学位論文要旨



No 118192
著者(漢字) 大沢,勇久
著者(英字)
著者(カナ) オオサワ,イサク
標題(和) イネのレトロポゾンp-SINE1の転写とその産物の解析
標題(洋)
報告番号 118192
報告番号 甲18192
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2581号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大坪,栄一
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 田中,寛
 東京大学 助教授 梅田,正明
 東京大学 講師 大坪,久子
内容要旨 要旨を表示する

 レトロエレメントは、その転写産物が逆転写されたのち転移する因子であり、真核生物ゲノムの重要な構成要素である。レトロエレメントの一種SINE(Short Interspersed Element)は、他の多くのレトロエレメントと異なり、RNAポリメラーゼIII(Pol III)によって転写され、自身の転移に必須なタンパク質をコードしないレトロポゾンである。イネのp-SINE1は、栽培稲Oryza sativaのWaxy遺伝子のイントロンヘの挿入配列として、当研究室で植物で最初に発見されたSINEであり、O.sativaのハプロイドゲノム当たり約6500コピー存在する。ゲノム上に存在するp-SINE1の解析から、そのコンセンサス配列は122bpのサイズでその内部にPol IIIのプロモーター様配列を持ち、3'末端にポリTが存在することが明らかにされている。本研究はp-SINE1の転写とその産物を解析することにより、p-SINE1が自身の持つPol IIIのプロモーターで転写されること、その発現がDNAメチル化などで制御されていること、およびO.sativaとその近縁種で特定のサブグループのp-SINE1メンバーが主に転写されていること、を明らかにしたものである。また、そのサブグループのp-SINE1メンバーの多くは比較的最近に転移したものであることから、その転写産物の高次構造を明らかにすることで、p-SINE1の転移に必要な構造を推定したものである。

1.イネ培養細胞におけるp-SINE1の転写

 O.sativaの懸濁培養細胞Ocより抽出した全RNAについて、p-SINE1配列をプローブとしてノーザン解析を行ったところ、p-SINE1配列の大きさとほぼ一致する低分子量のRNAを検出した。このことから、p-SINE1がイネ細胞中で発現していることが示唆された。5'RACE-PCRによりp-SINE1配列を含む転写産物の5'端領域をクローニングしてその配列を調べたところ、p-SINE1配列の5'端付近から始まるものに加えて、p-SINE1配列の5'端の上流の隣接領域から始まるものも存在することが分かった。そこで、Oc細胞の全RNAから300nt以下の低分子量のRNAを分画し、この標品を用いて5'RACE-PCRにより解析したところ、ほとんどの転写産物がp-SINE1配列の5'端付近から始まるものであることが分かった。これらの結果は、見いだされた低分子量のRNAがp-SINE1転写産物であり、p-SINE1配列の5'端付近から転写されたものであることを示す。また、p-SINE1配列内部にハイブリダイズするプライマーを用い、全RNAを鋳型としてプライマー伸長反応を行ったところ、p-SINE1配列の5'端付近で伸長が止まった産物が生じることが分かった。これはp-SINE1配列の5'端付近から転写されるという5'RACE-PCRの結果を確認するものである。また、C-RACE法によりp-SINE1転写産物の3'端領域の配列を調べたところ、p-SINE1配列の3'端にあるポリUで終わるものが多いことが分かった。これは、p-SINE1の転写が、p-SINE1配列の3'端に存在するポリTで終わることを示す。p-SINE1配列の内部にはPol IIIのプロモーター様配列があり、ポリTはPol IIIの転写終結シグナルであることから、p-SINE1はPol IIIにより転写されその産物を生じることが示唆された。

