学位論文要旨



No 118177
著者(漢字) 平野,陽子
著者(英字)
著者(カナ) ヒラノ,ヨウコ
標題(和) 荒壁構成材料の選別基準に関する実験的研究
標題(洋)
報告番号 118177
報告番号 甲18177
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2566号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 有馬,孝礼
 東京大学 教授 太田,正光
 東京大学 助教授 信田,聡
 東京大学 助教授 安藤,直人
 東京大学 助教授 佐藤,雅俊
内容要旨 要旨を表示する

[1章]緒言

 木舞下地土壁構法は日本において広く採用されてきた伝統的建築構法であったが、住宅建設に対して効率を求めるようになった風潮の中で、新建材の普及に反比例して減少し、それを継承する大工、左官工も激減した。しかし近年、住宅に対する要求に健康や安全というキーワードが浮上したことや建設廃棄物が大きな社会問題となったことから、自然素材のみを使用している土壁は再び注目を集めている。

 一方で、土壁は自然素材を使用しているため工業製品を使用した他の構法と異なり、性能を明確にすることが非常に困難とされている。そのため、構造・防火の面で建築基準法上の評価は著しく低抑えられており、土壁の復活を妨げる一要因となっている。自然素材を利用する以上、同一の材料を入手し続けることは極めて困難で現実的ではない。そのため、土壁を再び日本の建築構法として位置付けるためには、性能を左右する材料の選択基準を明確にし、新しく入手する際の簡便な評価方法を確立する必要がある。

[2章]本論文の構成

 本研究では土壁の木舞下地および荒壁部分について、建築面から求められる耐久性と構造性能を対象とし、材料選別基準とその評価方法を検討した。耐久性を左右する材料としては木舞を構成する竹が挙げられる。竹は靭性、強度ともに優れた材料であるが、カビ、虫害、腐朽等の生物的劣化には弱いとされている。そこで、3章、4章では竹材の耐久性について検討した。ここでは、土壁に求められている健康と安全という面を重視し、薬剤処理を施した竹材については対象としていない。構造性能を左右する材料である荒壁土については、5章から7章において構造性能を中心に試験方法の提案を行い、材料特性から構造体としての性能を推測する手法を検討した。

[3章]伐採時期が竹材の水溶性物質含有率と平衡含水率に及ぼす影響

 竹材の生物的劣化には単糖類の含有量が影響し、含有量には秋から冬にかけて減少するという周期が存在すると言われていた。そこで本章では、単糖類が4割から6割を占める水溶性物質量について、山口県産のモウソウチクとマダケ、大分県産のマダケを対象に1年間の季節変動を測定した。その結果、水溶性成分量の季節変動には共通する周期は認められなかった。

 ただし、カビの発生に関係する平衡含水率については夏から秋にかけて低くなるという共通する傾向が認められた。平衡含水率を低下させるためには、煮沸処理により水溶性成分を抽出することが効果的であるが、煮沸処理後の材にも平衡含水率の季節変動の傾向は残存した。しかし、2%塩酸溶液に浸漬した材では平衡含水率か10〜6%程度まで激減し、季節変動の傾向は打ち消されたため、希塩酸処理にて溶出する成分が竹材の平衡含水率の季節変動を支配していることが示唆された。また、最大・最小の平衡含水率を示した伐採時期の煮沸処理材と未処理材についてカビ耐性試験を行った結果、煮沸処理材におけるカビの発生が著しく抑制された。

[4章]伐採時期がマダケの水溶性物質およびデンプン量に及ぼす影響

 京都府産と香川県産のマダケについて、8ヶ月間のカビ耐性試験を行った結果、夏から秋にかけて伐採された試料のカビの発生が抑制されることが確認され、平衡含水率の季節変動の傾向と一致した。また、水溶性成分量とカビによる質量減少との間には相関関係が認められた。

 本章で使用した試料について、ヨウ素ヨウ化カリウム溶液によりデンプンを染色して観察したところ、既往の研究で指摘されていた通り、発筍前に徐々に蓄積され発筍直後に激減する様子確認されたが、夏から秋にかけてもわずかな増減が観察された。そこで、デンプン粒の増加量と該当月の水溶性成分量との関係を確認したところ相関関係が、竹の同化作用が盛んな時期に水溶性物質量が増加していることが示唆された。

