学位論文要旨



No 118193
著者(漢字) 大根田,守
著者(英字)
著者(カナ) オオネダ,マモル
標題(和) 麹菌Aspergillus oryzaeの液胞機能に関する遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 118193
報告番号 甲18193
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2582号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 堀内,裕之
 東京大学 助教授 中島,春紫
内容要旨 要旨を表示する

 高等植物及び真核微生物の細胞内には液胞と呼ばれる酸性のオルガネラが存在する。液胞は主として老廃物の分解と蓄積、細胞質イオン恒常性の維持に働く。液胞内には動物細胞におけるリソソームと同様に、多種類の加水分解酵素が含まれており、不要となったタンパク質、核酸、脂質など生体高分子の分解に働いている。このような加水分解酵素は産業においても非常に有用であり、食品加工や医薬品製造などに利用することにより飛躍的な効率化が期待できる。リソソーム/液胞酵素を工業的な規模で生産することが課題であり、安全かつ低コストな生産系の構築が待望されている。

 酵素剤などの生産に広く用いられている糸状菌は、酵母などに比べて遙かに多量のタンパク質を細胞外に分泌する能力を持つ。なかでも麹菌Aspergillus oryzaeは、日本において清酒、味噌、醤油などの醸造に古来より用いられている産業微生物であり、麹菌を用いた加工食品の安全性は世界的に高い評価を得ている。これら産業的有用性に加えて、生物学的見地からも液胞機能やタンパク質輸送機構に関する糸状菌特有の現象が報告されている。例えば、菌糸の先端成長、分岐形成、オルガネラの配置、分生子柄の形成などには、液胞による膨圧が重要な役割をしていると考えられている。また、糸状菌は生育可能な環境のpH領域が広いことから、液胞によるpH調節機能が発達していると考えられる。タンパク質輸送に関しても、菌糸先端部における特異的なタンパク質分泌と細胞成長が示唆されており、酵母や他の微生物とは全く異なる細胞極性が、細胞内小胞輸送やタンパク質分泌に少なからず影響を与えていると予想される。出芽酵母Saccharomyces cerevisiaeでは、液胞酵素carboxypeptidase Yを細胞外に分泌する50以上のvps(vacuolar protein sorting)変異株が取得され、それらを解析することによってタンパク質輸送機構や液胞機能などの解析が行われている。しかし現在のところ、麹菌をはじめとする糸状菌の液胞に関する遺伝学的知見は非常に少ない。

 本研究では、糸状菌における液胞機能及びタンパク質輸送機構を解明するとともに、麹菌をリソソーム/液胞タンパク質分泌生産の宿主に利用することを目的とした。

1.CPY::EGFPによるA.oryzaeの液胞の可視化

 A.oryzaeの液胞タンパク質の挙動を可視化するために、A.nidulans由来の液胞内酵素であるcarboxypetidase Y(CPY)と蛍光タンパク質EGFPの融合タンパク質をコードするcpyA-egfp遺伝子を発現ベクター上に構築し、A.oryzae NS4株(niaD,sC)を形質転換した。得られたsC+の形質転換体(NSCE1株)を蛍光顕微鏡で観察したところ、液胞にEGFP蛍光が認められることを確認した。EGFP蛍光は、菌糸の基部では大きく発達した液胞を、菌糸先端部においては微分干渉顕微鏡では判別できない様な未発達の小さい液胞をも可視化した。液胞におけるEGFPの蛍光強度は培養条件によって大きく変動し、例えば、pH5.5の酸性培地で培養した場合には蛍光は大変弱くなり、逆にpH8.0のアルカリ性培地で培養した場合には強い蛍光が認められた。一般にEGFPの蛍光は酸性下で著しく低下することが知られているが、NSCE1株より抽出したタンパク質中のEGFP蛍光も低pH感受性を示した。また、GFP抗体によるWestern解析を行ったところ、酸性条件下で生育したNSCE1株では細胞内のEGFP量が減少していた。更に、酸性条件下で培養した場合でも、液胞型ATPaseの阻害剤であるBafilomycin A1を培地中に添加すると、濃度依存的に液胞内の蛍光が強くなった。液胞内の酸性化及びそれによる液胞内プロテアーゼの活性化が、酸性条件下における蛍光低下の原因であると推定した。

