学位論文要旨



No 118182
著者(漢字) 上田,康史
著者(英字)
著者(カナ) ウエダ,ヤスフミ
標題(和) 好熱性水素細菌Hydrogenobacter thermophilus TK-6株の水素酸化機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 118182
報告番号 甲18182
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2571号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 日高,真誠
 東京大学 助教授 石井,正治
内容要旨 要旨を表示する

 Hydrogenobacter htermophilusTK-6株は生育至適温度が70℃の高度好熱性水素細菌である。本菌は水素を唯一のエネルギー源、二酸化炭素を唯一の炭素源とする絶対独立栄養性という興味深い性質を有している。一般的な通性独立栄養水素細菌は従属栄養時と比べて独立栄養時の生育速度が著しく遅いのに対し、本菌の倍化時間は最大で約1時間と他の従属栄養細菌と同等、もしくはそれ以上の速度を示している。本菌は連続培養を行えば、20時間の培養で無機培地約13lから湿菌体約1509を得ることが可能である。このような条件における本菌の生育に必要なエネルギーはヒドロゲナーゼにより水素から取り出されているため、ヒドロゲナーゼ系を総合的に明らかにすることは極めて重要である。そこで本論文ではエネルギー獲得経路に注目し、初発段階である水素から電子を取り出す反応を触媒する酵素、ヒドロゲナーゼについて主に研究を行った。ヒドロゲナーゼ(水素酸化還元酵素)とは下式のような反応を可逆的に触媒する酵素であり、水素ガス取り込みを触媒するものは[Ni-Fe]型として知られている。

 H2+X⇔2H++X(reduced)(X:外部電子伝達体)

 1.ヒドロゲナーゼ遺伝子の取得

 H.thermophilus TK-6では当研究室の瀧下らにより1種類のヒドロゲナーゼが精製されている。このN末端アミノ酸シーケンスをもとにmix primerを合成し、クロモソームDNAをtemplateとしてPCRを行った結果、約1.OkbpのPCR断片が取得された。この断片は他の菌のヒドロゲナーゼ遺伝子とホモロジーを持っていたので、DIGにより標識化したこのPCR断片をprobeとして、制限酵素処理したゲノムDNAに対してSouthern hybridizationを行った。その後、TK-6株ゲノムライブラリーについてコロニーハイブリダイゼーションを行い、みPstI3.5kbp、EcoRI-4.2kbpのヒドロゲナーゼ遺伝子群を含む2つの遺伝子断片を得た。遺伝子配列を決定したところ、small subunit、1arge subunitの構造遺伝子の下流にアクセサリー遺伝子群のひとつである酵素の成熟過程で作用するプロテアーゼの遺伝子(hoxM)と相同性の高い配列があることが判明した。この遺伝子clusterをhox遺伝子群と名付けた。構造遺伝子についてヒドロゲナーゼの保存モチーフを調べたところほとんど保存されておらず、精製タンパクが本菌に固有なキノンであるメチオナキノンと直接反応することからも特殊な[Ni-Fe]型ヒドロゲナーゼであることがわかった。

 本菌の無細胞抽出液画分、膜画分可溶化液を各種の分取精製用のカラムをもちいて分画すると複数の画分にヒドロゲナーゼ活性がみられるため、取得したヒドロゲナーゼ以外にもヒドロゲナーゼが存在することが示唆された。このため、本菌の近縁種ですでに全遺伝子配列が明らかになっているAquifex aeolicusの遺伝子配列をもとにブローニングを行うことにした。A.aeolicusには3種のヒドロゲナーゼ様遺伝子(mbh1,mbh2,mbh3)が確認されているのでそれぞれのlauge subunitの部分配列をA.aeolicusのクロモソームDNAをtemplateとしてPCRによって増幅し、塩基配列を確認した後、DIG標識化したPCR断片をprobeとして制限酵素処理したTK-6ゲノムDNAについてサザンハイブリダイゼーションを行った。その結果、3種のprobe全てにpositiveなバンドが得られたため、それぞれについてコロニーハイブリダゼーションによるクローニングを試みた。

 mbh1由来のprobeについては最初にKpnI3.8kbpの断片が取得された。この断片にはlarge subunitの部分配列と直接電子伝達体と考えられるcytochrome b、アクセサリー遺伝子hypFの部分配列が含まれていた。さらにTK-6ゲノムライブラリーからコロニーハイブリダイゼーションを行い、small subunitの全配列、1arge subunitの残りの配列を決定し、これらの構造遺伝子をhyd1S,hyd1Lとそれぞれ命名した。相同性検索、モチーフの確認よりこの遺伝子は典型的な膜結合型[Ni-Fe]型ヒドロゲナーゼであることがわかった。

