学位論文要旨



No 118226
著者(漢字) 平野,啓
著者(英字)
著者(カナ) ヒラノ,ヒロシ
標題(和) ベラドンナ培養根によるサリチル酸のメチル化に関する研究
標題(洋)
報告番号 118226
報告番号 甲18226
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2615号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山川,隆
 東京大学 教授 大塚,治城
 東京大学 教授 谷田貝,光克
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 小柳津,広志
内容要旨 要旨を表示する

 Salicylic acid(SA)は植物界に広く存在する低分子量(MW:138.12)のフェノール化合物で、植物においては開花の誘導,ethylene等のホルモンの生合成阻害からsystemic acquired resistanceのような植物特有の防御機構におけるシグナル因子としての機能等、極めて多岐に渡る生理学的・生化学的な機能を持つ。その一方で他のhydroxybenzoic acid類と同様に毒性が高いことでも知られ、過剰なSAが植物細胞に作用した場合には、これを種々の配糖体に変換して水溶性を高めると共に反応性を低下させ、毒性の低い形態に変換して貯蔵する働きが高等植物一般には備わっている。植物細胞内に見られるSAの派生物には配糖体以外にもエステルやアミノ酸との結合体等いくつかの種類があるが、これらは無毒化された貯蔵形態であると言うよりは寧ろ自身が生理活性を持つ機能性分子であり、配糖体と比べて量的にも圧倒的に少ないものである。

 こうした中で、ナス科の薬用植物として知られるAtropa belladonnaの毛状根を高濃度(0.2mM)のSAを含む培地で生育させると、培地中にも組織中にも配糖体が見られない一方で、培地中からSAのメチルエステルであるmethyl salicylate(MSA)とさらにフェノール性水酸基もメチルエーテル化したmethyl-O-methoxybenzoate(MMB)が検出されることが当研究グループにおいて確認された。培地中のMSAとMMBは、添加されたSAがA.belladonna毛状根によって変換されたものと考えられ、Fig.1のような変換経路を辿ったものと推定される。

 SA添加に対するこの応答様式は配糖体の形成が全く見られない点でも興味深いが、植物においてSAからの派生物としてMMBが検出された例はこれまでに無く、生理活性の高いSAおよびその派生物の代謝経路としてもユニークな例であると言える。

 そこで本研究ではこのSAに対する応答反応を、応答様式そのものを詳細に分析する視点と、応答を構成する酵素とその司る反応を分析する分子生物学的な視点の二面から追い、以てこの応答反応の機構・意義を解明する上での基礎的知見を得ることを目的とした。

 まず前者の視点に基く分析として、培地中のSAの初期濃度とメチル化応答の様式との関係について検討したところ、最低でも0.1mMのSAを含む培地で培養しない限りSAのメチル化は見られなかった。従って本応答を見るためにはかなりSA濃度の高い環境が必要であるが、一方で2.OmMを超える濃度のSAで処理した場合には毛状根の枯死が始まってしまい、この間の濃度でのみメチル化されたSAの漏出を確認することができた。

 また、これまでの知見は全て毛状根におけるものであるが、A.belladonnaの不定根についてもSAへの応答を見たところ、毛状根と同様に培地に投与されたSAをメチル化し得ることが確認された。毛状根とは植物がAgrobacterium rhizogenesによる感染を受けた際に植物自身の染色体DNA上にAgrobacterium由来のRi plasmidに含まれるT-DNAを挿入された結果、腫瘍化や毛状根化を始めとした様々な代謝・形態上の異常を発現した状態を指すものであるため、この特異な応答様式も毛状根化したことに起因する可能性が否定し得なかった。しかし、不定根においても毛状根と同様の結果を得られたことから、そもそもこの応答様式はA.belladonnaに備わっている性質であると言える。

 さらに、A.belladonna毛状根によるメチル化の基質特異性を調べるためにSAと構造の類似した化合物12種類についてその変換の有無を確認したところ、SA以外ではTable1に見られる3つの化合物(MSA,acetyl salicylic acid,salicyl alcohol)についてのみそのメチル化が認められた。その一方で、m-hydroxybenzoic acidやp-hydroxybenzoic acidといったSAの異性体や、類似した構造を持つbenzoic acidのような化合物に対してもメチル化は見られなかった。

 また、MSAおよびMMBの変換を試みた場合に、培地中からSAを検出することができた。このことから、A.belladonnaではSAからMSA,MMBへの変換が起きる一方で、SAへの逆変換が起きている可能性も示唆される。Nicotiana tabacumにおいては、SAはその配糖体であるsalicylic acid 2-O-β-D-glucoside(SAG)との間で相互変換を起こすことが知られているが、配糖体を持たないA.belladonnaにおいてはメチル化〓脱メチル化がその役割を担っている可能性も考えられ、SAの代謝系における新たな知見に繋がるものとして興味深い。

