学位論文要旨



No 118166
著者(漢字) シャナ スームロ サディク
著者(英字) Shana Soomro Sadiq
著者(カナ) シャナ スームロ サディク
標題(和) インド電力産業のロス及び非効率に関する産業組織論的研究
標題(洋) Loss and Inefficiency in India's Electricity Sector : An Application of Industrial Organization Theory
報告番号 118166
報告番号 甲18166
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2555号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 教授 岩本,純明
 東京大学 教授 木南,章
 東京大学 助教授 中嶋,康博
 東京大学 助教授 芋生,健司
内容要旨 要旨を表示する

 本論文の目的は、インド電力産業のロスと非効率の原因を探ることである。盗電と汚職が電力産業のロス全体に影響を及ぼしているとするならば、インド電力産業の改革において優先されるべきは、価格の是正ではなく、盗電の抑制であるというのが筆者の立論である。

 筆者の仮説によれば、盗電の結果として慢性的でパターン化されたロスは、通常の料金よりも割引かれた低料金の非合法市場の存在を示している。経済理論が示すように、危険回避的な消費者は、不正行為の露見と懲罰のリスクが差し迫っており、なおかつ非常に高いと感じる限り、非合法市場からの財の購入を控えようとするだろう。しかし、もしそのようなリスクをうまく管理できるとみるならば、合法市場の価格上昇は、かえって非合法市場の活動を増大させてしまう結果に陥る。

 第2章では、国家電力局(state electricity boards)の事業、特に料金の設定に関して、政治的な干渉を許容している要因に細心の注意を払いながら、産業の構造と法的な枠組みについて議論している。数十年の誤った管理と非効率の結果、電力の供給義務を負う19の国家電力局が赤字に悩まされている。これは、電力容量の増加と電力需要の増大に対処する方法を模索している国家と連邦政府にとって深刻な結果である。

 続く第3章と第4章では、送電網の周波数の水準を考慮した上で、事業家に自家発電もしくは製品生産を制限するインセンティブを与えることを目的とした新しい価格システム、Availability Based Tariff(利用可能性価格)に焦点を当てながら、送電に関わる産業の構造について述べている。地域間のやりくりが十分行われないことで、ある地域に過剰に電気が封じ込められると、より効率的な状況下で得られたであろう量よりも少ない電力しか供給されない。電力不足地域では利用できる電力供給よりも需要の方が大きく、電力過剰地域では電気が十分に使用されないために、周波数と電圧の変動によって送電網の安全な操作が危険にさらされている。このような変動は、電力の最終消費者に対して、本来ならば除去しうる電力供給停止コストを負わせる原因になっている。

 価格設定は、消費を促進もしくは抑制するために政策立案者が用いる需要サイドの管理手法として重要である。政治的ないしは厚生上の配慮などの理由から、インドの電力料金体系は限界費用価格には基づいていない。そこで第5章ではまず、料金体系が適切にデザインされないことそれ自体が、非効率と収入のロスの原因になることをめぐって、価格設定に関する文献を検討している。

 インドの電力部門を論じる際に避けて通れない問題は政治的な干渉である。政治家は効率的な価格設定のまえに立ちはだかり、国家電力局が需要サイドの管理によって電力の過剰消費を抑制することを困難にしている。5章では、この点を明らかにするために、とくにパンジャブ州の事例に言及しながら、政治家が票と引き換えに、農家の電力ユーザーに無料の電気を公約することを通じて、電力料金の設定に干渉してきた実態に関する研究を示している。

 さらに価格体系については、内部補助の役割を見過ごしてしまっては議論が完結しない。内部補助は、それが可能である限り、問題を抱えたシステムをそのまま存続させる行動を助長してきた。内部補助のある価格体系の設定によって、電力消費が過剰に刺激され、資源の浪費がもたらされた。その結果、供給コストと回収された収益のギャップが広がって、公益事業体の赤字を増大させてしまったのである。

 一般に価格体系の適正化が電力部門における改革の第一歩として理解されているが、より明白なロスの原因が盗電と汚職である点を考慮すると、価格に関する定説は、もっぱら料金の改定に焦点をあてているという意味で近視眼的に過ぎる。そこで第6章では、デリーに電力を独占的に供給しているDelhi Vidyat Boardの事例研究を通じて、公益事業体の行動を観察した。まず、デリーのユーザーの概要と産業の構造を概観し、その後発電と送電の段階における配分非効率と技術的非効率の源泉を明らかにしている。電力の特性、すなわち不可触性、代替可能性、電力消費の即時性、比較的盗電が簡単であること等一に留意することが重要である。

 デリーに投入される電力の50%が料金を回収できていない。筆者は、このロスには二つの異なる段階からなることを明らかにした。すなわち、第一の段階として、電気料金を請求できるエネルギーの約6割については実際に請求書が送られており、第二段階として、請求書が送られたうちの約9割については料金が回収されている。このことから、集金の効率性は高いが、料金請求書発行の効率性は極端に低いと言える。請求書の発行は、職員の行動に依存しているので、ロスの原因は職員に関係しているのではないかとの問いを立てることは自然である。

 全体のロスの大部分が、盗電と汚職によることを想定すれば、基本的な問題は以下のとおりである。つまり、どのような方法で盗電と汚職が行われるかである。第6章では、盗電行動が個人で独立に行われるその理由と、汚職が賄賂と引き換えに進んで"ルールを曲げる"職員と結びついているその理由の2つを区別した。そして、汚職行動は盗電行動の延長線上にあることを示したうえで、盗電と汚職のカテゴリー区分を提案した。

