学位論文要旨



No 118201
著者(漢字) 華岡,光正
著者(英字)
著者(カナ) ハナオカ,ミツマサ
標題(和) シロイヌナズナの葉緑体分化における転写システムの変換と転写制御の研究
標題(洋)
報告番号 118201
報告番号 甲18201
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2590号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 田中,寛
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 葉緑体は植物細胞に特有のオルガネラであるが、そこには光合成などの重要な代謝経路の多くが存在し、植物の独立栄養性を支えている。葉緑体の構造や機能は植物体の組織や器官の分化に対応してダイナミックに変化する。また、光をはじめとした環境の変化に速やかに応答し、各機能の活性を効果的に調節している。これらの過程において、それぞれの葉緑体の機能に関わる遺伝子を発現レベルで制御することは特に重要なステップの一つである。

 葉緑体は、原始シアノバクテリアの細胞内共生に由来すると考えられ、独自のDNAとその遺伝子発現システムを有している。陸上植物の葉緑体DNAは、120〜2I6kbpの二本鎖環状DNAであり、光合成などの葉緑体機能に関わる約120種の遺伝子がコードされている。これらの遺伝子は、分化の段階や光などの環境条件に応じて異なる発現制御を受けている。葉緑体遺伝子の発現は様々な段階で制御を受けるが、中でも転写レベルにおける制御に関する研究についてはこれまでに多くの報告があり、その重要性が、最近特に注目されている。

 高等植物の葉緑体には、少なくとも2種類のRNAポリメラーゼが存在している。一方が核コードのT7ファージ型RNAポリメラーゼ(NEP)で、もう一方が葉緑体コードのバクテリア型RNAポリメラーゼ(PEP)である。PEPのサブユニットのうち、プロモーター構造を認識するのに必要なシグマ因子は核にコードされており、シロイヌナズナの場合6種存在している。したがって、葉緑体遺伝子の転写制御機構を理解するためには、2種のRNAポリメラーゼ、及び6種のシグマ因子間の役割分担を明確にすることが不可欠である。これらの転写装置を構成する遺伝子は近年相次いで単離されその発現や機能について解析が進められているが、それぞれの役割や相互作用に関する知見はほとんど得られていない。

 そこで本研究では、モデル植物であるシロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)を材料に用いて、葉緑体の分化に際した転写システムの変換メカニズムと、それに伴った遺伝子特異的な転写制御機構について、分子レベルで明らかにすることを目的とした。特に核コードシグマ因子の機能を詳細に解析することで、核から葉緑体への情報伝達という観点から、葉緑体分化に関わる転写制御の役割の解明を目指した。

2. 葉緑体RNAポリメラーゼシグマ因子SIG2に依存したプロモーターの解析

 葉緑体におけるPEPのシグマ因子は複数存在しており、全てが核にコードされている。したがって、各シグマ因子は葉緑体の発達や様々な環境の変化に応答して異なるプロモーター配列を選択的に認識することで、遺伝子特異的な転写制御に寄与しているものと考えられる。しかしその詳細については未だ不明な点が多い。シロイヌナズナには6種のシグマ因子遺伝子が存在するが、最近それらの中で発芽初期から発現するSIG2遺伝子へのT-DNAの挿入による変異株(sig2-1)を取得した。Pale-greenの表現型を示すこの株では葉緑体の発達が著しく抑制されており、ウエスタン解析の結果からいくつかの葉緑体タンパク質の蓄積量も大きく減少していることが示された。ノザン解析の結果、主要な光合成遺伝子の転写量は野生株との顕著な差が認められなかった。一方で、一部の葉緑体コードのtRNAの発現が変異株において顕著に抑制されていることが見出された。そこで、プライマー伸長法とS1マッピング法を用いて各プロモーターレベルでの転写量を詳細に検討したところ、psbDプロモーターの1つ(psbD-256)及びpsaJ,trnE,trnVプロモーターからの転写量がSIG2の変異に依存して特異的に減少することを見出した。また、変異株にSIG2のゲノム領域を導入したシロイヌナズナにおいてこれらのプロモーターからの転写が野生株と同じレベルまで相補されることを確認した。さらに、これらの転写開始点を決定しSIG2に認識されると考えられるプロモーター構造を解析した結果、細菌型の'-10'、'-35'に類似した領域やSIG2に依存したプロモーター内にのみ特異的に存在する'A(A/T)TTA'モチーフが含まれていることが分かった。この結果は、上記の領域がPEP-SIG2による転写に関与している可能性を強く示唆している。一方、psbA及びrbcLプロモーターからの転写はSIG2変異の影響をほとんど受けておらず、SIG2とは異なるシグマ因子の制御下にあることが示唆された。

