学位論文要旨



No 118199
著者(漢字) 槌田,謙
著者(英字)
著者(カナ) ツチダ,ケン
標題(和) 挿入因子IS3の転移経路の解明
標題(洋)
報告番号 118199
報告番号 甲18199
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2588号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大坪,栄一
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 田中,寛
 立教大学 助教授 関根,靖彦
 東京大学 講師 大坪,久子
内容要旨 要旨を表示する

 挿入配列IS(insertion sequence)とは、DNA上のある部位から異なる部位へ転移することが可能な固有のDNA塩基配列である。ISはその転移する能力により逆位、欠失、レプリコン融合などの様々なDNA組換え反応を引き起こすことから、ゲノムの大規模な再編成の原動力の一つと考えられている。細菌には多種類のISが存在するが、その一般的特徴は、両末端に数十塩基対の逆向き反復配列(inverted repeat:IR)を持ち、内部に自らの転移に必須の蛋白質トランスポゼースをコードしていることである。ISの転移はISの複製を伴わない場合と複製を伴う場合に分けられる。複製を伴わない転移の結果、ISが標的部位に単純挿入された産物が生じる。複製を伴う転移の結果、ISが存在するレプリコンと標的レプリコンとの融合体が形成される。このときISは倍加し、両レプリコンの境界に位置する。

 ISはその塩基配列やトランスポゼースのアミノ酸配列によりいくつかのファミリーに分類される。IS3ファミリーの代表格であるIS3の両端には、39塩基対のIRが存在し、内部には互いにout-of-frameの二つのORF(orfA、orfB)を有する。この二つのORFが重なる領域のA4G配列中で翻訳レベルの一1方向のフレームシフトが起こり、トランスポゼース(Tnp)が産生される。OrfAはIRに結合し、転移を抑制する働きがある。Tnpの作用によりIS3の片側のIRの3'末端に切れ目を入れ、反対側のIRの5'末端から3塩基離れた部位に繋ぎ換え、一本鎖のみ環状化した8の字形分子が生じる。IS3はこの分子からIS3がその両端で3塩基対を挟み込み繋がった形(サークルジャンクション)で環状化した環状IS3分子として切り出され、標的部位に単純挿入する形、いわゆる複製を伴わない転移で進行すると考えられてきた。

 トランスポゾンの単純挿入体あるいは融合体をつくる反応初期において、トランスポゼースがトランスポゾンの両端のIRに結合し、トランスポゼースのタンパク質間相互作用により両IRを近接させた複合体(トランスポソゾーム)を形成し、そこでストランドトランスファー反応が進むと考えられている。IS3のIRには機能的に異なる二つのドメイン(末端近くのAドメインと内側のBドメイン)が存在するが、一方のIR内のAドメインと他方のIR内のBドメインがAドメインに接するIRの端から他端から3塩基対離れた部位との組換えを起こし、8の字形分子が生じることが示唆されている。この反応は2分子のトランスポゼースそれぞれが一方のIRのAドメインともう一方のIRのBドメインを認識し、安定した複合体内で起こるというモデルが考えられている。しかしながら、IS3の実際のTnp-IR複合体の構造は明らかにされていない。

 本研究は、まずIS3が単純挿入体のみならずIS3を運ぶプラスミドと標的プラスミドとの融合体を形成する能力を持つことを示す。次に、単純挿入体、融合体に関わるTnp-IR複合体の構造を解析し、IS3の転移初期過程の一部を明らかにした。得られた成果は次のように要約することができる。

1.IS3による融合体形成反応の解析

(1)IS3トランスポゼースの融合体形成能

 野生型IS3の翻訳フレームシフトが起こるA4G配列に1塩基Gを挿入し、フレームシフトを介さなくてもトランスポゼース(TnP)を過剰産生できるようにしたIS3変異体、IS3-1、を運ぶプラスミドと標的プラスミドを大腸菌保持させた。その結果、IS3-1を運ぶプラスミドと標的プラスミドとが融合したような構造の転移産物が生じることが分かった。この融合体形成はTnpに依存しているが、大腸菌が持っている相同組換え機構には依存していなかった。しかし、非相同組換えを抑制するヘリカーゼ遺伝子recQの欠損変異株内では、その形成頻度は上昇することが分かった。また、この融合体は、Tnpをコードする遺伝子の代りにクロラムフェニコール耐性遺伝子を両IRの間に持つ変異体IS3(ミニIS3)を運ぶプラスミドと標的プラスミドを保持する大腸菌でトランスポゼースを誘導産生させた場合でも生じることが分かった。以上の結果は、IS3が複製を伴わずに単純挿入体を与える転移の他に、複製を伴い融合体を与える能力を持つことを示唆する。

