学位論文要旨



No 118214
著者(漢字) 池田,佳代子
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,カヨコ
標題(和) In vivo 系及びin vitro 系による乳清酸性タンパク質の生物学的機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 118214
報告番号 甲18214
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2603号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 酒井,仙吉
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
内容要旨 要旨を表示する

 乳汁中に分泌される各種のタンパク質は、主に乳腺胞で合成される。乳汁中のタンパク質には、カゼイン、β-ラクトグロブリン、α-ラクトアルブミンなど各種のタンパク質が含まれている。そのうち乳清酸性タンパク質(Whey Acidic Protein ; WAP)は、齧歯類、ウサギ、ラクダ、ブタ、ワラビー、レッドカンガルーの乳汁中に見出された乳清タンパク質である。

 WAPは19個のアミノ酸残基から成るシグナルペプチドを持ち、アミノ酸配列はシステインに富んでおり、このことからある種のプロテアーゼインヒビターであろうと考えられている。また、WAPは4箇所のS-S結合を中心とする立体構造を取ることが知られており、この構造を持つps20、WDNM1等のタンパク質は、上皮細胞の増殖抑制作用を持つことが報告されている。このように、WAPは、タンパク質のアミノ酸配列やその構造から何らかの生物学的機能を有することが推測されるが、WAPの機能についてはほとんど研究されていない。

 これまでに、WAP遺伝子は乳腺で組織特異的に発現すると考えられていたことから、そのプロモーター領域が標的遺伝子をトランスジェニック(Tg)動物の乳腺で発現させる目的で利用されている。しかし、その後の研究から、WAP遺伝子は乳腺だけでなく他の組織でも発現していることが見出され、WAPの構造と考え合わせると、WAPは乳汁中の一栄養成分としてだけではなく、生体内で何らかの生物学的役割を果たしていることが示唆される。

 以上のような背景から、本研究において、WAPの生物学的機能を調べる目的で生体内におけるWAPの発現部位を詳細に解析し、また、WAPを全身性に過剰発現するTgマウスを作出しその表現型を解析した。さらに、乳腺上皮細胞由来の培養細胞を用いたin vitro系の実験により、WAPの細胞増殖に及ぼす影響について検討した。

第一章WAPを全身性に過剰発現するトランスジェニックマウスの作出および解析

 生体内におけるWAPの発現部位を詳細に調べるために、内因性WAPの発現が最も高い時期であることが知られている泌乳14日目の通常マウスから各種組織を採取し、RT-PCRおよび抗WAP抗体による免疫染色を行った結果、乳腺以外に膣でWAPの高い発現が観察された。このことから、WAPが生体内で何らかの機能を果たしていることが強く示唆されたため、生体内の遺伝子の機能を探る有効な手段の一つである、異所性に目的の遺伝子を過剰発現するTgマウスを作出し、それらの表現型を解析した。

 本研究では、WAP遺伝子を、全身性に強く発現させるために、pCX(CMV-IE enhancer,chiken β-actin promoter,rabbit β-globin poly-A signal)に挿入した融合遺伝子(pCX/WAP)を構築した。ベクターより切り出し精製したCAG/WAP融合遺伝子(約2.9kb)をマウス受精卵に顕微注入する方法によりTgマウスを作出した。その結果、得られた73匹のうち10匹がTgマウスと判定され、各Tgマウスの遺伝子の発現を解析したところ、WAP遺伝子の転写産物が最も高い一系統において、その産仔に発育不良が見られた。この系統の母Tgマウスの乳腺のホールマウント標本を作製したところ、通常マウスに比べ、乳管の径は同程度に発達していたものの、乳腺胞の発達が著しく劣っていた。Tgマウスの解析から、産仔の発育不良は、WAPの過剰発現によって、乳腺組織特異的にその増殖及び分化が阻害され、その結果乳汁の生産及び分泌が異常になったことが推察された。なお、このマウスの妊娠、出産及び哺乳行動は正常であったこと、さらに、内因性WAPの高い発現が観察された膣では形態的な異常が観察されなかったことから、WAPの過剰発現の増殖及び分化に対する作用は乳腺特異的なものであることが推察された。なお、泌乳期にある通常マウスの膣前庭腺で高いWAPの発現が観察されたことの生物学的意味については不明であるが、膣が外分泌腺であること、及びWAPがプロテアーゼインヒビターである可能性が高いことから、膣においては、微生物の感染防御に関与していることが推察される。

第二章乳腺上皮由来培養細胞株EpH4/K6細胞を用いたWAP機能の解析

 第一章で得られた知見をもとに、WAPの機能を細胞レベルでより詳細に知るために、妊娠中期BALB/cマウス乳腺上皮細胞由来の細胞株であるEpH4/K6細胞を用い、WAPの機能を調べた。EpH4/K6細胞にWAPを強制発現させた細胞株を作製しその増殖能を調べたところ、対照に比べ、増殖が有意に抑制されていた。次に、増殖抑制の原因を知るために、BrdU取り込み実験及びセルソーターを用いた解析を行った結果、WAPを高発現した細胞株では、細胞周期のS期への進行が遅れていることが観察された。各種サイクリンD群の遺伝子発現についてRT-PCRにより解析した結果、WAP高発現細胞株において、サイクリンD1の発現が有意に減少していることが認められ、このことが細胞周期の遅延の原因になっていることが明らかとなった。

 本研究において、WAPが、乳腺の発達を制御する機構に重要な役割を果たしていることを初めて明らかにすることができ、乳腺発達の分子機構を知る上で非常に有用な知見が得られた。WAPは乳腺胞細胞から分泌された後、パラクラインあるいはオートクライン的に乳腺細胞に作用し、細胞内で何らかの経路を介してサイクリンD1の発現を抑制することによって、乳腺胞の過形成を抑制している可能性が考えられる。今後は、この点に注目した研究のアプローチが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 乳汁中には、各種のタンパク質が含まれているが、そのうち乳清酸性タンパク質(Whey Acidic Protein ; WAP)は、齧歯類、ウサギ、ラクダ、ブタ、ワラビー、レッドカンガルーの乳汁中に見出された乳清タンパク質である。WAPは19個のアミノ酸残基から成るシグナルペプチドを持ち、アミノ酸配列はシステインに富んでおり、このことからある種のプロテアーゼインヒビターであろうと考えられている。その後の研究から、WAP遺伝子は乳腺だけでなく他の組織でも発現していることが見出され、WAPの構造と考え合わせると、WAPは乳汁中の一栄養成分としてだけではなく、生体内で何らかの生物学的役割を果たしていることが示唆される。しかしながら、WAPの機能についてはほとんど研究されていない。

 本研究では、WAPの生物学的機能を調べる目的で生体内におけるWAPの発現部位を詳細に解析し、また、WAPを全身性に過剰発現するTgマウスを作出しその表現型を解析している。さらに、乳腺上皮細胞由来の培養細胞を用いたin vitro系の実験により、WAPの細胞増殖に及ぼす影響について検討している。

 第一章では、WAPを全身性に過剰発現するトランスジェニック(Tg)マウスを作出し、それらの表現型を解析している。生体内におけるWAPの発現部位を詳細に調べるために、内因性WAPの発現が最も高い時期であることが知られている泌乳14日目の通常マウスから各種組織を採取し、RT-PCRおよび抗WAP抗体による免疫染色を行った結果、乳腺以外に膣でWAPの高い発現を観察した。このことから、WAPが生体内で何らかの機能を果たしていることが強く示唆されたため、生体内の遺伝子の機能を探る有効な手段の一つである、異所性に目的の遺伝子を過剰発現するTgマウスを作出し、それらの表現型を解析した。WAP遺伝子を全身性に強く発現させるために、pCX(CMV-IE enhancer, chiken β-actin promoter, rabbit β-globin poly-A signal)に挿入した融合遺伝子(pCX/WAP)を構築し、ベクターより切り出し精製したCAG/WAP融合遺伝子(約2.9kb)をマウス受精卵に顕微注入する方法によりTgマウスを作出した。得られた73匹のうち10匹がTgマウスと判定され、各Tgマウスの遺伝子の発現を解析したところ、WAP遺伝子の転写産物が最も高い一系統において、その産仔に発育不良を認めた。この系統の母Tgマウスの乳腺のホールマウント標本を作製したところ、通常マウスに比べ、乳管の径は同程度に発達していたものの、乳腺胞の発達が著しく劣っていた。以上、Tgマウスの解析から、産仔の発育不良は、WAPの過剰発現によって、乳腺組織特異的にその増殖及び分化が阻害され、その結果、乳汁の生産及び分泌が異常になったことを認めた。

 第二章では、第一章で得られた知見をもとに、WAPの機能を細胞レベルでより詳細に知るために、妊娠中期BALB/cマウス乳腺上皮細胞由来の細胞株であるEpH4/K6細胞を用い、WAPの機能を調べている。EpH4/K6細胞にWAPを強制発現させた細胞株を作製しその増殖能を調べたところ、対照に比べ、増殖が有意に抑制されていたことを認めた。次に、増殖抑制の原因を知るために、BrdU取り込み実験及びセルソーターを用いた解析を行った結果、WAPを高発現した細胞株では、細胞周期のS期への進行が遅れていることを観察した。各種サイクリンD群の遺伝子発現についてRT-PCRにより解析した結果、WAP高発現細胞株において、サイクリンD1の発現が有意に減少していることを認め、このことが細胞周期の遅延の原因になっていることを明らかにした。

 以上、本研究は、WAPが乳腺の発達を制御する機構に重要な役割を果たしていることを初めて明らかにし、乳腺発達の分子機構を知る上で重要な知見を示した。本論文の成果は学術上ならびに応用動物科学分野に貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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