3. 葉緑体分化・発達に伴ったtRNAを介したNEP活性の制御メカニズム

 高等植物の葉緑体には、PEPとは別にNEPと呼ばれる核コードのRNAポリメラーゼが存在している。葉緑体分化に際してまずNEPの活性化とPEPのコア酵素や翻訳装置をコードする葉緑体遺伝子の発現が起こり、続いてPEPの活性化と光合成遺伝子の発現が起こると同時にNEP活性が抑制されるという一連の流れが存在することが予想されている。Sig2-1変異株における解析の結果、rpoC1,rps15,accDといったNEPに依存して転写される遺伝子の転写量が、野生株では初期に一過的に発現が誘導され、その後発達に伴って減少していくのに対して、sig2-1変異株では発達に伴ったmRNA量の減少は見られず、高い発現量を保つことが示された。NEP本体をコードしている核のRpoT3遺伝子の転写量を調べたところ、野生株とsig2-1変異株の間で変わらないことが分かった。したがって、葉緑体の分化・発達に伴ってSIG2に依存した何らかの因子がNEPによる転写を負に制御している可能性が高い。そこで、これまでシロイヌナズナでは困難とされてきたin vitro転写系を確立し、候補として考えられる制御因子を加えることでその効果を直接的に検証することを試みた。その結果、sig2-1変異株において著しく発現量が減少していたtRNAであるtRNAGluを添加した際に、NEPによるaccDプロモーターからの転写量が劇的に減少することを見出した。一方、tRNAvalやtRNAMetはsig2-1変異株においてtRNAGluと同様に発現量が減少していたが、これらのtRNAを加えても転写活性には影響がなかった。また、野生株と変異株の間で発現量の差が認められなかったtRNAGIyやtRNATrpを加えても転写量の変化は見られなかった。さらに、SIG2自身を添加してもNEPによる転写には全く影響しないことが分かった。以上の結果から、NEPによる転写活性の阻害は、tRNAGluを添加した際にのみ特異的に起こることが示された。また、シロイヌナズナ葉緑体のtRNAGluと構造的によく類似している大腸菌やシアノバクテリアのtRNAGIuを加えた結果、同様に転写量が減少することが分かり、tRNAGlu分子内の特定の領域がこのメカニズムに関与していることが予想された。これらの結果から葉緑体におけるNEPによる転写はtRNAGluによって特異的に制御される可能性が強く示唆された。

4.リボソームL32様タンパク質による葉緑体遺伝子の転写制御

 NEPによる葉緑体遺伝子の転写に関する研究は、5年前にNEP本体をコードする遺伝子(RpoT3)が単離されたもののその後大きな進展がない。その理由の一つとして、転写調節因子がほとんど同定されていなかったことがあげられる。そこで、NEPによる葉緑体遺伝子の転写制御機構をさらに明らかにするために、新規なRpoT3結合タンパク質を同定しその機能解析を行った。

 RpoT3をN末端領域とC未端領域に分けて、それぞれと相互作用するタンパク質を酵母のTwo-hybrid Screening法を用いて検索を行った。その結果、いくつかの候補クローンが得られたが、その後の選抜を行うことで、最終的にRpoT3のN末端領域と非常に強く相互作用するクローン1つを最有力候補として取得した。そのDNA塩基配列を決定した結果、真核型リボソームタンパク質L32に非常によく似たタンパク質をコードしている遺伝子であることが分かった。このタンパク質は、RpoT3のC末端領域には結合せず、N末端領域にのみ特異的に相互作用することが分かった。またゲルシフト解析の結果、NEPによって転写されるaccD遺伝子のプロモーター領域に結合することを見出した。これらの結果からL32様タンパク質はRpoT3とプロモーターの両方に結合することで転写に関与している可能性が示唆された。さらに、大腸菌で発現させた組換えタンパク質をin vitro転写系に加えたところ、accDプロモーターからの転写が添加量に依存して活性化されることを明らかにした。以上の結果は、このタンパク質が新規な核コードの転写制御因子としてプロモーターDNAに結合してNEPによる転写を正に調節している可能性を強く示唆している。

