学位論文要旨



No 118220
著者(漢字) 徐,聖旭
著者(英字)
著者(カナ) ソ,ソンウック
標題(和) シロオリックスプリオン蛋白遺伝子を有するトランスジェニックマウスに関する研究
標題(洋) Studies on transgenic mice expressing oryx (Oryx dammah) prion protein
報告番号 118220
報告番号 甲18220
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2609号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
内容要旨 要旨を表示する

 伝達性海綿状脳症はヒトや、ヒツジ、ウシなど多くの哺乳動物に見られる神経変性疾患であり、プリオン蛋白の異常によって起こるプリオン病である。その中でも、ヒトにおいてはクールー、クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)、家畜反芻獣であるヒツジ、ウシではそれぞれスクレイピー、牛海面状脳症(Bovine Spongiform Encephalopathy、BSE)であることが知られている。BSE汚染肉骨粉がウシに与えられたことによりBSEが拡大したとされ、またBSEに感染した牛の肉をヒトが食べることより変異型CJDを引き起こした可能性が報告されている。このことから、本疾患は種を越えて伝達する可能性があり、プリオン病の病原因子を迅速に検出できる系の確立が求められている。

 現在興味深いことに、イギリスの動物園でシロオリックスでのスクレイピー発症が報告された。それは家畜反芻獣に比べて、スクレイピー発症までの期間が短く、発症後の経過も急激である。ヒツジが36-48ヶ月、ウシが30-72ヶ月の潜伏期間なのに対して、飼育状況から潜伏期間が21ヶ月程度であろうと考えられている。一方、ヒツジプリオン蛋白遺伝子(ShePrP)を発現したマウスにおいて、壊死性筋炎が見られ、同時に、ヒツジスクレイピー病原体においては、野生型マウスより潜伏期の短いことは良く知られている事である。そこで本研究では、シロオリックスプリオン蛋白遺伝子(OrPrP)を有するトランスジェニック(Tg)マウスを作製し、外部から導入した正常プリオン蛋白をコードするOrPrPの発現を調べることと、その発現が認められた組織について病理組織学的に検討した。さらに、スクレイピー病原体の接種により本マウスの感受性について検討し、高感度診断技術を開発することを目指した。

 第1章本章では、他動物とOrPrPの塩基配列を比較することと、作成された4系統のTg(OrPrP)マウスにおいて導入遺伝子の発現とその影響について解析を行った。まずOrPrPの全塩基配列を決定するため、国立科学博物館より供与されたシロオリックスの筋組織よりDNAを抽出し、PCR法により得られたDNA断片をクローニングし、塩基配列を決定した。塩基及びアミノ酸配列の結果、シロオリックスのプリオン蛋白遺伝子ORFは、771bpであり256アミノ酸をコードしていた。文献的に調べたアラビアオリックスArabian oryx(Oryx leucoryx)とは同じ配列を示した。これはヒツジの塩基配列とは10塩基異なり、アミノ酸配列は1ヶ所異なっていた。以上の結果を参考に、OrPrPを全身で過剰発現するトランスジェニックマウス作製のため、ベクターpCAGGSのアクチンプロモーターの下流にOrPrP cDNAを組み込んだ。得られた構築ベクターをマイクロインジェクション法にて受精卵に導入し、OrPrPを発現するトランスジェニクマウスを作製した。これより4系統、Tg(OrPrP)34,Tg(OrPrP)36,Tg(OrPrP)42,Tg(OrPrP)50でOrPrPの遺伝子導入が確認された。しかしこの4系統中、Tg(OrPrP)34とTg(OrPrP)42が107日目に突然死を起こした。死亡したTg(OrPrP)42マウスの脳、肝臓、肺、心臓、胸腺、腎臓、脾臓、筋肉において病理組織学的に調べた結果、海馬錐体細胞の変性萎縮が観察された。しかしながら、グリア細胞の反応は見られなかった。Tg(OrPrP)34マウスでは、骨格横紋筋の一部硝子様変化が観察されたが、他の組織では異常が見られなかった。以上のことより、突然死のTg(OrPrP)34マウスとTg(OrPrP)42マウスは脳、骨格筋で過剰発現が起こり、その原因により死に至った可能性が示唆された。脳、骨格筋におけるTgマウス病変については、以前にTg(ShePrP)マウスについて報告されている。今回作製したTg(OrPrP)マウスにおいても、脳、骨格筋において病変が観察された。