(2)融合体の構造

 得られた融合体の構造を、制限酵素による切断およびDNAシークエンシングにより解析した。その結果、IS3-1を運ぶプラスミドと標的プラスミドとの融合体には2種あることが分かった。その一つは二つのプラスミドの境界にIS3-1を1コピーずつ持つ完全な構造の融合体であり、もう一つは2つのIS3-1の一方が欠失しているものであった。欠失を有するタイプの融合体は次の二つの特徴を持つことが分かった。1)二つのプラスミドの境界領域の一方に存在する完全長のIS3-1の左側のIR(IRL)末端が標的プラスミドと繋がっている。2)他方の境界領域の存在するIS3-1の一部は欠失しているが、同時に標的プラスミド配列の一部も欠失した形で繋がっている。この欠失を持つ融合体は、完全な構造の融合体上の短い(4〜9bp)相同配列間での非相同組換えにより欠失した構造をしているものと考えられた。一方、ミニIS3を運ぶプラスミドと標的プラスミドとの融合体は全て上記のような欠失を有するタイプの融合体であった。

(3)融合体の欠失に関与するIS3内部配列の特定

 IS3のIR内部をほぼ完全に除いた変異体IS3を運ぶプラスミドを保持する大腸菌内でトランスポゼースを誘導産生したところ、欠失を持たない完全な融合体のみが高頻度で生じることが分かった。この結果は、欠失を持つ融合体の生成にIS3の内部配列が関与していることを示唆する。そこで、IS3内部の様々な領域を欠失した変異体IS3を構築し、その融合体の構造の解析を行った結果、複数の配列が欠失を持つ融合体の生成に関与していることが分かった。

 以上の結果から、IS3は単純挿入体のみならず融合体を形成する能力をも持つことが明らかになった。しかし、IS3の内部配列は完全な融合体の形成を阻害しているためその形成頻度が低く押さえられている。この内部配列は、融合体形成時のストランドトランスファー反応後、IS3DNAの複製を停止させ、その結果複製フォークの切断を促すと思われる。もし生じたDNA末端が、切断されなかった方のIS3配列と組換えを起こし、IS3を運ぶプラスミド中のIS3以外の配列を除外すれば、融合体ではなく単純挿入体が形成されるという機構が考えられる。複製されるIS3の一方に欠失を持つ不完全な融合体は、切断により生じたDNA末端が標的プラスミド上の他の短い相同領域の部位での組み換えによりたまたま生じたもので、IS3を運ぶプラスミド及び標的プラスミド上の双方のマーカーを強制的に選択した結果得られたものと考えられる。

2.Tnp及びOrfAタンパク質によるIRとの複合体の解析

(1)Tnp及びOrfAのIRへの特異的結合

 Tnp、OrfAタンパク質によるIS3未端逆向き反復配列IRへの特異的結合を調べるために、それぞれをマルトース結合タンパク質(MBP)との融合タンパク質の形で産生させ、精製した。この精製標品を用いてIRを含むDNA断片に結合するかどうかゲルシフト法で解析したところ、標識したIRを含む断片はTnpに依存してシフトすることが分かった。この結果はTnp-DNA複合体を形成していることを示す。この複合体の形成は標識していないIRを含むDNA断片によって阻害されるが、IRを含まないDNA断片によっては阻害されないことが分かった。このことはTnpがIR配列特異的に結合することを示す。低濃度のTnpでは比較的移動度の早いTnp-DNA複合体(複合体I)が形成されるが、Tnp量を増加させるとそれよりも移動度の遅い複合体(複合体II)が形成されることが分かった。

