学位論文要旨



No 118204
著者(漢字) 峰松,寛
著者(英字)
著者(カナ) ミネマツ,ヒロシ
標題(和) 挿入因子IS3の転移中間体形成の分子機構
標題(洋)
報告番号 118204
報告番号 甲18204
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2593号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大坪,栄一
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 田中,寛
 立教大学 助教授 関根,靖彦
 東京大学 講師 大坪,久子
内容要旨 要旨を表示する

 転移性遺伝因子はDNA上のある部位から別の新たな部位へと転移する能力を持ち、全ての生物のゲノム上に存在する。転移性遺伝因子は挿入変異だけでなく、欠失や逆位、融合等の非相同領域間での組換えを引き起こす。このような能力により転移性遺伝因子は、生物のゲノムの再編成を促す中心的な役割を果たし、生物の進化の原動力となってきたと考えられる。

 挿入配列(Insertion Sequence,IS)は様々な原核生物のゲノムに存在する小型の転移性遺伝因子である。ISはいくつかのファミリーに分類されるが、IS3は最大規模のファミリーの1つの代表である。IS3は全長1258bpで両端に39bpの不完全な逆向き配列(InvertedRepeat;IR)を持つ。IRは組換えに必須の。cisエレメントであり、IS3の内部にコードされる転移を司る酵素、トランスポゼース、の結合部位と考えられている。IS3はトランスポゼースの作用によりIS3の両端が3bpの介在配列を挟み込んだ形の環状IS3分子を生じ、それが直鎖状IS3分子に変換された後、標的DNAに挿入することが示されている。環状IS3分子は、IS3を運ぶレプリコンから直接切り出されるのではなく、IS3を運ぶレプリコンにおいてIS3の片側のIRの3'末端に切れ目が入り反対側のIRの5'末端から3塩基離れた部位に繋ぎ換わり一本鎖のみ環状化した「8の字形分子」を中間体として形成されると考えられている(図1)。8の字形分子は左右どちらの3'末端からの組換えでも生じるため、2種類存在すると考えられる。環状IS3分子は、8の字形分子を前駆体として宿主因子の複製、または修復系により形成されると考えられる(図1)。

 一般にトランスポゼースが行う反応は、トランスポゼースが転移性遺伝因子の両方のIRに結合した後にタンパク質同士の相互作用により両IRが近接したようなタンパク質-DNA複合体(トランスポソゾーム)が形成され、その中で進行すると考えられている。トランスポゾンTn5(IS50)は、IS3とは異なりそれが存在する部位から2本鎖切断により直接切り出された後、単純挿入体を生じるが、このTn5(IS50)のトランスポソゾームの結晶構造が明らかにされた。この構造において、1つのトランスポゼースが両方のIRに結合した形で存在すると報告されている。しかし、IS3を含む他のISによるトランスポソゾームの構造と機能についての詳細は不明である。

 本研究はin vitroにおいてIS3の転移中問体形成の分子機構をトランスポソゾームの形成に焦点を当て解明することを目的として行ったものであり、次のように要約される。

1. トランスポゼースの精製

 トランスポゼースをマルトース結合タンパク質(MBP)との融合タンパク質として大腸菌内で誘導産生できる系を構築した。このMBP融合トランスポゼースは大腸菌内で発現させるとIS3による組換えを促すことが分かった。そこで、MBP融合トランスポゼースを大腸菌破砕液の可溶性画分からMBP部分の親和性によってアフイニティー精製した。このタンパク質標品は完全長のMBP融合トランスポゼースを高純度で含んでいることがわかったので、以降、この標品をトランスポゼースとしてin vitro解析に用いた。

2.8の字形分子in vitroでの形成

 IS3を運ぶプラスミドに精製したトランスポゼースを作用させた後、反応産物を制限酵素で処理し、アガロースゲル電気泳動することによって8の字形分子の形成を調べた。その結果、移動度の遅い特異的な分子が生じていることが分かった。そこで8の字形分子内のサークルジャンクションに特異的にハイブリダイズするプローブを用いてサザン解析を行ったところ、生じた特異的な分子にハイブリダイズしたことから、この反応産物は8の字形分子であると推定された。このことをさらに確認するために、反応産物内のサークルジャンクションを含む配列を増幅するためにIS3内部から外向きに伸長するプライマー対を用いPCRを行ない(図2)、生じたPCR産物をシーケンシングして調べたところ、左右両末端のどちらかから組換わって生じたと考えられる配列がそれぞれほぼ半量ずつ生じていることが分かった。このことから一本鎖での組換えにより8の字形分子が形成されていることが確認された。

3. 8の字形分子の形成とトランスポソゾーム

 8の字形分子の形成におけるトランスポソゾームの関与を知るために、IR内部の色々な領域に変異を持つIS3を運ぶプラスミドを作成し、それぞれを基質として8の字形分子の形成を調べた。その結果、IR内には組換えに必要な機能的に異なる2つの領域(末端に近い領域Aとその内側の領域B)が存在することが分かった。左のIRの末端からの組換えには左のIRの領域Aと右のIRの領域Bが必要であり、右の末端からの組換えにはそれとは左右対称の領域が必要であることが分かった。この結果から、2分子のIS3のトランスポゼースがそれぞれ一方のIRの領域Aと他のIRの領域Bに結合する形で安定したトランスポソゾームが形成されると考えられた(図3)。

