学位論文要旨



No 118210
著者(漢字) 洪,思鉱
著者(英字)
著者(カナ) ホン,サアヒョン
標題(和) 糸状菌Aspergillus nidulansのホスホリパーゼ遺伝子の単離及びその遺伝子産物の解析
標題(洋) Isolation and characterization of phospholipase genes and their products in filamentous fungus, Aspergilus nidullans
報告番号 118210
報告番号 甲18210
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2599号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 中島,春紫
 東京大学 助教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 生体膜は極めて多種類の脂質を含み、中でもリン脂質は膜構造の形成、維持に重要な役割を果たしている。更に最近では、受容体からのシグナル伝達におけるセカンドメッセンジャー生産にも関わっていることも明らかにされており、リン脂質は単に二重膜の形成といった構造的な役割を持つだけではなく、実に多様な生体機能と結びついている。この場合セカンドメッセンジャーの生産はホスホリパーゼにより行われる。ホスホリパーゼはリン脂質の切断部位によってホスホリパーゼA、ホスホリパーゼB、ホスホリパーゼC、ホスホリパーゼDに分類され、それぞれ多様なisofromが存在する。このようなホスホリパーゼにより分解されたリン脂質の分解産物は細胞の中で様々な役割を果たしていることが動物細胞で明らかにされつつある。しかし糸状菌におけるリン脂質代謝の研究は進んでないのが現状である。そこで動物細胞においてセカンドメッセンジャーとして働いているホスファチジン酸やリゾホスファチジルコリン等を生産するホスホリパーゼDとホスホリパーゼA2をコードする遺伝子を糸状菌Aspergillus nidulansから単離し、糸状菌の特異的な性質である菌糸の先端生長、胞子形成器官の分化における役割を分子レベルで解析することを目的とした。

1.ホスホリパーゼD遺伝子の単離とその機能解析

 リン脂質を加水分解し、ホスファチジン酸(PA)を生産する酵素であるホスホリパーゼD(PLD)をコードする遺伝子をA.nidulansよりクローニングし、pldAと命名した。まずA.nidulansのESTデータベースで得られた他の生物のPLDに対応する配列をPCR法により増幅し、この断片をプローブとしてA.nidulansのゲノムライブラリーからコロニーハイブリダイゼーションによりポジティブクローンを得た。このクローンが持つプラスミドの挿入断片の塩基配列決定及び5'-RACE,3'-RACEを行いイントロンの位置の決定、翻訳開始コドンの推定を行った。その結果、この遺伝子は832アミノ酸よりなるタンパク質をコードし、イントロンは7か所存在していた。予想されるアミノ酸配列には酵母Saccharomyses scerevisiaeからhumanのPLDに至るまで高度に保存されているPLD活性に必要な二つのHKDモチーフやリパーゼ活性を持つタンパク質によく保存されているGGGRモチーフ、GSRSモチーフなど4つの領域をコードする部分が存在した。pldAのコードするタンパク質PldAはS.cerevisiaeのSpo14p,Candida albicansのPldlpと4つの領域に対して25.4%から43.5%の相同性を示していた。

 次にA.nidulansにおけるpldAの機能について解析するため、pldAの破壊株をA.nidulansABPU1株を親株にargB遺伝子をマーカーとして作製した。破壊株について表現型を検討したが、培地の炭素源の違いまたは、培養温度の違い、浸透圧の違いによる生育速度、胞子形成効率など野生株と比べて差は見られなかった。しかし、蛍光標識したホスファチジルコリン(PC)のアナログであるNBD-PCやホスファチジルエタノールアミン(PE)のアナログであるNBD-PEを基質として破壊株と野生株の細胞抽出液中のPLD活性を測定したところ、NBD-PCを基質とした場合は破壊株の活性が野生株に比べて1.5倍上昇したがNBD-PEを基質とした場合には活性が1/4以下に低下した。また炭素源の異なるエタノール、グリセロール、スレオニン、グルコース培地で培養した菌体を用いて測定した結果、エタノール以外の培地ではPldAの活性には大きな差はないが、エタノールを炭素源とした培地で培養した場合、野生株、破壊株ともに活性が高いことが示唆された。浸透圧の異なるYG培地、1/2YG培地、YG+0.6M KC1培地で培養した場合、高浸透圧培地で培養した菌体では野生株では活性が非常に高いのに対して破壊株では低いことが明らかになった。

