学位論文要旨



No 118206
著者(漢字) 金,玟池
著者(英字)
著者(カナ) キム,ミンジ
標題(和) 癌抑制遺伝子DLGの機能解析
標題(洋)
報告番号 118206
報告番号 甲18206
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2595号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 加藤,久典
内容要旨 要旨を表示する

序論

 dlg(Drosophila discs-large)遺伝子はショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)の癌抑制遺伝子の一種で、その産物はヒトのtight junctionに相当するseptate junctionに局在する。dlg遺伝子に変異が起きて失活すると成虫原基の上皮細胞が極性を失うと同時に異常増殖を起こして癌化することや、神経細胞のシナプス構造に異常が生じることが知られている。哺乳類にはDlgのヒトホモログhDlgに加えて、シナプスに多量に存在するPSD-95/SAP90,PSD-93/Chapsyn110,SAP102など、構造のよく似たタンパク質が存在する。これらのタンパク質はいずれもマルチドメインタンパク質で、PDZドメイン、SH3ドメイン、GKドメインを持っている。このGKドメインを持っているという共通の構造から、MAGUK(membrane-associated guanylate kinase)ファミリーと呼ばれている。これらのタンパク質は、細胞膜裏打ちタンパク質としてレセプターやイオンチャネルのクラスタリングを引き起こす活性を持ち、シナプスのタンパク質複合体の構築に重要な役割を果たす。また、シグナル伝達分子と結合してシグナルを伝えるための足場にもなることが明らかになってきており、特にhDlgは家族性腺腫性ポリポーシス(familial adenomatous polypOsis:FAP)および散発性大腸癌の原因遺伝子であるadenomatous polyposis coli(APC)タンパク質のC末端S/TXVモチーフと結合しすることがわかっている。これらの働きを通して、細胞極性、増殖制御およびシナプス可塑性などに関与していると考えられ、注目を集めている。

 そこで本研究では、Dlgの生理機能を明らかにすることを目的として、Dlg欠損マウスを用いた個体レベルでの解析、およびDlgの結合タンパク質の探索を行った。

結果と考察

Dlg欠損マウスを用いた機能解析

 本研究室において、Dlg遺伝子のN末端側20アミノ酸にネオマイシン耐性遺伝子を挿入して、Dlg遺伝子欠損マウスを作製した。ホモ欠損マウスはチアノーゼ症状を示し、出生直後に死亡した。生後1年以降のヘテロ欠損マウスにおいて、悪性リンパ腫の形成が確認され、免疫組織化学的観察の結果natural-killer lymphomaであることが明らかとなった。現在ヒト同疾患検体における変異の探索を進めている。さらに、Dlgヘテロ欠損マウスにおいて皮膚付属器官の腫瘍(Proid hydradenoma)の形成が認められた。免疫組織化学的観察を行った結果、Dlgの発現は認められず、皮膚付属器官腫瘍マーカーである。cytokeratinAE1/AE3の発現が認められた。この結果からDlg遺伝子は哺乳類でもDrosophila dlgと同様に癌抑制遺伝子として機能することが示唆された。またBrdU染色法により皮膚において、Dlg欠損による増殖の亢進が観察された。これはDlgが増殖を負に制御するとの報告と一致する結果である。しかし、細胞増殖に関与しているMAPK系への影響は認められなかった。またDlg欠損マウス由来胎児繊維芽細胞においても細胞増殖能の差は認められなかった。

 細胞接着分子の欠損は発毛をはじめとする皮膚組織での異常を示すことが知られている。そこで生後直後のDlg遺伝子欠損マウスの表皮をHE染色法により解析したところ、正常マウスに比べて毛包の数が少ないことが明らかとなった。続いてDlg欠損マウスは出生直後に死亡するため、Dlg欠損マウスの皮膚をヌードマウスに移植し毛の形成を観察した。その結果、発毛が見られるものの、その数が少ないことが明らかになった。しかしHE染色で皮膚の構造を調べたところ、Dlg欠損による他の顕著な異常は認められなかった。またβ-カテニン、Shhなどが毛の形成に関わっていることが知られているが、in situhybridizationでこれらのシグナル系で機能する分子の発現を調べた結果、これらの発現に変化がないことが明らかとなった。今後conditional mutant mice作製により、より詳しい解析を行う予定である。

