学位論文要旨



No 118216
著者(漢字) 岩森,巨樹
著者(英字)
著者(カナ) イワモリ,ナオキ
標題(和) マウス初期胚における細胞周期制御機構に関する研究 : G1期短縮の分子機構
標題(洋)
報告番号 118216
報告番号 甲18216
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2605号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
 東京大学 助教授 青木,不学
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
内容要旨 要旨を表示する

 初期胚は、発生工学、生殖工学において必須の材料であり、この分野の今後の発展を図る上で、初期胚固有の発生制御機構を十分に理解することは重要である。初期胚では胚盤胞に至るまで細胞の分化は起こらず、分裂増殖のみが繰り返されるため、その発生制御機構は細胞周期制御機構と言い換えることができる。卵割期の初期胚における細胞周期に顕著に現れる特徴としてG1期の短縮という現象が報告されている。

 初期発生制御に関してはアフリカツメガエルが最もよく研究されており、胞胚期以前の初期胚ではG1期短縮が見られ、これは卵内に蓄えられた母性因子によって転写に依存しない制御がなされているためであることが知られている。一方、マウスの初期胚では転写に依存しない母性因子依存型の制御から転写を必要とする胚性因子依存型の発生への切り替わりが2細胞期に起こり、zygotic gene activation(ZGA)として知られている。しかし、ZGA後の4細胞期以降においてもG1期の短縮が見られ、この時期のG1期短縮を引き起こす分子的なメカニズムは未だ明らかにされていない。

 本研究ではマウスの初期胚発生過程における4細胞期以降、すなわち転写依存型の発生におけるG1期短縮のメカニズムを解明することを目的とした。

 研究を始めるにあたり、このG1期短縮が分裂期(M期)終了後、DNA合成期(S期)への誘導シグナルが早期に活性化されたために引き起こされるのではないか、との仮説を立て、研究を遂行した。

第1章初期発生過程におけるMAPキナーゼカスケードについて

 MAPキナーゼ(MAPK)カスケードは細胞内シグナル伝達系として最も代表的なものであり、Raf-1、MEK、ERKの3段階のキナーゼにより構成されている。これらのキナーゼはそれぞれ下流因子をリン酸化することで活性化させ、細胞周期の開始を誘導する。もし、このカスケードがM期終了時あるいは恒常的に活性化している状態であれば、S期への進行は早期に引き起こされることが推察される。そこで、初期発生過程における各因子の発現とリン酸化の状態をウエスタンブロットで調べた。その結果、全ての因子が初期発生の間常に発現していることが確認され、Raf-1、MEKについては2細胞期以前のM期にリン酸化が見られたが、4細胞期以降の初期胚ではリン酸化はほとんど見られなかった。また、ERKは受精後の初期胚では全くリン酸化が見られず、初期発生ではMAPKカスケードが活性化している可能性は低いことが示唆された。次に、MAPKカスケードの活性化の指標となるサイクリンD1の発現を調べたところ、初期胚では発現は検出されず、このカスケードが活性化しないことが支持された。さらにMEK阻害剤であるPD98059処理を行い、MAPK活性化を抑制しても胚の発生率は対照と同様であった。これらの結果から、初期発生過程ではMAPKカスケードの活性化が起こらない可能性が強く示唆された。すなわち、MAPKカスケードおよびサイクリンD1に関してはS期早期活性化ひいてはG1期短縮の要因ではないことが示唆された。

第2章初期発生過程におけるRBについて

 前章の結果より、G1期短縮の要因はサイクリンDより下流のS期誘導機構にあると考えられる。サイクリンDはRBの機能を抑制することが知られている。RBはS期進行に不可欠な転写因子E2Fと結合してE2F活性を抑制し、細胞のS期進行を抑える機能を持っている。そこで、初期発生過程におけるRB、E2F1およびE2Fの主要な標的遺伝子としてサイクリンEの発現を調べた。RT-PCR法によるmRNAの解析ではRBは未受精卵で発現しており、その後、受精24時間後の2細胞期では著しく減少し、36時間後の2細胞期後期から胚盤胞期までほとんど発現が見られず、胚盤胞期中後期頃から再び増加してくるという動態を示した。

 さらに、ウエスタンブロットや免疫染色といったタンパク質レベルでの解析からも同様の結果が得られた。また、E2F1については初期発生の間常に発現が確認され、サイクリンEは2細胞期から発現し始め、桑実胚をピークとして発現が上昇し、その後、徐々に発現が減少するというRBとは完全に逆の相関を示した。以上の結果からZGA後、胚盤胞期中期までRBの発現は極端に減少するということが示された。このためE2Fが常に活性化された状態が生じ、下流標的遺伝子であるサイクリンEなどのS期進行を担う因子の恒常的な発現によりS期早期活性化が引き起こされ、G1期が短縮する可能性が示唆された。

第3章RB強制発現による初期発生への影響

 前章で示されたRB発現の減少がS期早期活性化の原因であるかどうか検証するため、初期胚にRBの過剰発現を試みた。まずRB発現胚を選別する方法を検討した。受精6時間後の前核に緑色蛍光タンパク質(EGFP)とRBの発現プラスミドを共顕微注入し、EGFPの蛍光を指標として胚を選別して、RBの発現を調べた結果、EGFP発現胚にのみRBの発現が検出され、EGFPがRB発現の指標となることが確認された。そこで、この実験系を用いてRB発現胚の発生率を求めた。その結果、対照となるEGFPのみを発現させた胚と比べ、4細胞期までは正常に発生したが、その後、桑実胚以降への発生が著しく抑制された。RBは細胞の核内で転写因子を抑制することで機能するため、RBの発現した割球のみで影響が出るはずである。そこで、この結果が確実にRB発現の影響であることを示す目的で、受精24時間後の2細胞期の片側の割球にのみEGFPとRBを発現させ、通常では桑実胚である受精72時間後に胚の様子を観察した。その結果、EGFPの蛍光を示す、RBを発現させた割球が二つのみ、すなわち4細胞期の状態で停止しており、蛍光を示さない側には多数の割球が確認された。以上のことから、RB発現によって胚の発生が4細胞期で停止することが明確に示された。次に、この4細胞期での発生停止胚が細胞周期のどの位相にあるのか調べるために、RB発現胚で受精36時間後から48時間後まで、すなわち4細胞期のS期に相当する間BrdUを取り込ませた。その結果、RBを発現させた割球ではBrdUの取り込みは見られず、RB発現によりS期への進行が抑制されていることが示された。以上の結果から、初期胚にRBを発現させるとちょうど内在性RBの発現が無くなる4細胞期のS期の前、すなわちG1期で細胞周期が停止することが示された。このことはRBの発現消失がS期の早期活性化、さらにはG1期短縮を引き起こしていることを示唆している。

第4章サイクリンD1強制発現によるRB発現胚の発生への影響

 前章で示されたRBの発現による4細胞期のG1期での停止が体細胞で見られるRBの生理的な機能によるG1期停止と同様であるかどうか検討した。第1章の結果からサイクリンD1は初期胚ではほとんど発現していないが、体細胞ではRBはサイクリンD/cdkによってリン酸化されることで不活化され細胞がS期に進行する。そこで、EGFP、RBに加えて、サイクリンD1の発現プラスミドを受精6時間後の前核に共注入し、RB/サイクリンD1共発現胚の発生率を求めた。その結果、RB発現胚では4細胞期で発生が停止したのに対し、RB/サイクリンD1共発現胚は4細胞期以降の桑実胚、胚盤胞にまで、対照胚と同程度に発生した。また、ここでも2細胞期の片方の割球にRB/サイクリンD1を共発現させたところ、約半数のEGFP蛍光を示す割球がRBとサイクリンD1を発現していたが、発生停止は起こさず、外見上桑実胚の形態を示した。次に、RBによる細胞周期停止が、下流にあたるE2F標的遺伝子の発現を抑制するためであることを標的遺伝子のmRNA発現をRT-PCR法により調べた。その結果、MCM5、MCM7、DHFRについてはRB発現胚で対照胚に比べ、有意にその発現が減少し、RB/サイクリンD1共発現胚でその発現がRB発現胚に比べて有意に回復した。その他のMCM6、cdc6、サイクリンA2、サイクリンEについてはRB発現胚ではその発現が減少し、RB/サイクリンD1共発現胚では回復する傾向が見られた。以上、4細胞期のG1期で周期を停止していたRB発現胚は直接の上流因子であるサイクリンD1の発現により発生停止が解除されたこと、RBの作用はE2F標的遺伝子群の発現を抑制していたことから、体細胞で見られる生理的なG1期停止と同様の機構で停止していることが示唆された。

 以上の結果からZGA以降のマウス初期胚発生で見られるG1期の短縮はRBの発現が減少することにより、S期進行シグナルが恒常的に活性化され、S期が早期に引き起こされることによるという分子機構が強く示唆された。本研究は哺乳動物の初期胚特異的な発生制御の一端を示した初めてのものである。これらの結果は家畜などの大動物にも応用できると考えられ、これらの分野を利用した産業的な面においても貢献を果たすものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 初期胚の発生過程では細胞周期のG1期が極端に短縮する特徴があり、これが卵割と呼ばれる特有の細胞分裂を起こす要因の1つとなっているが、哺乳動物では現在までG1期短縮の原因となる発生制御機構は明らかにされていない。本論文はこの原因の一端を明らかにしたものであり、緒言、4章からなる本論、及び総括から構成されている。本論文を要約すると以下の通りである。

 緒言では、まずG1期短縮が卵内に母性因子が蓄積され転写が不要であるためとするカエル卵での一般的理解を紹介し、マウス初期胚では4細胞期以降転写を要するが、これ以降にもG1期の著しい短縮が見られ、そのメカニズムは母性因子の存在では説明できないことを論じている。本研究ではこの原因が、S期開始のシグナルが早期に活性化されるためとの仮説を立て、このシグナル系を調べることで哺乳動物特有のG1期短縮の制御機構を見つけようとする実験方針を示している。

 第1章では、S期開始の細胞内シグナル伝達系であるMAPキナーゼカスケードに着目している。このカスケードが恒常的活性化の状態であれば、S期が早期に開始すると予想されるからである。哺乳動物の初期胚では、本カスケードは存在すら明らかではなかったが、本実験では全ての因子が初期発生過程を通し発現していることを示している。しかし4細胞期以降、本カスケードの活性化を示唆するリン酸化、および活性化の指標となる下流因子のサイクリンD1の発現は検出されなかった。さらに本カスケードの阻害剤を処理しても胚の発生率は対照と変化ないことを示し、初期発生過程ではMAPキナーゼカスケードは存在するものの全く活性化されないこと、したがって本カスケードがG1期短縮の要因ではないことを考察している。

 第2章では、より下流因子に焦点をあてている。一般に体細胞のS期進行は、転写因子E2Fの活性をRBが阻害することにより抑制されており、RB活性が抑制されればS期が早期に開始することになる。そこで初期胚のRB発現をmRNAとタンパク質レベルで調べ、2細胞期後期から桑実胚期まで発現が無く、胚盤胞期中期頃から発現するという動態を示している。また、E2F1は初期発生過程を通し常に発現しており、その標的因子のサイクリンEはRB発現と完全に逆の動態であることも確認している。以上より、2細胞期後期から胚盤胞期中期までRBの発現が無いことがE2Fの恒常的活性化状態を生じさせ、下流のS期進行を担う標的因子の発現を誘導することでS期早期活性化が引き起こされ、G1期が短縮するという可能性を示唆している。

 第3章では、この可能性の正当性を検討するため、RBをマウス初期胚に強制発現させている。まず、RB発現胚を選別する方法を検討し、蛍光タンパク質のEGFPとRBの発現プラスミドを共顕微注入し、EGFPの蛍光がRB発現の指標なることを確認している。この実験系を用いてRB発現胚の発生率を求め、4細胞期までは正常だが、その後の発生が著しく抑制されることを示している。この結果が環境要因によるものではないことは、2細胞期の片側の割球にのみRBを発現させ、RB発現割球のみ4細胞期の状態で停止し、発現させない側には多数の割球が存在することで確認している。また、この発生停止胚はBrdUの取り込みが無いことから、S期の前、すなわちG1期で停止することを示している。以上、初期胚へのRB強制発現が、ちょうど内在性RB発現が無くなる4細胞期のG1期で発生を停止させることを示し、先の可能性の正当性を強く示唆している。

 第4章では、RB発現がG1期の延長ではなく停止を起こしたことに着目し、第1章の結果から初期胚ではRBの上流因子のサイクリンD1(D1)が発現していないことが原因と考え、RBに加えてD1を共発現させ発生率を求めている。その結果、RB/D1共発現胚は4細胞期で停止しないことから、RBの作用がD1により解除されることを示している。次に、E2F標的遺伝子の発現をmRNAレベルで調べ、RB発現胚では有意に発現が減少し、RB/D1共発現胚では回復することを示し、RBの作用が下流のE2F活性を抑制するためであることを確認している。以上から、4細胞期のG1期停止というRBの機能が、体細胞における生理的なG1期停止と同様の機構で作用したことを裏づけている。

 以上の結果を総括し、哺乳動物の初期胚発生で見られるG1期の短縮は、RBの発現低下によりS期進行シグナルが恒常的に活性化するため、S期が早期に開始することが原因であるという全く新たな分子機構を導き出している。本論文の成果は生殖生物学や発生生物学といった基礎分野のみならず、畜産・医療等の応用分野の発展に有用な知見であり、学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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