学位論文要旨



No 118224
著者(漢字) 鈴木,志野
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,シノ
標題(和) Pseudomonas fluorescens HP72株による芝草病害防除機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 118224
報告番号 甲18224
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2613号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 助教授 山川,隆
 東京大学 助教授 中元,朋実
内容要旨 要旨を表示する

 農業の生産性の向上を目指して開発された化学合成農薬は、高性能、安価、長期保存可能といった利点から広く使用されている。一方で、農薬の過度な使用は水質汚染、土壌汚染、農作物への残留などの理由から、人体への毒性、持続的農業への悪影響が危惧されている。また、娯楽目的で造成されているゴルフ場でも、農薬が水質汚染を引き起こし、国内でも緊急の課題として取り上げられるほど社会問題視されている。ゴルフ場で使用される芝草は年間を通して生育を良好に維持する必要があり、生育に不適切な気候環境下でも生育させなければならない。また利用目的上、輪作、混作ができないといった理由から、多量の農薬が散布されているのが現状である。従って、減農薬を目的とした防除効果の高い殺菌剤の検討、肥培管理技術の確立、病害耐性芝の創成とともに、農薬に代わる土壌病害防除法の確立が必要となっている。農薬に代わる防除法として、拮抗微生物による生物防除法が期待されている。生物防除法とは、土壌微生物生態系の中で微生物が獲得してきた機能を植物病害の抑制に利用する手法である。しかしながら、拮抗微生物の導入による生物防除は拮抗菌株の定着性、生残性の低さ、また、病害防除に必要な活性の不安定さなどの問題点もあげられているため、防除機構の解明が求められている。

 HP72株は、ゴルフ場で使用されているベントグラス芝(Agrostis palustris Huds.,cv.Pencross)に対するブラウンパッチ病害を防除する目的で単離された。この菌株は1)各種シバ草病害菌に対し、プレート上での強い活性を持つこと2)ブラウンパッチ病害を抑制すること3)シバ草根圏への高い定着性があること、の3点の理由により選抜された。そしてこの株は拮抗物質として知られる2,4-diacetylphloroglucinol(Phl)を生産することが、培養上清の解析により明らかとされてきた。そこで、本研究ではこれまでにほとんど研究例のない芝草の病害の生物的防除に関し、HP72株の2次代謝産物に着目し、Rhizoctonia solaniにより引き起こされるブラウンパッチ病害の防除メカニズムを解明することを目的とした。

1.HP72株の同定、分類

 HP72株は、ブラウンパッチ抑止土壌に生育するシバ草の根から単離された。この菌株の種の同定を行うため生理性状試験、および分類の遺伝的指標である16S rDNA配列の解析を行った。その結果、HP72株はPseudomonas fluorescensであることが強く示唆された。また、P.fluorescensは非常に多様な種であることから、生理性状試験によりさらに5つのBiovar(bv.I-V)に分けられているが、HP72株は、P.fluorescens bv.IIIであることがわかった。これまでに、Phlを生産する蛍光性Pseudomonasが各種病害の拮抗微生物としていくつか単離されている。Pseudomonas属(狭義)は、16S rDNA配列による系統解析の結果、7つのクラスターにわけられることが報告されているが、Phl生産菌はそれぞれいくつかの異なるクラスターに属し、Phlの生産性は16S rDNA配列による系統解析との相関性はみられなかった。

2.Pseudomonas fluorescens HP72株の生産する拮抗物質と病害防除との関連性

 P. fluorescens HP72株は対峙培養により各種シバ草病原性糸状菌に対して拮抗性を示す。HP72株は、培養上清中にPhlを生産することはすでに明らかにされていたが、他の拮抗物質を生産する可能性も考えられたため、トランスポゾンTn5を導入し、HP72株のランダム変異株を作製した。それらの変異株とシバ草病原性糸状菌との対峙培養を行い、拮抗性を示さない5つの拮抗能欠損変異株を単離した。これら5つの拮抗能欠損株の培養上清を薄層クロマトグラフィーにより解析した結果、すべての株でPhlを生産しないことが分かった。このことからも、HP72株のin vitroにおける拮抗性に、Phlの重要性が示唆された。これまでに小麦立ち枯れ病を抑止するPseudomonas Q2-87株から推定Phl合成遺伝子群が単離され、タバコ黒根病を抑止するPseudomonas CHA0株でも、そのPhl合成遺伝子の部分配列が報告されている。しかしながら、Tn5挿入部位の周辺遺伝子からは、Phl合成遺伝子群との関連性は見られなかった。このことは、Phl生産制御の複雑性を示していると考えられる。そこで、Q2-87株およびCHA0株の推定アミノ酸配列を基にしてPCRプライマーを合成し、HP72株のPhl合成遺伝子を単離した。この結果、Phl合成遺伝子とされるPhlA、PhlC、PhlB、PhlD、およびPhl合成の制御に関わるとされるPhlFを単離し、さらにPhl合成遺伝子の下流にあるPhlE、上流にあるPhlgの部分配列を単離した。この結果、すべてのOpen reading frameで、Q2-87株とはアミノ酸配列で80%以上、CHA0株とは70%以上の高い相同性が得られた。