Dlgによる細胞間接着の制御

 細胞間接着は細胞の運動や増殖の制御に、ひいては多細胞運動の形態形成において重要な役割を果たす。ショウジョウバエの研究からDLGにより細胞間接着が制御されることが予想されたので、DLGが哺乳類においても細胞間接着の制御に関与するかどうかを明らかにするためにE18.5由来のDlg欠損マウスの皮膚を摘出しkeratinocyte初代培養を行った。細胞極性が発達している上皮細胞の細胞間接着には形態学的に特徴的なTight junction(TJ)、Adherens junction(AJ)が存在し、DLGはAJに局在する。KeratinocyteをCa2+刺激により分化を誘導し、AJを形成させた。AJ形成に重要な接着因子であるα-カテニン、β-カテニン、E-カドヘリン、およびDLG結合タンパク質であるAPC,SPAL,CASKなどの局在を、免疫細胞化学法を用いて解析したところ、Dlg欠損による変化は認められなかった。しかしDlg欠損keratinocyteにおいて微小管を形成するα-チューブリンが細胞間接着面に濃縮することを見出した。次にDLGの機能が、他のMAGUKファミリーにより相補されている可能性が考えられるため、D1gに加えMAGI-2(membrane-associated guanylate kinase inverted)およびDLG結合分子であるCASKの発現を、RNAiを用いて抑制し極性化された上皮系細胞におけるDLGの機能を解析する予定である。

DLG結合タンパク質の同定

 分子レベルでDlgの機能を明らかとするため、DLG結合タンパク質を検索した。ブタ肝臓ライセートよりDLG-Affinityカラムを用いて結合タンパク質の精製を試みたところ、DlgのPDZ領域にribosome receptorが結合していることを見出した。DLGとribosome receptorはin vitro,in vivoで結合し、さらに免疫細胞化学の結果から両者の細胞内での局在が一致することが明らかとなった。Ribosome receptorは細胞内におけるタンパク質の輸送に関与していることが示唆されていることから、DLGが分泌機構の調節分子として働く可能性が示唆された。次にTaq付加DLGタンパク質の強制発現系及び質量分析法を用いてDLG結合タンパク質の同定を試みたところ、転写抑制因子であるBtfがDLGと結合することが判明した。DlgがBtfと結合して転写調節に関与している可能性もあると考えられる。

まとめ

 今回、DlgノックアウトマウスにおいてNK lymphoma,Proid hydradenomaの形成が観察され、癌抑制遺伝子としてのDlgの機能が示唆された。癌化を引き起こすシグナル伝達系路の異常はまだ十分明らかでないがDlg欠損による皮膚組織においての増殖能の増加が関与していることが示唆された。また毛の形成にDlgが関わっていることが明らかとなりDlgは癌抑制遺伝子としてだけではなく形態形成に重要なシグナル分子であることが示唆された。またDLG結合タンパク質として同定されたribosome receptorおよびBtfとの相互作用を明らかにすることによりDlgを中心としたシグナル伝達系および機能が明確になることと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究室において、Dlg遺伝子のN末端側20アミノ酸にネオマイシン耐性遺伝子を挿入して、Dlg遺伝子欠損マウスを作製した。ホモ欠損マウスはチアノーゼ症状を示し、出生直後に死亡した。生後1年以降のヘテロ欠損マウスにおいて、悪性リンパ腫の形成が確認され、免疫組織化学的観察の結果natural-killer lymphomaであることが明らかとなった。現在ヒト同疾患検体における変異の探索を進めている。さらに、Dlgヘテロ欠損マウスにおいて皮膚付属器官の腫瘍(poroid hydradenoma)の形成が認められた。免疫組織化学的観察を行った結果、Dlgの発現は認められず、皮膚付属器官腫瘍マーカーである。cytokeratinAE1/AE3の発現が認められた。この結果からDlg遺伝子は哺乳類でもDrosophila dlgと同様に癌抑制遺伝子として機能することが示唆された。またBrdU染色法により皮膚において、Dlg欠損による増殖の亢進が観察された。これはDlgが増殖を負に制御するとの報告と一致する結果である。しかし、細胞増殖に関与しているMAPK系への影響は認められなかった。またDlg欠損マウス由来胎児繊維芽細胞においても細胞増殖能の差は認められなかった。