 一方、本応答に関与する酵素群の解明に対するアプローチとして、まずSA→MSAを触媒するsalicylic acid methyltransferase(SAMT)と、MSA→MMBを触媒するmethyl salicylate methyltransferase(MSAMT)の活性測定法を確立することから始めた。この結果、SA 0.4mMを投与した培地で3日間培養したA.belladonnna毛状根から、SAMT活性とMSAMT活性を同時に持つcrude cell extractを抽出することに成功した。

 Crude cell extractによるメチル化反応の基質特異性は、Table1に示したように、基本的には毛状根を用いて変換させた場合と同様であった。ただし、得られたcrude cell extractではMSA,MMB→SAの逆変換は再現できなかった。基質特異性に関する知見から鑑みて、本応答反応に直接関与している酵素群は、恐らくこのcrude cell extractに含まれているものと考えられた。

 この内のSAMT活性については、既に当研究グループにおいてSAMT活性を持つ酵素をコードした遺伝子、AbSAMT1が単離されており、恐らくはこの、AbSAMT1がSAMT活性の部分についてのみ関与しているものと考えている。しかしAbSAMT1にはMSAMT活性が無いことも分かっており、従ってこれとは別にMSAMT活性を持つO-methyltransferase(OMT)が存在するはずであると考えられた。

 そこで、crude cell extractからMSAMT活性のみを持つ画分の分離を試みた。crude cell extractを用いた酵素活性測定法を構築する上で、MSAMTがmethyltransferase反応に用いるメチル基の供与体としてS-adenosyl-L-methionineを利用し得ることが確認されていたことから、adenosine-agaroseを用いたaffinity chromatographyによってMSAMT活性のみを持つ画分の分離を試みたところ、これに成功した。SDS-PAGEにて分析したところ、この画分からは主要なバンド1つと微少な2つのバンドが検出された。それぞれのバンドについてdensitometryを定量し、その値とMSAMTのtotal activityとの関係を前後のchromatography画分との間で比較した結果、最も主要なバンド(約38kDa)において最も高い相関関係(相関係数=0.996)が認められ、これがMSAMTに当たる可能性が高いと考えられた。

 Table1に示したMSAMTの基質特異性からは、この酵素のサポートする反応がフェノール性水酸基のメチルエーテル化のみであることを読みとることができる。またSAを変換できなかったことから、未修飾のカルボキシル基はMSAMTと基質の結合活性を著しく減少させるものと考えられる。これらのことは同時に、SA→MSA→MMBの順にのみメチル化が進むことを示唆している。さらに、MSAをメチル化してMMBとするOMTはまだ報告が無く、このMSAMTは新規のmethyltransferaseである可能性が高い。以上から、本MSAMTは機能的にも酵素の分類学的にも興味深い存在であると思われる。

 次に、ここまでで得られたSAMTやMSAMTに対するアプローチ法を利用して、A.belladonna毛状根においてSAMTやMSAMTが実際にどのような挙動を示しているのか検討した。先に述べたAbSAMT1は、mRNAレベルにおいて通常は発現していないが、A.belladonna毛状根にSAを作用させると発現が誘導されることが分かっている。さらに、A.belladonna毛状根をSAを含む培地で前培養した場合、通常の培地で前培養したものに比べて培地中にMMBが漏出される時間が早くなることも確認された。これらを考え併せると、本応答反応を担う機構は恒常的に発現しているのではなく、SAによる誘導といった何らかのトリガによって誘導されるものであると考えられた。

 そこで培地にSAを添加した後のSAMTおよびMSAMT活性の経時的な変化を追ってみたところ、Fig.2に見られるように、SAMTに関してはその発現が完全にSAに依存していることが示された。一方MSAMTに関しては、SA非投入時においても投入時と比べてそれほど変わらない活性を示した。従って、SAMTは確かにSAによって誘導される酵素であったが、MSAMTは恒常的に発現しているものと考えられる。

 最後に、SAMTの発現を促すSA以外のトリガについて検討するために、A.belladonna毛状根にいくつかのストレスまたはエリシター処理をかけ、これらがSAMTおよびMSAMT活性に及ぼす影響を見た。ストレスおよびエリシターとしては、H202 stress,NaCIによるosmotic stress,Cd2+およびCu2+による金属イオンストレス,エリシターとしてyeast extract,生理活性物質としてjasmonic acidおよびMSAを試みた。しかし、唯一MSAを適用した場合にのみSAMTの誘導が確認され、その他の処理を施した場合にはSAMTの誘導も見られず、またMSAMTの活性についても大きな変化は見られなかった。

