学位論文要旨



No 118217
著者(漢字) 杉浦,幸二
著者(英字)
著者(カナ) スギウラ,コウジ
標題(和) 哺乳動物卵における卵成熟促進因子の減数分裂特異的制御機構
標題(洋)
報告番号 118217
報告番号 甲18217
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2606号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
 東京大学 助教授 青木,不学
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
内容要旨 要旨を表示する

 卵形成過程の最後に起こる減数分裂の期間は、特に卵の「成熟」と呼ばれる。成熟を開始する前の卵母細胞(未成熟卵)は卵核胞(Germinal Vesicle:GV)と呼ばれる巨大な核を持ち、成熟が開始すると、この核膜が消失する(GV breakdown:GVBD)。そして、卵は第1減数分裂中期に至り、その後第1極体を放出して、第2減数分裂中期に達し、成熟が完了する。卵成熟は、卵母細胞が受精・発生能を獲得するための重要な期間であり、その制御機構を解明するために多くの研究が行われてきた。そして、その制御の中心因子として卵成熟促進因子(Maturation promoting factor:MPF)と呼ばれるタンパク質リン酸化酵素が存在することが明らかにされた。MPF活性が上昇することによってGVBDが起こり、その後MPF活性が低下するのと同時に卵は第1極体を放出する。さらに、MPFが再活性化することによって、卵はDNA合成期へ進行せずに2回目の分裂期、すなわち、第2減数分裂期に進行し、その後MPF活性は高く維持されて卵成熟が完了する。

 前述のようにGVは特異的に巨大な核であり、GVBDによってその中に含まれる多くの物質が細胞質中に放出される。そのためGV内に卵の減数分裂を制御する因子が含まれているとの考え方もある。実際、卵成熟開始時にMPFがGV内へ移行するなど、卵成熟制御の中心因子であるMPFの制御に何らかの核内因子の関与が示唆されている。しかし哺乳動物では、卵成熟制御に対するGVの必要性、とりわけMPF活性の制御について、GV内因子との相互作用に注目した十分な研究は見られない。そこで本研究では、哺乳動物において卵成熟特異的なMPF活性制御にGV内因子が必要かどうかを検討することを目的とした。

第1章ブタ卵核胞内には、MPFの再活性化を促す因子が存在する

 第1章では、ブタ未成熟卵からGVを除去した卵(除核卵)を培養してMPF活性の経時変化を調べた。すると除核卵でも、卵成熟開始時のMPFの活性上昇は、除核をしていない対照卵と同程度まで見られた。このことから、卵成熟開始時のMPF活性化には、GVは必要ないことが明らかとなった。しかし対照卵では、その後MPF活性が一旦低下し、続いて卵が第2減数分裂へ進行するための再活性化が見られたのに対して、除核卵では、MPF活性が低下した後、再活性化が起こらなかった。さらに、MPF活性が低下したままの除核卵に、他の未成熟卵からGVの核質を注入するとMPFの再活性化が見られるようになった。これらのことから、MPFの再活性化には何らかのGV内因子が必要であることが明らかとなり、以降の研究では、MPF再活性化に対するGV内因子の必要性に焦点を絞って研究を行った。

第2章MAPキナーゼカスケードのシグナル伝達に卵核胞は必要ない

第1節MAPキナーゼの活性化について

 カエルやマウスの卵成熟過程においてMPF再活性化にはMitogen Activated Protein(MAP)キナーゼの活性化が必要であることが報告されている。さらに、ヒトデではMAPキナーゼの活性化にGVが必要であること、また、哺乳動物でも卵成熟の開始時にMAPキナーゼがGV内へ移行するなど、MAPキナーゼの活性化に何らかのGV内因子との相互作用が必要であることが予想される。

 そこで、本研究の除核卵でMPF再活性化が起こらなかった原因が、MAPキナーゼ活性に異常があったためではないかと考え、第1節では、MAPキナーゼの活性化に対するGVの必要性について検討した。その結果、除核卵においても対照卵と同様なMAPキナーゼのリン酸化及び活性化が見られ、MAPキナーゼの活性化にGVは必要ないことが明らかとなった。しかし、免疫染色を行ってその局在を調べたところ、除核卵では対照卵で見られる、GV内への移行、GVBD以降での紡錘体への局在が見られなかった。一般にタンパク質が適切に機能を発揮するには、その局在が重要であることから、MAPキナーゼが下流ヘシグナルを伝達する機構に何らかの異常が存在する可能性が考えられた。