 以上のことから、生物劣化に対して耐久性のある竹材の選別は、デンプン量と水溶性成分量を確認することで可能となることが明らかとなった。デンプン量と平衡含水率には明確なリズムを持った季節変動が認められたものの例外は存在し、水溶性成分においてはデンプンの増減幅に対応しているため、耐久性の高い材を得るには伝統的に行われてきた最適伐採時期を遵守する方法だけでは不充分であると言える。また、伝承における最適伐採時期は9月下旬から12月下旬とされているが、本研究では8月から9月末が最適伐採時期となった。伝承には竹材の加工、保管時の環境、労働力の確保といった面からの評価が加味されていると考えられ、これらの要素を排除可能な現代の竹材生産においては、別の指標を設定することが現実的であると言える。

[5章]荒壁土の曲げ・圧縮試験方法の検討

 現在、壁土の材料試験方法は存在しない。そこで本章では、セメント物理試験方法(JISR5201)を参考に曲げ・圧縮試験方法の提案を行うため、試験結果に影響を与える可能性のある項目について検討を行った。その結果、打ち込み時の含水率が変動しても密度、材料強度には影響を与えないこと、試験時の含水率は材料強度に大きな影響を及ぼし、特に"わらすさ"を含まない試験体ではその影響が顕著であることが明らかとなった。また、圧縮強度には練り置き期間による影響が比較的大きいことが示唆された。

[6章]壁土の練り置き期間に生じる変化が材料特性に与える影響

 荒壁土の良否のひとつに、練り置き期間の長さが存在する。左官職人の間では、練り置き期間を十分に確保することにより、耐水性、凍結融解に対する耐性等が向上すると言われており、第5章では圧縮強度への影響も観察された。そこで本章では、"わらすさ"を加えた後3週間から34週間(3月末から10月中旬)まで練り置きを行った土を対象に、有機物量、"わらすさ"の変化、平衡含水率、圧縮強度、せん断強度(試験方法は本章で提案)について詳細に検討し、練り置き期間に生じている変化とそれが材料特性に与える影響について考察した。

 土に含まれる有機物量は一定割合で増加し、月別平均気温が10℃を超える季節の範囲内であれば大きな差がないことが明らかとなった。また、乾固した試験体では、練り置き期間が長い試験体の平行含水率が低くなる傾向が認められた。ただし、粉末にした土ではこの差は認められず、"わらすさ"が分解されることで増加する有機物が、乾固した試験体の水分の吸着および内部への進入を阻害する働きをしている可能性が示唆された。

 また、圧縮およびせん断強度を上昇させるためには、"わらすさ"量を減少させることが有効であることが明らかとなったが、単純に減少させるだけでは破壊性状が脆性的になり、強度のばらつきも大きくなる。しかし、練り置きを行うことでばらつきを押さえながら強度を上昇させ、靭性を確保することが可能となった。圧縮試験における剛性と強度の関係は、"わらすさ"の有無、練り置き期間に関係なく、ひとつの回帰直線で表わせることが明らかとなった。

[7章]産地による土の相違(施工時の調合から実大試験まで)

 本章では土の種類に注目し、産地の異なる荒壁土3種(熊本、京都、埼玉)について、調合の差から材料強度、実大壁のせん断耐力を比較し、材料試験結果から実大壁のせん断耐力試験結果の推定の可能性を検討した。

 調合の条件には、乾燥後の状態の他に施工時の粘性や木舞下地への適度なかかり具合等が要求されるため、同一の木舞下地に塗ることを条件に左官一級技能士へ調合を依頼した。その結果、砂分が多い土の場合、下塗り時の水分量、"わらすさ"量とも少なくなることが明らかとなった。また、施工に支障が生じない範囲で"わらすさ"と水分量を増減した調合を試みた結果、同一の土を使用した場合でも"わらすさ"量では約2倍の違いが存在し、水分量が増加すると"わらすさ"量も増加する傾向が認められた。これは、"わらすさ"が水分を吸収するために、土のコンシステンシーに影響する水分量が減少することが原因と推測される。乾燥収縮は、施工時の水分量が多い場合に激しく、ひび割れの発生も同様の傾向が認められた。