 以上の結果をまとめるとpldAの破壊株ではNBD-PEに対する活性が低下したことから、PldAはPCよりPEに対して活性が高いことが予想された。さらにこの活性は野生株では高浸透圧培地で上昇しているのに対し、破壊株では上昇が見られなかったことから、この酵素は細胞外の浸透圧などのシグナルによって活性が誘導される可能性が示唆された。また破壊株においNBD-PCを基質としたPLD活性の低下が見られないことから、A.nidulansには他のPLDをコードする遺伝子が存在することも示唆された。

2.ホスホリパーゼA2遺伝子の単離とその機能解析

 リン脂質の2位のアシル鎖を加水分解し脂肪酸とリゾリン脂質を生産する酵素である細胞質ホスホリパーゼA2(cPLA2)をコードする遺伝子をA.nidulansよりクローニングし、plaAと命名した。哺乳類のcPLA2の保存領域の配列を利用してA.nidulansのDNAを鋳型としてPCR法により断片を増幅させた。この断片を用いてpldAの場合と同様の手法でplaAを単離しイントロンの位置の決定、N末端の推定を行った。その結果、この遺伝子は837aaよりなるタンパク質をコードすることが予想され、イントロンは存在しなかった。そのアミノ酸配列には現在まで報告された哺乳類のcPLA2に保存されているGGGR,GXSGXモチーフなどリパーゼ活性を持つ領域を確認した。humanのcPLA2の場合には三つのisoformが存在することからA.nidulansの中でplaAのisoformの存在を調べるためゲノムDNAを種々の制限酵素で分解したものに対して緩い条件でサザン解析を行った結果、A.nidulansにはこの遺伝子と相同性を持つ遺伝子が存在していることが示唆された。炭素源により発現の様子を調べるため、完全培地、種々の炭素源の最少培地で培養した菌体から抽出したRNAに対しノーザン解析を行った結果、plaAの発現量はラクトース、グルコースを炭素源とした最少培地で他の培養条件より高かった。plaA遺伝子産物PlaAの生産を酵母S.cerevisiaeで試みたが、活性が検出できなかったことから活性中心を含む配列の直前のATGからC末端側を酵母で発現させて活性を測定した。14Cで標識されたPCやPEを基質として活性を測定した結果、この産物はPCよりPEに対する活性が高く、その活性はCa2+非依存性であることが明らかになった。A.nidulansにおけるplaAの機能について解析するためplaAの破壊株をpldAと同様の方法で作製して表現型を検討したが、培地の炭素源の違いによる生育速度、培養温度の違いまたは、胞子形成効率など野生株と比べての差は見られなかった。plaAを培地の炭素源の違いによりその発現を制御できるA.nidulansのalcAプロモーターの下流で高発現させた株では野生株に比べてより多くの子嚢胞子(有性胞子)を形成したことからplaAは有性生殖において機能を持つことが示唆された。さらに高発現株、野生株での脂肪酸組成の分析を行った結果、高発現株ではリノール酸の割合が増加していた。

 以上の結果をまとめるとplaAはノーザン解析で有性生殖に好適な培地であるラクトース、グルコースを炭素源とした最少培地で発現量が高かったこと、高発現株では子嚢胞子の形成が野生株に比べ促進されたことからplaAは有性生殖の正の調節因子であることが示唆された。また高発現株ではリノール酸の割合が増加した。A.nidulansではリノール酸由来の物質であるプサイファクター(precocious sexual inducers,hydroxylated linoleic acid molecules)が有性生殖を促進することが知られている。cPLA2が哺乳類などの高等真核生物においてはアラキドン酸カスケードの初発酵素であることまた、植物においてもPLA2によりリノール酸が遊離しそれが過酸化されてプサイファクターと類似な構造を持つ物質が生産されることからPlaAはプサイファクター生産の初発酵素である可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 生体膜は極めて多種類の脂質を含み、中でもリン脂質は膜構造の形成、維持に重要な役割を果たしている。更に最近では、受容体からのシグナル伝達におけるセカンドメッセンジャー生産にも関わっていることも明らかにされており、リン脂質は単に二重膜の形成といった構造的な役割を持つだけではなく、実に多様な生体機能と結びついている。この場合セカンドメッセンジャーの生産はホスホリパーゼにより行われる。ホスホリパーゼはリン脂質の切断部位によってホスホリパーゼA、ホスホリパーゼB、ホスホリパーゼC、ホスホリパーゼDに分類される。このようなホスホリパーゼにより分解されたリン脂質の分解産物は細胞の中で様々な役割を果たしている。本論文は、そこでホスファチジン酸やリゾホスファチジルコリン等を生産するホスホリパーゼD(PLD)と細胞質ホスホリパーゼA2(cPLA2)をコードする遺伝子を糸状菌Aspergillus nidulansから単離し、糸状菌の特異な性質である菌糸の先端生長、胞子形成器官の分化における役割を分子レベルで解析したものである。