 NSCE1株では、通常の球状の液胞以外にチューブ状又はリング状の構造体がEGFP蛍光によって可視化された。これらの構造体は、液胞などの酸性オルガネラを染色する蛍光色素であるCMACによって染色されなかった。また、チューブ状の構造体を経時的に観察したところ、チューブ状の構造からリング状の構造に変化する様子が観察された。これらの構造体は、窒素源飢餓培地で培養した場合や、最小培地で数日間培養した古い細胞を観察した際に頻繁に出現することから、栄養源の枯渇と関連したものであることが予想された。

2.A.oryzae CPY::EGFP発現株からのvps(vacuolar protein sorting)変異株の取得

 CPY::EGFPの蛍光を指標として液胞タンパク質を培地中に分泌生産する変異株を取得するために、NSCE1株の分生子をUV照射により変異処理した。

 酵母のvps変異株には液胞型ATPaseのサブユニットを液胞膜に局在化することができないために、液胞内の酸性化ができないものが含まれている。また、麹菌の分生子においてCPY::EGFPを液胞に輸送できない変異株は、菌糸においてCPY::EGFPを分泌する可能性が高い。EGFPは液胞内の酸性pHやプロテアーゼの影響によって蛍光強度が低下するので、液胞内の酸性化或いはCPY::EGFPの局在化に異常を持つ変異株では細胞内のEGFP蛍光が強くなると予想し、変異株ライブラリーから分生子内蛍光の強いhfc変異株(hyper-EGFP fluorescence in conidia mutants)18株をFACS(Fluorescence-Activated Cell Sorter)を用いて取得した。

 また、より単純な発想から、CPY::EGFPを細胞外に分泌する変異株では、細胞内の蛍光が低下することが予想された。そこでhfc変異株とは逆に、分生子内蛍光の弱いdfc変異株(dark EGFP fluorescence in conidia mutants)18株をFACSを用いて取得した。

 更に、菌体から細胞外に分泌されたCPY::EGFPを直接検出することにより、vps変異株を取得することを試みた。96穴マイクロプレートの各well内で個別に培養された変異株の培地蛍光をマイクロプレート蛍光リーダーを用いて測定し、培地中のEGFP蛍光が強いhfm変異株(hyper-EGFP fluorescence in the medium mutants)22株を取得した。

3.A.oryzae vps変異株の表現型の解析

 各変異株の液体培養時における生育を測定したところ、hfc-1変異株の生育がアルカリ性培地の時に極度に低下することが分かった。また、この変異株の液胞は微分干渉顕微鏡では野生株のものと変わりないが、CMACによる染色が著しく弱いことから、液胞内の酸性化に異常を持つことが示唆された。更に、アルカリ性培養の際の菌体重量当たりの培地中のEGFP蛍光強度が野生株に比べて約12倍に増大していた。hfc-3変異株は酸性条件下で瘤状の菌糸を形成する形態異常を示し、この時に野生株の2〜3倍のEGFP蛍光が培地中より検出された。hfc-4変異株はアルカリ性培養の時に多分岐の菌糸を形成する形態異常を起こして液胞のフラグメント化が認められ、この時に野生株の4倍程度のEGFP蛍光が培地中より検出された。dfc-14変異株及びhfm-4変異株は酸性培養時に多分岐を形成し、この時に野生株の10倍以上のEGFP蛍光が培地中より検出された。更に、これら2株では、酸性の時にはフラグメント化した液胞に、アルカリ性の時には液胞周辺のドット状の構造にEGFP蛍光が観察された。hfm-7変異株では酸性アルカリ性両方の培養条件において野生株の4〜6倍のEGFP蛍光が培地中より検出された。更に、hfm-21変異株ではアルカリ性培養時に野生株の40倍以上のEGFP蛍光が培地中に検出され、興味深いことに、菌糸先端付近にEGFP蛍光が観察された。糸状菌ではタンパク質は主に菌糸先端から分泌されると言われているので、CPY::EGFPが菌体外分泌酵素と同様の分泌経路を通って分泌されている可能性が高いと考えられる。また、上記変異株のほとんどで細胞内におけるCPY::EGFPの安定化が認められ、液胞酵素の分泌によるタンパク質分解機能の低下が示唆された。更に、CPY::EGFPだけでなく、本来A.oryzaeが持つ液胞酵素Tripeptidylpeptidase Iの培地中への生産も認められた。これらの変異株は有用なリソソーム/液胞タンパク質を培地中に分泌生産する宿主としての利用が期待される。

