学位論文要旨



No 118165
著者(漢字) 兪,俊宅
著者(英字)
著者(カナ) ユー,ジュンテク
標題(和) 黒潮の離接岸変動に伴う沿岸域の海況変化とそのシラス漁況への影響
標題(洋) Effect of onshore-offshore shifts of the Kuroshio axis on the oceanic condition and shirasu fishery in the Pacific coast of Japan
報告番号 118165
報告番号 甲18165
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2554号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 助教授 小松,輝久
 東京大学 助教授 木村,伸吾
 長崎大学 教授 中田,英昭
内容要旨 要旨を表示する

 イワシ類のシラスは黒潮沿岸域の重要な漁業資源のひとつである。しかし、年間の漁獲量を左右する春漁期のシラス漁獲量は経年的に大きく変動しており、漁況を予測するための科学的基礎を確立することが求められている。この漁況変動の要因の一つとして、沖合を流れる黒潮流路の離接岸が重要な係わりを持つと考えられるが、これについてはこれまで断片的な報告がいくつかあるにすぎず、その影響の程度やプロセスの詳細はまだ明確にされていない。そこで本研究では、マイワシにかわって1990年代以降高水準にあるカタクチイワシのシラスを主な対象にして、黒潮の離接岸変動が沿岸域のシラス漁況に及ぼす影響のプロセスを、(1)沿岸域の海況とシラスの餌料環境(プランクトン量)の変化、および、(2)シラス漁場周辺海域における卵・仔魚の輸送と沿岸漁場へのシラス来遊量の変化の2つの側面から検討した。

 黒潮の離接岸が黒潮沿岸域の海況とプランクトン量に及ぼす影響については、まずシラス漁獲量や生物・物理環境に関する既存のデータが蓄積されている遠州灘西部海域をとりあげ、黒潮の離接岸に伴う海況とプランクトン量の変動の実態と、それらがカタクチイワシシラス漁況に及ぼす影響について解析した。次に、遠州灘と同じく太平洋の黒潮沿岸域に位置する土佐湾と外房海域におけるプランクトン量の変動について同様の解析をし、遠州灘のケースとの比較を行った。さらに、以上のデータ解析によって重要性が明らかになってきた黒潮の離接岸に伴う沿岸域への黒潮系水の移流の大きさの変化がプランクトン量に及ぼす影響を定量的に検証するため、生態系モデルを用いて各海域の一次生産に関する解析を行った。

 また、黒潮の離接岸に伴う沿岸域へのカタクチイワシ卵・仔魚の輸送量と、沿岸漁場へのシラス来遊量の変化がシラス漁況に及ぼす影響について、日々のシラス漁獲量データが入手できる遠州灘の沿岸漁場を対象にして、既往資料の解析と数値実験による検討を行った。

 研究成果の大要は、以下の通りである。

I.沿岸域の海況とプランクトン量の変動およびそのシラス漁況への影響

I-1.遠州灘におけるケース・スタディー

1)遠州灘周辺の沿岸潮位の変化から、黒潮の離接岸変動に伴う遠州灘への黒潮系水の流入状況の年々の変動を推定し、それがシラスの餌料環境の指標とした動物プランクトンの生物量に及ぼす影響を調べた。その結果、黒潮が潮岬沖で離岸し三宅島に接岸する傾向が強いほど、遠州灘東方からの黒潮系水の沿岸域への流入が強まること、そのため沿岸水の滞留時間が減少し、プランクトン量が減少することが分かった。

2)遠州灘におけるカタクチイワシのシラス漁況の変動要因に関する多変量解析の結果から、上記のような海況変化が、シラス漁況に大きな影響を与えていることが分かった。

3)マイワシシラス漁況についてカタクチイワシと同様の解析を行った結果、マイワシシラスはカタクチイワシの場合と異なり、黒潮系水の沿岸域への流入が強い年ほど漁獲量が増加することが分かった。これは、黒潮上流のマイワシ産卵場からのシラスの補給がマイワシシラス漁況に大きな影響を及ぼしていることを示唆している。

I-2.土佐湾・外房海域との比較研究

1)プランクトン量に影響を及ぼす環境要因として、黒潮の離岸距離、河川流量、日射量および瓜速を説明変数として用い、重回帰分析によりプランクトン量の変動に対するこれらの要因の寄与の程度を調べた。その結果、土佐湾と外務海域においても、遠州灘西部海域と同様に黒潮の離接岸変動に伴う黒潮系水の流入の強さがプランクトン量を変化させる最も重要な要因となっていることが分かった。

