学位論文要旨



No 118167
著者(漢字) ファン パオ ズウォン
著者(英字) Pham Bao Duong
著者(カナ) ファン パオ ズウォン
標題(和) ベトナム農村金融の成果に関する計量経済学的研究
標題(洋) The Progress of Rural Finance in Vietnam : Achievements and Remaining Issues
報告番号 118167
報告番号 甲18167
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2556号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 教授 岩本,純明
 東京大学 助教授 齋藤,勝宏
 東京大学 助教授 木南,章
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、ベトナム国家銀行や農業銀行の業務資料、フィールド調査で得られた農家経済資料等を使って、ベトナム農村金融の成果を包括的に分析するものである。ミクロの分析ではTobit分析、Probit modelおよびswitching regression等の計量的手法が使われている。

 ベトナムでは1986年のドイモイ政策以降、農業分野、金融分野でいくつかの重要な改革がなされた。かつての計画経済的な手法は放棄され、農家が生産その他の基本的な単位であることが正式に認められた。土地の利用権証書も配分され、その利用権の売買、譲渡、担保利用等が認められることとなった。販売、生産資材の流通についても大幅な規制緩和がなされた。農民の生産意欲は解放され、生産拡大・所得上昇への機運が高まった。しかしインセンチブの付与だけで生産の増加、所得の改善が果たされたわけではない。農業・農村の発展のためにはなによりも資金が必要である。1990年代の初頭から本格的に業務を開始したベトナム農業銀行は、そのような農業・農村発展のための資金をいわば上から供給する任務を帯びていたのである。

 しかし、近年世界を席巻してきている金融自由化論の論調は、そのような供給主導型の農業金融政策がしばしば失敗し、当初の目的を遂げることができないことを主張している。フィリピンやパキスタン等の国々では、ほとんどの原資は政府なり中央銀行に仰ぎ、貯蓄を資金源とする金融機関が少ない。融資の利率は市場利子率よりも低く、しかもこの優遇された低利資金は、農村の裕福な層にかすめ取られてしまう。更に資金返済率をみれば、これは国によって違うことはもちろんであるが、時には非常に深刻で、金融の持続が不可能な状態になっていることが起こる。総じて供給主導型といわれる農村金融戦略は失敗したケースが多いのである。したがって、農村金融に関する世界の論調を見れば、補助付き融資批判の合唱とともに、政府主導の農村金融戦略に対する批判的見解が跋扈してきているのもそれなりの背景があるといわざるをえないであろう。

 さてベトナムの供給主導型農村金融の帰結はどうであったのだろうか。また農村金融の展開はベトナムの農業にどういうインパクトを与えたのであろうか。あるいはインフォーマルな金融がなお大きな比重をもつ中で、フォーマル金融の資金配分はどうなされたのであろうか。本論文のテーマはこういった問いに答えることにあるのだが、同時に、これらの答えを準備する中で、金融自由化論の主張に対する反論を提出することもできるであろう。つまり、ベトナムを事例として、その反論を準備することもこの論文の目的である。一定の社会経済的な条件のもとで、供給主導型の農村金融戦略も機能しうるのである。

 第1章で、論文のテーマの説明、既存文献の整理を行ったあと、第2章ではベトナムの農村金融システムが叙述される。ここでまず、ベトナム農村金融の特徴はインフォーマルな金融とフォーマルな金融の両者が併存する二重構造的なものであることが示される。ただし農村におけるフォーマルな金融機関の伸張は著しく、中でもベトナム農業銀行(VBA)、ベトナム貧困者銀行(VBP)のプレゼンスは次第に大きくなってきている。両行ともに国営商業銀行であるが、政策的な支援のもとで作られた金融機関という色彩をもつ。ただし前者は、預金利率、貸出利率ともに市場利率をベースにしたものを適用しており、民間銀行に近いが、後者はいわゆる補助付き低利資金を貧困者向けに融資している。他方で、協同組合型の金融機関である人民信用基金(PCF)も存在するがまだその比重は低い。

 第3章では、マクロデータおよび金融機関の業務統計をつかって、主に農業銀行のパフォーマンスが検討される。パフォーマンスは、貢献度と持続性というふたつの視点からなされる。貸出の伸び、顧客の数の伸びが貢献度を示す指標である。顧客の数はいわゆる資金のアウトリーチを近似するものである。他方、持続性の指標は、預貯金獲得の伸び、資金回収、資金仲介費用の水準からなり、これらの数値の動きがチェックされることとなる。ベトナム農業銀行の場合、貸出はここ10年ほど二桁で伸びており、顧客の数も伸張している。預貯金の伸びも著しく、貸出原資のほとんどを預貯金でまかなえる態勢が整ってきている。ただし預金のほとんどは都市で動員されたものである。資金回収には、業務データの信頼性、ないしベトナムの会計基準が国際標準を満たしていないことからくる問題点がある。凍結負債、リスケの問題もあり慎重にならざるをえないが、フィールド調査の結果等を総合的に判定して、回収パフォーマンスは悪くないと考える。資金仲介費用も年々縮小しており、資金仲介の効率性は増加したと判定される。これらの検討から、ベトナム農業銀行の1990年代の動きが概ね「成功」であったと帰結される。