5.まとめ

 本研究において、シロイヌナズナに6種存在するシグマ因子のうちSIG2に依存した転写産物を同定し、そのプロモーター構造を明らかにした。今後、他の5種類のシグマ因子に関してもその標的遺伝子とプロモーター配列の特異性を解析し、PEPによる転写制御におけるシグマ因子間の役割分担を明確にできるものと期待している。また、これまで全く不明であったNEPとPEP間の相互作用に関して、葉緑体の発達に伴ってPEP-SIG2によって発現するtRNAGluによってNEPによる転写活性が抑制されることを見出し、葉緑体の分化における転写システム変換の分子機構の一端を明らかにした。さらに、新規に同定したRpoT3結合タンパク質であるリボソームL32様タンパク質がNEPプロモーターからの転写の活性化に関与していることを明らかにすることにより、全く新しい葉緑体遺伝子の転写制御因子として機能している可能性を示した。

審査要旨 要旨を表示する

 葉緑体は自身のゲノムと遺伝情報発現系をもち、光合成を行う植物特有のオルガネラである。葉緑体の構造や機能は植物個体の組織や器官の分化に対応し、あるいは光その他の環境変化に速やかに応答してダイナミックに変化する.植物の光合成装置である葉緑体は、同じ酸素発生型の光合成を行う真正細菌シアノバクテリア(らん藻、cyanobacteria)がかつて別の真核細胞内に共生したことに起源を持つとされている.実際、葉緑体ゲノムに含まれる遺伝子群の構成、構造、機能はシアノバクテリアに極めて良く似ており、そこでは基本的に真正細菌型の複製、転写、翻訳装置が働いている.しかしながら、多くの遺伝子は核ゲノムヘと移行しており、葉緑体ゲノムにおける遺伝子発現調節や葉緑体ゲノムと核ゲノム間の遺伝子発現の協調機構についてはほとんど明らかにされていない.本研究は、シロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)を材料として核と葉緑体ゲノムからなる複合ゲノム系における葉緑体分化に際した転写システムの変換と転写制御機構について解析した結果をまとめたものであり、5章よりなる。

 第一章では、葉緑体を含めた色素体(Plastid)の分化、ゲノムと遺伝子系についての知見をまとめ、特に葉緑体における2つの転写装置、核コードのT7ファージタイプのRNAポリメラーゼNEPとその遺伝子(RpoT),及び葉緑体ゲノムによってコア酵素部分がコードされているPEPとPEPにプロモーター特異性を付与する核コードのシグマ因子群(SIG1〜SIG6)についての最新の知見について述べている、第二章では、SIG2のT-DNA挿入破壊株(sig2-1)について光合成遺伝子群とtRNA遺伝子群についてノーザン解析、S1マッピング解析を行った結果を述べている.sig2-1株では、NEPによって転写される遺伝子群を中心として多くの葉緑体遺伝子について転写の上昇が認められた.一方、psbDプロモーターの一つ(psbD-256),psaJ,trnE,trnVプロモーターなどの転写は顕著に低下しており、これらのプロモータがSIG2依存性であることが明らかとなった.さらに、これらのプロモータ領域に真正細菌型-35,-10エレメントとSlG2特有のA(A/T)TTA配列の存在することを明らかにした.第三章では色素体の分化・発達に伴うtRNAGluを介したNEP活性の抑制機構について述べている.高等植物の葉緑体ではPEPの他に核コードのT7タイプのシングルペプチドからなるNEPが葉緑体ゲノムの転写に関わっていることが知られている.通常、葉緑体の遺伝システムの転写に関わるNEP活性は芽生えの発達初期に高くPEPの活性上昇とともに低下する.これらの分子機構を明らかにするために培養細胞の色素体よりin vitro転写系を作成し、NEPによるaccDプロモーターからの転写を解析する系を確立した.この転写系にSlG2依存性の示されている葉緑体tRNA遺伝子からの転写物を添加した結果、tRNAGluが特異的にNEPによる転写を抑制することを発見した.このことはSlG2によって特異的に転写されるtRNA遺伝子の産物の一つであるtRNAGluがNEPによる転写を抑制していることを示している.第四章では、リボソーム蛋白質L32様蛋白質による葉緑体遺伝子の転写制御について述べている.酵母のtwo hybrid系を用いてRpoT3蛋白質(NEP)と特異的に相互作用する蛋白質をスクリーニングした結果、N末端側と強く結合するクローンを見いだし、リボソームL31様蛋白質であると同定した.L31様蛋白質はaccDプロモーターに特異的に結合すると共に、in vitro転写系に添加するとNEPによる転写を活性化することが明らかとなった.このことはL31様蛋白質が色素体中でNEP特異的な転写の調節因子として機能していることを示唆している.第五章は総合討論である.

 以上要するに本論文は、今まで不明であった高等植物葉緑体分化過程におけるNEPとPEPの2つの転写システムの変換と転写制御系について新たな知見を得たものであり、学術上、応用上寄与するとことが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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