No | 118188 | |
著者(漢字) | 一宮,維幸 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イチノミヤ,マサユキ | |
標題(和) | 糸状菌Aspergillus nidulans の細胞壁合成に関わる遺伝子の機能解析 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 118188 | |
報告番号 | 甲18188 | |
学位授与日 | 2003.03.28 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第2577号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 応用生命工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 真菌類の細胞壁は複数の多糖によって構成されている。N-アセチルグルコサミン(GlcNAc)のβ-1,4結合によるホモ重合体であるキチンは、ほとんどの糸状菌において細胞壁の主要構成成分のひとつである。キチンは結晶化することで固い構造をとると考えられており、糸状菌の形態形成において重要であると考えられる。キチン合成酵素はGlcNAcの重合を触媒する酵素であり、現在までに多くの真菌類からキチン合成酵素遺伝子が単離されている。それらがコードすると推定されるアミノ酸配列の相同性から、キチン合成酵素は少なくとも5つのクラスに分類されている。それらは同様の反応を触媒していると考えられるが、ほとんどの真菌類は複数のキチン合成酵素遺伝子を持っていることから、それぞれの酵素が細胞壁合成において異なる機能をもっていることや互いに重複した働きを担っていることが推測されていた。 糸状菌Aspergillus nidulansは古典遺伝学や逆遺伝学の手法が適用できることから、さまざまな基礎研究に用いられてきた。筆者の所属する研究グループでは、A.nidulansより5つのキチン合成酵素遺伝子chsA、chsB、chsC、chsDおよびcsmA(それぞれクラスII、III、I、IVおよびVに属するキチン合成酵素をコードしている)を単離し、その解析を行ってきた。その過程で、chsB欠失株あるいは。chsBの発現を抑制した株では菌糸の伸長が非常に遅く、多数の分岐がみられること、chsA、chsCおよびchsDの各遺伝子欠失株は大きな表現型の変化を示さないことなどが明らかになった。またこれらの遺伝子の機能の関連性を明らかにするために、数種の二重遺伝子欠失株が作製されていた。そのうちchsAchsC二重遺伝子欠失株(△AC株)は、無性胞子形成器官(分生子柄)の数の減少とその形態異常のために、分生子形成効率が野生型株の0.01%以下にまで低下していた。また△AC株の生育は塩(KCl、NaCl)、界面活性剤(SDS)、キチン結合性色素(Calcofluor white、Congo red)などに感受性を示すことから、細胞壁に変化が生じていることが示唆されていた。これらのことからchsAとchsCが菌糸生長と分化において重複した機能を持つことが示唆されていた。 本研究ではまず。chsA chsC二重遺伝子欠失株(△AC株)の表現型についてより詳細な解析を行った。またchsBの発現を抑制したときの。chsA、chsCおよびchsDの各欠失株の表現型の違いを解析し、それらの機能を推定した。さらに酵母Saccharomyces cerevisiaeにおいて細胞壁合成制御に関わることが知られていたPkc1pのホモログをA.nidulansより単離し、その機能解析を行った。 1.chsA chsC二重遺伝子欠失株の表現型の解析 △AC株の細胞壁の異常を明らかにするために、まず透過型電子顕微鏡により菌糸を観察した。その結果△AC株の菌糸では形質膜のすぐ外側に電子密度の低い層が不均一に存在していることが分かった。菌糸中の隔壁は非常に厚くなっており、野生型株と比べて大きな孔の開いた隔壁もみられた。さらに近接して形成されている隔壁もみられた。これらの異常な構造はchsAまたはchsCの一遺伝子欠失株では観察されなかった。またキチン含量を測定したところ、固体培地上では△AC株の菌糸のキチン含量は野生型株の128%に増加しており、△AC株における細胞壁異常の存在が支持された。隔壁形成の位置の異常は、キチン結合性色素であるCalcofluorwhiteで染色した菌糸の蛍光顕微鏡観察によっても確認された。またDAPl染色により、△AC株では核の分布も不均一であることが明らかになった。隔壁の位置と核の分布の異常は、細胞壁異常により間接的に引き起こされたものであることが考えられる。 分生子柄形成異常については、分生子柄形成の制御に関わる転写因子をコードするbrlAおよびabaAのmRNA量が、△AC株では野生型株やそれぞれの単独欠失株と比べて大きく減少していることが明らかになった。abaAの転写はbrlAにより正に制御されていることが知られており、△AC株の分生子柄形成異常はbrlAのmRNA量の減少により引き起こされたことが示唆された。 2.ChsAの細胞内局在部位の解析 ChsAの機能を推定するために、その細胞内局在部位の解析を行った。S.cerevisiaeのクラスIIキチン合成酵素であるChs2pは、C末端側からおよそ70a.a.の欠失によりその機能を失うのに対し、N末端側からは200a.a.以上を欠失させても機能することが知られていた。そこでChsAのN末端から103番目のプロリンと104番目のアルギニンの間に6コピーのHAタグを挿入し(ChsA-HA)、これを△AC株の染色体上のargB部位において発現する株を作製した。この株では分生子形成能が大きく回復しており、その回復の度合はChsAを発現させた場合と比較して大きな差がみられなかったことから、ChsA-HAはChsAとほぼ同様の機能を持つことが推定された。この株の細胞抽出液に対するウェスタン解析の結果、ChsA-HAの推定分子量である121kDaに近い約123kDaとそれより大きい約146kDaの位置にバンドが検出された。間接免疫蛍光法によりChsAの細胞内局在部位を検討した結果、弱い蛍光が細胞質にドット状に観察され、また強い蛍光が隔壁の、特に中心部に観察された。この強い蛍光は一部の隔壁でのみ観察されたことから、ChsAが菌糸中の隔壁形成に機能しており、隔壁形成後にはそこにとどまらないことが示唆された。 3.クラスI-IVキチン合成酵素遺伝子の機能的関連 大腸菌のlacZ遺伝子をレポーターとした発現部位の解析によって、chsDが菌糸中で発現していることが示されていた。このことから。chsDは菌糸生長に関わっていると考えられたが、その欠失株は大きな表現型の変化を生じないことが示されていた。一方。chsBは菌糸生長に重要な役割を担っていることが示されていた。これらのことから。chsBが。chsDと重複した機能を持つ可能性が考えられた。そこで。chsBの発現を抑制できるchsD欠失株を作製し、解析を行った。その結果、chsD単独欠失株では野生型株と比べてキチン含量がわずかに減少するが、chsBの発現を抑制したときに。chsDを欠失させるとより大幅に減少することが分かった。またchsBの発現を抑制した際の異常な菌糸形態は、chsDを欠失することによってより多分岐になった。これらのことから。chsBの発現を抑制することでchsDの機能の重要性が増すことが示された。 △AC株の解析からchsAとchsCは重複した機能を持つことが示唆されたが、別の解析からはchsAとchsCが異なる機能を持つことが示唆されていた。そこでchsAとchsCの菌糸生長における役割の違いを明らかにするために、chsDの場合と同様に、chsBの発現を抑制できるchsAおよびchsC欠失株を作製し、解析を行った。その結果、chsBの発現を抑制したときにはchsAを欠失することにより、気中菌糸が少なくなることが分かった。このことは△AC株における分生子柄の数の減少と関連している可能性が考えられる。またchsCを欠失した場合には、コロニーの菌糸密度が低くなることが分かった。このことは、△AC株において細胞壁異常がみられたこととともに、chsCが菌糸生長時に機能していることを示唆している。 またchsBプロモーター下でchsAを発現させても、chsBの発現を抑制した際の形態異常キチン含量の低下などの表現型が抑圧されないことを示した。このことからchsAとchsBの欠失株の表現型の違いは転写制御の違いによるのではなく、キチン合成酵素自体の性質によることが示唆された。 