 圧縮強度は試験体の密度と相関関係があり、圧縮強度およびせん断強度の熊本:京都:埼玉の比は、それぞれ1:1.7:1.1、1:2.2:1.1であった。せん断強度と比較して圧縮試験結果の比が小さいくなったのは、せん断試験用試験体の含水率が極めて低いことが影響しており、同程度の含水率の場合には圧縮強度とせん断強度の比は同程度の値が得られると考えられる。

 各産地の標準調合を下塗りとし、中塗り、仕上げを共通の材料で施した実大壁の面内せん断試験を行ったところ、壁倍率は京都で約3、熊本、埼玉で2という結果が得られた。また、最大荷重における熊本:京都:埼玉の比は1:1.4:1.1という結果が得られた。この結果には中塗り部分の影響が含まれているため、熊本産の荒壁部分のみの試験結果から中塗りの影響を算出し、その分を差し引いた結果を比で示すと、熊本:京都:埼玉の比は1:2:1.1となり、せん断試験結果に極めて近い値となった。以上のことから、木舞下地が同じ場合、土の圧縮、せん断試験結果から実大壁の面内せん断試験の結果を推測することが可能であることが明らかとなった。

[8章]結言

 荒壁構成材料について選別基準とその評価方法について以下の結論を得た。竹材については8月から9月末伐採のものが生物劣化に対する耐久性が高いと考えられる。しかし、産地や年毎の気候条件などにより若干の幅が存在し、明確に判断するためにはデンプン量とその増減量に影響されている水溶性成分量により判断することが有効である。荒壁土の調合については、唯一の標準調合を設定することは困難であるが、調合後の荒壁士の圧縮試験およびせん断試験の結果から実大面内せん断試験結果を推測することが可能であることが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は土壁の木舞下地および荒壁部分について、建築面からの耐久性と構造性能を対象とし、材料選別基準とその評価方法を検討したものである。

 木舞下地土壁構法は日本において広く採用されてきた伝統的建築構法であったが、住宅建設における効率化風潮、新建材の普及に伴い減少し、それを継承する大工、左官工も激減した。しかしながら近年、住宅に対する要求に健康や安全というキーワードが浮上したことや建設廃棄物が大きな社会問題となったことから、自然素材のみを使用している土壁は再び注目を集めている。一方で、土壁は自然素材を使用しているため工業製品を使用した他の構法と異なり、性能を明確にすることが非常に困難とされている。そのため、構造・防火の面で建築基準法上の評価は著しく低く抑えられており、土壁の復活を妨げる一要因となっている。そのため、土壁を再び日本の建築構法として位置付けるためには、性能を左右する材料の選択基準を明確にし、自然素材を新しく入手する際の簡便な評価方法を確立する必要がある。本実験では土壁を構成する木舞すなわち竹材および荒壁土について基礎的な特性を検討した。さらに壁の構造性能を中心に試験方法の提案を行い、材料特性から構造体としての性能を推測する手法を検討した。各章の結果は以下のとおりである。

 竹材の生物的劣化には単糖類の含有量が影響し、含有量には秋から冬にかけて減少するという周期が存在すると言われていた。そこで単糖類が4割から6割を占める水溶性物質量について、モウソウチクとマダケを対象に1年間の季節変動を測定した。水溶性成分量の季節変動には共通する周期は認められなかったが、カビの発生に関係する平衡含水率については夏から秋にかけて低くなるという共通する傾向が認められた。平衡含水率を低下させるためには、煮沸処理によって水溶性成分を抽出することが効果的であるが、煮沸処理後の材にも平衡含水率の季節変動の傾向は残存した。しかし、2%塩酸溶液に浸漬した材では平衡含水率か激減し、季節変動の傾向は打ち消されたため、希塩酸処理にて溶出する成分が竹材の平衡含水率の季節変動を支配していることが示唆された。また、最大・最小の平衡含水率を示した伐採時期の煮沸処理材と未処理材についてカビ耐性試験を行った結果、煮沸処理材におけるカビの発生が著しく抑制された。