 第4章では、フィールド調査からえられた農家経済データから、ベトナム農村金融の問題点、特色等が指摘される。フィールド調査は1997年に、ニンビン省(北部紅河デルタ)、クァンガイ省(中部沿海地域)、およびアンザン省(南部メコンデルタ)で実施されたものである。ここでまず第1に、金融の地域間格差がきわめて大きいことが指摘される。同じ100戸ずつの農家が調査されたにもかかわらず、農業銀行から融資を受けた農家は、北から23戸、2戸、65戸となっている。第2に、農村における貯蓄動員の不足(資金の都市から農村への流れ)、第3に、村の役職層に偏った融資、そして第4に、貧困者向け融資の一律配分等の問題点が示される。同時に、ベトナム農村金融における大衆組織の役割が大きいことが指摘される。婦人会、農民会等の大衆組織が、借入者の選別、手続きの代行、債務の回収等において大きな役割をもっていることがあきらかとなった。そして、前章での分析とあわせて総合的に検討した結果、ベトナムの行政組織・金融組織のもつ制度能力、インフレの克服・為替の安定等のマクロ経済の落ち着き、ベトナム農村における投資機会の多さ、村落組織の強力な下支えといった、ベトナム農村金融「成功」の諸要因が指摘される。

 これらの分析を踏まえて、続く諸章では、需要サイドから農家の資金需要なりミクロレベルでの金融機関貸出行動が計量経済学的に分析される。

 第5章は資金需要側の行動を、Tobit回帰モデルを使用して計量経済学的に分析したものである。データは前章で言及された農家調査の結果である。分析結果として、フォーマル金融の融資は耕種、畜産等の生産に向かっており、消費用資金にはインフォーマルな資金が使われていることが判明した。また時にはインフォーマルな信用は生産用に使われていることもあり、総じてインフォーマルな金融のフォーマル金融補完的な役割が明らかになった。

 第6章は、貸手の信用制限的な行動を、Probit分析によってあきらかにしたものである。フィールド調査の結果によれば約36%が信用制限を受けているが、Probit分析の結果、村の中で評判の高い農家は信用制限をあまり受けていないこと、信用制限を受けている家計は従属世帯員数が多いこと、また借入希望額の多い農家は制限を受けやすいことが判明した。

 第7章は、信用供与の農家経済への影響を、switching regression modelを使って分析したものである。信用の制約下にある農家では、農地面積、従属世帯員数が生産物供給を決める要因であるが、ここで信用が重要変数として加わってくることに注意しなければならない。すなわち、信用の制約下にある家計は最適生産および最適消費の決定を行うことができないのである。まだ不十分であろうが、ベトナムでは、信用の制約を少しずつ取り払うことにより、農業生産を刺激することに成功したといえよう。

 さて結論を述べると以下のようになる。ベトナムの農村金融の展開は供給主導型であるが、これはベトナムで一定の成功を遂げ、農業・農村の発展にも寄与した。つまりは条件が適合すれば、いわゆる政策融資も成功することが可能であることを教えてくれているのである。ベトナムの場合、その条件とは、農村金融が比較的に市場機構の中で動いてきたこと、そして農村組織の全面的なサポートを受けていたことである。政府の役割を最小限にしか認めない金融自由化論者の見解は極端にすぎるといわざるをえないであろう。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ベトナム国家銀行や農業銀行の業務資料、フィールド調査で得られた農家経済資料等を使って、ドイモイ以降のベトナム農村金融の成果を包括的に分析したものである。ミクロの分析ではTobit分析、Probit modelおよびswitching regression等の計量的手法が使われている。

 ベトナムでは1986年のドイモイ政策以降、多くの分野で重要な改革がなされた。計画経済的な手法は放棄され、農家が生産の基本的な単位であることが正式に認められた。土地利用権証書も配分され、その譲渡、売買等が許されることとなった。販売、生産資材の流通についても大幅な規制緩和がなされた。農民の生産意欲は解放され、生産拡大・所得上昇への機運が高まった。しかしインセンチブの付与だけで生産の増加、所得の改善が果たされたわけではない。農業・農村の発展のためにはなによりも資金が必要である。1990年代の初頭から本格的に業務を開始したベトナム農業銀行は、そのような農業・農村発展のための資金をいわば上から供給する任務を帯びていたのである。