 OrfAにおいてもOrfAに依存してOrfA-IR-DNA複合体が形成されることが分かった。しかし、このOrfA-DNA複合体の形成にはTnp-DNA複合体形成と比べ高濃度のOrfAが必要であった。

(2)Tnp及びOrfAタンパク質の変異IRとの結合

 IS3のIRにはストランドトランスファー反応に必須の機能的に異なる二つのドメイン(端に位置するAと内側のB)が存在する。IRの各ドメインの様々な部位に変異を導入したDNA断片を用いてゲルシフト法で調べた結果、末端から15-23番目のBドメイン内の塩基対がTnp-DNA複合体I,IIのどちらの形成にも重要であることが分かった。また、末端から7-10番目の部位、Bドメインの外側の32-39番目の部位は複合体Iの形成には影響を与えないが、複合体IIを形成するのに重要であることが分かった。末端から7-10番目の部位はA,Bドメインの境界に位置し、その変異によって組換え活性を著しく低下させることが明らかになっている。このことからこの部位の変異による組換え活性の低下は複合体IIの形成が阻害されたことが原因であると考えられる。

 OrfAについては、末端1,2番目の部位、3-6番目の部位に変異を導入したIRを含むDNA断片ではOrfA-DNA複合体は形成されないことが分かった。このことはOrfAはAドメイン内のIR末端1-6番目の部位を認識して結合していることを示唆する。OrfAのIR結合認識配列がTnpとは異なることからOrfAによる転移阻害活性は、OrfAがTnPのIRへの結合を競合的に阻害するのではなく、IR末端に結合し、組換え反応を阻害することに因るということが示唆される。

(3)Tnp及びOrfAタンパク質により認識されるIR配列の特定

 Tnpにより認識されるIR内の配列を知るためにTnp-IR複合体をDNaseIフットプリント法により解析した。その結果、TnpはIR内の全域に結合していること、特に末端から4-17,21-34塩基対に強く結合することが明らかになった。また、TnpはIR末端3'側ではIRに隣接する3塩基にも結合しているが、IR末端5'側では末端よりも2塩基内側まで結合することが明らかになった。IR末端3'側は実際にストランドトランスファー反応が起こる鎖上にあることから、IR末端3'側では隣接する配列までTnpが結合する必要があると考えることができる。

 IRLのAドメイン、IRRのBドメインに変異を導入したサークルジャンクションDNA断片を構築し、Tnpとの結合をゲルシフト法で調べたところ、この基質では複合体Iを形成するが複合体IIは形成しないことが分かった。Tnpによるこの断片への結合をフットプリント法で調べたところ、IRLのBドメイン、IRRのAドメイン両方にTnpが結合していることが明らかになった。このことは、1分子のTnpが一方のIRのAドメインともう一方のIRのBドメインに結合しているというモデルを支持する。

 これまでIS3の実際のTnp-IR複合体の形成過程は明らかにされてはいなかったが、以上のin vitroの解析から、Tnpはまず片方のIRのBドメインに結合した後、おそらくTnPタンパク質の相互作用を介してもう片方のIRのAドメインにも結合し、その結果高次のTnP-IR複合体(トランスポソゾーム)を形成することが明らかになった。また、OrfAはIR末端に結合し、Tnpによる組換えを阻害することが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 挿入配列(IS;insertion sequnce)は、DNA上のある部位から他の部位へ転移することが可能な固有のDNA塩基配列であり、いくつかのファミリーに分類されている。IS3はその中でも最大のファミリーの代表格であり、両端に39塩基対の逆向き配列IRを、内部に二つのorf(orfA,orfB)を有する。二つのorfが重なる領域での翻訳レベルのフレームシフトにより、転移を司る酵素トランスポゼース(Tnp)が産生される。フレームシフトが起こらない場合には0rfAタンパク質が生じるが、これは転移を抑制する働きをする。