 第2章突然死を示さなかったTg(OrPrP)マウスにおけるOrPrP発現の検討と、その発現量が及ぼす組織への影響について解析を行った。オリックスTgマウスでは、β-アクチンプロモーターの作用により筋組織での過発現が生じたと考えられた。脳、肝臓、肺、心臓、胸腺、腎臓、脾臓、筋肉におけるRNAレベルでは、脳、心臓、筋肉においてのみ発現が認められた。蛋白レベルでは、Tgマウスの脳以外に、心臓、骨格筋に過剰に産生していることが明らかにされた。脳でも免疫沈降法及び免疫染色によりOrPrPの産生が確認された。心臓でのOrPrPの過発現が及ぼす影響について、Tg(OrPrP)マウスを週齢別に心電図の測定を行った結果、30から70週齢オリックスTgマウスにおいて心電図のQRSのR波形の異常波形が確認された。対照であるC57BL/6マウスにおいては同週齢でこの様な波形は観察されなかった。一方、心電図の測定により異常が見られたTg(OrPrP)マウスの心臓における病理組織学的検討によると、30週齢以上から心室部心筋全体に散在する心筋細胞の空胞変性が多数観察された。この結果から、OrPrPの心臓での過剰発現は、空胞変性及び心筋異常を伴うものであることが示唆された。原因として予想されるのは、Tgマウス作製の際、筋組織特異的アクチンプロモーターの作用から心筋細胞に過発現が発生し、空胞変性が生じたことにより正常な心筋細胞が減るため、心臓全体としての起電力が小さくなり、心電図の異常な波形が測定される可能性が考えられた。この様な心筋病変は、以前に報告されたTg(ShePrP)マウスでは観察されていない。したがって、Tg(OrPrP)マウスを用いて我々の研究において初めて観察された事実である。このマウスは、今後の拡張性心筋症研究の疾患モデルを提供したと考えられる。

 第3章プリオン病は種を越えて伝達する可能性があり、その病原因子を迅速に検出できる系の確立が求められている。免疫検査法(ELISA等)によるプリオン病原体の検出は迅速であるが検出感度が低く、バイオアッセイによる検出法では感度は高いが長時間を必要とする。そこで他動物種よりも潜伏期間の短いTg(OrPrP)マウスを用い、プリオン病原体の接種により異常プリオン蛋白を産生させ、高感度診断技術の開発を目指した。プリオン潜伏期の比較のため、マウス型スクレイピー株(Tsukuba-1)20μ1を9週齢Tg(OrPrP)および野性型マウスに対し脳内接種を行った。スクレイピー感染マウスの病理組織学的の検討では、大脳において多数の空胞変性が観察される野生型マウスに比べ、Tgマウスではマウス異常プリオン蛋白により生じる空胞変性、アストロサイトの増殖がOrPrPによって抑制される像が観察された。一方、Tgマウスには明瞭なアミロイド斑が観察された。脾臓では、両マウスとも脾臓中心部に巨大食細胞が観察され、特にTgマウスにおいて樹状細胞内に明瞭な異常プリオン蛋白の蓄積が見られた。さらにTg(OrPrP)マウスでは発症と瀕死期がそれぞれ150-169日と158-177日を示すのに対し、non-Tgマウスは165-169日と169-182日を示してTg(OrPrP)マウスが潜伏期間が短いという結果が得られた。Tg(OrPrP)マウスは、脳全体に病原体増殖を示すことから、スクレイピー病原体に対する感受性を有していると考えられ、高感度な検出系に利用できることが期待された。現在、Tg(OrPrP)マウスを用いて、BSE病原体及びヒツジスクレイピー材料臓器を用いた感染実験を計画中である。これらの感染実験が修了してはじめて、我々のTg(OrPrP)マウスの有用性が確認されると考えている。

 本研究により、OrPrPは256個のアミノ酸から成り、プリオン遺伝子に特徴的な配列や、部位はいずれもよく保存されていた。一方、異常型プリオン蛋白の神経細胞内の蓄積が神経細胞空胞変性、神経細胞脱落、海綿状脳症の進行に深く関与していると考えられている。しかし、今回作製されたTg(OrPrP)マウスが心臓において導入遺伝子の過発現により空胞変性を引き起こしていることから、正常型、異常型を問わずプリオン蛋白の過剰蓄積、あるいは過剰発現が細胞の空胞化形成に関与していると考えられた。さらに病理組織学的の検討より、海馬錐体細胞の変性、横紋筋の硝子様変化により突然死が起ったTgマウスにおいては、それぞれ脳と骨格筋に過剰にOrPrPが発現していた可能性が考えられる。また、神経細胞空胞変性を起こすなど、スクレイピー病原体に対する感受性を有した感染実験の結果より、プリオン病の早期・生前診断法及び畜産物等からの異常プリオン蛋白質の検出法の病態モデルとしてTg(OrPrP)マウスは有用であると期待された。

審査要旨 要旨を表示する

 伝達性海綿状脳症はヒトや、ヒツジ、ウシなど多くの哺乳動物に見られる神経変性疾患であり、プリオン蛋白(PrP)の異常によって起こるプリオン病である。牛海面状脳症(Bovine Spongiform Encephalopathy、BSE)など、動物のプリオン病流行の原因は、スクレイピー感染ヒツジ由来の飼料ではないかと考えられているが、ヒツジ由来飼料と発症の因果関係はまだ不明である。興味深いことに、クーズーやオリックスなどの野生反芻獣は、ヒツジやウシなどの家畜反芻獣に較べて、プリオン病発症までの潜伏期間は短く、発症後の経過も急激であることが知られている。一般に海綿状脳症の伝達性および発症までの期間の種差は、各種のPrPのアミノ酸違いによるという可能性が示唆されている。本研究において、β-アクチンプロモーターの用いることにより、神経細胞、免疫細胞、筋肉などを含むすべての臓器でOrPrPを過剰発現するTgマウスが期待された。一方、ヒツジプリオン蛋白遺伝子(ShePrP)を発現したマウスにおいて、ShePrP過発現の原因で壊死性筋炎が見られたことが報告された。我々はプリオン病原体に対する診断方法としてオリックス型Tgマウスの開発を行っている。

 そこで、本研究においてはこの開発中、心臓に異常が発見されたことに着目し、1)OrPrPの過発現が及ぼしたTg(OrPrP)マウスの組織の異常、及び2)心筋細胞におけるOrPrPの過剰蓄積、あるいは過剰発現が及ぼす細胞の空胞化形成に関する以下の研究を行った。

 第1章において、OrPrPの過発現が及ぼしたTg(OrPrP)マウスの組織の異常について検討した。OrPrPを神経及び筋細胞を含む全身で過剰発現するTgマウス作製より、4系統の#34Tg(OrPrP),#36Tg(OrPrP),#42Tg(OrPrP),#50Tg(OrPrP〉マウスでOrPrPの遺伝子導入が確認された。この4系統中、107日目に突然死を起こした2系統マウスの病理組織学的に調べた結果、#42Tg(OrPrP)マウスにおいては海馬錐体細胞の変性萎縮、#34Tg(OrPrP)マウスでは骨格横紋筋の一部硝子様変化が観察された。しかし、肝臓、肺、胸腺、腎臓、脾臓、心臓では異常が見られなかった。一方、#50Tg(OrPrP)と#36Tg(OrPrP)マウスの仔孫においては、脳、骨格筋では異常が見られず、心臓で空胞様変化が観察された。以前、ヒツジプリオン蛋白遺伝子(ShePrP)を発現したマウスにおいて、ShePrP過発現の原因で、脳を含む骨格筋において壊死性筋炎が見られたことが報告された。今回作製したTg(OrPrP)マウスにおいても、脳、骨格筋において病変が観察された。従って、作成された4系統のTg(OrPrP)マウスにおいて導入遺伝子(OrPrP)が神経細胞を含む筋組織で過剰に産生し、突然死を伴う組織の異常を誘導したことが判明した。

 第2章において、Tg(OrPrP)マウスの心筋細胞におけるOrPrPの過剰蓄積、あるいは過剰発現が及ぼす影響について検討した。まず、突然死を示さなかった#36Tg(OrPrP)、#50Tg(OrPrP)マウスの系統維持とOrPrPが及ぼす組織への影響を調べるために、プリオン遺伝子欠損マウス(KO)マウスとの交配を行った。このKOマウスは、Dpl蛋白の過発現よりPurkinje細胞変性死、ataxia様症状が見られることで知られている。一方、このKOマウスの神経学異常はOrPrPを再導入することで回復した本研究より、神経細胞及び筋細胞のOrPrP発現が神経消失、行動異常を妨げる機能を持っていることが明らかにされた。脳、肝臓、肺、心臓、胸腺、腎臓、脾臓、筋肉におけるRNAレベルでは、脳、心臓、筋肉においてのみ発現が認められた。蛋白レベルでは、Tgマウスの脳以外に、心臓、骨格筋に過剰に産生していることが明らかにされた。脳でも免疫沈降法及び免疫染色によりOrPrPの産生が確認された。OrPrP遺伝子が心臓において強く発現していることから、OrPrPが心臓で多量に産生する事が考えられた。心臓でのOrPrPの過発現が及ぼす影響について、Tg(OrPrP)マウスを週齢別に心電図の測定を行った。その結果、30週齢では60%、50週齢以後では80%のオリックスTgマウスにおいて心電図QRSのR波形の異常波形が確認された。対照であるC57BL/6マウスにおいては同週齢でこの様な波形は観察されなかった。またKOマウスにおいてもこの様な波形は観察されなかった。一方、心電図の測定により異常が見られたTg(OrPrP)マウスの心臓における病理組織学的検討によると、30週齢以上から心室部心筋全体に散在する心筋細胞の空胞変性、心室の拡張が観察された。さらに#50Tg(OrPrP)と#36Tg(OrPrP〉の子孫マウスにおいて同様に心臓異常を示していた。さらに、30週齢Tg(OrPrP)マウスとC57BL/6マウスにアトロピン(4�r/Kg)投与後、心電図の測定を行った。その結果、Tg(OrPrP)マウスでは66%のR波形の異常を含む全体に不規則な波形が観察された。しかしC57BL/6マウスにおいては、異常波形は見られなかった。以上の成果から、OrPrPの心臓での過剰発現は、空胞変性及び心筋異常を伴うものであることが判明した。また、心臓障害を事前に妨げる薬投与による実験モデルとして利用可能であることも明らかとなった。

 従って、病理組織学的検討より、海馬錐体細胞の変性、横紋筋の硝子様変化により突然死が起ったTg(OrPrP)マウスにおいては、それぞれ脳と骨格筋に過剰にOrPrPが発現していた可能性が考えられる。また、Tg(OrPrP)マウスは、心臓において導入遺伝子の過発現により空胞変性を引き起こしていることから、正常型PrPの過剰蓄積、あるいは過剰発現が細胞の空胞化形成に関与していると考えられた。この様な心筋病変は、以前に報告されたTg(ShePrP)マウスでは観察されていない。したがって、Tg(OrPrP)マウスを用いて我々の研究において初めて観察された事実である。一方、30週齢以上のTg(OrPrP)マウスおいて心電図の異常の波形を示していること、また薬投与後おいても不規則な波形が測定されたことから、今後の拡張性心筋症研究の疾患モデルを提供したと考えられる。

 したがって、審査員一同は、当論文内容が農学博士の資格を有するとの結論に達した。

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