2)外房海域では、黒潮の離接岸変動の影響が場所によって異なることを考慮して、水漏データのEOF解析で得られたモードをもとに、沿岸側と沖合側のそれぞれについて、プランクトン量の変動要因を調べた。その結果、沿岸側の・プランクトン量の変動には、黒潮系水の沿岸域への流入の指標とした黒潮離岸距離だけが有意に相関しているのに対して、沖合側では、それに加えて気象条件と河川からの栄養塩の供給量が影響していることが示唆された。

I-3.生態モデルによるプランクトン量の経年変動の検証

 黒潮系水の流入に伴う移流と、拡散、河川からの栄養塩の供給量の3要素を考慮した生態系モデルを用いて、土佐湾、遠州灘西部海域および外房海域の一次生産に対するそれぞれの寄与の程度を調べた。その結果、これら3つの要因を考慮したモデルによって各海域のプランクトン量の経年変動を説明することができること、とくに黒潮系水の流入による移流の大きさの変化が、いずれの海域においてもプランクトン量の経年変動を規定する最も重要な要因となっており、移流の増大に伴いプランクトン量が減少することが定量的に示された。

II.沿岸漁場への卵・仔魚の輸送量とそのシラス漁況への影響

II-1.卵・仔魚の沿岸域への輸送量の経年変動

 遠州灘西部海域の沿岸側(200m以浅)と沖合側(200m以深)の両海域で採集されたカタクチイワシの卵の数(1995-2000年、各年3-5月)と、その期間の舞阪の潮位から推定した黒潮系水の流入に伴う西向きの移流速度を用いて、沖合から沿岸への卵の輸送量を見積り、カタクチイワシシラス漁獲量との関係を調べた。

 その結果、両者の間には有意な正の相関(r=0.83)が見られることが分かった。すなわち、卵が主に沿岸側に分布していた年(1995年と1998年)には、採集された卵の数は他の年よりも多いにもかかわらずシラス漁獲量は逆に少なく、これは沖合からの黒潮系水の移流によって沿岸域の卵の多くが流出したためと推測された。一方、沖合で採集された卵数の割合が最も高かった年(1996年)には、卵の総数が解析した期間で最も少なかったにもかかわらず、沿岸側への流入により漁獲量が最も多かった。このことは、卵の分布と黒潮系水の移流の大きさによって決まる卵の輸送量が、沿岸漁場におけるシラス漁況の年々変動に大きな影響を及ぼしていることを示している。

II-2.シラスの沿岸漁場への来遊量の短期変動

1)沿岸漁場へのシラス来遊量の変動に、流れと仔魚の能動的な移動がどの程度関与しているかを調べるため、卵・怪魚が流れによって完全に受動的に輸送される場合と、好漁場がしばしば形成される塩分フロントに向かって仔魚が能動的に移動する効果をそれに加えた場合の両ケースについて、カタクチイワシ卵・仔熊の輸送に関する数値実験を行った。流れが全体的に弱く岸向きであった1996年の場合、シラスが沿岸漁場に来遊する確率は基本的には流れ場の変動に依存しているが、塩分フロントヘのシラスの集群効果を加えた場合、漁場におけるシラスの滞留日数が増加することが分かった。

2)しかし、流れが西向きで著しく強かった1995年の場合には、塩分フロントヘのシラスの集群効果を加えても黒潮系水の移流の卓越により、数日のうちにシラスが漁場から流出することが示された。これらは、遠州灘におけるシラス漁況の短期変動に関する舞阪の潮位変化(黒潮系水の流入に伴う西向きの移流の大きさの指標)との相互相関分析の結果とほぼ一致している。

