学位論文要旨



No 118213
著者(漢字) カルタン クレール,和美
著者(英字)
著者(カナ) カルタン クレール,カズミ
標題(和) 馬の走行姿勢の機能的意義に関する運動力学的研究
標題(洋) Biomechanical definition and function of collection-extension in horses
報告番号 118213
報告番号 甲18213
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2602号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 小川,博之
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 助教授 桑原,正貴
 東京大学 助教授 武内,ゆかり
内容要旨 要旨を表示する

 馬は最も有益を与える動物の一つとして、長い歳月人間と生活を共にしてきた。しかし、機械化が発達した現在、先進国では馬はもはや経済動物としてでなく、レジャーを目的として用いられるようになっている。馬が生活に欠かすことができない存在ではなくなったため、格人が馬に接する時間が減少するようになり、そのため、従来の方法では総合的な学習を必要とする馬術を学び教えることが難しくなっている。そこで、科学的な視点から馬術を理解し応用することが、馬術をより核心的に学ぶ方法の一つとして有効であることを提唱する。一方で、人間や動物に関する力学的モデルは数多く科学雑誌に紹介されているが、それらが実際にスポーツ人口に広く知られていないことも多い。そこで、既に発表されている力学的モデルを用いて馬術に関する現象の分析・理解を試み、結果として馬術の普及と科学的知識の発展の双方に貢献することをこの研究の総合的な目的とする。

 また、様々な馬術種目が全世界に存在するにもかかわらず、生涯一種目のみを通して馬とっている馬術人口が多いのが現状である。しかし、馬の世界の多様性は、各人がより自分に適した馬術種目を選ぶことを可能とする。現在までそれらの種目を総合的かつ客観的に調査し、その特徴を明らかにする試みはないので、5つの馬術種目を比較することにより、馬術の多様性と可能性を明らかにすることがこの研究のもう一つの目的である。

 馬術に関してもっとも重要な現象の一つが「収縮」である。それは馬を扱いやすくすると言われているが、その定義、意義、方法などには不明な点が多く、多くの乗馬志望者がこの現象にぶつかって挫折を覚える。馬を収縮させようとする方法でも最も一般的なものが、馬の首を下げかつ曲げる「屈橈」を馬に施すことである。しかし、屈橈の効果が科学的に検証されたことはない。そこで実際にどの程度屈橈が収縮に貢献するか実験したところ、収縮の定義といわれる重心の後肢方向への移動はほとんど見られなかった。しかし、馬の後肢がより後方に流れないなど、収縮している馬の特徴と言われる現象がいくつか見られた。

 さまざまな速度下で移動する馬を調べることにより、収縮とは、いかに後肢が離地する時までに後方に流れることを阻み馬体の下に保つか、そして同時に着地時に後肢の踏み込みをいかに保つかが一つ目にポイントであることがわかった。速度を低く保つことによって離地時に後肢が流れないようになるが、速度が落ちるほど着地時に踏み込みが小さくなるので、二つの現象の適切なバランスによって収縮が可能になることがわかった。この収縮は、静力学的な法則に基づいているので、馬が加速、減速、方向転換する時など、速度を落として肢を地面につけている時にのみ有効であり、「静的収縮」または、「姿勢的収縮」と呼ぶことができる。

 Grey(1943)の力学的モデルより、静的収縮のみならず、動的収縮も存在することを仮説として立てた。動的収縮している馬では、肢を馬体に付着する筋肉がより活発に働いていると考えられる。このことを確認するため、馬が地面に対して水平方向と垂直方向に加える力をフォースプレートを用いて測定し、馬が歩行・走行する時にそれらの筋肉が果たす役割を調べた。実験の結果、それらの筋肉が走行する馬において常に働いていることがわかった。しかし、実際に高度に調教された馬をフォースプレートがある環境に連れて行くことは難しいので、収縮している馬では更にそれらの筋肉が活動していることを調べることはできなかった。このことの確認が今後の課題である。

 続けてGrey(1943)のモデルを用いて、馬を実際に収縮させる方法を開発することを目的として馬の加速と減速について実験を行った。このモデルによると、動物は水平方向に力が働く時、それに対抗するように四肢を傾けて重心を移動させる、つまり自ら静的収縮の姿勢をとり、同時に動的収縮に必要な筋肉を鍛えるようになる。この姿勢の変化が実際に馬で見られることかどうかを確認したところ、減速においては緊密に一致し、加速においてはあまり一致しないことが明らかになった。なぜ加速においては一致しないか研究を続けたところ、加速するためには馬体の構造上、後肢を用いる必要があることが明らかになったので、講師を有効利用するために馬は水平方向にかかる力により後肢に余計にかかるようになった体重を前肢方向に戻さないことが考えられる。こうして加速と減速の双方において馬は体重をよりかけるようことが示されたので、加速と減速は馬を収縮させるために有効であると言える。

 また、馬の走行を最も特徴づけ、かつ速度に依存しない現象の一つとして、滞空時間があげられる。特に、馬の品種・馬術種目ごとに滞空時間にはっきりとした特徴・傾向が見られた。そこで・馬がその滞空時間をどのように調節しているかを調べるために、McMahon(1990)のバネモデルを用いた。このモデルより馬の四肢のバネ定数を計算したところ、馬によってバネの力を用いて走行するものや、筋肉の力をもっぱら用いて走行するものなど様々であることがわかった。また、滞空時間の品種差は騎乗されていない馬でも見られ、後天的に変えることが難しいことを考察した。滞空時間は馬の乗り心地と密接に関係するため、乗馬目的や繁殖目的で馬を選ぶ時、選択肢として滞空時間が重要な意味を持つと示唆される。