4.A.oryzae vps変異株の原因遺伝子の同定

 これまでA.oryzaeでは、有性生活環を持たないことや分生子が多核であることから古典遺伝学による解析が困難なため、遺伝学的研究が遅れていた。実際、A.oryzaeから多数の変異株が取得されているもののその原因遺伝子を同定した例は殆どない。そこで、A.oryzaeにおける変異株の原因遺伝子同定法を確立することを目的として、本研究で取得されたvps変異株の原因遺伝子を同定することを試みた。麹菌ゲノムコスミドライブラリーと自律複製領域AMA1を持つプラスミドを用いて、hfc-1変異株をco-transformationした。得られた形質転換体から液体アルカリ性培地で正常に生育する株を取得し、そこからプラスミドを回収した。回収されたプラスミドにはコスミドに挿入されていたと思われるゲノム断片の一部が残っており、麹菌ゲノム情報のデータベースを用いてその配列を検索したところ、その配列付近に細胞内のpH調節及びゴルジ体から液胞への小胞輸送に関与する酵母の遺伝子と相同性を持つORFが見つかった。またこのORFは、アルカリ耐性形質転換体が持つプラスミドに保持されていることが確認された。現在、このORFがhfc-1変異株の原因遺伝子かどうかの確認を行っている。

 本研究では、産業的に重要な微生物でありながらこれまで遺伝学的研究が遅れていた麹菌を用いて、液胞タンパク質の挙動を可視化する系の構築、CPY::EGFPを指標としたvps変異株の取得と表現型の解析、及びプラスミドレスキューによる原因遺伝子の特定を行った。これにより、麹菌においても酵母と同等の研究が可能であることを示した。本研究で得られた知見が、糸状菌の液胞機能やタンパク質輸送機構の解明の手がかりとなり、産業的にも有効に利用されることが期待される。

1)Ohneda,M.,Arioka,M.,Nakajima,H.,and Kitamoto,K.(2002)

Visualization of vacuoles in Aspergillus oryzae by expression of CPY-EGFP

Fungal Genetics and Biology 37(1)29-38.

2)Ohneda,M.,Arioka,M.,and Kitamoto,K.

Isolation and characterization of vacuolar protein sorting mutants from Aspergillus oryzae expressing CPY::EGFP(投稿準備中)

審査要旨 要旨を表示する

 麹菌Aspergillus oryzaeは、日本の醗酵食品に古くから用いられてきた産業上重要な微生物である。また、麹菌の高いタンパク質分泌能力と安全性が注目され、有用タンパク質生産の宿主としての利用が期待されているものの、基礎生物学的観点からの研究は遅れている。本研究は、麹菌A.oryzaeの液胞機能と液胞タンパク質輸送に関するものであり、4章からなる。

 第1章では、A.oryzaeの液胞の可視化について述べている。A.oryzaeにおける液胞タンパク質の挙動や液胞内環境の変化を知るための指標として、A.nidulans由来の液胞酵素carboxypeptidase Yと蛍光タンパク質EGFPの融合タンパク質をA.oryzaeで発現させた。これによってこれまで微分干渉顕微鏡では観察するのが困難であった菌糸先端付近の小さい液胞や液胞の動態を生きた細胞において詳細に観察することが可能となった。また、液胞におけるEGFP蛍光強度は細胞外pHなどの生育条件によって変化したが、液胞内の酸性化を阻害するBafilomycin A1を培地中に添加することによって液胞内のEGFP蛍光強度が増大したことから、液胞内の酸性化がEGFP蛍光強度を低下させる原因であると推定した。更に、EGFP蛍光によって微分干渉顕微鏡では観察されないリング又はチューブ状の構造体が可視化されることを見出した。それらの動態と出現条件を解析した結果、チューブ状の構造体からリング状の構造体に変化する様子をtime-lapse imageとして撮影することに成功し、栄養飢餓状態の細胞にリング状の構造体が多数出現することを見出した。