 以上、本研究は、これまで黒潮沿岸域のイワシ類シラス漁場の海況やシラス漁況の変動と密接な係わりを持つことが示唆されておりながら、実証的な知見が乏しかった黒潮流路の離接岸変動の影響について、既存の海況・漁況データの総合的な解析と数値実験による検討を加えた。とくに、黒潮の離接岸に伴う黒潮系水の沿岸域への移流の大きさの変化が、沿岸域のプランクトン量と卵・仔魚の沿岸域への輸送量の変動を引き起こし、シラス漁況に大きな影響を及ぼしていることを明らかにした。本研究の成果は、沿岸の潮位変化や黒潮流路変・動などの海況情報にもとづいて、沿岸域におけるシラス漁況変動を予測する手法を確立する上で大きく貢献するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 イワシ類のシラスは黒潮沿岸域の重要な漁業資源のひとつである。しかし、年間の漁獲量を左右する春漁期のシラス漁獲量は経年的に大きく変動している。その要因の一つとして、沖合を流れる黒潮流路の離接岸が重要な係わりを持つと考えられるが、その影響の程度やプロセスの詳細についてはまだ明確にされていない。そこで本研究では、(1)沿岸域の海況とシラスの餌料環境(プランクトン量)の変化、および、(2)シラス漁場周辺海域におけるカタクチイワシ卵、仔魚の輸送と沿岸漁場へのシラス来遊量の変化を2つの側面から検討した。

 研究成果の大要は、以下の通りである。

I.沿岸域の海況とプランクトン量の変動およびそれらのシラス漁況への影響

 黒潮流路が潮岬沖で離岸し伊豆海嶺上で三宅島に接岸するほど、遠州灘東方からの黒潮系水の沿岸域への流入が強まり、その結果、プランクトン量が多い沿岸水の滞留時間が減少して、プランクトン量とカタクチシラスの漁獲量の減少に大きな影響を与えている。一方、マイワシシラスはカタクチシラスの場合と異なり、黒潮系水の沿岸域への流入が強い年ほど黒潮上流のマイワシ産卵場からのシラスの補給が多くなり、漁獲量が増加する。また、土佐湾と外房海域においても、遠州灘西部海域と同様に黒潮の離接岸変動に伴う黒潮系水の流入の強さがプランクトン量を変化させる最も重要な要因となっていることが分かった。

 次に、黒潮系水の流入に伴う移流と、拡散、および河川からの栄養塩類の供給量の3要素を考慮した生態系モデルを用いて、プランクトン量の経年変動過程の検証を行った。その結果、これらの3つの要因を考慮した生態系モデルによって、各海域のプランクトン量の経年変動を説明することができること、とくに黒潮系水の流入による移流の大きさの変化が、いずれの海域においても、プランクトン量の経年変動を規定する最も重要な要因となっており、移流の増大に伴ってプランクトン量が減少することが定量的に示された。

II.沿岸漁場周辺における卵・仔魚の輸送量とそのシラス漁況への影響

 遠州灘西部海域において、沖合から沿岸への卵の輸送量および逸散量を見積もり、カタクチシラス漁獲量との関係を調べた結果、卵が沿岸寄りに分布していた年には採集された卵数が他の年よりも多いにもかかわらずシラスの漁獲量が少なかった。これは、沖合からの黒潮系水の移流により沿岸域の卵の多くが漁場域から流出したためであり、卵の分布と黒潮系水の移流の大きさによって決まる卵の輸送量が、沿岸漁場におけるシラス漁況の経年変動に大きな影響を及ぼしていること等が具体的かつ定量的に示された。

 次に、沿岸漁場へのシラス来遊量の変動に、流れと仔魚の能動的な移動がどの程度関与しているかを調べるための数値実験を行った。その結果、シラスの塩分フロントヘの集群効果を加えると、流れが弱い場合には漁場におけるシラスの滞留日数が増加すること等が示された。

 以上、本研究は、これまで黒潮沿岸域のイワシ類シラス漁場の海況やシラス漁況の変動と密接な係わりが示唆されておりながら、実証的な知見が乏しかった黒潮流路の離接岸変動の影響について、既存の海況・漁況データおよびプランクトン等の総合的な統計解析と数値実験による検討を加えた。とくに、黒潮の離接岸に伴う黒潮系水の沿岸域への移流の大きさの変化が、沿岸域のプランクトン量と卵・仔魚の沿岸域への輸送量の変動を引き起こし、シラス漁況に大きな影響を及ぼしていることを明らかにした。本研究の成果は、沿岸の潮位変化や黒潮流路変動などの海況情報にもとづいて、沿岸域におけるシラス漁況変動を予測する手法を確立する上で大きく貢献するものと考えられる。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として十分に価値あるものと認めた。

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