 細胞接着分子の欠損は発毛をはじめとする皮膚組織での異常を示すことが知られている。そこで生後直後のDlg遺伝子欠損マウスの表皮をHE染色法により解析したところ、正常マウスに比べて毛包の数が少ないことが明らかとなった。続いてDlg欠損マウスは出生直後に死亡するため、Dlg欠損マウスの皮膚をヌードマウスに移植し毛の形成を観察した。その結果、発毛が見られるものの、その数が少ないことが明らかになった。しかしHE染色で皮膚の構造を調べたところ、Dlg欠損による他の顕著な異常は認められなかった。またβ-カテニン、Shhなどが毛の形成に関わっていることが知られているが、in situ hybridizationでこれらのシグナル系で機能する分子の発現を調べた結果、これらの発現に変化がないことが明らかとなった。今後conditional mutant mice作製により、より詳しい解析を行う予定である。

DLGによる細胞間接着の制御

 細胞間接着は細胞の運動や増殖の制御に、ひいては多細胞運動の形態形成において重要な役割を果たす。ショウジョウバエの研究からDLGにより細胞間接着が制御されることが予想されたので、DLGが哺乳類においても細胞間接着の制御に関与するかどうかを明らかにするためにE18.5由来のDlg欠損マウスの皮膚を摘出しkeratinocyte初代培養を行った。細胞極性が発達している上皮細胞の細胞間接着には形態学的に特徴的なTight junction(TJ)、Adherens junction(AJ)が存在し、DLGはAJに局在する。KeratinocyteをCa2+刺激により分化を誘導し、AJを形成させた。AJ形成に重要な接着因子であるα-カテニン、β-カテニン、E-カドヘリン、およびDLG結合タンパク質であるAPC,SPAL,CASKなどの局在を、免疫細胞化学法を用いて解析したところ、Dlg欠損による変化は認められなかった。しかしDlg欠損keratinocyteにおいて微小管を形成するα-チューブリンが細胞間接着面に濃縮することを見出した。次にDLGの機能が、他のMAGUKファミリーにより相補されている可能性が考えられるため、Dlgに加えMAGI-2(membrane-associated guanylate kinase inverted)およびDLG結合分子であるCASKの発現を、RNAiを用いて抑制し極性化された上皮系細胞におけるDLGの機能を解析する予定である。

DLG結合タンパク質の同定

 分子レベルでDlgの機能を明らかとするため、DLG結合タンパク質を検索した。ブタ肝臓ライセートよりDLG-Affinityカラムを用いて結合タンパク質の精製を試みたところ、DlgのPDZ領域にribosome receptorが結合していることを見出した。DLGとribosome receptorはin vitro,in vivoで結合し、さらに免疫細胞化学の結果から両者の細胞内での局在が一致することが明らかとなった。Ribosome receptorは細胞内におけるタンパク質の輸送に関与していることが示唆されていることから、DLGが分泌機構の調節分子として働く可能性が示唆された。

まとめ

 今回、DlgノックアウトマウスにおいてNK lymphoma,Poroid hydradenomaの形成が観察され、癌抑制遺伝子としてのDlgの機能が示唆された。癌化を引き起こすシグナル伝達系路の異常はまだ十分明らかでないがDlg欠損による皮膚組織においての増殖能の増加が関与していることが示唆された。また毛の形成にDlgが関わっていることが明らかとなりDlgは癌抑制遺伝子としてだけではなく形態形成に重要なシグナル分子であることが示唆された。またDLG結合タンパク質として同定されたribosome receptorの相互作用を明らかにすることによりDlgを中心としたシグナル伝達系および機能が明確になることと期待される。

 よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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