 マダケについて、8ヶ月間のカビ耐性試験を行った結果、夏から秋にかけて伐採された試料のカビの発生が抑制されることが確認され、平衡含水率の季節変動の傾向と一致した。既往の研究で指摘されていた通り、発筍前に徐々に蓄積され発筍直後に激減する様子が確認されたが、夏から秋にかけてもわずかな増減が観察された。デンプン粒の増加量と該当月の水溶性成分量との関係では竹の同化作用が盛んな時期に水溶性物質量が増加していることが示唆された。以上のことから、生物劣化に対して耐久性のある竹材の選別は、デンプン量と水溶性成分量を確認することで可能となることが明らかとなった。デンプン量と平衡含水率には明確なリズムを持った季節変動が認められたものの例外は存在し、水溶性成分においてはデンプンの増減幅に対応しているため、耐久性の高い材を得るには伝統的に行われてきた最適伐採時期を遵守する方法だけでは不充分であると言える。また、伝承における最適伐採時期は9月下旬から12月下旬とされているが、本研究では8月から9月末が最適伐採時期となった。伝承には竹材の加工、保管時の環境、労働力の確保といった面からの評価が加味されていると考えられ、現代の竹材生産においては、別の指標を設定することが現実的であると言える。

 壁土の曲げ・圧縮試験を行い、打ち込み時の含水率が変動しても密度、材料強度には影響を与えないこと、試験時の含水率は材料強度に大きな影響を及ぼし、特に"わらすさ"を含まない試験体ではその影響が顕著であることが明らかにした。また、圧縮強度には練り置き期間による影響が比較的大きいことが示唆された。

 荒壁土の良否を判定するために、"わらすさ"の練り置きを行った土を対象に、有機物量、"わらすさ"の変化、平衡含水率、圧縮強度、せん断強度の変化とそれが材料特性に与える影響について考察した。土に含まれる有機物量は一定割合で増加し、月別平均気温が10℃を超える季節の範囲内であれば大きな差がないことが明らかとなった。また、乾固した試験体では、練り置き期間が長い試験体の平衡含水率が低くなるが、粉末にした土ではこの差は認められず、"わらすさ"が分解されることで増加する有機物が、水分の吸着および内部への進入を阻害する働きをしている可能性が示唆された。また、圧縮およびせん断強度を上昇させるためには、"わらすさ"量を減少させることが有効であるが、単純に減少させるだけでは破壊性状が脆性的になり、強度のばらつきも大きくなる。しかし、練り置きを行うことでばらつきを押さえながら強度を上昇させ、靭性を確保することが可能となった。圧縮試験における剛性と強度の関係は、"わらすさ"の有無、練り置き期間に関係なく、ひとつの回帰直線で表わせることが明らかとなった。

 産地の異なる荒壁土について、調合のちがいによる材料強度、実大壁のせん断耐力を比較し、材料試験結果から実大壁のせん断耐力が推定可能であるか検討した。砂分が多い土の場合、下塗り時の水分量、"わらすさ"量とも少なくなることが明らかとなった。乾燥収縮は、施工時の水分量が多い場合に激しく、ひび割れの発生も同様の傾向が認められた。圧縮強度は試験体の密度と相関関係があり、同程度の含水率の場合には圧縮強度とせん断強度の比は同程度の値が得られると考えられる。

 各産地の標準調合を下塗りとし、中塗り、仕上げを共通の材料で施した実大壁の面内せん断試験を行ったところ、耐力の産地間の比率は荒壁部分のみのせん断試験結果に極めて近い値となった。木舞下地が同じ場合、土の圧縮、せん断試験結果から実大壁の面内せん断試験の結果を推測することが可能であることが明らかとなった。

 以上、本論文は木造建築物の伝統的な技術に科学的な解明と現場施工技術における選択基準を示唆したもので、学術上、応用上貢献するところが大である。よって審査員一同は博士(農学)の学位を授与する価値があると認めた。

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