学位論文要旨



No 118179
著者(漢字) 李,鍵炯
著者(英字)
著者(カナ) イ,コンヒョン
標題(和) TGF-βの標的遺伝子発現を指標にした抗腫瘍活性物質の探索とその作用機構
標題(洋)
報告番号 118179
報告番号 甲18179
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2568号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 足立,博之
 東京大学 助教授 中島,春紫
 東京大学 客員教授 吉田,稔
内容要旨 要旨を表示する

 高等生物の細胞増殖の制御は、増殖促進と抑制のシグナルのバランスによって制御されていると考えられている。発がんのメカニズムの解明を目指した増殖因子を介する正のシグナル伝達機構についての研究が世界的に進展したのに加え、近年細胞増殖の抑制あるいは細胞死(アポトーシス)の誘導に積極的に関与するシグナル伝達系の存在が注目されるようになってきた。例えば多くのがん細胞において細胞増殖抑制に関わる細胞外因子TGF-β(Transforming growth factor-β)を介したシグナル伝達系の異常によりその細胞増殖抑制作用を回避している例が認められ、TGF-βカスケードの下流の転写を活性化させる化合物はがん細胞に対して増殖抑制作用を示すことが期待される。一方、この細胞増殖抑制因子の過剰な発現は肝線維症、免疫不全やアルツハイマーなど多くの疾病の発症や進行に関与すると考えられている。TGF-βカスケードのシグナリングには伝達因子としてSmadファミリーと呼ばれる一連のタンパク質とp38MAPkinaseやJNKの関連性が示唆されているが、遺伝子発現に至るまでのシグナル伝達機構はまだ不明な点が多い。したがってこのような細胞増殖における負のシグナル伝達を特異的阻害剤によって人為的に調節することが可能になれば、これらの疾病の治療法につながると同時に、未だ不明な点の多いその分子機構解明のための有用な解析試薬になると考えられる。そこで本研究では、細胞増殖を抑制するシグナル伝達を阻害または活性化する物質の単離を目的としてTGF-β誘導性PAI-1遺伝子プロモーターの下流にルシフェラーゼ遺伝子をつないだレポーター系を用いて転写活性化物質の探索を行った。

1.TGF-βの信号伝達経路に作用する物質の探索

 TGF-βは多彩な活性を有するサイトカインであり、細胞周期においてCDKインヒビターの発現誘導を引き起こす増殖抑制因子として作用する。また、TGF-βは細胞外マトリックスの産生を促進し、一方でマトリックスを分解する酵素の活性を抑制することから、結果として細胞外マトリックスの沈着を促進して肝硬変や腎炎などの繊維化や硬化をきたす疾患の進展や脳血管へのβ-アミロイドの沈着を促進し、アルツハイマー病の発症に密接に関与していると考えられている。一方、免疫調節作用ではB細胞の増殖や機能を抑制し、IgGとIgMの産生を抑制するが、IgAの産生は促進する。また、マクロファージ、T細胞、NK細胞などの増殖や機能を抑制することから、免疫能を全般的に抑制する働きを持っていると考えられている。そこで本研究では特異的阻害剤によってTGF-β作用を正と負に制御することを目的とし、レポーター遺伝子を利用した探索系を用いたスクリーニングを行った。

 TGF-βシグナルによって誘導されるPAI-1遺伝子のプロモーターとTGF-βに応答しないCMV又はSV40プロモーターの下流にそれぞれルシフェラーゼ遺伝子をつないだ細胞を用い、controlプロモーターの活性に影響を与えず、50pMのTGF-βによって誘導されるPAI-1プロモーターの遺伝子発現を強く促進または阻害する物質の探索を行った。微生物培養抽出物および海綿抽出物を対象に探索を行った結果、海綿由来のマクロライド系化合物13-deoxytedanolide、heterocyclic系化合物onnamideAとtheopederinBがnMオーダーの低濃度でPAI-1プロモーターを強く活性化させることを見いだした。いずれの化合物も1990年前後に細胞毒性と抗腫瘍活性で同定されたものの詳細な作用機構については不明であった。