 また、対峙培養により得られた5つの拮抗能欠損株のうち3株は、拮抗性との関与が指摘されているシアン化合物の生産も欠損していた。よって、Phlは生産せず、シアン化合物は生産する2つのHP72変異株を用い、ブラウンパッチ病害防除能について評価した。その結果、野性株と比べ、Phl非生産株はその防除能を低下させたことから、病害防除においてPhl生産は重要な役割を果たすことが示唆された。

3. Pseudomonas fluorescens HP72株の生産する植物成長制御因子indole-3-acetic acid(IAA)と病害防除との関連性

 P. fluorescens HP72株の根圏への定着性という観点から、植物との相互作用に関わると考えられるIAAに着目した。IAAは、植物ホルモンオーキシン様の作用があることで知られている。植物においては、IAA合成に関する知見は少ないが、多くの根圏微生物においてIAAを生産することが報告されており、いくつかのIAA合成経路が決定されている。HP72株は、L-tryptophan(Trp)を添加した培地で培養した際、その培養上清にIAAを生産することが確認された。HP72株を数回継代培養した結果、Salkowsky試薬でIAA生産が検出されないIAA低生産株が単離された。そこで、野性株およびこのIAA低生産株を用いIAAの合成経路の決定を行った。これまで微生物による主要なIAA合成経路として、Indole-3-acetamide(IAM〉を介するIAM経路と、Indole-3-pyruvic acid(lpyA)を介するIpyA経路が報告され、その合成遺伝子に関する研究が進んでいる。そこで、休止菌体反応によりHP72株はIAM経路、IpyA経路の主要な中間物質であるIAM、IpyAを利用してIAAを合成できるのかを指標とし、この経路の有無を確認した。IAA低生産株は、Trpから、野生株の約6,8%しか1AAを合成せず、野性株、IAA低生産株の両株とも、IAM、IpyAからIAAをほとんど合成しなかった。このことから、IAM、IpyA経路によりIAAを生産していないと考えられた。そこで、IAM経路、IpyA経路とは異なる1AA合成経路の鍵酵素であるTryptophan side chain oxidase(TSO)の活性を調べた結果、野性株は高い活性をもち、IAA低生産株では野性株の約8.6%の活性しか持たないことが分かった。このことから、HP72株は、TSO経路によりIAAを合成していることが示唆された。

 この両株を用い根圏への定着能を調べた結果、IAA低生産株では、野生株の約1/5の定着数となり、IAA生産が根圏への定着に関わる可能性が示唆された。また、野性株を接種したベントグラスでは、無接種のベントグラスに比べ、根の伸長が抑制される現象が見られたが、IAA低生産株ではこの現象が見られず、無接種のベントグラスとほぼ同等の根の伸長が見られたことから、HP72株の生産するIAAは根の伸長を抑制する可能性が示唆された。しかしながら、ブラウンパッチ病害防除能に関しては、両株間に有意な差は見られず、IAA生産量と病害防除には直接的な関連性はなく、また1/5程度の定着数の減少は病害防除能に影響を与えないことが示唆された。

総括

 シバ草病害防除菌であるPsudomonas fluorescens HP72株は、拮抗物質として2,4-diacetylphloroglucinolを生産し、in vitro、in vivoでの拮抗性にこの機構物質が重要な役割を果たす事が示唆された。また、HP72株の生産するindole-3-acetic acidは、根圏への定着性への関与、植物根の伸長抑制への関与の可能性が示唆されたが、病害防除に直接的な関連性は見られなかった。恐らくHP72株は、環境中でシバとRhizoctonia solaniからなる生態系に積極的に参入するため、複数の機構を有していると考えられる。今後、HP72株の防除機構をさらに明らかにしていくことで、病害抑制へ生物防除法を有効に利用するための様々な知見が得られることを期待している。

審査要旨 要旨を表示する

 農業の生産性の向上を目指して開発された化学合成農薬は、高性能、安価、長期保存可能といった利点から広く使用されている。一方で、農薬の過度な使用は水質汚染、土壌汚染、農作物への残留などの理由から、人体への毒性、持続的農業への悪影響が危惧されている。また、娯楽目的で造成されているゴルフ場でも、農薬が水質汚染を引き起こし、国内でも緊急の課題として取り上げられるほど社会問題視されている。ゴルフ場で使用される芝草は年間を通して生育を良好に維持する必要があり、生育に不適切な気候環境下でも生育させなければならない。また利用目的上、輪作、混作ができないといった理由から、多量の農薬が散布されているのが現状である。従って、減農薬を目的とした防除効果の高い殺菌剤の検討、肥培管理技術の確立、病害耐性芝の創成とともに、農薬に代わる土壌病害防除法の確立が必要となっている。農薬に代わる防除法として、拮抗微生物による生物防除法が期待されている。生物防除法とは、土壌微生物生態系の中で微生物が獲得してきた機能を植物病害の抑制に利用する手法である。しかしながら、拮抗微生物の導入による生物防除は拮抗菌株の定着性、生残性の低さ、また、病害防除に必要な活性の不安定さなどの問題点もあげられているため、防除機構の解明が求められている。本論文では、芝草の病害を防除する細菌HP72株について、病害防除のメカニズムをブラウンパッチ病を中心に解明したもので、3章からなる。

 第1章では、HP72株の分類学的な位置を明らかとした。この菌株の種の同定を行うため生理性状試験、および分類の遺伝的指標である16S rDNA配列の解析を行った結果、Pseudomonas fluorescensのbiovarIIIであることが強く示唆された。HP72株は拮抗性物質Phlを生産する。これまでに、Phlを生産する蛍光性Pseudomonasが各種病害の拮抗微生物としていくつか単離されている。Pseudomonas属は、16S rDNA配列による系統解析の結果、7つのクラスターに分けられることが報告されているが、Phl生産菌はそれぞれいくつかの異なるクラスターに属し、Phlの生産性は16S rDNA配列による系統解析と相関していなかった。

 第2章ではHP72株の生産する拮抗物質と病害防除との関連を調べた。HP72株は対峙培養により各種シバ草病原性糸状菌に対して拮抗性を示し、培養上清中にPhlを生産することはすでに明らかにされていたが、他の拮抗物質を生産する可能性も考えられたため、トランスポゾンTn5を導入し、HP72株のランダム変異株を作製した。それらの変異株とシバ草病原性糸状菌との対峙培養を行い、拮抗性を示さない5つの拮抗能欠損変異株を単離した。これら5つの拮抗能欠損株の培養上清を薄層クロマトグラフィーにより解析した結果、すべての株でPhlを生産しなかった。このことから、HP72株のin vitroにおける拮抗性に、Phlの重要性が示唆された。Tn5挿入部位の周辺遺伝子からは、Phl合成遺伝子群との関連性は見いだせなかった。このことは、Phl生産制御の複雑性を示していると考えられる。対峙培養により得られた5つの拮抗能欠損株のうち3株は、拮抗性との関与が指摘されているシアン化合物の生産も欠損していた。よって、Phlは生産せず、シアン化合物は生産する2つのHP72変異株を用い、ブラウンパッチ病害防除能について評価した。その結果、野性株と比べ、Phl非生産株はその防除能を低下させたことから、病害防除においてPhl生産は重要な役割を果たすことが示唆された。これまでいくつかのPseudomonas菌株でPhl合成遺伝子の部分配列が報告されている。次に、Phl合成遺伝子の推定アミノ酸配列を基にしてPCRプライマーを合成し、HP72株のPhl合成遺伝子領域を単離した。この結果、すべてのPhl遺伝子で、報告されているものと高い相同性が確認された。

 第3章ではHP72株の生産する植物成長制御因子indole-3-acetic acid(IAA)と病害防除との関連を調べた。IAAは、植物ホルモンオーキシン様の作用を示す物質である。多くの根圏微生物はIAAを生産することが報告されており、いくつかのIAA合成経路が決定されている。HP72株は、L-tryptophan(Trp)を添加した培地で培養した際、その培養上清にIAAを生産することが確認された。HP72株を数回継代培養した結果、Salkowsky試薬でIAA生産が検出されないIAA低生産株が単離された。そこで、野性株およびこのIAA低生産株を用いIAAの合成経路の決定を行った。これまで微生物による主要なIAA合成経路として、Indole-3-acetamide(IAM)を介するIAM経路と、Indole-3-pyruvic acid(IpyA)を介するIpyA経路が報告され、その合成遺伝子に関する研究が進んでいる。そこで、休止菌体反応によりHP72株はIAM経路、IpyA経路の主要な中間物質であるIAM、IpyAを利用してIAAを合成できるのかを指標とし、この経路の有無を確認した。IAA低生産株はTrpから、野生株の約6.8%しかIAAを合成せず、野性株、IAA低生産株の両株とも、IAM、IpyAからIAAをほとんど合成しなかった。このことから、IAM、IpyA経路によりIAAを生産していないと考えられた。そこで、IAM経路、IpyA経路とは異なるIAA合成経路の鍵酵素であるTryptophan side chain oxidase(TSO)の活性を調べた結果、野性株は高い活性をもち、IAA低生産株では野性株の約8.6%の活性しか持たないことが分かった。このことから、HP72株は、TSO経路によりIAAを合成していることが示唆された。この両株を用い根圏への定着能を調べた結果、IAA低生産株では、野生株の約1/5の定着数となり、IAA生産が根圏への定着に関わる可能性が示唆された。また、野性株を接種したベントグラスでは、無接種のベントグラスに比べ、根の伸長が抑制される現象が見られたが、IAA低生産株ではこの現象が見られず、無接種のベントグラスとほぼ同等の根の伸長が見られたことから、HP72株の生産するIAAは根の伸長を抑制する可能性が示唆された。しかしながら、ブラウンパッチ病害防除能に関しては、両株間に有意な差は見られず、IAA生産量と病害防除には直接的な関連性はなく、また1/5程度の定着数の減少は病害防除能に影響を与えないことが示された。

 以上、本論文は微生物農薬として期待されるP.fluorescens HP72株の芝草病害の防除機能を生産物質の側面から解明を試みたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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