 第7章では、盗電行動や汚職に関与するという選択が、個々の主体のリスク評価に依存していることを示すために、不正の露見と懲罰のリスクという相互に関係する変数からなる選択マトリックスを作成した。さらに、盗電と汚職のタイプによって異なる消費者余剰の範囲が、異なる消費の限界費用から導かれている。例えば、頭上の電線から直接盗電するユーザーは賄賂を支払うユーザーよりも多くの消費者余剰を受け取っている。盗電と汚職に関与しているユーザーは、正直に料金を支払っているユーザーよりも裕福な階層に属している。

 さらに、不正の露見と懲罰という同じ二つの変数を用いて、汚職に関与した職員の動機を評価した。許可書の発行や新しい送電設備の架設にさいして1回限りの賄賂を追い求めるような状況、つまり汚職に関与した職員の告発といったかたちで、ユーザー側が賄賂の支払を拒否する"対抗的な行動"を引き起こすような状況とは異なって、常習で反復的な汚職が存在するときには、不正の露見のリスクは最小限になる。なぜならば、電力消費を過小報告する妥結点を見出すならば、ユーザーと腐敗した職員の双方にとって利益が生じるからである。

 加えて、職員は労働組合の独占力を拠り所に、不正に対する罰則のリスクを巧みに管理している。賃金は公益事業体の権限の及ばない制度のもとで設定され、しかも、産業労働法がほとんど完全に雇用を保障しているため、職員はストライキや電力供給停止の脅しを用いることで、組合の独占力をパワーアップし、汚職をめぐる懲罰リスクを抑制しているのである。

審査要旨 要旨を表示する

 電力は一国の産業と国民生活の基盤である。とりわけ開発途上国の経済発展にとって、その効率的な供給は欠くべからざる必要条件である。ところが多くの途上国において、電力産業は慢性的な非効率に頭を痛めている。本研究はインドの電力産業を対象に、供給の非効率の実態とその構造的な要因を、産業組織論のフレームワークのもとで解明したものである。

 第1章では、途上国の電力産業の非効率をめぐる研究がレビューされる。既往の研究の多くは先進国の経験に依拠しており、おしなべて価格体系の歪みの是正という処方箋を提出している。これに対して申請者は、直接の盗電と料金の賦課をめぐる汚職が収入ロスの主要な源泉であり、その要因分析を先行すべきであるとの仮説を提示する。第2章は予備的な分析作業にあてられる。インドの電力産業の市場構造と法制度的なフレームワークの特徴を吟味するとともに、過去から現在に至る劣悪な財務の状況が、性質の異なるいくつかのロスに起因していることを提示する。

 第3章では、送電に関わる技術的なロスが分析される。ひとつの因子は、地域間の送電網整備の遅れであり、過剰地域から不足地域への送電が滞っている点である。もうひとつの要因は、過大な電力需要によって引き起こされる周波数や電圧の変動と停電である。これらはしばしば、ユーザー側の受電機器や電気製品の破損という二次的なロスを伴っている。同時に、過大な電力需要が価格体系に起因していることも示唆された。

 そこで第4章では、インド電力産業の価格体系の問題点を吟味している。まず第1に、著しく低いレベルに設定された農業用や家庭用の電力料金が、過剰な需要につながっている。例えば、パンジャブ州の灌漑ポンプ用電力は事実上自由財である。第2に、優遇料金は他方で産業用電力の高価格によってある程度相殺されているが、こうした内部補助方式は、産業ユーザーを自家発電等の代替電源に追いやることで、電力産業のサイズの縮小に結びつく。そして第3に、こうした価格設定の歪みが、電力産業に対する政治家の干渉によって増幅されていることが明らかにされた。

 非効率に関する各種のデータの詳細な分析によれば、以上の技術的なロスや価格設定上の問題はあるものの、電力産業の収入損失をもたらしている最大の要因は盗電であり、汚職である。著者はデリー電力ボードを研究対象として、詳細な現地調査と各種の内部情報の収集を通じて、盗電と汚職の実態把握と要因分析を行った。デリーでは、本来の収入の5割に及ぶロスが確認されている。

 第5章では、プリンシパル・エージェントの理論モデルを援用しながら、盗電と汚職の概念区分を提示する。このうち盗電の典型的な方法を示したうえで、電力の特性である不可視性、分離供給の困難、消費の即時性があるため、盗電が技術的に容易であることを指摘する。また、ユーザーのタイプごとに摘発のリスクや、利得と懲罰の大きさを考慮することで、盗電と汚職のあいだ選択について、実際の行動をよく説明する理論フレームを提示した。

 第6章では、料金徴収をめぐる汚職の代表的なパターンを整理し、あわせて摘発のリスクを最小化するという意味において、労働組合が重大な機能を果たしていることが指摘される。この機能の源泉は、労働組合の独占性であり、大きな権能を与えている法制度にある。とくに、ユーザー側が賄賂を拒否する可能性の高い一回限りの不正ではなく、常習的で反復的な不正に関して、労働組合による「リスク管理行動」が効果的であることが明らかにされた。

 以上を要するに、本論文はインドを事例に、電力産業の非効率の主要な源泉である盗電と汚職の実態と要因について、産業組織論のフレームワークに基づいて分析している。この種の問題はかねてより知られていたものの、申請者の研究ほどに体系的な分析は存在しなかった。そのうえで申請者は、インド電力産業の改革において優先されるべきは価格体系の是正ではなく、盗電と汚職の効果的な抑制手段の開発であることを、高い説得力をもって提示した。このように、本論文によって得られた成果は学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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