 第1章ではホスホリパーゼD遺伝子の単離とその機能解析を行っている。申請者は以下の研究結果を得た。PLDをコードする遺伝子をA.nidulansよりクローニングし、pldAと命名した。この遺伝子は832アミノ酸よりなるタンパク質をコードし、イントロンは7か所存在した。予想されるアミノ酸配列には、酵母Saccharomyses scerevisiaeからhumanのPLDに至るまで高度に保存されているPLD活性に必要な二つのHKDモチーフや、リパーゼ活性を持つタンパク質によく保存されているGGGRモチーフ、GSRSモチーフなど4つの領域をコードする部分が存在した。pldAのコードするタンパク質PldAはS.cerevisiaeのSpo14p,CandidaalbicansのPld1pと4つの領域に対して25.4%から43.5%の相同性を示した。また、蛍光標識したホスファチジルコリン(PC)のアナログであるNBD-PCやホスファチジルエタノールアミン(PE)のアナログであるNBD-PEを基質して、破壊株と野生株の細胞抽出液中のPLD活性を測定し、PEに対する活性のみが1/4以下に低下することを示した。さらに、この差はエタノールを炭素源とした培地で培養した場合に大きく、また、高浸透圧培地で培養した菌体ではさらに大きいことを示した。以上の結果は、PldAはPEに対して高い活性を有し、細胞外の浸透圧によって活性が誘導されることを示すものである。また、破壊株にNBD.PCに対するPLD活性を観察して、A.nidulansには他のPLDをコードする遺伝子が存在するものとした。

 第2章ではホスホリパーゼA2遺伝子の単離とその機能解析を行っている。申請者はcPLA2をコードする遺伝子をA.nidulansよりクローニングし、plaAと命名した。また、この遺伝子について以下のことを明らかにした。この遺伝子は837aaよりなるタンパク質をコードすることが予想され、イントロンを持たなかった。そのアミノ酸配列には現在まで報告された哺乳類のcPLA2に保存されているGGGR,GXSGXモチーフなどリパーゼ活性を持つ領域を確認した。plaAの発現量はラクトース、グルコースを炭素源とした最少培地で他の培養条件より高いことをノーザン解析によって示した。さらに、PlaAの活性中心を含む部分を酵母で発現させて14C標識PCやPEを基質として活性を測定し、この遺伝子産物はPCよりPEに対する活性が高く、その活性はCa2+非依存性であることを明らかにした。

 plaAをA.nidulansのalcAプロモーターの下流でつないだplaAの高発現株では野生株に比べてより多くの子嚢胞子(有性胞子)を形成したことからplaAは有性生殖において機能を持つことが示唆された。また、高発現株ではリノール酸の割合が増加した。A.nidulansではリノール酸由来の物質であるプサイファクター(precocious sexual inducers,hydroxyaatedlinoleicaciamolecules)が有性生殖を促進することが知られている。そこでP1aAはリノール酸の含量の制御を通して有性生殖に関わる可能性があることを示した。

 以上本論文は、糸状菌における生理的に重要と思われるリン脂質分解酵素の遺伝子を単離し、その機能を解析したもので、膜リン脂質の代謝が糸状菌の生育と性的再生産に重要な働きを有していることを示唆したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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