 5'RACE-PCRとC-RACEで得られたp-SINE1の転写産物の中には、ゲノム上に存在するp-SINE1メンバーの解析から得られたコンセンサス配列と較べ異なる6つの塩基置換を同じ位置に持つものが高い割合(62.5%)で存在することが分かった。これらの塩基置換はO.sativaの系統間で挿入の有無の多型を示すp-SINE1のサブファミリーRA(Recently Amplified)の中のひとつのサブグループ(RAαと呼ぶ)のメンバーが持つ塩基置換と一致するものであった。これはRAサブファミリーに属する比較的最近に転移したp-SINE1メンバーが主に発現していることを示す。

 p-SINE1がPol IIIによって転写されていることをさらに確かめるため、タバコの核抽出物を用いてRNAポリメラーゼIIの阻害剤の存在下でp-SINE1配列を運ぶプラスミドDNAを鋳型としてin vitro転写を行った。その産物を電気泳動したところ、p-SINE1配列の5'端付近から始まる転写産物が生じていることがわかった。この転写産物は、Pol IIIのプロモーター様配列に変異を入れたp-SINE1配列を運ぶプラスミドDNAを鋳型とした場合には生じなかった。この結果は、p-SINE1がPol IIIによって転写されていることを確認するものである。

2.DNAメチル化阻害剤の存在下と熱ストレス下でのp-SINE1の転写

 レトロエレメントの多くはDNAメチル化によるエピジェネティックな発現抑制を受けている。そこで、p-SINE1の発現がメチル化により抑制されるかどうか調べるために、DNAメチル化阻害剤(5-アザシチジン)処理したOc細胞からRNAを抽出し、ノーザン法で解析した。その結果、p-SINE1転写産物の量が5-アザシチジン処理によって顕著に増大することがわかった。これは、p-SINE1の発現がDNAメチル化によって抑制されていることを強く示唆する。5-アザシチジン処理した細胞中のp-SINE1転写産物を5'RACE-PCR及びC-RACEにより調べたところ、無処理の場合と同様、RAαサブグループのp-SINE1メンバーに特徴的な塩基置換を有するものが大部分であった。この結果は、RAαサブグループのp-SINE1メンバーの発現がDNAメチル化によって抑制されていることを示す。さらにRAαサブグループのp-SINE1メンバーの配列が実際にメチル化されているかどうかを明らかにするために、Oc細胞ゲノム中のp-SINE1メンバーの配列におけるメチル化部位をbisulfite genomic sequencing法によって調べたところ、その内部のメチル化ターゲット配列であるCGまたはCNG配列のシトシン残基が強くメチル化されていること、5-アザシチジン処理によりそのメチル化の程度が下がること、がわかった。これは、DNAメチル化がp-SINE1の発現抑制に関与するという上記の結果を指示するものである。

 動物のSINEでは細胞への熱ストレスにより転写産物量が増大することが知られている。そこでp-SINE1の転写に熱ストレスを与える影響を調べるため、熱ショック処理したOc細胞中から全RNAを抽出しp-SINE1転写産物をノーザン法により解析した。その結果、p-SINE1の転写産物量は動物のSINEの場合とは異なり、減少することがわかった。熱ショック処理したOc細胞中のp-SINE1転写産物を5'RACE-PCRによって調べたところ、無処理の場合と同様、RAαサブグループに特異的な塩基置換を持つものが大部分であった。これは、RAαサブグループのp-SINE1メンバーとそれ以外のメンバーのいずれの転写産物の量も熱ストレスにより減少することを示唆する。

3.植物体でのp-SINE1の転写

 O.sativa(日本晴)の植物体の各器官より抽出した全RNAを用いて、ノーザン解析によりp-SINE1の発現を調べた。その結果、根と穂においてp-SINE1の転写産物が検出されたが、葉では検出されなかった。これは、p-SINE1が植物体のいくつかの組織に特異的に発現していることを示す。穂の生殖細胞でp-SINE1が転移した場合、その新たに転移したメンバーは種子を経て次世代に遺伝するため、穂における転写産物を調べることはp-SINE1の転写と転移の関係を明らかにする上で重要であると考えられる。穂の細胞におけるp-SINE1転写産物を5'RACE-PCRによって調べたところ、培養細胞と同様、RAαサブグループに特異的な塩基置換を持つものが大部分であった。これは、組織に関わらずO.sativaの細胞ではRAαのp-SINE1メンバーが主に転写されていることを示唆する。