4.環状IS3分子のin vitroでの直鎖化

 これまでに、環状IS3分子を保持する大腸菌内でトランスポゼースを誘導産生させるとサークルジャンクション部分で2本鎖切断がおき、直鎖状IS3分子が生じることが分かっている。このトランスポゼースによる2本鎖切断反応をin vitroで調べる目的で以下の実験を行った。サークルジャンクションをクローニングしたプラスミドに精製トランスポゼースを作用させ、反応産物をアガロースゲル電気泳動で解析した。その結果、直鎖状分子と一致する移動度のバンドが生じた。2本鎖切断がサークルジャンクション部分で起きているかどうかを調べるために反応産物を制限酵素で1ヶ所切断しアガロースゲル電気泳動したところ、特異的なサイズの2本のDNA断片が生じた。これにより、直鎖状IS3分子は環状IS3分子がトランスポゼースの作用によりサークルジャンクション部位で切断されて生じたものであることが明らかとなった。

 以上、本研究においてIS3によるin vitroでの組換え反応系を確立し、IS3の転移過程の2つの反応、即ち環状IS3分子の前駆体である8の字形分子の形成反応、環状分子から直鎖状分子への変換反応を明らかにした。IS3は環状分子を転移中間体として転移する特徴的な転移性遺伝因子であるが、本研究で示したIS3のトランスポソゾームの構造は一見全く異なる転移機構を持つ転移性遺伝因子Tn5(IS50)とも共通するものだった。本研究で示したトランスポゼースが両IRの架け橋となりトランスポソゾームを形成し転移を促すという機構は、他の様々な転移過程を持つ広範な転移性遺伝因子にも共通するものと考えられる。

図1.IS3の転移機構のモデル

図2.PCRによる8の字形分子の検出系

図3.lS3のトランスポソゾームのモデル

審査要旨 要旨を表示する

 挿入配列(Insertion Sequence,IS)は原核生物のゲノムに存在する小型の転移性遺伝因子で、DNA上のある部位から別の部位へと転移する能力を持つ。これらはいくつかのファミリーに分類されるが、IS3は最大規模のファミリーの代表である。IS3は、全長1258bpで両端に組換えに必須の39bpの不完全な逆向き配列(Inverted Repeat;IR)を持つ。IS3は、内部に転移を司る酵素、トランスポゼース、をコードする。IS3はトランスポゼースの作用により、その両端に3bpの介在配列を挟み込んだ形の環状IS3分子を生じ、それが直鎖化された後、標的DNAに挿入すると考えられている。環状IS3分子は、IS3を運ぶレプリコン上でIS3の一方のIRの3'末端に切れ目が入り他方のIRの5'末端から3塩基離れた部位に繋ぎ換わり一本鎖のみ環状化した「8の字形分子」を中間体として形成されると考えられている。8の字形分子は左右どちらの3'末端からの組換えでも生じるため、2種類存在すると考えられる。

 トランスポゼースは、一般に転移性遺伝因子の両方のIRに結合した後にタンパク質同士の相互作用により両IRが近接したようなタンパク質-DNA複合体(トランスポソゾーム)を形成し、転移反応を促すと考えられている。しかし、IS3によるトランスポソゾームの構造と機能についての詳細は不明である。本研究はin vitroにおいてIS3の転移中間体形成の分子機構をトランスポソゾームの形成に焦点を当て解明したもので5章からなる。

 第1章で研究の背景を述べた後、第2章ではトランスポゼースの精製について述べている。トランスポゼースをマルトーズ結合タンパク質(MBP)との融合タンパク質として、大腸菌破砕液の可溶性画分からアフィニティー精製した。精製したMBP融合トランスポゼースは、IS3のそれぞれの末端のIRを含むDNA断片に特異的に結合する活性と、環状IS3分子をサークルジャンクション部分で切断し、直鎖状IS3分子を生成する活性があることを示した。

 第3章では8の字形分子のin vitroでの形成について述べている。IS3を運ぶプラスミドに精製したトランスポゼースを作用させて得た標品を制限酵素で処理し、アガロースゲル電気泳動することによって、移動度の遅い特異的な分子が生じていること、また8の字形分子内のサークルジャンクション領域に特異的にバイブリダイズするプローブがこの分子にバイブリダイズすることから、生じた反応産物は8の字形分子であると推定した。さらに、反応産物内のサークルジャンクションを含む配列を、IS3内部から外向きに伸長するプライマー対を用いたPCRで増幅し、生じた産物の塩基配列を解析することによって、増幅産物には左右両末端のどちらかから組換わって生じたと考えられる配列がほぼ半量ずつ含まれていることを示した。このことから8の字形分子が一本鎖での組換えにより形成されていることが確認された。

 第4章では8の字形分子の形成におけるトランスポソゾームの関与について述べている。トランスポンゾームの形成に関与するIR内部の色々な領域に変異を導入したIS3を作成し、それを運ぶプラスミドを基質としてトランスポゼースを作用させることによって、IR内には組換えに必要な機能的に異なる2つの領域(末端に近い領域Aとその内側の領域B)が存在することを見出した。また、左のIRの末端からの組換えには左のIRの領域Aと右のIRの領域Bが必要であり、右の末端からの組換えには逆に右のAと左のBの領域が必要であることを示した。これらの結果から、2分子のIS3のトランスポゼースがそれぞれ一方のIRの領域Aと他のIRの領域Bに結合する形で安定したトランスポソゾームが形成されるというモデルを提示した。第5章では以上の結果を踏まえて総括している。

 以上本論文は、IS3によるin vitroでの組換え反応系を確立し、環状分子から直鎖状分子への変換反応、環状IS3分子の前駆体である8の字形分子の形成反応、を明らかにした。本研究で示されたトランスポゼースが両IRの架け橋となりトランスポソゾームを形成し転移を促すという機構は、他の様々な転移過程を持つ広範な転移性遺伝因子にも共通することが示唆されるもので、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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