2.13-deoxytedanolideの作用機構

 13-deoxytedanolide(13-DT)は数nMの低濃度で培養がん細胞の増殖を阻害するとともに担がん動物で強力な抗腫瘍活性を示すことが報告されているが、13-DTの分子レベルでの作用機構については不明であった。13-DTの作用機構を解析する目的で様々な遺伝子プロモーターにルシフェラーゼをつないだレポーター系に対してその効果を検討した結果、TGF-βで誘導されることが知られるPAI-1遺伝子プロモーターを特異的に強く活性化した。そこでTGF-βカスケードのsignal transducerであるSmad2の核移行を調べたところ、予想外にもSmad2の局在には影響がなく、controlとして用いた温度感受性p53の迅速な核内移行活性が認められた。温度感受性p53は蛋白質合成阻害剤によって核移行が誘導されることが知られているので、細胞内高分子の合成に与える影響を調べたところ、蛋白質合成を特異的に阻害することが判明した。そこで既存の蛋白質合成阻害剤についてもPAI-1プロモーター活性化能の有無を調べたところ、強い蛋白質合成阻害活性を有するpuromycinではPAI-1遺伝子の活性化は起こらず、28Sリボゾーム阻害を引き起こすanisomycin等によってはPAI-1の活性化が誘導されたことから、13-DTはanisomycinと同様のメカニズムでPAI-1遺伝子の活性化を誘導することが示唆された。anisomycinは28SリボゾームRNAに直接結合し、ペプチド転移反応を阻害することが知られている。また、anisomycinや28SrRNAを切断するリシンAなどはストレス応答性のMAPキナーゼであるp38MAPKやSAPK/JNKを活性化することも知られている。これらのストレス応答性のMAPキナーゼの活性化は、anisomycinによる蛋白質合成阻害作用よりも低濃度で誘導されることから蛋白質合成そのものに起因するのではなく、リボゾームRNA障害に対するストレス応答であるribotoxic stress responseであると考えられている。そこで13-DTがanisomycinと同様にこれらのストレス応答性のMAPキナーゼを活性化するかどうか調べたところ、低濃度でp38およびSAPK/JNKの活性化を強く誘導することが明らかになった。さらにp38の特異的阻害剤SB202190やSAPK/JNK阻害剤JNK Inhibitor IIの前処理により、PAI-1プロモーターの誘導効果が抑制されること、anisomycinによってもPAI-1が活性化することからPAI-1プロモーターはストレス応答性MAPキナーゼの標的遺伝子のひとつであることが示唆された。

3.mycalamide関連化合物の作用機構

 onnamideAとtheopederinBはmycalamide関連化合物である。mycalamide関連化合物は異種の海綿から数多く単離され、細胞毒性と培養がん細胞における抗腫瘍活性などが同定されているが、その作用機構についてはまだ不明な点が多い。そこでonnamideAとtheopederinBに関しても細胞内高分子の合成に与える影響を調べたところ、いずれの化合物も蛋白質合成阻害活性を示す一方、濃度依存的にPAI-1プロモーターを強く活性化させ、同濃度で顕著なp38MAPkinaseおよびSAPK/JNKのリン酸化を誘導することが明らかになった。また、ストレス応答性MAPキナーゼの特異的阻害剤の前処理により、PAI-1プロモーターの誘導効果が抑制された。以上の結果から、上記の化合物は蛋白質合成阻害活性から起因したribotoxic stressを誘導し、ストレス応答性のMAPキナーゼを通じてPAI-1プロモーターの活性化を引き起こすことが示唆された。

まとめと考察

 今回得られた海綿由来化合物13-deoxytedanolide、onnamideA、theopederinBはいずれも強い蛋白質合成阻害作用を示し、当初の目的であったTGF-βシグナルカスケードの活性化を特異的に引き起こしているのではないと考えられた。その強いPAI-1プロモーター活性化作用はanisomycinと同様、リボゾームを介したribotoxic stressの誘導によるものと考えられた。すなわち、これらはribotoxic sterss responseを通じてp38及びSAPK/JNKを活性化し、リン酸化されたATF-2やc-Junを介してPAI-1プロモーターが活性化されることが強く示唆された。実際、PAI-1プロモーター領域には、ATF-2やc-Junの認識配列に類似する配列が存在し、これらの配列が転写活性化に関与することが予想される。これらの化合物の持つ抗がん活性は、蛋白質合成阻害作用よりもむしろ、ストレス応答性MAPキナーゼの活性化に起因する可能性が高い。また、TGF-βシグナルの下流でストレス応答性MAPキナーゼが活性化される例も報告されており、ribotoxic sterss responseとのクロストークにも興味が持たれる。今回見いだした13-deoxytedanolideやtheopederinBは、よく研究されてきたanisomycinよりも100倍以上強力であることから、今後これらの化合物が未だにその機構が不明なribotoxic sterssの応答メカニズム解明のために有用なツールとなることが期待される。

13-deoxytedanolideの構造

審査要旨 要旨を表示する

 細胞増殖抑制に関わる細胞外因子TGF-βを介したシグナル伝達系の異常は多くの癌細胞において正常な細胞増殖抑制作用を破綻させ、発癌や増悪化に深く関与していると考えられている。一方、この細胞増殖抑制因子の過剰な発現は肝線維症や免疫不全など多くの疾病の発症や進行に関与すると考えられている。そのため、TGF-βカスケードの下流の転写を活性化させる化合物は癌細胞に対して増殖抑制作用を示すことが期待され、場合によって抑制する化合物は結果的に制癌作用に結びつく可能性もあると推定される。したがって、TGF-βシグナルをそれぞれの病態に応じて人為的に調節することが可能になれば、これらの疾病の治療法につながると同時に、未だ不明な点の多いその分子機構解明のための有用な解析試薬になると考えられる。

 本研究は、最近注目されてきた細胞増殖の制御と発癌過程における負のシグナル伝達経路に注目し、細胞増殖を抑制するシグナル伝達の活性化または阻害物質の単離を目的としてTGF-βシグナルに特異的に作用する低分子化合物の探索を行い、得られた化合物の作用機構を解明したものであり、4章からなる。

 研究の背景と意義を述べた第1章に続き、第2章ではTGF-βシグナル伝達経路に作用する物質の探索系を構築した。TGF-βシグナルによって誘導される遺伝子IgCαおよびPAI-1プロモーターの下流にルシフェラーゼ構造遺伝子をつないだレポーター系を用いて、微生物培養抽出物および海綿抽出物を対象にプロモーターの遺伝子発現を強く促進または阻害する物質の探索を行った結果、数種類の活性サンプルを見いだし、活性物質の単離・同定を行った。その内容と考察が第3章に述べられている。残念ながら全て既知物質であったが、得られた化合物が単純にTGF-β応答性の遺伝子発現に影響を与えるのではなく、他の要因によってそれぞれの遺伝子発現に影響を与えている可能性が示唆された。

 一方、海綿由来のマクロライド系化合物13-deoxytedanolide(13-DT)、mycalamide関連化合物onnamideAとtheopederinBがng/mlの低濃度でPAI-1プロモーターを強く活性化させることを見いだした。いずれの化合物も1990年前後に細胞毒性と抗腫瘍活性で同定されたものの詳細な作用機構については明らかになっておらず、特に13-DTの場合はpg/mlの極低濃度で培養癌細胞の増殖を阻害するとともに担癌動物で強力な抗腫瘍活性を示すことが報告されている。いまだ不明なその分子標的が明らかになれば、癌化学療法の基礎としても重要な知見となることが期待される。

 第4章ではこれら海綿由来化合物の作用機構を解析した。13-DTの作用機構を解析する目的で様々なプロモーターに対してその効果を検討した結果、PAI-1プロモーターを特異的に強く活性化した。そこでTGF-βカスケードのsignal transducerであるSmad2/3の核移行を調べたところ、Smad2/3の局在には影響が少なく、controlとして用いた温度感受性p53の劇的な核内移行活性が認められた。温度感受性p53は蛋白質合成阻害剤によって核移行が誘導されることが知られているので、細胞内高分子の合成に与える影響を調べたところ、蛋白質合成を特異的に阻害することが判明した。そこで既存の蛋白質合成阻害剤についてもPAI-1プロモーター活性化能の有無を調べたところ、強い蛋白質合成阻害活性を有するpuromycinではPAI-1プロモーターの活性化は起こらず、28Sリボゾーム阻害を引き起こすanisomycin等によっては活性化が誘導されたことから、13-DTはanisomycinと同様のメカニズムでPAI-1プロモーターの活性化を誘導することが示唆された。anisomycinは28SリボゾームRNAに直接結合し、ペプチド転移反応を阻害することが知られている。また、anisomycinや28SrRNAを切断するリシンAなどはストレス応答性MAPキナーゼであるp38MAPKやJNKを活性化することも知られている。これらのストレス応答性MAPキナーゼの活性化は、anisomycinによる蛋白質合成阻害作用よりも低濃度で誘導されることから蛋白質合成そのものに起因するのではなく、リボゾームRNA障害に対するストレス応答であるribotoxic stress responseであると考えられている。そこで13-DTがanisomycinと同様にこれらのストレス応答性MAPキナーゼを活性化するかどうか調べたところ、低濃度でp38MAPKおよびJNKの活性化を強く誘導した。さらにp38MAPKの特異的阻害剤SB202190やJNK阻害剤JNK Inhibitor IIの前処理により、PAI-1プロモーターの誘導効果が抑制されること、anisomycinによってもPAI-1が活性化することからPAI-1プロモーターはストレス応答性MAPキナーゼの標的遺伝子のひとつであることが示唆された。また、mycalamide関連化合物であるonnamideAとtheopederinBに関してもそれらの構造が13-DTとは異なるにもかかわらず、全く同様の作用を示したことから、上記の化合物はribotoxic stressを誘導し、ストレス応答性MAPキナーゼを通じてPAI-1プロモーターの活性化を強く引き起こすと考えられた。特に、13-DTやtheopederinBは、よく研究されてきたanisomycinよりも100倍以上強力であることから、今後これらの化合物が未だにその機構が不明なribotoxic stressの応答メカニズム解明のために有用なツールとなることが期待される。

 総括では、本研究のまとめとその結果の意義、今後の研究への応用について論じている。

 以上、本論文はTGF-βの標的遺伝子発現を指標にした抗腫瘍活性物質の探索とその作用機構を解明したもので、学術上、応用上意義深いものである。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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