 以上のように、力学的モデルを用いて馬の走行を研究したところ、様々な現象の意義が明らかになった。また、扱いにくい、移動しにくいという欠点はあっても、スポーツとレジャーの世界に研究結果がすぐに応用できること、また他の動物と異なり馬には既に高度なトレーニングがなされていることを考慮すると、馬が研究対象として非常に興味深い相手であることも示された。そこで、馬術の分野と運動力学の分野の融合が、双方に有益をもたらすことができることがこの研究で示されたため、そのますますの発展を提唱する。

審査要旨 要旨を表示する

 馬の姿勢や重心の位置は、馬の動作や走行速度に大きな影響をもたらす要素であることが経験的に知られているが、とりわけ後肢に負重を大きくかけた「収縮(Collection)」と呼ばれる状態は馬の運動性を左右する重要な要素であるとして、馬術競技などでは長年にわたってもっとも重視している事項である。しかしながら、収縮の実体を科学的に明らかにした研究はきわめて少なく、その意義については不明瞭な点が少なくない。本研究は、「収縮」を伴った状態を画像解析と運動力学的手法を用いることによって科学的に明らかにすることで、馬術競技や馬の歩行運動における「収縮」の意義を問い直したものである。

 第一章では、馬の頭頸部の角度が収縮に及ぼす効果を調べた。本研究では「収縮」を後肢に体重がより多くかかり、重心と後肢との距離が狭まる状態と定義した。同一の騎乗者が5頭の馬に対して、1)屈とう、2)起揚、3)伸展、4)フリーの4種類の頭頸部姿勢をとらせ馬体各部位の頭頸部に対する角度および重心と四肢との距離に対する関係を求めた。その結果、屈とうと起揚は伸展やフリーにくらべてより後肢に重心が近づくことがわかったが、その影響は軽微であり、層とうや起揚が「収縮」を起こすための重要な条件ではないことが示唆された。

 第二章では、馬の歩幅(ストライド)と運歩数(ピッチ)が各種の競技馬(馬場馬術、馬上闘牛、レイニング、競馬、繋駕レース)においてどの程度、速度に影響を与えているかについて検討した。その結果、運歩数よりも歩幅と速度との関係がより相関性が高いことが示されたため、歩幅を決定する因子である「四肢の角度」と「滞空時間」に注目する必要性があることが考えられた。

 第三章では、「収縮」と速度との関係を調べた。速度が増加するに伴って、前肢および後肢の胴体に対する角度の増大が離地時(後伸)と着地時(前伸)のいずれにも生じた。この前伸および後伸における重心と四肢の着地点との関係を明らかにした。

 第四章では、滞空時間と四肢の働きについて検討した。滞空時間は速度に影響されない指標であることが示された。馬は肢のバネ定数を増大させることで滞空時間を延長させていると仮定したが、この仮定は繋駕レースにのみ当てはまることがわかった。また、滞空時間の調節は騎乗者の有無に関係なく馬自身がもともと備えている性質であり、肢のバネ的性質よりも筋力に頼っていると考えられた。長い滞空時間は多様の活気に貢献し、短い滞空時間は上下動の少ない乗り心地と敏捷性を与える利点があるものと思われた。

 第五章では、減速時の馬体の働きを明らかにするための解析を行った。減速に伴い、水平線に対する馬の胴体の角度が増大し、首の角度は減少した。馬は後肢を主体的に用いて減速すること、その際、重心が後肢に近づくので減速は馬の収縮を考える上で有力なてがかりとなるものと思われた。

 第六章では、加速時の馬体の働きを明らかにするための解析を行った。加速度が増すに従って、離地時の後肢は伸展し、接地時間も増大した。加速時には四肢の後伸筋肉が強く働き回転モーメントを生み出すため、馬の体重は前肢から後肢へと移行するようになると考えられる。したがって、後肢は加速時においても重要な働きをもつことが示唆された。

 第七章では、運動力学的データと画像データを重ね合わせることによって、馬の動的収縮を加重面から検討した。4頭の馬をフォースプレート上に引き馬をして速歩と常歩で通過させ垂直方向に生じる力を測定した。この解析によって、馬は単に肢を構成している筋肉群のみならず肢を体幹部に連結している筋肉群を用いることで、より少ない力で水平方向の移動を行っていることが実証された。

 本研究によって、「収縮」には静的ないし「姿勢的収縮」と「動的収縮」が存在することが明らかになった。「姿勢的」収縮は、1)重心に対する前肢と後肢の位置関係に従って生じる、2)四肢の前件を保ちながら後伸を抑えることによって達成される、3)その結果、歩幅は短かくなる、4)「姿勢的」収縮は速度に対し負の関係を持つ、5)「姿勢的」収縮は、速度・方向変換など、馬が地面に余分に力を加える必要がある際に役立つことがわかった。一方、「動的収縮」は1)速度に影響されないこと、2)前半身の軽やかさと多様の安定性を生み出していること、3)「動的収縮」は、四肢を胴体に連結する筋肉群の働きによって生じること、4)「動的収縮」は「静的収縮」とは異なる現象であり、同時にも別々にも生じるうること、5)「動的収縮」を促すには、大きな摩擦力を与えるダートの馬場よりも、より摩擦係数が小さい地面の方が適している、ことなどが明らかになった。

 以上を要するに、本論文は馬術における「収縮」の実体を科学的に裏付けるとともに、その意義について新しい概念をもたらしたものであり、その成果は学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク