学位論文要旨



No 118190
著者(漢字) 岩本,邦彦
著者(英字)
著者(カナ) イワモト,クニヒコ
標題(和) 細胞膜におけるホスファチジルエタノールアミンの動態に関する酵母を用いた細胞生物学的研究
標題(洋)
報告番号 118190
報告番号 甲18190
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2579号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 理化学研究所 プロジェクトリーダー 小林,俊秀
 東京大学 助教授 足立,博之
 東京大学 助教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 生体膜の主要構成成分であるリン脂質は、均一な分布ではなく、水平方向や膜の表裏において非対称的に分布している。例えば細胞膜の表裏において、ホスファチジルエタノールアミン(PE)は内側に偏って分布していることが、広く生物種を越えて確認されている。この非対称分布は、エネルギー依存性のフリッパーゼによって形成されると考えられているが、その機構・意義については解明されていない。本研究では、遺伝学的な解析が容易な酵母Saccharomyces cerevisiaeを材料として、PEの非対称分布を形成する機構とその意義を解明することを目的とした。

 放線菌Streptoverticillium griseoverticillatum(baldaccii)の産生する環状ペプチドRo09-0198(分子量2,041)はPEと特異的に結合する抗生物質で、グラム陽性の細菌に対して殺菌活性を示し、様々な動物由来の赤血球を溶解させる性質も持つ。Ro09-0198が細胞表面のPEと結合すると、膜に小さな穴が形成されることで、細胞の機能障害が引き起こされると考えられている。

 酵母S.cerevisiaeの野生型株MHY501も20〜50μMの濃度のRo09-0198により阻害される。当研究室では、MHY501株を変異誘発剤処理し、Ro09-0198 5μMの下でも生育できないようなRo09-0198感受性変異株16株(S1〜S16)が取得されている。Ro09-0198感受性変異株の中には、フリッパーゼが異常になったことなどにより、PEの非対称的分布が崩れ、PEが外側に多く露出するようになったものも存在すると期待される。そこで本研究ではまず、Ro09-0198感受性変異株の感受性を抑圧する遺伝子のスクリーニングを行った。さらにEUROPEAN SACCHAROMYCES CEREVISIAE ARCHIVES FOR FUNCTIONAL ANALYSIS(EUROSCARF)由来の酵母の約5,000株の遺伝子破壊株コレクションより、Ro09-0198感受性を示す遺伝子破壊株のスクリーニングし、Ro09-0198感受性に関わる遺伝子産物の網羅的探索を行った。そして、Ro09-0198感受性を示す遺伝子破壊株の解析を手掛かりに、PEの動態に関する研究を試みた。

1.Ro09-0198感受性に関わる遺伝子の検索

 Ro09-0198感受性変異株S4,S6,S10,S14からRo09-0198感受性を低コピーで抑圧できる遺伝子を取得し、それぞれYCR030C,VPS45,BEE1,SSD1であることが判明した。これらの遺伝子破壊株を作製したところ、VPS45,BEE1の破壊株についてはRo09-0198感受性を示したので、これらについては詳細な解析を試みた(次章以降)。EUROSCARFの破壊株コレクションを用いたスクリーニングにより、破壊するとRo09-0198感受性を示すことが判明した遺伝子の中には、VPS45を含め液胞への小胞輸送に関わる遺伝子が9、その他の小胞輸送に関わる遺伝子が7、転写調節に関わる遺伝子が10、アクチン細胞骨格に関わる遺伝子が5、機能未知の遺伝子が10、など計80程の遺伝子がRo09-0198感受性に関わることが判明した。その中には、共同研究者の加藤らがS3株のRo09-0198感受性を抑圧する遺伝子として取得したROS3も含まれていた(なお、BEE1破壊株については元々コレクション中に含まれていない)。細胞にRo09-0198感受性を付与する要因としては様々なものがあることが予想される。

2.BEE1破壊株におけるRo09-0198感受性の原因の検討

 BEE1の遺伝子産物Bee1pは、Wiskott-Aldrich syndrome protein(WASP)の酵母のホモログとして取得されていたタンパク質である。Bee1pは、正常なcortical actin patchの形成に必要で、アクチン繊維の構成に重要な働きを担うことが知られている。また、エンドサイトーシスに必要なバープロリンの酵母ホモログ(Vrp1p)と直接結合し、エンドサイトーシスにおいても働くことがわかっている。そこでcortical actin patchの形成やエンドサイトーシスの異常によりRo09-0198感受性を示している可能性を検討したが、Ro09-0198感受性との明確な関連は認められなかった。次に、細胞膜外層に存在するPEを、トリニトロベンゼンスルホン酸(TNBS)により定量したところ、BEE1破壊株において細胞膜でのPEの非対称分布が崩れているわけではなかった。さらに、蛍光標識したPEの取り込みを、顕微鏡観察およびfluorescence-activated cell sorter(EACS)によって検討したところ、BEE1破壊株において細胞膜の外層から内層へのフリップ・フロップ活性が低下しているわけではないことも判明した。また、野生型株およびBEE1破壊株のRo09-0198存在下での細胞の様子を電子顕微鏡により観察したところ、いずれも細胞内膜系の異常が認められ、細胞壁が厚くなっていた。BEE1破壊株の方が細胞壁の厚くなる度合がより高い様子が観察された。