4.プロテインキナーゼCをコードする遺伝子pkcAの単離とその機能解析 S.cerevisiaeでは、細胞壁へのストレスによってキチン含量の増加などの細胞壁構造の再構築が起こることが知られている。その応答に関わるシグナル伝達経路において、プロテインキナーゼC(PKC)をコードするPkclpが中心的な役割を果たしている。糸状菌においてもPKCは細胞壁合成の制御に関わっていることが予想されるが、これまでほとんど解析されていない。そこでA.nidulansよりPKCをコードする遺伝子(pkcA)を単離し、解析を行った。A.nidulans ESTデータベースを利用してpkcAの部分断片を取得し、インバースPCR法により全長を取得した。pkcAは1085a.a.よりなるタンパク質をコードしていると推定され、またこれまでに単離されていた真菌類のPKCと高い相同性を示す複数の領域がよく保存されていた。pkcA欠失株の作製を試みたところ、pkcAを欠失した核のみを持つホモカリオンは得られず、野生型pkcAを持つ核とのヘテロカリオン、あるいはそのようなヘテロカリオンから生じたと考えられる二倍体としてのみ取得された。ヘテロカリオンからの分生子形成によりホモカリオン化したpkcA欠失株を分離し、その生育をみたところ、pkcA欠失株は肉眼で観察可能なコロニーを形成できなかった。したがってpkcAは生育に必須な遺伝子であると考えられた。そこでpkcAのプロモーターを発現制御可能なものに置換した株を作製した。この株はpkcAを高発現する条件では野生型株と比較して大きな異常は示さなかったが、pkcAの発現を抑制する条件では生育が野生型株よりも遅く、菌糸先端や途中において頻繁に溶菌がみられた。これらの表現型は浸透圧安定化剤の添加によっても抑圧されなかったことから、pkcAの発現抑制により細胞壁以外にも異常が生じていることが示唆された。 以上の解析から、A.nidulansのキチン合成酵素は、研究の進んでいる酵母の場合と比較してより高度に機能分化するとともに複雑に関連しつつ機能していることが明確になった。またA.nidulansの形態形成におけるキチン合成酵素の機能の重要性が示された。pkcAの解析も合わせて、本研究で得られた新たな知見は、糸状菌の細胞壁合成および形態形成機構の解明に大きく寄与することが期待される。 | |
審査要旨 | 糸状菌は人の生活と正と負の両面で深く関わっている真核微生物である。糸状菌の持つ有用性と有害性は、糸状菌の形態と密接に関わっていると考えられる。糸状菌を含む真菌類では細胞壁がその生物の形態を維持している。本論文は、糸状菌Aspergillus nidulansを材料として細胞壁合成について解析を行ったものである。 第1章から第3章まででは糸状菌の細胞壁の主要構成成分であるキチンの合成に関わる酵素であるキチン合成酵素とそれらをコードする遺伝子に着目しその生理的な役割について解析を行った。申請者の所属する研究グループでは、A.nidulansより5つのキチン合成酵素遺伝子chsA、chsB、chsC、chsDおよびcsmA(それぞれクラスII、III、I、IVおよびVに属するキチン合成酵素をコードしている)を単離し、その解析を行ってきた。その過程で、chsB欠失株あるいはchsBの発現を抑制した株では菌糸の伸長が非常に遅く、多数の分岐がみられること、chsA chsCおよびchsDの各遺伝子欠失株は大きな表現型の変化を示さないことなどが明らかになった。また数種の二重遺伝子欠失株が作製されており、そのうちchsAchsC二重遺伝子欠失株(△AC株)は、無性胞子形成器官(分生子柄)の数の減少とその形態異常がみられた。また△AC株の生育は塩、界面活性剤、キチン結合性色素などに感受性を示すことから、細胞壁に変化が生じていることが示唆されていた。これらのことから、chsAとchsCが菌糸生長と分化において重複した機能を持つことが示唆されていた。 第1章では△AC株の表現型について解析を行った。△AC株の細胞壁の異常を明らかにするために、まず透過型電子顕微鏡により菌糸を観察した。その結果△AC株の菌糸では形質膜のすぐ外側に電子密度の低い層が不均一に存在していることが分かった。菌糸中の隔壁は非常に厚くなっており、野生型株と比べて大きな孔の開いた隔壁もみられた。さらに近接して形成されている隔壁もみられた。