 次にRAαサブグループのp-SINE1メンバーがO.sativaに近縁の種の系統でも転写されているかどうかを明らかにするためにO.sativaと同じAAゲノムを持つ四つの種(O.rufipogon、O.barthii、O.glaberrima及びO.logistaminata)の系統の穂の細胞中のp-SINE1転写産物を5'RACE-PCRによって解析した。生じたPCR産物をクローニングし塩基配列を調べたところ、RAαサブグループに特異的な塩基置換を持つものが大部分であることがわかった。これは、RAαサブグループのp-SINE1メンバーがAAゲノムを持つ近縁種でも主として転写されていることを示すものであり、このことはAAゲノムの祖先種において既にそれらが転写されるようになっていたことを示唆する。

4.p-SINE1転写産物の二次構造

 prSINE1転写産物は、その転移に必要な逆転写酵素などのタンパク質と相互作用すると考えられる。これらのタンパク質はp-SINE1転写産物の高次構造を認識し作用していることが予想される。そこでRAαサブグループのP-SINE1メンバーの転写産物がどのような高次構造を取っているのか、その構造が他のp-SINE1メンバーのものとどのような違いがあるのか、を明らかにするために、まずRAαサブグループのp-SINE1の転写産物とコンセンサス配列を持つp-SINE1の転写産物をそれぞれ合成し、それらを非変性ポリアクリルアミドゲル電気泳動で解析した。その結果、RAαサブグループのp-SINE1転写産物は1本のバンドとして現れたのに対し、コンセンサス配列を持つp-SINE1転写産物は複数のバンドとして現れた。この結果はRAαサブグループp-SINE1転写産物がコンセンサス配列を持つものとは異なり単一の高次構造を取ることを示唆している。また、これらのp-SINE1転写産物を温度勾配(10から50℃)非変性ポリアクリルアミドゲル電気泳動で解析したところ、RAαサブグループのp-SINE1転写産物は温度変化に関わらず、単一のバンドとして現れた。これは、その高次構造が温度変化に関して安定であることを示唆している。

 RAαサブグループのp-SINE1転写産物の実際の高次構造を推定するため、まずRNAの二次構造をコンピュータープログラムmfoldによって調べた。その結果、5'側の領域と3'側の領域においてそれぞれステム-ループ構造を取ることが予測された。次に、RAαサブグループのp-SINE1転写産物を、一本鎖RNAの特異的塩基または二本鎖RNAを切断する各種RNaseで処理し、その切断箇所を解析することによって二次構造を調べた。その結果、p-SINE1の5'側領域のmfoldによって予測されたステム-ループ構造が存在することが示唆された。

 以上、本研究はイネのレトロポゾンp-SINE1がPol IIIによって転写されること、p-SINE1にはRAαというサブグループが存在し、イネにおいてAAゲノムを持つ色々な種の系統で発現していることを明らかにした。また、p-SINE1の発現がDNAのメチル化によって抑制されていること、熱ストレスによって転写産物量が減少するような制御を受けていること、を明らかにした。さらにRAαサブグループのp-SINE1転写産物の二次構造を明らかにした。この構造は転移に必要な逆転写酵素などの認識に関与している可能性が示唆される。これらの結果は、これまで全く解明されていなかった植物のSINEの転写とその制御や転写産物の二次構造を明らかにしたものである。