 第2章では、A.oryzae CPY:EGFP発現株からの液胞タンパク質missort変異株の取得について述べている。これまでA.oryzaeでは分生子が多核であることなどから変異株の取得が困難であったが、それらをFACS(fluorescence-activated cell sorter)や蛍光マイクロプレートリーダーなどの分析機器の使用により克服し、合計6万株からなる変異株ライブラリーの中からそれぞれの目的にあった変異株を単離した。まず始めに、出芽酵母のvps変異株の様に、液胞型ATPaseサブユニットを液胞膜状に局在化することができずに液胞内の酸性化に欠損を持つものなどを想定して、FACSを用いて分生子内EGFP蛍光の強いhfc(hyper-EGFP fluorescence in conidia)変異株を18株単離した。また、同様にFACSを用いてCPY::EGFPを細胞外に分泌することで分生子内EGFP蛍光が低下したdfc(dark EGFP fluorescence in conidia)変異株を20株単離した。更に、蛍光マイクロプレートリーダーを用いて分泌されたCPY::EGFPによって培地中のEGFP蛍光が増大したhfm(hyper-EGFP fluorescence in the medium)変異株を22株単離した。

 第3章では取得した液胞タンパク質missort変異株の表現型を解析した。分生子内に強いEGFP蛍光を示すhfc-1変異株は、A.oryzaeの液胞型ATPaseのサブユニットAをコードするvmaA破壊株と同様に、アルカリ性培地での生育が極度に低下していた。また、液胞などの酸性コンパートメントを染色するCMACを液胞内に取り込むことができないことから、液胞内の酸性化に欠損を持つことが示唆され、初めに想定した通りの変異株が取得されていることが確認された。酸性培養時のdfc-14変異株及びhfm-4変異株の培地からは野生株に比べて10倍以上のEGFP蛍光が検出され、アルカリ性培養時のhfm-21変異株の培地からは野生株の36倍のEGFP蛍光が検出された。また、内在性液胞酵素であるtripeptidylpeptidase I(TPP I)はアルカリ性条件下で発現が誘導されることが知られているが、多くの変異株でアルカリ性培養時に野生株の6〜8倍のTPP I活性が培地中から検出された。酸性培養時のhfc-3、dfc-14、hfm-4変異株及びアルカリ性培養時のhfc-4変異株では、出芽酵母のClass B vps変異株のように細分化した液胞が観察され、アルカリ性培養時のdfc-14、hfm-4変異株では出芽酵母のClass E vps変異株のように液胞周辺のドット状の構造へのCPY::EGFPの蓄積が認められた。また、A.oryzaeに特有の表現型として、液胞の細分化に伴い多分岐などの菌糸の形態異常が多くの変異株で認められ、殆どの変異株が細胞外のpHによって異なる表現型を示した。

 第4章では、液胞タンパク質missort変異株のうち、hfc-1変異株のアルカリ感受性を利用した原因遺伝子の同定について述べている。A.oryzae野生株のゲノムを用いて作成したコスミドライブラリーと、自律複製領域AMA1を含むプラスミドによりhfc-1変異株をco-transformationした。得られた形質転換体の中からアルカリ性培地での生育が回復したものを取得し、そこからプラスミドをレスキューした。プラスミドに含まれるゲノム断片の塩基配列を解読し、A.oryzaeゲノムデータベースを用いてゲノム断片の全配列情報を取得した。その配列から推定されるORFのなかに出芽酵母の液胞タンパク質輸送に関与するDNF3が含まれることを見出した。更に、A.oryzae野生株からPCRによってクローニングしたDNF3遺伝子をhfc-1変異株に導入し、アルカリ感受性の相補を確認した。

 以上、本研究はA.oryzaeの液胞形態、液胞機能、液胞タンパク質輸送を可視化する系を構築し、それを指標に液胞関連の変異株を取得、解析すると共に、プラスミドレスキューによる変異株原因遺伝子同定法を確立したものであり、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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