これらの異常な構造はchsAまたはchsCの一遺伝子欠失株では観察されなかった。またキチン含量を測定したところ、固体培地上では△AC株の菌糸のキチン含量は野生型株の128%に増加しており、△AC株における細胞壁異常の存在が支持された。隔壁形成の位置の異常は蛍光顕微鏡観察によっても確認された。また△AC株では核の分布も不均一であることが明らかになった。 分生子柄形成異常については、分生子柄形成の制御に関わる転写因子をコードするbrlAおよびabaAのmRNA量が、△AC株では野生型株やそれぞれの単独欠失株と比べて大きく減少していることが明らかになった。abaAの転写はbr1Aにより正に制御されていることが知られており、△AC株の分生子柄形成異常はbr1AのmRNA量の減少により引き起こされたことが示唆された。 第2章ではChsAの機能を推定するために、その細胞内局在部位の解析を行った。ChsAに6コピーのHAタグを付加し(ChsA-HA)、これを△AC株の染色体上のargB部位において発現する株を作製した。この株では分生子形成能が大きく回復しており、その回復の度合はChsAを発現させた場合と比較して大きな差がみられなかったことから、ChsA-HAはChsAとほぼ同様の機能を持つことが推定された。この株の細胞抽出液に対するウェスタン解析の結果、ChsA-HAの推定分子量である121kDaに近い約123kDaとそれより大きい約146kDaの位置にバンドが検出された。間接免疫蛍光法によりChsAの細胞内局在部位を検討した結果、弱い蛍光が細胞質にドット状に観察され、また強い蛍光が隔壁の、特に中心部に観察された。この強い蛍光は一部の隔壁でのみ観察されたことから、ChsAが菌糸中の隔壁形成に機能しており、隔壁形成後にはそこにとどまらないことが示唆された。 第3章ではクラスI-IVキチン合成酵素遺伝子の機能の関連性について検討した。まず。ChsBの発現を抑制できるchsD欠失株を作製し、解析を行った。その結果、chsBの発現を抑制することでohsDの機能の重要性が増すことが示された。また。chsAとchsCの菌糸生長における役割の違いを明らかにするために、chsDの場合と同様に、chsBの発現を抑制できるchsAおよびchsC欠失株を作製し、解析を行った。その結果、chsBの発現を抑制したときにはchsAを欠失することにより、気中菌糸が少なくなることが分かった。またchsCを欠失した場合には、コロニーの菌糸密度が低くなることが分かった。 またohsBプロモーター下でchsAを発現させても、chsBの発現を抑制した際の形態異常やキチン含量の低下などの表現型が抑圧されないことを示した。このことからchsAとchsBの欠失株の表現型の違いは転写制御の違いによるのではなく、キチン合成酵素自体の性質によることが示唆された。 第4章では出芽酵母において細胞壁へのストレスに応答するためのシグナル伝達経路において中心的な役割を果たしていることが知られていたプロテインキナーゼC(PKC)をコードするPkclpのホモログをA.nidulansより単離し、解析を行った。この遺伝子(pkcA)は1085a.a.よりなるタンパク質をコードしていると推定され、またこれまでに単離されていた真菌類のPKCと高い相同性を示す複数の領域がよく保存されていた。pkcA欠失株の作製を試みた結果、pkcAが生育に必須な遺伝子であることが示された。そこでpkcAのプロモーターを発現制御可能なものに置換した株を作製した。pkcAの発現を抑制する条件では生育が野生型株よりも遅く、菌糸先端や途中において頻繁に溶菌がみられた。これらの表現型は浸透圧安定化剤の添加によっても抑圧されなかったことから、pkcAの発現抑制により細胞壁以外にも異常が生じていることが示唆された。 以上本論文は、A.nidulansのキチン合成酵素群は、酵母の場合と比較してより高度に機能分化するとともに複雑に関連しつつ機能していることを明確にし、またA,nidulansの形態形成においていくつかのキチン合成酵素の協同する機能の重要性を示したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
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