第2節PSKの活性化について

 そこで、第2節においてはMAPキナーゼの下流でその機能を仲介することで知られるp90 Ribosomal S6 Kinase(RSK)に着目し、除核卵においてRSKが正常に活性化するかどうか、すなわちMAPキナーゼカスケードのシグナルが除核卵においても正常に伝達されているかどうかを調べた。実験に先立ち、哺乳動物卵では十分な報告がなかったRSKの酵素活性、リン酸化状態、MAPキナーゼとの関連について正常な卵を用いて調べ、RSKがMAPキナーゼによりリン酸化され活性化することを示唆した。次に、除核卵においてRSKの動態を調べたところ、対照卵と同様なRSKのリン酸化及び活性化が見られ、ブタ卵成熟過程においてRSKの活性化にGVが必要ないことが明らかとなった。したがって、MAPキナーゼカスケードのシグナル伝達にGVは必要なく、除核卵においてMPF再活性化が起こらなかった原因はMAPキナーゼカスケードの異常ではないことが明らかとなった。

第3章ブタ卵核胞内にはCyclin B1の分解を抑制する因子が存在する

第一節Cyclin B1の蓄積量について

 MPFはCdc2とCyclin Bと呼ばれる2種類のタンパク質の複合体であり、MPFの再活性化は卵内にCyclin Bが蓄積することによって起こる。そこで第3章では、MAPキナーゼカスケードから離れて、CyclinBの蓄積に着目した。一般にCyclin BとしてCyclin B1及びCyclin B2が存在するが、ウエスタンブロットの結果、Cychn B2量は除核卵においても対照卵と同様な推移を示し、異常は見られなかった。一方、Cyclin B1については、対照卵ではGVBD近辺から合成が開始し、成熟が完了するまで徐々に蓄積量が増加したのに対して、除核卵では対照卵と同様の時間から合成が開始して一旦蓄積したが、すぐに分解されてしまい、その後は蓄積が見られなかった。さらに、除核卵にGVの核質を注入すると、Cyclin B1の蓄積が見られるようになった。これらのことから、GV内には、Cyclin B1の蓄積を促す因子が存在することが明らかとなり、除核卵でMPF再活性化が起こらなかったのはCyclin B1の蓄積量が不十分であったためであることが示唆された。

第2節Cyclin B1の分解について

 第2節では、GV内因子がCyclin B1の合成を促すのか、分解を抑制するのかを調べることにした。Cyclin B1の分解はユビキチンタンパク質分解系によって行われ、Anaphase Promoting Complex(APC)がユビキチンリガーゼとして働いている。そこで、APCによって認識される部位であるCyclin B1のD-boxを除核卵に過剰発現させ、Cyclin B1の分解を特異的に阻害することを試みた。その結果、除核卵でCyclin B1の分解を阻害すると、その蓄積量が増して対照卵での蓄積量以上までに至った。したがって、除核卵においても、Cycin B1の合成は対照卵と同等またはそれ以上に行われていることが予想され、GV内の因子はCyclin B1の分解を阻害する因子であることが示唆された。

第4章ブタ卵成熟過程においてCdk2はCyclin B1の蓄積に必要である

 カエルの卵成熟過程や哺乳動物の体細胞ではCdk2がAPCを抑制すること、さらに、哺乳動物の体細胞でCdk2が核内に存在することが報告されている。そこで第4章では、MPF再活性化に必要とされるGV内因子がCdk2ではないかという仮説を立て、この仮説の正当性について検討した。まず、正常な卵に抗体を注入してCdk2の活性化を阻害したところ、卵は第2減数分裂へ進行できず、この時Cyclin B1の蓄積量が低下していた。したがって、ブタ卵成熟過程でもCdk2がAPCを制御していることが示唆された。次に、除核卵に活性型のCdk2タンパク質を注入してCdk2活性を人為的に上昇させたところCyclin B1の蓄積が見られるようになった。さらに免疫染色によりCdk2がGV内に局在していることが明らかとなった。したがって、除核によって失われた、MPF再活性化に必要とされるGV内因子がCdk2である可能性が強く示唆された。

 以上、本研究の結論として、卵成熟開始時のMPF活性化にGVは必要ないこと、しかし第2減数分裂に進行するためのMPF再活性化には何らかのGV内因子が必要であることが哺乳動物において初めて明らかとなった。また、このMPF再活性化に必要である因子は、MAPキナーゼ活性を介さずにMPFの再活性化を誘導すること、APC活性を阻害して卵にCyclin B1の蓄積を促す因子であることが明らかになった。さらに、Cdk2活性がCyclin B1の蓄積に必要であること、Cdk2活性を人為的に上昇させることによって除核卵にCyclin B1の蓄積を促すことができること、そして、Cdk2がGVに局在することを哺乳動物において初めて明らかにした。そしてこれらの知見を総合して、ブタ卵成熟過程においてGV内のCdk2がGVBDによって細胞質中に放出され、このCdk2がAPCを阻害してCyclin B1の蓄積を促し、その結果、MPF再活性化が起こるという、卵が第2減数分裂期へ進行するための卵成熟特異的MPF制御機構を新たに示唆することができた。本研究のこれらの結果は、生殖生物学や発生生物学といった基礎分野のみならず、畜産・医療等の多くの応用分野の発展に有用な知見であると確信している。

審査要旨 要旨を表示する

 卵形成過程の最後に起こる減数分裂は卵の成熟と呼ばれ、受精・発生能を獲得する重要な期間である。卵成熟の制御機構は生殖生物学の重要な研究分野であり、その中心因子として成熟促進因子(MPF)の存在が明らかにされている。MPF活性上昇と同時に成熟が開始し、卵核胞(GV)と呼ばれる巨大な核の核膜は消失する。MPF活性が低下すると卵は第1極体を放出し、MPFが再活性化することによって第2減数分裂中期に達し成熟が完了する。GVは巨大な核であり、核膜消失によって内容物が細胞質中に放出されるためGV内に卵の減数分裂を制御する因子が含まれているとの考え方もある。しかし哺乳動物では、卵成熟制御に対するGVの必要性、特にMPF活性の制御とGV内因子との相互作用に注目した十分な研究は見られない。本論文は、ブタ卵を用い卵成熟特異的なMPF活性制御に対するGV内因子の必要性を検討したものであり、緒言と3章からなる本論より構成されている。本論文を要約すると以下の通りである。

 第1章では、ブタ卵からGVを除去した卵(除核卵)を培養してMPF活性の経時変化を調べている。その結果、除核卵でも卵成熟開始時のMPFの活性上昇は見られ、この時の活性化にGVは必要ないこと、しかし第2減数分裂へ進行するための再活性化が起こらないことを明らかにした。さらに、MPF活性が低下した除核卵に、GV内容物を注入すると再活性化が見られるようになることを示し、この再活性化にGV内因子が必要であることを確認している。そこで以降の章では、MPF再活性化に対するGV内因子の必要性に的を絞って研究を行っている。

 第2章では、MPF再活性化への必要性が示唆されているMAPキナーゼに注目し、除核卵でこのキナーゼ活性に異常がある可能について検討している。その結果、除核卵でもMAPキナーゼの活性化には異常が無いこと、しかし核膜消失以降の局在が異常であることを示している。一般にタンパク質が機能を発揮するには局在が重要であることから、MAPキナーゼの下流へのシグナル伝達機構に異常がある可能性を考え、次にこのキナーゼの下流因子であるRSKに着目している。まず、哺乳動物卵では十分な報告がなかったRSKの酵素活性、リン酸化状態、MAPキナーゼとの関連について正常な卵を用いて調べ、RSKがMAPキナーゼによりリン酸化され活性化することを示唆している。その上で除核卵においてRSKの動態を調べ、リン酸化、活性化、および局在に異常が無いことを示し、除核卵においてMPF再活性化が起こらなかった原因はMAPキナーゼカスケードの異常ではないと結論している。

 第3章では、MPFの活性化に、その構成因子であるサイクリンBの蓄積が必要なことに着目している。ブタのサイクリンBにはサイクリンB1(B1)とサイクリンB2(B2)が存在するが、これらの蓄積量を調べた結果、除核卵でもB2量は正常であること、一方、B1は一旦蓄積するがすぐに分解され、その後は蓄積が見られないこと、さらに、除核卵にGVの核質を注入すると、B1の蓄積が見られるようになることを明らかにしている。この結果から、除核卵のMPF再活性化の異常はB1蓄積量の不足によること、GV内には、B1蓄積を促す因子が存在することを示唆している。次に、GV内因子がB1の合成と分解のどちらを制御するか調べるため、B1の分解に関与するAPCに注目し、APCのB1認識部位を除核卵に過剰発現させB1分解の特異的阻害を試みている。その結果、B1認識部位の過剰発現除により、除核卵のB1蓄積量が増して対照卵以上にまで至り、除核卵においてもB1合成は対照卵と同等以上であること、GV内因子はB1分解を阻害する因子であることを示唆している。

 第4章では、種々の細胞種においてAPC抑制が示されているCdk2に注目し、MPF再活性化に必要なGV内因子がCdk2である可能性を検討している。まず、正常な卵にCdk2の抗体を注入してこれを阻害し、B1蓄積量が低下することから、ブタ卵成熟過程でもCdk2がAPCを制御していることを示唆している。次に、除核卵に活性型Cdk2タンパク質を注入するとB1の蓄積が見られるようになること、さらに免疫染色によりCdk2がGV内に局在していることを明らかにしている。以上により、除核によって失われた、MPF再活性化に必要とされるGV内因子がCdk2である可能性を強く示唆している。

 以上、本研究は減数分裂特異的なMPF活性の制御にGV内因子が関与することを哺乳動物卵で初めて明らかにし、卵が第2減数分裂期へ進行するための分子機構を提示している。本論文の成果は、基礎分野のみならず、畜産・医療等の多くの応用分野の発展に有用な知見であり学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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