部のポソ川1点で,電気ショッカーによって黄ウナギを採集した.その結果,計186個体のウナギを得た.これらを,従来の形態学的知見と16SrRNAのPCR-RFLP法に基づく簡易種査定法によって,A.marmorata154個体(北部:85個体,ポソ川:69個体)とその他のウナギ(32個体)に分類した.A.marmorataの全長は105-650mmの範囲で,平均は312.7mm,体重は1.8-700gの範囲で,平均80.1gであった.このうち1個体しか採集されなかったMalalayangを除き,採集地別に比較したところ,Kalasey(全長386.4±110.3mm,体重163.1±127.7g,n=16)の標本は,他の採集地のものに比べて大きい傾向が見られた.耳石により年齢査定を行ったところ,得られたA.marmorataは2-7歳の範囲で,平均3.5歳(SD=1.1)であった.また,採集地別にみると,Kalasey(3.9±1.4歳,n=14),MoyongKota(3.4±1.1,n=36)および中部のポソ川(3.7±1.1,n=65)で他地点より有意に高齢の個体が得られた.成長率は,北部の採集地間では差がなく,いずれもポソ川より有意に大きいことがわかった.北部の標本について生殖腺の肉眼的観察から性判別をしたところ,雌12個体,雄37個体,不明もしくは未分化36個体であった.

第4章銀ウナギ

 2000年12月20日から2002年2月28日まで,スラウェシ島中部のポソ湖から流出するポソ川で簗により漁獲される銀ウナギの採集個体数と重量を調べた.2000年11月,2001年4月,8月および2002年3月には,簗により計55個体を採集し,生物学的特性を調べた.また,ポソ湖からポソ川への移行域でヤスもしくは延縄により採集した13個体も解析に用いた.標本は,上述の簡易種査定法によって分類した.簗で漁獲されたウナギの降河個体数は,調査期間の14ヶ月の間に合計1,981個体に達し,12月から7月の雨期から乾期の前半にかけて多く出現し,乾期の後半から雨期の始めの8月から11月には降河しないか極めて少ないことがわかった.このことは,2章で示されたポソ川河口へ接岸するシラスウナギの産卵期が3ヶ月程度の空白期間を持つこととよく一致した.降河個体数は,晴天時に比べ降雨時に有意に多いが,月齢とは無関係であった.簗の位置とそれぞれの採捕量の関係から,ウナギの降河回遊は,時期に関わりなく常に河川中央部の最も深い部分を通って降河する傾向が認められた.

 採集した68個体の銀ウナギは,A.marmorata37個体(全長700-1,725mm,体重900-14,200g),A.celebesensis20個体(605-925mm,500-2,000g),A.interioris3個体(698-930mm,545-1,600g),および遺伝的な解析ができなかった8個体(810-1,410mm,1,500-9,900g)であった.また得られた標本は,性別不明の3個体を除き全て雌で,体色と生殖腺指数(GSI)から判断して全て成熟を開始した銀ウナギであると判断された.GSIを種別にみると,A.marmorataが平均2.7±1.1(範囲0-4.5)であったのに対し,A.celebesensisは7.9±1.2(6.1-10.4),A.interiorisは7.6と9.4(1個体は不明)で,後者2者はA.marmorataに比べて明らかに成熟が進んでいると考えられた.同所的にポソ湖に住み,同時に産卵回遊を始めたこれら3種のウナギのGSIが大きく異なることは,それぞれの産卵場までの距離が大きく離れていることを示唆している.1章のレプトケファルスの結果から,例えばA.celebesensisはポソ川が注ぐトミニ湾に,A.marmorataはトミニ湾外のさらに遠くの海域に産卵場を持つ可能性が考えられた.Eye Indexは,A.marmorataで11.9±2.3,A.celebesensisで10.9±1.4,A.interiorisで10.2,13.6,13.8であった.A.marmorataではEye IndexとGSIの間に正の相関があったが,A.celebesensisではなかった.A.marmorata(n=9)の孕卵数は,全長980-1,725mm,体重2,400-13,500gの個体で,3,480万から1億9,290万粒の範囲にあり,平均9,440万粒であった.

 以上本研究では,これまでほとんど知見のなかった熱帯ウナギのA.marmorataにおいて,その生活史のすべての発育段階についてそれぞれの生物学的基礎情報を詳細に記述した.その結果,周年産卵,若齢接岸,短距離の回遊など,これまでの温帯ウナギの生物学的常識を覆す新知見が数多く得られた.今後は,本研究で完全には解明できなかった熱帯ウナギの産卵場の問題について研究を進める必要がある.

審査要旨 要旨を表示する

 ウナギ属魚類Anguilla spp.(以下、ウナギ)は、その特異な回遊生態と食資源動物としての重要性のため、古くから多くの研究者の興味の対象となってきた。しかしながら、これまでの研究は温帯ウナギを中心に行われ、熱帯ウナギに関するものは極めて限られている。本研究は、熱帯ウナギの代表ともいえるAnguilla marmorata(オオウナギ)を対象として、インドネシアを中心に5年間の生態調査を行い、本種の全生活史について広く生物学的基礎知見を集積したものである。

 緒言に続く第1章では、海洋におけるA.marmorataの仔魚の分布と成長について検討した。インドネシア周辺海域で2回の調査航海を行い、計67個体のウナギ仔魚を採集した。これらは形態による分類が不可能であるため、ミトコンドリアDNAによる種査定を行ったところ、A.marmorata13個体、A.celebesensis41個体、A.borneensis3個体、A.interioris1個体、A.bicolor pacifica7個体、A.obscura1個体、A.australis1個体であることが明らかとなった。これらの多くはインドネシア周辺海域からの初記載となった。A.marmorataは、体長28.0-50.7mmの比較的大きなサイズで、調査海域全体に広く出現したのに対し、A.borneensisとA.celebesensisは、全長10mm前後の小型個体がそれぞれセレベス海、およびセレベス海とトミニ湾で採集され、これらの海域に各々の産卵場があるものと推察された。また耳石解析の結果、A.marmorataのレプトケファルス期の平均成長率は0.58mm/dayと推定された。

 第2章では、スラウェシ島北部のポイガル川河口で5年間に亘るシラスウナギの接岸生態調査を行ない、計54,788尾の標本を得た。その結果、A.marmorataのシラスウナギの全長と体重は、年および月によって変動することが明らかになった。また、ポイガル川のA.marmorataはほぼ周年接岸するのに対し、スラウェシ島中部のポソ川ではおよそ9-11月頃に接岸の空白期が認められた。ポイガル川で採集したA.marmorataとポソ川の個体を比較したところ、平均接岸日齢に差は認められなかったが、孵化日組成では、ポイガル川のシラスウナギが周年ふ化しているのに対し、ポソ川では4-5月にふ化の空白期があることが示された。

 第3章では、スラウェシ島北部の5地点と中部のポソ川において黄ウナギを採集し、それらの生物学的情報を収集した。A.marmorataの黄ウナギは、河川のみならず、池、湿地、水田排水路など様々なタイプのハビタートに出現し、そのいずれにおいても他種のウナギより優占していた。A.marmorataの黄ウナギの体長は105-650mm(平均312.7mm)、体重1.8-700g(平均80.1g)で、年齢は2-7歳(平均3.9歳)の範囲にあった。

 第4章では、スラウェシ島中部のポソ川の簗を用いて熱帯ウナギの降河回遊生態を調査した。ウナギの降河回遊個体は12月から7月に至る雨期から乾期の前半にかけて多く出現し、8月から11月には全く降河しないか極めて少ないことがわかった。採集した68個体について解剖学的検討を行ったところ、A.marmorataのGSI(生殖腺重量/体重)は平均2.7±1.1であったのに対し、A.celebesensisのそれは7.9±1.2、A.interiorisでは7.6と9.4で、後2者はA.marmorataより明らかに成熟が進んでいることがわかった。また、A.marmorataの孕卵数は、体重2.4-13.5kgの個体で、3,480万から1億9,290万粒の範囲と推定された。ポソ湖に同所的に生息し、同時に産卵回遊を始めた熱帯ウナギ3種のGSIが大きく異なることは、それぞれの産卵場までの距離が大きく異なることを示唆する。海洋における仔魚の分布と合わせて考察し、A.celebesensisはポソ川が注ぐトミニ湾に、A.marmorataはトミニ湾外のさらに遠くの海域に産卵場があるものと考えた。

 以上本研究では、A.marmorataの生活史について初めてその全発育段階を詳細に記述することに成功している。これによって、周年産卵、若齢接岸、短距離の産卵回遊など、これまでの温帯ウナギについて構築された生物学的常識を覆す新知見を数多く得ている。これらは、ウナギの進化や大産卵回遊の成立過程の解明に大きな示唆を与えるばかりでなく、熱帯域の多くの国々で食資源として利用されているウナギの資源管理と保全に重要な基礎情報を提供するものである。従って、本研究は水産科学、海洋科学の発展に大きく貢献し、学術上、応用上寄与するところが少なくないと判断されたので、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた。

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