3.細胞膜外層へのPEの一時的な露出とアクチン細胞骨格との関連

 BEE1破壊株におけるRo09-0198感受性の原因をさらに探るため、細胞膜外層のPEを可視化することを試みた。Ro09-0198をビオチン化したもの(Bio-Ro)を作用させた後に細胞を固定し、スフェロプラスト化の後に蛍光標識ストレプトアビジンでPEと結合したBio-Roを検出するという方法により、細胞膜外層のPEを可視化することに成功した。

 通常の酵母培養温度である30℃でBio-Roを作用させると、野生型株では全く蛍光が観察されないのに対し、BEE1破壊株ではbud neckや成長途中のbudの細胞膜に蛍光が観察された。共同研究者の榎本らは、動物細胞において細胞分裂時に分裂溝部分の細胞膜外層にPEが露出することを見出し、PEが内層側に戻ることが細胞内のアクチン脱重合のシグナルになるというモデルを提出している。また、共同研究者の牧野らは、Ro09-0198は膜上のPEと結合すると膜に存在する脂質分子のフリップ・フロップを促進すると報告している。これらのことから、酵母においても出芽の際にbud neck部分で細胞膜外層にPEが露出するという現象があるとすれば、BEE1破壊株ではその時間が長く、しかもBio-Roが結合することでフリップ・フロップが促進され、細胞膜外層の蛍光シグナルが増幅している可能性が考えられた。そこで20〜25℃で培養することにより増殖速度を抑えてBio-Roを作用させたところ、野生型株においてもbud neckの部分などに蛍光が観察されることを見出した。同様に、分裂酵母Schizosaccharomyces pombeにおいても分裂面に蛍光が観察された。以上より、細胞分裂時の分裂溝の部分に一時的にPEが細胞膜外層に露出することは、一般的な現象であることが示唆された。また、野生型株にRo09-0198を作用させた状態では、bud neckの部分にアクチンの塊が見られることを見出した。このことから酵母の出芽においても、アクチン細胞骨格と細胞膜PEの動態とが関連している可能性が高い。それに対し、BEE1破壊株ではRo09-0198を作用させてもこのような現象は観察されず、アクチンをbud neckへと集合させるというBEE1遺伝子産物の機能も新たに示唆された。

 さらに、細胞分裂のどの時期にPEが細胞膜外層に露出するのかを検討するために、酵母とBio-Roを用いた観察の系において、4',6・ジアミジノ-2-フェニルインドール(DAPI)による核の染色やCalcofluor whiteによる隔壁の染色を同時に行ったり、細胞周期の停止を起こした状態での観察を行った。その結果、PEがbud neckに露出するのはM期の中でも終期以降であることを見出した。

4.VPS45破壊株におけるRo09-0198感受性の原因の検討

 VPS45の遺伝子産物はSec1ファミリーに属するタンパク質で、carboxypeptidaseY(CPY)などのタンパク質がゴルジ体から液胞へと輸送されるCPY経路において、ゴルジ体から出芽した小胞が後期エンドソームへ融合する段階で働くとされている。

 VPS45破壊株のRo09-0198感受性については、本来液胞に局在するはずのPE合成酵素ホスファチジルセリンデカルボキシラーゼPsd2pが細胞膜ヘミスソートされ、細胞膜でPE合成が起こり、細胞膜のPE含量が増えたことが原因である可能性が考えられた。そこで、VPS45破壊株においてPsd2pを欠損させてみたが、VPS45破壊株のRo09-0198感受性は抑圧されなかったので、VPS45破壊株のRo09-0198感受性の原因はPsd2pのミスソートではないことが示唆された。

 液胞への小胞輸送に関わる既知の遺伝子の破壊株を作製し、Ro09-0198感受性を示すかどうかを調べた。その結果、VPS3,VPS6/PEP12,VPS10/PEP1、VPS15、VPS21、VPS27、VPS41の遺伝子破壊株はRo09-0198感受性を示さなかったが、VPS1,VPS33,VPS34の遺伝子破壊株はRo09-0198感受性を示した。しかし今回得られた、破壊するとRo09-0198感受性を示す遺伝子の組み合わせからは、これらの遺伝子産物の既知の機能を基に考えても、Ro09-0198感受性の原因の特定には至らなかった。

 VPS33、VPS34、VPS45遺伝子破壊株において、TNBSによる細胞膜外層のPEの定量を行っても野生型株と差は見られず、これらの株におけるPE非対称分布の構成的な異常は考えにくい。しかし、先のBio-Roを利用した蛍光観察を行うと、VPS33、VPS45遺伝子破壊株では、bud neck部分に蛍光が見られる細胞がBEE1遺伝子破壊株よりもさらに多いことから、細胞分裂時の一時的なPEの露出が長いか、露出量が多いなどの何らかの異常が生じていることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 生体膜の主要構成成分であるリン脂質は、均一な分布ではなく、水平方向や膜の表裏において非対称的に分布しており、細胞膜の表裏において、ホスファチジルエタノールアミン(PE)は内側に偏って分布していることが、広く生物種を越えて確認されている。この非対称分布は、エネルギー依存性のフリッパーゼによって、フリップ・フロップと呼ばれる脂質二重層間の脂質の輸送が促進されることによって形成されると考えられているが、その機構・意義については解明されていない。本論文では、遺伝学的な解析が容易な出芽酵母Saccharomyces cerevisiae、およびPEと特異的に結合する環状ペプチドRo09-0198(分子量2,041)を材料として、PEの非対称分布を形成機構・意義について解析したものである。

 第1章では、Ro09-0198感受性と関連のある遺伝子のスクリーニングにより、PEの動態に関連する可能性のある因子の探索を行った結果について述べている。まず、Ro09-0198に対して感受性の高い出芽酵母の変異株であるS6,S10,S14株より、それぞれのRo09-0198感受性を相補する遺伝子として、VPS45,BEE1,SSD1であることを同定した。さらにEUROPEAN SACCHAROMYCES CEREVISIAE ARCHIVES FOR FUNCTIONAL ANALYSIS(EUROSCARF)由来の、出芽酵母の約5,000株の遺伝子破壊株コレクションを用いたRo09-0198感受性を示す遺伝子破壊株のスクリーニングでは、様々な要因によってRo09-0198感受性を与えていると考えられる多くの因子を網羅的に取得した。

 第2章、第3章では、BEE1の遺伝子産物Bee1pとRo09-0198感受性との関連について検討した結果を述べている。第2章では、まず、Bee1pの機能として知られているcortical actin patchの形成やエンドサイトーシスと、Ro09-0198感受性との明確な関連は認められなかった。また、トリニトロベンゼンスルホン酸(TNBS)による細胞膜外層PEの定量や、蛍光標識したPEの取り込みの顕微鏡観察およびfluorescence-activated cell sorter(FACS)による検討では、細胞膜PEは、BEE1破壊株において、内層・外層における分布、外層から内層へのフリップ・フロップ速度の異常も認められなかった。Ro09-0198を添加した状態での細胞観察では、電子顕微鏡により野生型株とBEE1破壊株におけるRo09-0198の膜系への影響は同様であったが、アクチンを蛍光観察した結果、野生型株で観察されたbud neckやsmall budにおける塊状のアクチンがBEE1破壊株では観察されず、これらの部位へのアクチンの集合においてBee1pが関与していることを示唆した。

 第3章では、まず、Ro09-0198をビオチン化したもの(Bio-Ro)を用いて、出芽酵母の細胞膜外層のPEを可視化することに初めて成功したことについて述べている。そして、この方法によって、出芽酵母の野生型株では25℃の下、bud neckやsmall budの細胞膜部分に蛍光が観察されることを見出した。同様に、分裂酵母Schizosaccharomyces Pomboにおいても分裂面や細胞の先端に蛍光が観察された。CHO細胞において、細胞分裂時の分裂溝の部分に一時的にPEが細胞膜外層に露出することが報告されていることを合わせて、細胞分裂時に分裂溝の細胞膜外層にPEが露出する現象が一般的であることを示唆した。さらに、酵母においては、分裂溝に該当する部分以外に細胞極性の向いている方向の先端部分の細胞膜外層にもPEが外層に露出していることを示唆し、局所的なPEの動態と細胞極性との関連の可能性を示唆した。また、出芽酵母に対しBio-Roを用いた観察を行った際、bud neck部分に蛍光が観察される時期は、細胞周期の分裂終期以降であることを示唆した。そして、Bio-Roを用いた観察において、BEE1破壊株では野生型株と同様の部位に蛍光が観察されるが、蛍光が観察される細胞の頻度が高いことや、細胞増殖速度がより速い30℃の下においても野生型株と異なり蛍光が観察されたことから、BEE1破壊株では細胞増殖の際、アクチン細胞骨格の異常によってPEが細胞膜外層に露出する時間が長いためにRo09-0198感受性を示した可能性を述べている。

 第4章では、液胞への小胞輸送に関与する、VPS45やその他のVPS遺伝子とRo09-0198感受性との関連の検討を行った結果を述べている。その結果、VPS遺伝子の既知の機能と考え合わせると、ゴルジ体とエンドソーム間の小胞輸送に関わるものがRo09-0198感受性にも関わるという共通性を見出した。

 以上本論文では、酵母の細胞膜外層PEを、Bio-Roを用いて可視化することに成功し、この方法により、細胞分裂の際に分裂溝の細胞膜外層にPEが露出する現象が種を越えて広く保存されていることを示唆した。さらに、分裂溝の部分を含め、局所的なPEの動態と細胞極性との関連の可能性を示唆し、極性の向いている先端方向へとアクチンを集合させるのにBee1pの機能が必要であることを示唆したものであり、学術上貢献するところが少なくない。よって、本審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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