 Tnpは、IS3の一方のIRの3'末端に切れ目を入れ、他方のIRの5'末端から3塩基離れた部位に繋ぎ換え、8の字形分子の形成を促す。Tnpの結合部位IRには二つのドメイン(端からAとB)が在るが、一方のIRのAドメインと他方のIRのBドメインは、Aに接するIRの端から他端の3塩基対離れた部位への繋ぎ換えに必要である。この反応は2つのトランスポゼースと両IRからなる複合体内で起こると考えられている。8の字形分子からはIS3がその両端で3塩基対を挟み込む形で環状化した分子が生じる。Tnpは環状IS3分子の3塩基対の部分(サークルジャンクション)を切断し、標的部位への挿入を促すと考えられている。

 本論文は、IS3がDNA複製を伴わないで単純挿入体を形成するのみならず、DNA複製を伴いIS3を運ぶプラスミドと標的プラスミドとの融合体を形成する能力をも持つことを明らかにすると共に、単純挿入体・融合体の形成に関わるTnp-IR複合体の構造を解明したもので4章からなる。

 第1章で研究の背景を述べた後、第2章ではIS3による融合体形成について述べている。先ず、大腸菌にTnpを過剰産生できるIS3変異体(IS3-1)を運ぶプラスミドと標的プラスミドを共存させた場合に、両プラスミドの融合体が生じることを示した後、DNAシークエンシングによって、融合体には2種類存在することを見出した。その一つは両プラスミドの境界にIS3-1を1コピーずつ持つ完全な構造を持つものであり、もう一つは二つのプラスミドの一方の境界領域に完全長のIS3-1が存在するが、他方にはIS3-1の一部と共に標的プラスミド配列の一部も欠失したものであった。欠失を持つ融合体は、恰も完全な融合体上の短い(4〜9bp)相同配列間での非相同組換えにより生じたものであることを示した。また、これらの融合体は、Tnpの存在下で、ミニIS3(クロラムフェニコール耐性遺伝子を両IR間に持つ変異体)を運ぶプラスミドと標的プラスミド間でも生じることを示した。

 一方、IS3の内部をほぼ完全に除いた変異体が完全な構造の融合体のみを高頻度で形成することを見出した。そこで、IS3内部の様々な領域を欠失した変異体IS3を用い、生じる融合体を解析することによって、欠失を持つ融合体の生成にIS3内部の複数の配列が関与していることを明らかにした。

 以上の結果から、IS3の内部配列が融合体形成の中間体においてIS3DNAの複製を停止させ、その結果複製フォークが切断され、生じたDNA末端が標的プラスミド上の他の短い相同領域と組み換えを起こした結果、IS3の一方に欠失を持つ融合体が生ずるというモデルを提示した。このモデルにおいて、もし生じたDNA末端が、切断されなかった方のIS3配列と組換えを起こし、IS3を運ぶプラスミドのIS3以外の配列が除外されれば、融合体ではなく単純挿入体が生じるという可能性も指摘されている。

 第3章と4章ではTnp及びOrfAタンパク質とIRとの複合体の解析について述べている。まず、Tnpをマルトース結合タンパク質(MBP)との融合タンパク質として精製し、それが低濃度では比較的移動度の早いTnp-IR DNA複合体(複合体I)を形成するが、高濃度では移動度の遅い複合体(複合体II)を形成することをゲルシフト法により示した。一方、0rfAとMBPとの融合タンパク質も精製し、それが高濃度でのみ1種の0rfA-IR DNA複合体を形成することを示した。

 さらに、DNase Iフットプリント法によって、TnPがIR内の全域に結合していることを見出した。また、IR内のAとBドメインに変異を導入したDNA断片を用いたゲルシフト法によって、Bドメイン内の特定の配列が複合体I,IIの形成に、AとBドメインの境界に位置する部位が複合体IIの形成に重要であることを示した。これらと他の結果から、IS3においてはTnpがまず片方のIRのBドメインに結合した後、Tnpタンパク質の相互作用を介してもう片方のIRのAドメインに結合し、その結果高次のTnp-IR複合体が形成されるというモデルを提示した。

 以上本論文は、IS3が複製を伴わずに単純挿入体を与える転移の他に、複製を伴い融合体を与える能力を持つことを示すと共に、IS3の高次のTnp-IR複合体の構造と形成過程を明らかにしたもので、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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