審査要旨 要旨を表示する

 レトロエレメントは、その転写産物が逆転写されたのち転移する因子の総称であるが、その一種SINEは他の因子とは異なりRNAポリメラーゼIII(Pol III)によって転写される。p-SINE1は、イネ(Oryza sativa)のゲノムに存在する約122bpの大きさのSINEであり、内部にPol IIIのプロモーター様配列を持ち、3'末端にポリTが存在する。本論文は、p-SINE1の転写とその産物を解析することにより、p-SINE1が実際Pol IIIで転写されること、その発現がDNAメチル化などで制御されていること、特定のサブグループのp-SINE1メンバーが主に転写されていることを明らかにすると共に、p-SINE1の転写産物の高次構造を解析しその転移に必要な構造を推定したものであり、6つの章からなる。

 第1章で研究の背景を述べた後、第2章ではイネ懸濁培養細胞Ocにおけるp-SINE1の転写について述べている。まず、培養細胞より抽出したRNA標品を用いてp-SINE1配列をプローブとしたノーザン解析、5'RACE-PCR、C-RACE、及びプライマー伸長反応を行い、p-SINE1が発現していること、生じた転写産物がp-SINE1配列の5'端付近から始まり3'端にあるポリUで終わるものであることを示した。また、p-SINE1配列を運ぶプラスミドDNAを鋳型としてタバコの核抽出物中に生ずる転写産物を解析することによって、p-SINE1がPol IIIによって転写されていることを示した。

 さらに、Oc細胞から得られたp-SINE1の転写産物は、p-SINE1のコンセンサス配列とは異なり、イネで比較的最近に転移しているp-SINE1のサブファミリー中のサブグループ(RAα)のメンバーが持つ6個の塩基置換を高い割合(63%)で持つことを見出した。

 第3章ではストレス下でのp-SINE1の転写について述べている。まず、DNAメチル化阻害剤(5-アザシチジン)で処理したOc細胞から抽出したRNA標品を用い、p-SINE1転写産物の量が顕著に増大すること、生じた転写産物の大部分がRAαのメンバーに由来するものであることを示した。これらとその他の結果から、RAαのp-SINE1メンバーの発現がDNAメチル化によって抑制されていることを指摘した。

 次に、熱ショック処理したOc細胞から抽出した全RNAを用いた場合、p-SINE1の転写産物の量が減少することを示した。残った転写産物の大部分がRAαのメンバーに由来することから、熱ストレスによりRAαの転写産物の量のみならず、他のp-SINE1メンバーの転写産物の量も減少すると推測した。

 第4章では植物体(日本晴)でのp-SINE1の転写について述べている。根と穂より抽出した全RNA中にはp-SINE1の転写産物が検出されるが、穂の細胞におけるp-SINE1転写産物の大部分がRAαのメンバーに由来することから、植物体でも培養細胞と同様、RAαのp-SINE1メンバーが主に転写されていることを示唆した。

 さらにRAαのメンバーがO.sativaの近縁種の系統の穂でも転写されていること、その転写産物の大部分がRAαのメンバーに由来することから、これらの祖先種において既にRAαのメンバーが転写されるようになっていたと推測した。

 第5章ではp-SINE1転写産物の二次構造について述べている。RAαの配列を持つp-SINE1の転写産物を合成し、非変性ポリアクリルアミドゲル電気泳動することによって、それが単一の高次構造を取ることを見出した。また、一本鎖RNAの特異的塩基または二本鎖RNAを認識する各種RNaseによる切断によって決定した転写産物の二次構造が、コンピュータープログラムmfoldによって予測された構造と一致することを示し、この構造が転移に必要な逆転写酵素などの認識に関与している可能性を指摘した。

 第6章では以上の結果を踏まえてp-SINE1の転写制御とその転写産物の転移経路を考察している。

 以上、本論文はイネのSINEがPol IIIによって転写されること、特定のサブグループのメンバーが発現していることを明らかにすると共に、その発現がDNAのメチル化によって抑制されていること、熱ストレスによって転写産物量が減少するような制御を受けていること、さらに転写産物の二次構造を明らかにしたものであり、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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