 しかし、近年世界を席巻してきている金融自由化論の論調は、そのような供給主導型の農業金融政策がしばしば失敗し、当初の目的を遂げることができないことを主張している。フィリピンやパキスタン等の国々での農業政策金融の成果は惨憺たるものであり、金融の持続が不可能という状態が生じた。総じて供給主導型といわれる農村金融戦略は失敗したケースが多く、そのことを踏まえて、補助付き融資批判の合唱とともに、政府主導の農村金融戦略に対する批判的見解が跋扈してきている。

 さてベトナムの供給主導型農村金融の帰結はどうであったのか。またそれはベトナムの農業にどういうインパクトを与えたのであろうか。あるいはインフォーマルな金融がなお大きな比重をもつ中で、フォーマル金融の資金配分はどうなされたのであろうか。本論文のテーマはこういった問いに答えることにある。同時に、金融自由化論の主張に対する反論を提出することも試みられている。

 第1章で、論文のテーマの説明、既存文献の整理を行ったあと、第2章ではベトナムの農村金融システムが叙述される。ここでまず、ベトナム農村金融の特徴はインフォーマルな金融とフォーマルな金融の両者が併存する二重構造的なものであることが示される。ただし農村におけるフォーマルな金融機関の伸張は著しく、中でもベトナム農業銀行(VBA)、ベトナム貧困者銀行(VBP)のプレゼンスは次第に大きくなってきている。

 第3章では、主に農業銀行のパフォーマンスが検討されている。パフォーマンスは、貢献度と持続性というふたつの視点からなされている。貸出の伸び、顧客の数の伸びが貢献度を示す指標である。他方、持続性の指標は、預貯金獲得の伸び、資金回収、資金仲介費用の水準からなり、これらの数値の動きがチェックされている。ベトナム農業銀行の場合、貸出はここ10年ほど年二桁の率で伸びていること、預貯金の伸びも著しく、貸出原資のほとんどを預貯金でまかなえる態勢が整ってきたことが指摘されている。また資金回収には、業務データの信頼性、ないしベトナムの会計基準が国際標準を満たしていないことからくる問題点が言及されながらも、フィールド調査の結果等を総合的に判定して、回収パフォーマンスは悪くないと判定されている。これらの検討から、ベトナム農業銀行の1990年代の動きが概ね「成功」であったとしている。

 第4章では、フィールド調査からえられた農家経済データから、ベトナム農村金融の問題点、特色等が指摘される。フィールド調査は1997年に、北部紅河デルタ、中部沿海地域、南部メコンデルタの3カ所で実施されたものである。ここで、金融の地域間格差、農村における貯蓄動員の不足(資金の都市から農村への流れ)、村の役職層に偏った融資、貧困者向け融資の一律配分等の問題点が示されている。同時に、ベトナム農村金融における大衆組織の役割が大きいことが指摘されている。そして、前章での分析とあわせて総合的に検討した結果、ベトナムの行政組織・金融組織のもつ制度能力、マクロ経済の安定化、村落組織の強力な下支えといった、ベトナム農村金融「成功」の諸要因が提出されている。

 第5章は資金需要側の行動を、Tobit回帰モデルを使用して計量経済学的に分析したものである。分析の結果、フォーマル金融の融資は耕種、畜産等の生産に向かっており、消費用資金にはインフォーマルな資金が使われていること、また時にはインフォーマルな信用は生産用に使われていることもあり、総じてインフォーマルな金融のフォーマル金融補完的な役割が明らかにされた。

 第6章は、貸手の信用制限的な行動にProbit分析を適用したものである。フィールド調査の結果によれば約36%が信用制限を受けているが、Probit分析の結果、村の中で評判の高い農家は信用制限をあまり受けていないこと、信用制限を受けている家計は従属世帯員数が多いこと、また借入希望額の多い農家は制限を受けやすいことを検証した。

 第7章は、信用供与の農家経済への影響を、switching regression modelを使って分析したものである。量的にはまだ不十分であろうが、ベトナムでは、信用の制約を少しずつ取り払うことにより、農業生産を刺激することに成功したことが示された。

 以上本論文は、ベトナムの農村金融の展開を詳細に検討しながら、社会経済的条件が適合すれば、いわゆる政策融資も成功することが可能であることを明らかにしたもので、学術上政策応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が、博士(農学)として十分に価値のあるものと認めた。

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