学位論文要旨



No 118222
著者(漢字) 川崎,博之
著者(英字)
著者(カナ) カワサキ,ヒロユキ
標題(和) サンゴ礁におけるスズメダイ科魚類の分布様式と生息場所の基質構造との関係
標題(洋)
報告番号 118222
報告番号 甲18222
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2611号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐野,光彦
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 黒倉,壽
 東京大学 助教授 岡本,研
 東京大学 助教授 山川,卓
内容要旨 要旨を表示する

 サンゴ礁には生物的にも,物理的にも複雑な構造をもった基質環境が存在し,そこに多種多様な魚類が生息している。多くの魚類はそのような複雑な基質を隠れ家や採餌場などとして利用するため,基質の構造がサンゴ礁魚類の分布様式をある程度決定すると考える研究者も多い。しかし,生息場所のどのような基質構造がサンゴ礁魚類の分布様式に影響を及ぼすかということについては,ほとんどわかっていないのが現状である。そこで,本研究では,サンゴ礁に普通にみられ,定住性が強いスズメダイ科魚類(Pomacentridae)を対象に,その分布様式(成魚と稚魚の種数と個体数など)と生息場所の主要な基質構造(各基質の被度,多様度,基質表面の起伏度)との関係を明らかにすることを目的とした。また,特に,枝状サンゴの物理構造的複雑さの多寡が,スズメダイ科魚類の分布様式にどのような影響を与えるかを,小型人工礁を用いた野外実験で検証した。調査は2000年1月から2002年8月まで,沖縄県石垣島の浦底湾で実施した。

浦底湾におけるスズメダイ科魚類の分布様式

 2000年6月に,浦底湾のほぼ全域(岸よりの礁池から礁斜面まで)で潜水目視観察を行い,スズメダイ科魚類(成魚と稚魚)の種数と個体数を計数し,生息場所の主要な基質構造との関係を調べた。その結果,成魚の種数と個体数は,海草や砂地の被度が高い地点では少なかったが,個体数は死滅枝状サンゴの被度が高い場所で多かった。一方,稚魚の種数や個体数においては,基質構造との間に明瞭な関係はほとんど認められなかった。稚魚は成魚よりも小さな空間スケールで基質を利用すると考えられるので,基質構造と稚魚の分布様式との関係を把握するには,サンゴ枝の複雑さなどのように,基質の構造をさらに細かく分類する必要があると考えられた。

生存枝状サンゴ域,死滅枝状サンゴ域,および砂礫地におけるスズメダイ科魚類の分布様式

 スズメダイ科魚類が最も多く分布する礁原中央部では,生存枝状サンゴ,死滅枝状サンゴ,砂礫の3つの基質が広い範囲に連続して存在していた。そこで,これら3つの基質間で,スズメダイ科魚類の分布様式にどのような違いがみられるかを明らかにするため,2001年と2002年の4月から8月にかけて潜水調査を行った。その結果,成魚の種数と個体数は死滅枝状サンゴ域で最も多く,稚魚のそれらは生存枝状サンゴ域で多いことが明らかになった。前述の湾内全域調査でも,成魚の個体数は死滅枝状サンゴの被度と正の関係があったことから,死滅枝状サンゴはスズメダイ科成魚の隠れ家や採餌場などとして,その分布様式に大きな影響を及ぼすものと判断された。

小型サンゴパッチにおけるスズメダイ科魚類の分布様式

 浦底湾の礁原には,上記したような,連続的で広大なサンゴ域の他に,サンゴが砂礫地にパッチ状に散在し,スズメダイ科の稚魚が高密度に生息する場所も存在していた。そこで,スズメダイ科稚魚の分布様式とサンゴパッチ(約50cm×50cm×40cm高さ)の構造との関係を明らかにすることを目的に,2001年および2002年の4月から8月にかけて潜水調査を行った。小型サンゴパッチでは,生存枝状サンゴの被度と生存塊状サンゴの被度の違いによって,稚魚の種数や個体数に差があることが明らかになった。種数と個体数は生存枝状サンゴの被度が高いサンゴパッチに多く,逆に,生存塊状サンゴの被度が高く,そのため構造的複雑さが低いサンゴパッチで少ないことがわかった。したがって,サンゴ枝の構造が相対的に複雑な生存枝状サンゴは,スズメダイ科稚魚の分布様式に大きな影響を及ぼす基質のひとつであることが示唆された。

小型人工礁における立体構造の複雑さとスズメダイ科稚魚の分布様式との関係

 枝状サンゴの構造的複雑さを単純化し,その複雑さを定量的に変化させて作った小型人工礁を用いて2種類の野外実験を行い,スズメダイ科の稚魚,特にニセネッタイスズメダイ(Pomacentrus amboinensis)の稚魚の分布様式が枝状構造の複雑さの多寡によってどのように影響されるかを検証した。実験1では,人工礁において水平方向に伸びる枝構造の存在について,実験2では,人工礁の鉛直方向と水平方向の両方に伸びる枝の間隔について,それぞれの影響を調べた。

 実験1において,コンクリートの基盤(40cm×50cm×15cm)に,高さ25cmの塩化ビニルパイプを25本垂直に立て,さらに,10本のパイプを水平方向に格子状に組み合わせ,それを3層加えた人工礁(タイプA)を作製した。さらに,タイプAの構造から水平方向の格子状構造を2層取り除いたもの(タイプB),すべての格子状構造を取り除き,鉛直枝構造だけを残したもの(タイプC),枝構造をすべて取り除き,コンクリート基盤だけにしたもの(タイプD)を作製し,これら4タイプの人工礁にニセネッタイスズメダイの稚魚がどのように加入するかを2000年1月から7月まで観察した。稚魚はタイプAの人工礁に最も多く出現したが,他の人工礁(タイプB-D)にはほとんど出現しなかった。したがって,水平方向の枝構造はニセネッタイスズメダイの稚魚の分布様式に大きな影響を及ぼすことが判明した。

 実験2では,コンクリート基盤上に9本のパイプを垂直に立て,それに6本の格子状パイプを水平方向に2層加えたもの(パイプの間隔は縦13cm,横18cm,高さ11cm,タイプI),鉛直方向のパイプを16本とし,8本の水平格子状パイプを3層に組んだもの(パイプ間隔は縦8cm,横12cm,高さ7cm,タイプII),鉛直方向のパイプを25本とし,10本の水平格子状パイプを4層に組んだもの(パイプ間隔は縦6cm,横8cm,高さ5cm,タイプIII),および,鉛直方向のパイプを49本,それに14本の水平格子状パイプを5層に組んだもの(パイプ間隔は縦4cm,横5cm,高さ3cm,タイプIV)の4タイプを作製した。そして,これら4タイプの人工礁に加入するスズメダイ科魚類の稚魚を2001年4月から8月まで観察した。ニセネッタイスズメダイはタイプIIIとIVの人工礁に多く出現した。また,他のスズメダイ科稚魚も個体数は少なかったものの,タイプIVの人工礁に最も多く出現した。

 このような実験結果から,スズメダイ科の稚魚は枝状構造が複雑な場所に多く分布することがわかった。

人工礁の大きさとスズメダイ科魚類の分布様式との関係

 スズメダイ科魚類の分布様式は基質の構造だけではなく,生息場所の広さによっても影響を受ける可能性が考えられた。そこで,同じ構造の人工礁(タイプIII)を1基,4基,9基それぞれまとめて設置することによって,スズメダイ科魚類の分布様式と人工礁の大きさ,すなわち生息場所の広さとの関係を検証した。その結果,成魚と稚魚の両者において,人工礁の表面積あたりの種数と個体数の密度は,人工礁の大きさによってほとんど影響をうけないことが明らかとなった。

 このように,本研究によって,浦底湾におけるスズメダイ科魚類の分布様式は枝状基質の存在とその構造的複雑さに大きな影響をうけることが明らかとなった。成魚は死滅枝状サンゴが多い場所に,また,稚魚は生存枝状サンゴが豊富な場所に多く分布した。さらに,稚魚は枝構造が複雑な人工礁に多く生息した。稚魚が死滅枝状サンゴよりも生存枝状サンゴに多く分布するのは,生存枝状サンゴのほうが枝の間隔が狭く,構造が複雑なため,小型で捕食されやすい稚魚にとっては,生存枝状サンゴのほうが隠れ家や避難場所としてより適しているためと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 サンゴ礁には生物的にも,物理的にも複雑な構造をもった基質環境が存在し,多くの魚類はそのような基質を隠れ家や採餌場などとして利用していることが知られている。しかし,生息場所のどのような基質構造が魚類の分布様式に影響を及ぼすかということについては,ほとんどわかっていないのが現状である。そこで,本研究は,サンゴ礁に普通にみられるスズメダイ科魚類を対象に,その分布様式と生息場所の主要な基質構造との関係を,潜水観察と野外実験によって明らかにしようとしたものである。本研究結果の概要は以下のとおりである。

石垣島浦底湾におけるスズメダイ科魚類の分布様式

 浦底湾のほぼ全域で潜水目視観察を行い,スズメダイ科魚類(成魚と稚魚)の種数と個体数を計数し,生息場所の主要な基質構造との関係を調べた。その結果,成魚の種数と個体数は死滅枝状サンゴの被度が高い場所で多く,稚魚の種数と個体数はサンゴパッチが点在する地点で多かった。一方,海草や砂地の被度が高い地点には,スズメダイ科魚類はほとんど出現しないことがわかった。

生存枝状サンゴ域,死滅枝状サンゴ域,および砂礫地におけるスズメダイ科魚類の分布様式

 スズメダイ科魚類が最も多く分布する浦底湾の礁原中央部では,生存枝状サンゴ,死滅枝状サンゴ,砂礫の3つの基質が広い範囲に連続して存在していた。そこで,これら3つの基質間で,スズメダイ科魚類の分布様式を比較したところ,成魚の種数と個体数は死滅枝状サンゴ域で最も多く,稚魚のそれらは生存枝状サンゴ域で多いことが明らかになった。

小型サンゴパッチにおけるスズメダイ科魚類の分布様式

 浦底湾の礁原中央部に点在する小型サンゴパッチの基質構造とスズメダイ科稚魚の分布様式との関係を調べたところ,種数と個体数は生存枝状サンゴの被度が高いサンゴパッチに多いことがわかった。このことから,サンゴ枝の物理構造が複雑な生存枝状サンゴは,スズメダイ科稚魚の分布様式に大きな影響を及ぼす基質のひとつであることが示唆された。

小型人工礁における立体構造の複雑さとスズメダイ科稚魚の分布様式との関係

 枝状サンゴの構造的複雑さを単純化し,その複雑さを定量的に変化させて作った小型人工礁を用いて2種類の野外実験を行い,スズメダイ科稚魚の分布様式が枝状構造の複雑さの多寡によってどのように影響されるかを検証した。実験1では,人工礁において水平方向に伸びる枝構造の存在について,実験2では,人工礁の鉛直方向と水平方向に伸びる枝の間隔について,それぞれの影響を調べた。

 実験1において,スズメダイ科稚魚は,水平方向に伸びる枝構造が最も多い人工礁に多く出現した。したがって,水平方向の枝構造は稚魚の分布様式に大きな影響を及ぼすことが判明した。また,実験2では,枝間隔が狭い人工礁に多くの稚魚が出現したことから,スズメダイ科稚魚は枝構造が複雑な場所に多く分布することがわかった。

人工礁の大きさとスズメダイ科魚類の分布様式との関係

 スズメダイ科魚類の分布様式は基質の構造だけでなく,生息場所の広さによっても影響を受ける可能性が考えられた。そこで,同じ枝状構造の人工礁を1基,4基,9基それぞれまとめて設置することによって,スズメダイ科魚類の分布様式と人工礁の大きさ,すなわち生息場所の広さとの関係を検証した。その結果,成魚と稚魚の両者において,人工礁の表面積あたりの種数と個体数の密度は,人工礁の大きさによってほとんど影響をうけないことが明らかとなった。

 以上,本研究は,スズメダイ科魚類の分布様式と生息場所の基質構造との関係を明らかにしたものであり,基質の構造的複雑さが魚類の分布様式を決定する重要な要因のひとつであることが判明した。これらの成果はサンゴ礁魚類の生態のみならず,サンゴ礁生態系の保全や回復促進に関する今後の研究の発展に寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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