学位論文要旨



No 118215
著者(漢字) 井上,敬一
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ケイイチ
標題(和) Matrix Metalloproteinase(MMP)-2欠損マウスの表現型解析
標題(洋) Analyses of Matrix Metalloproteinase(MMP)-2-deficient mouse
報告番号 118215
報告番号 甲18215
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2604号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
 理化学研究所 チームリーダー 糸原,重美
内容要旨 要旨を表示する

 Matrix metalloproteinase(MMP)は、20種類以上の遺伝子ファミリーからなる金属イオン依存性の細胞外マトリクス分解酵素であり、多くの生物種で同定されている。これまでの精力的な研究により、MMPによるタンパク質分解は、形態形成や損傷治癒、がんの転移・浸潤、リウマチなどの生理学的・病理学的に重要な生物学現象への関与が示唆されている。それゆえ、分子細胞レベルでMMPの機能を明らかにすることは、生命現象のさらなる理解に繋がるだけでなく、治療薬の開発にも貢献しうるものである。

 MMP-2は1972年、リウマチ患者の滑液から初めてその存在が見い出された。コラーゲン、フィブロネクチン、ラミニンなど、細胞外マトリクスの構成タンパク質を分解する。前駆体として細胞から分泌されたMMP-2は、細胞膜上でMembrane type1(MT1)-MMPにより活性化され、活性化MMP-2はTIMP-2(tissue inhibitor of metalloproteinases2)によってその酵素活性を制御されることがin vitroの実験から明らかにされている。また、MMP-2の酵素活性は癌細胞の悪性度と比例することが報告され、抗癌剤開発の面からも大きな注目が注がれている。しかし一方で、MMP-2を欠損する変異マウスを作製した論文では、顕著な表現型を示さないとしており、生体内でのMMP-2の機能は不明の点が多い。近年脳の病態進行にMMPsが深く関わる可能性が示唆され、脳におけるMMPsの機能解明が待たれている。そこで本研究では、MMP遺伝子ファミリーのひとつであるMMP-2の脳病態時の機能を探ることを当初の目的として研究を開始した。

 第1章様々な脳における疾患において、MMP群の発現上昇が近年報告されている。その中でも脳硬塞や脳出血患者において、MMP-2が上昇していることが複数のグループから報告されている。脳病態進行時におけるMMP-2の機能を検討するため、私は頭部凍結損傷モデルを用いて、損傷後のMMP-2の動態をザイモグラフィーにて解析した。その結果、MMP-2は損傷後その活性が一過性に上昇し、6時間後にピークに達し、その後減少して行くことが明らかとなった。そこで、MMP-2遺伝子欠損マウスに凍結損傷を施すことで、MMP-2欠損による脳損傷への効果を検討した。その結果、MMP-2欠損マウスでは、損傷30分、6時間、1日後のいずれの時点においても野生型マウスに比して有為にその損傷領域が軽度であった。これらの成績は、一見するとMMP-2が脳の凍結損傷を亢進させることを示唆しているように見受けられた。しかし、本実験を行う過程において、私はMMP-2欠損マウスの頭蓋骨に硬化と変形を見い出した。この骨異常が本実験条件下における凍結損傷の差異を部分的に説明しうる。そこで以降、MMP-2の骨形態形成における役割を解明するため、骨組織における異常の解析を行った。

 第2章これまでの様々な研究から、骨組織におけるMMP群の発現は、骨芽細胞、破骨細胞の両細胞において確認されてきた。破骨細胞におけるMMPが骨基質の分解に関わっていることは容易に想像出来るが、骨芽細胞におけるMMPについてはin vitroの実験から、破骨細胞が石灰化骨を分解する前に、石灰化骨を覆う未石灰化骨を骨芽細胞由来のMMP群が分解する(破骨細胞は未石灰化骨を分解出来ない)という仮説が立てられているに過ぎなかった。また近年MMP-2の遺伝子変異がヒトの遺伝性骨溶解症を引き起こすことが示唆され、MMP-2と骨代謝の関連性が注目されている。これらのことを考慮に入れ、MMP-2欠損マウスの骨組織における異常の解析を行った。摘出した頭蓋骨を比較したところ、縫合線の長さや個々の骨の大きさ等に違いが見られ、全体に横幅が広いことが明白となった。また全体に骨硬化の傾向が認められたため、骨密度を計測し定量化した。老齢マウス(1年齢前後)ではMMP-2欠損マウスで明らかに骨密度の上昇が見られたが、5週齢のマウスでは逆に骨密度は減少していた。同時に下顎骨も測定したところ、下顎骨では週齢に関係なくMMP-2欠損マウスで骨密度は有為に減少していた。頭蓋骨の変化はマウスの顔の外観にも影響を及ぼしており、MMP-2欠損マウスでは短顔傾向が見られた。一方、興味深いことに、老齢マウスの全身の骨密度を計測したところ、MMP-2欠損マウスは有為に骨密度の低下が観察された。このことは体重・体長における減少にも影響を及ぼしていると考えられる。7週齢マウスでも同様に全身性の骨密度低下が認められた。以上の結果から、MMP-2欠損マウスは老齢の頭蓋冠では骨密度の上昇を示すが、それ以外の骨では骨密度の減少を示すことが明らかになった。

 次に組織学的実験により、MMP-2欠損マウスにおける骨の異常を検討した。4週齢と35週齢または60週齢のマウスを用いて、手部、足部、頭蓋冠の切片を作製し、ヘマトキシリン・エオジン染色を施した。MMP-2欠損マウスの手指の骨においては4週齢、60週齢ともに皮質骨の薄化が見られたが、60週齢の方がその程度が顕著であった。しかし、手根骨においては60週齢においても違いは見られなかった。同様の傾向は足部の骨でも見られた。一方、頭蓋冠では4週齢ではその厚さに違いは見られなかったが、35週齢ではMMP-2欠損マウスでは骨厚が野生型に比べ極端に増加していた。これらの結果から、老齢頭蓋冠における骨密度の上昇は骨量増加によるものであり、その他の骨における骨密度減少は皮質骨量の減少によるものであることが明らかになった。抗MMP-2抗体を用いて、MMP-2蛋白質の骨組織における局在を調べた。その結果、大腿骨ではMMP-2は大きく分けて、2種類の局在が見られた。ひとつは、成長板の増殖軟骨層から石灰化軟骨層まで存在するものであり、軟骨基質にび漫性に存在した。もうひとつは海綿骨や皮質骨において存在するものであり、骨芽細胞周辺と骨細胞周辺に強く存在していた。一方、頭蓋冠においては縫合部の骨芽細胞に強く存在し、大腿骨と違い骨細胞周辺には全く存在しなかった。これらの結果は、MMP-2の局在の差異がMMP-2欠損マウスにおける頭蓋冠と体幹骨の表現型の差異の基礎であることを示唆している。

 さらにMMP-2欠損マウスの骨組織における異常の細胞・形態レベルでどのような異常が起こっているのかを比較するために骨形態計測解析を行った。7週齢と55週齢のマウスの頸骨海綿骨、大腿骨皮質骨、頭蓋冠前頭骨のそれぞれ非脱灰切片を作製し定量した。その結果、頸骨海綿骨では週齢に関係なく、骨量、骨芽細胞の石灰化能・石灰化領域、破骨細胞の吸収能等、どのパラメータにも異常は見られなかった。大腿骨骨幹部皮質骨では55週齢のマウスにのみ、著しい骨量の低下と、骨内膜での骨形成上昇と骨吸収上昇、骨外膜での骨形成の低下が見られた。このことは皮質骨に骨細胞周辺に存在するMMP-2の欠損により、骨量低下が起こっていることを示唆するものと考えられる。一方、頭蓋冠前頭骨における解析では、55週齢でのみ著しい骨量増加が見られ、骨芽細胞の石灰化能・石灰化領域ともに有為に上昇していた。さらに頭蓋冠由来の骨芽細胞を単離・培養し、その石灰化能を比較したところ、MMP-2欠損マウス由来の骨芽細胞で、著しい石灰化の亢進が見られた。以上の成績から頭蓋冠ではMMP-2欠損により、骨芽細胞の機能亢進が生じると考えられる。

 今回の研究の結果は、MMP-2は頭蓋冠では骨芽細胞の増殖およびミネラル沈着能を抑制しており、その他の骨では骨細胞による骨量調節に関係していると考えられる。また、同時に頭蓋骨では、骨芽細胞由来MMP-2が骨吸収に先んじて起こる未石灰化骨の除去に関与している可能性も考えられる。頭蓋骨以外の骨において、MMP-2は骨細胞周辺に存在し、MMP-2欠損マウスでは荷重骨である下顎骨や体幹骨では骨量の低下を示すことから、骨細胞を介した骨量の調節に関わっていることを強く示唆する。骨に力学的負荷がかかると、骨細胞は骨細胞に沿って存在する骨細管を流れる体液の流動を感知して、骨量の調節に関与すると考えられている(Shear stress仮説)。MMP-2は骨細管の管径を、周りに存在するコラーゲン等を分解することで調節しているのはないかと考えられる。また頭蓋冠において、MMP-2は何らかの基質分子を分解することで骨量を減少させていると考えられる。その中でFGFR1は有力な侯補である。In vitroの実験でMMP-2がFGFR1を分解しているという報告があること、またFGFR1の活性型変異で起こる疾患である頭蓋縫合癒合症患者や、ヒト疾患と同じFGFR1変異を持った遺伝子組み換えマウスでは、MMP-2欠損マウスと全く同様の頭蓋冠の異常を示す。MMP-2欠損マウス頭蓋冠での異常はMMP-2とFGFR1の関連性を強く示唆している。本研究はMMP-2と骨代謝の関係を直接的に示した初めての研究である。またMMPによる骨細胞の骨量調節や骨芽細胞の石灰化能調節を初めて示唆した。単一分子がその局在により対極的役割を果すことを示した例は多くはなく、興味深い点である。MMP-2欠損マウスは、骨粗鬆症や骨溶解症、頭蓋縫合癒合症などの骨疾患を研究していく上で、優れたモデル動物に成りうるものである。

審査要旨 要旨を表示する

 がんやリウマチの患者の病変組織で、細胞外マトリクスを分解する酵素であるMatrix Metalloproteinase(MMP)-2の発現が高まっていることは良く知られている。そのため、がん治療薬としていくつかのMMP阻害剤が開発され、これまでに実際の患者で試されてきた。しかし、当初の期待とは裏腹に、予期していなかった副作用が強いことから、MMP阻害剤のほとんどは現在開発中止となっている。これらはひとえにMMP-2の生体内での機能が未だ充分理解されていないためであり、臨床的な観点からMMP-2の生体内での機能を詳しく解明することは極めて重要な課題であると言える。しかし、数年前に作製されたMMP-2遺伝子欠損マウスに関して、これまでのところ重篤な表現型は報告されていない。

 そこで、本研究においてはMMP-2の新たな機能を明らかにするため、MMP-2欠損マウスを詳細に解析した。具体的には、1)脳の病態時におけるMMP-2の機能の検討、及び2)MMP-2欠損マウスの骨組織における形態異常の解析を行った。

 第1章において、まず脳虚血や脳出血の実験モデルである頭部凍結損傷を野生型マウスに施し、傷害後のMMP-2の挙動を調べた。その結果、MMP-2は傷害後数時間でその発現が上昇することが明らかとなった。さらにMMP-2欠損マウスに傷害を施すことで、MMP-2の効果を検討した。MMP-2欠損マウスは野生型に比べ、その傷害の程度が軽度であったが、本実験を行う過程において、MMP-2欠損マウスにおいて頭蓋骨の硬化と変形を見い出した。そこで第2章では、MMP-2の骨形態形成における役割を解明するため、骨組織における異常の解析を行った。

 第2章において、MMP-2欠損マウスの骨組織における異常を詳細に解析した。MMP-2欠損マウスは体長が短く、特徴的な顔付きをしており、その頭蓋骨は硬化していた。2重エネルギーX線吸収法により、5〜7週齢と約1年齢のマウスの体躯および頭蓋骨、下顎骨の骨密度を計測したところ、5〜7週齢ではすべての骨組織において骨密度の低下が見られたのに対し、約1年齢の頭蓋骨でのみ骨密度の上昇が見られた。このことは個々の骨組織の由来により、骨密度の違いが現われている訳ではないことを示している。さらに指の基節骨と頭部の頭頂骨の脱灰切片を作製し、MMP-2欠損マウスの骨組織における形態異常を調べた。その結果、基節骨では骨髄を取り囲む皮質骨部においてその薄化が見られ、逆に頭頂骨においてはその骨厚が増大していた。近年、特定の家系の連鎖解析から、MMP-2の欠損変異が遺伝性の骨粗鬆症として知られるヒトの多中心性骨溶解症を引き起こすことが報告されている。MMP-2欠損マウスは低体長、特徴的な顔付き・頭蓋骨、全身性の骨密度低下、長骨皮質骨部の薄化を示しており、これらの表現型はヒト骨溶解症の症状と類似している。以上からMMP-2欠損マウスはヒト骨溶解症の優れた動物モデルであると言える。

 次にMMP-2欠損マウスでどのような細胞レベルの異常が起こっているのかを調べるために骨形態計測と免疫組織化学を行い検討した。骨組織は骨芽細胞による骨造成と破骨細胞による骨吸収によりその形態が維持されている。骨形態計測は骨形態や骨芽細胞による骨形成能、破骨細胞による骨吸収能等を定量的に調べる方法である。7週齢と55週齢のマウスの頸骨海綿骨、大腿骨皮質骨、頭蓋骨前頭骨を用いて、それぞれの部位における骨形態計測を行った。海綿骨と皮質骨を構成する骨芽細胞、破骨細胞はそれぞれ同じ由来である。頸骨海綿骨の骨形態計測の結果、体幹骨の骨芽細胞・破骨細胞の機能は、7週齢、55週齢ともに正常であることがわかった。しかし一方、大腿骨皮質骨の骨形態計測の結果から、55週齢において、皮質骨量の著しい低下と、骨内膜側の骨形成・骨吸収の亢進、ならびに外骨膜側の骨形成の低下が明らかとなった。頸骨海綿骨と大腿骨皮質骨の形態計測の結果から、体幹骨において皮質骨に多く存在し、骨形成・骨吸収を制御していると考えられている骨細胞の異常により、骨形成・吸収の不均衡が起こり、皮質骨の骨量の低下に繋がっていると考えられる。一方、頭蓋骨前頭骨の骨形態計測の結果から、頭蓋骨では55週齢MMP-2欠損マウスにおいて、著しい骨芽細胞の機能亢進が起こっており、それにより骨量の増大が起こると考えられる。このことからMMP-2は頭蓋骨では骨芽細胞の増殖・分化に関係していると考えられる。またさらに抗MMP-2抗体を用いた免疫組織化学を行った結果、MMP-2は体幹骨においては骨芽細胞と骨細胞に存在し、頭蓋骨においては骨芽細胞に存在することが明らかとなった。骨形態計測と免疫組織化学の結果、体幹骨においてはMMP-2は骨細胞に主に存在し、骨量制御に関わっており、一方、頭蓋骨においては骨芽細胞に存在し、骨形成に抑制的に働いていることが示唆される。実際、頭蓋骨由来骨芽細胞を培養し、その石灰化能を比較すると、MMP-2欠損マウス由来骨芽細胞では石灰化能の亢進が見られた。

 本研究は体幹骨と頭蓋骨の骨形成維持機構の独立性を示唆し、かつMMP-2欠損マウスは骨溶解症の優れた動物モデルと成り得ることを示している。また、MMP-2が単一分子で双方向性の機能を持つことも示している点でも極めてユニークである。さらに、本研究は骨細胞の機能不全による骨異常を示す初めてのマウスであり、これまでほとんど解析されて来なかった骨細胞の機能を分子レベルで解きあかす先駆けと成り得る研究であるといえよう。

 したがって、審査員一同は、当論文内容が農学博士の資格を有するとの結論に達した。

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