 同様の方法によりmbh2由来のprobeを用いてlarge subunitのみからなるhyd2を、mbh3由来のprobeを用いてsma11,1arge subunitからなるhyd3をクローニングし、塩基配列を決定した。Hyd2、hyd3ともに[Ni-Fe]型ヒドロゲナーゼの活性中心付近のモチーフが保存されており、[Ni-Fe]型ヒドロゲナーゼの遺伝子であることが予想された。またそれぞれのヒドロゲナーゼについて相同性検索を行った。

 一般にひとつの細菌が複数のヒドロゲナーゼをもつことは特殊ではない。しかしながら、そうした菌のほとんどは菌体内の過剰還元力の除去装置として水素発生方向にヒドロゲナーゼを機能させている。本菌の場合、絶対独立栄養という栄養形式を考慮すると今回取得された4種のヒドロゲナーゼはそのほとんどが水素酸化の方向に働いていると考えられる。このような菌が4種のヒドロゲナーゼ遺伝子を持っているという知見が得られたのは初めてのことである。

 2.4種のヒドロゲナーゼ遺伝子群の発現解析と機能の推定

 本菌のクロモソーム遺伝子から4種類のヒドロゲナーゼ遺伝子が取得されたことで本菌の水素酸化系が複雑であることが予想された。また4種の遺伝子がどのように発現されているか興味が持たれたのでRT-PCRの手法を用いて発現解析を行った。

 培養した菌体を遠心により集歯し、ペレットをISOGENで懸濁し、クロロホルム添加、イソプロパノール沈澱を行った後、DNase(RNase-free)処理を行い、ISOGEN以後の処理を繰り返すことでtotal RNAを抽出した。抽出したRNA1μgについてrandom 9merをprimerとして逆転写反応をおこない、引き続きそれぞれのヒドロゲナーゼ1arge subunit遺伝子にspecificなprimerを使用してPCR反応をおこなった。

 まず、通常のガス組成(H2:02:CO2=12:3:5)条件において10l容jar fermentorを使用してbatch培養を行い、対数増殖鶏前期、中期、後期について菌体を回収し、それぞれの菌体についてRT-PCRを行った。その結果、4種のヒドロゲナーゼはいずれのphaseにおいても全て転写されていることがわかった。RT-PCRでは定量性を論じることはできないが、hox、hyd1は明らかに他の2種よりも多く転写されている(総RNA中のm-RNAの比率が高い)ことが推測された。

 続いてガス組成中の水素分圧を下げた系(H2:02:CO2:N2=4:3:5:8)の対数増殖期について検討を行った。その結果、hyd2を除く3種の転写が確認された。

 ヒドロゲナーゼはその活性中心が金属を含むことから一般的に酸素により不活性化されやすいことが知られている。そこでTK-6株が増殖できる酸素濃度の上限に近い条件(H2:02:CO2=9:6:5)についても検討を行った。この場合も4種類のヒドロゲナーゼ全てが転写されていることには変わりはなかった。しかし、これまで最も強い強度のバンドを示していたhyd1のバンドがhoxと比較して弱くなっていた。これは内膜のperiplasm側に結合しているHyd1が酸素の影響を受けやすいためと考えられた。

 最後に、本菌が増殖可能であることが確認されている嫌気条件、硝酸呼吸条件(H2:CO2=3:1)で生育させた菌体についてもRT-PCRを行ったが全体のバンドの強度は弱まったものの、パターン的には通常のガス組成における培養と変わらなかった。

 これらの結果により、取得された4種のヒドロゲナーゼ遺伝子は遺伝子が存在しているのみではなく、実際に転写され機能していることが明らかとなった。

 以上の結果により、取得されたヒドロゲナーゼ遺伝子の機能を推定した。

●hyd1:一般的な膜結合型ヒドロゲナーゼとして水素から電子を取り出し、獲得した電子を膜内の呼吸鎖へと提供する。4つのヒドロゲナーゼの中でもメインの働きをしていると考えられる。

●hyd2:はっきりした機能は解明できなかったが、水素濃度が高い条件において補助的に機能する。

●hyd3:各条件において常に発現しており、Ralstonia eutrophaにおいて近年発見された菌体内の水素を感知しヒドロゲナーゼの発現を促すregulatory hydrogenaseとホモロジーがあるため、水素のsensingに関与している可能性がある。

●hox:Cell debrisを含む膜画分の可溶化液から精製されたタンパクであるため膜結合型ヒドロゲナーゼと予想された。しかし、細胞内で翻訳され、fo1dingしたpro-酵素が膜を通過するのに必要なTAT(twin arginine translocation)モチーフが遺伝子配列に含まれていなかった。このため、膜に結合しているどしても一般的な膜結合型とは異なる結合様式で内膜のcytoplasm側に緩く結合し、主にcytoplasm側でキノンを直接電子受容体として還元力を提供していると考えられる。

 推定した本菌の水素酸化機構を下図に示した。

審査要旨 要旨を表示する

 水素は化石燃料に代わる次世代のクリーンなエネルギーとして注目されている。しかしながら、現在利用可能な水素発生装置、水素をエネルギー源とした燃料電池は大型でエネルギー効率の低く、コストも高いものが多い。このため、より小型で効率的な装置を作るための基礎となる知見を得る対象として、微生物やらん藻による水素発生、水素酸化の機構や水素に関する直接的な反応を触媒する酵素、ヒドロゲナーゼが注目され、近年、世界の各所で研究が行われている。特に水素細菌は気相の水素から直接エネルギーを獲得して生育しており、その水素酸化機構は効率的で、その初発酸化酵素であるヒドロゲナーゼは安定かつ高効率であることが見込まれる。

 本論文はこのような背景をふまえ、好熱性の絶対独立性水素細菌Hydrogenobacter thermophilus TK-6株を対象としてその水素酸化機構、主にヒドロゲナーゼについて分子生物学的手法を使って、検討を行ったものである。また、本菌は真正細菌の中で最も古い起源を有するとされており、本菌に関する研究は微生物の進化という点でも学術的に大きく寄与するものである。本論文は序論、第1章(8節)、第2章(7節)、総括と展望から成っている。

 第1章は第1節から第8節までであり、TK-6株における水素酸化経路に関して述べたものである。第1節は本菌で既に精製されているヒドロゲナーゼのタンパク質的性質と本菌に近縁のAquifex aeolicusのヒドロゲナーゼ様遺伝子の遺伝情報の概略を述べたものである。第2節はTK-6株の培養条件について述べている。第3節は染色体DNAの抽出方法について述べ、第4節、第5節ではサザンハイブリダイゼーション、コロニーハイブリダイゼーションを用いたヒドロゲナーゼ遺伝子群の取得について述べている。その結果、既に精製されているヒドロゲナーゼのN末端アミノ酸シーケンスと、A.aeolicusの遺伝情報もとにTK-6株の染色体DNAから4種の異なるヒドロゲナーゼ遺伝子群を新規に単離することに成功した。これらのヒドロゲナーゼ遺伝子群はそれぞれhox.hyd1.hyd2.hyd3と命名した。hox遺伝子群は既に精製されているヒドロゲナーゼのN末端アミノ酸シーケンスをもとに単離されたものであり、それ以外のものはA.aeolicusの遺伝情報をもとに単離されたものである。取得されたヒドロゲナーゼ遺伝子群を第6節において、small subunit、1arge subunitのそれぞれにおいて構造モチーフの比較や、系統樹の作成による分子進化的な考察を行っている。この検討により、すべての遺伝子群がNiFe型のヒドロゲナーゼの遺伝子であること、中でもhoxはこれまでに見つかった膜結合型ヒドロゲナーゼとは異なるタイプであることが示された。第7節では本菌の炭酸固定経路である還元的TCAサイクルヘの還元力供給源として無細胞抽出液中のNAD還元活性に注目し、検討を行っている。無細胞抽出液中のNAD還元活性を行う酵素を精製するためにdiaphorase反応を指標に硫安沈澱、陰イオン交換カラム、疎水カラム、ハイドロキシアパタイトカラム、ゲル濾過カラムを使用した結果、2つの異なるサブユニットから構成される酵素を得た。各サブユニットのN末端アミノ酸シーケンスを決定し、データベース上で相同性検索を行ったが、相同性のある配列はなかった。また、この酵素はdiaphorase活性はもっているが水素依存のNAD還元活性はもっていなかったため、新規のNADHoxidaseであると考えられた。

 第8節では1章の結果のまとめを述べている。

 第2章は全7節からなり、第1章で得られた4種のヒドロゲナーゼ遺伝子群の発現解析をRT・PCRの手法を用いて行ったものである。第1節ではこれらの解析の目的を述べている。第2節では水素、酸素、二酸化炭素の混合ガスを使用してJar培養を行った対数増殖期の菌体についてRNAを抽出しRT・PCRを行っている。第3節、第4節では混合ガス中の水素、酸素の濃度(分圧)をそれぞれ変更することにより、遺伝子群の転写パターンに変化が生じるかを調べている。これらの検討の結果、通常の培養条件下では全てのヒドロゲナーゼ遺伝子群がm-RNAレベルで発現していることが示された。水素濃度を全体の20%に下げた系では1種類のヒドロゲナーゼ遺伝子群の発現がみられなくなった。第6節ではRNAを得ることのできなかった培養系について述べている。第7節は第2章の結果のまとめを述べている。

 総括と展望では第1章と第2章の結果を総合することにより、本菌の水素酸化系における4つの遺伝子群の役割を推測し、本菌の水素酸化経路が複雑なものであることを推定するとともに、今後の研究の方向性を示している。

 以上要約すると、分子生物学的な手法を用いて、絶対独立栄養性水素細菌という興味深い栄養獲得様式の菌について、新規の4種のヒドロゲナーゼ遺伝子群を取得した。また、その機能を推定することや水素酸化経路の構成要素と考えられる酵素を精製することにより本菌の水素酸化機構が複雑なものであることを示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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