 本研究で示されたA.belladonnaにおけるSAに対する応答は、配糖化が見られない点だけでなく、これをMMBまでジメチル化する点においてもこれまでに報告のない極めてユニークなものである。その意義についてはなお不明であるが、恐らくこの応答の鍵となるSAMTを誘導し得た因子がSAやMSAといったSAの派生物に限られていることを考えると、N.tabacumにおけるSA〓SAGのようにSAおよびその派生物の代謝機構としての役割をメインに担っているものとも考えられる。この仮定に立つならば、MSAのフェノール性水酸基をさらにブロックし、より反応性が抑えられているものと考えられるMMBにまで変換することは、生存戦略としてより合理的なものであると言える。

 ただしMSAMTに関しては、これが常時発現しているものであることを考えると、SAの代謝以外の役割も持つ汎用的な酵素であるとも考えられる。MSAMTはMSAをさらにメチル化する、他の植物OMTには見られない性質を持つ酵素だが、その全容を見るためには、類似した酵素の検索を始めとする多角的なアプローチが必要となるだろう。SAMTと並んで本応答の鍵となる因子であると共に、植物のOMTを考える上でも非常に興味深い酵素であることから、さらに検討を重ねる必要がある。

 また、MSAは植物において様々な機能を担っているが、果たしてMMBも同様に何らかの生理的機能を持っているのか、興味深いところである。これまでにそのような報告は無かったが、植物におけるMMBの研究そのものが殆んど見られなかったものであるため、今後の進展に期待するものである。

 本研究によって、このユニークな応答に関する基礎的な知見を得るという目的はある程度達成できたものと考える。今後は、本応答を構成するそれぞれの因子に関する知見を深めると共に、なぜA.belladonnaでこのような機構が進化したのか、その他の生物で同様の機構を持つものは無いのか、といった点に関しても検討を進めることが望まれる。

Figure 1:A.belladonnaによるsalicylic acidの推定変換経路

Table1:毛状根,crude cell extract,MSAMT活性画分によるメチル化反応の基質特異性

Figure2:SA投与後のSAMT,MSAMT activityの経時的変化

審査要旨 要旨を表示する

 Salicylic acid(SA)は植物において開花の誘導やethylene等の植物ホルモンの生合成阻害から、systemic acquired resistanceのような防御機構におけるシグナル因子としての機能等、多岐に渡る作用を示すフェノール化合物である。SAは他のhydroxybenzoic acid類と同様に高い毒性を示すことも知られており、植物は一般にこれを配糖化することで毒性を低下させ、細胞中に貯蔵するものと考えられてきた。

 一方、ベラドンナ(ナス科)の毛状根が、SAを投与された場合にこれをモノメチル化、さらにジメチル化してmethyl salicylate(MSA)およびmethyl-O-methoxybenzoate(MMB)を生成し、配糖体に関しては一切生成しない、ユニークな応答を示すことが報告されている。SA添加に対するこの応答様式は配糖体の形成が全く見られない点でも興味深いが、生理活性の高いSAおよびその派生物の代謝経路としてもユニークな例であると言える。

 そこで本研究ではこのSAに対する応答反応を、応答様式そのものを詳細に分析する視点と、応答を構成する酵素とその司る反応を分析する分子生物学的な視点の二面から追い、この応答反応の機構・意義を解明する上での基礎的知見を得ることを目的とした。

 第1章では、前者の視点に基く分析を行なった。

 まず、この応答反応に関してより詳細に検討したところ、ベラドンナによる芳香族化合物のメチル化はSAとその派生物(salicyl alcohol,acetyl salicylic acid,MSA)に限られることが示された一方で、MSA,MMBが与えられた場合にはSAへの逆変換が観察された。このことはベラドンナにおいてSAとその派生物の代謝および再利用の系としてメチル化が機能していることを示唆している。また、SAとその派生物に特化したシステムであることから、植物におけるSAの機能に関係の深いものであると考えられた。

 また、この応答がAgrobacterium感染による影響を受けての現象とも考えられたが、不定根においても同様の応答が見られることから、ベラドンナに固有の性質であることが示された。

 第2章では、上記の現象に関与する酵素について検討を進めた。

 Crude cell extractを用いたO-methyltransferase活性測定の結果からは、SA→MSAとMSA→MMBを触媒する酵素が異なることが予想された。後者(MSA methyltransferase:MSAMT)については、adenosine-agarose gelを用いたaffinity chromatographyによって部分精製され、38kDaのタンパク質がそれであることが確認された。MSAMTはMMBを生成するmethyltransferaseとしては初めての例である。

 一方で前者(SA methyltransferase:SAMT)については精製を進めることができなかったが、Clarkia breweri(アカバナ科)のSAMT(CbSAMT)のホモログとしてAbSAMT1が本研究とは別に取得・解析されており、そのrecombinant proteinとcrude cell extractとのSAMT活性の比較から両者の性質が類似したものであったことから、AbSAMT1がこれを担っていると考えられる。

 この2つの酵素によって一連のメチル化反応が担われていることが、両酵素およびcrude cell extractの基質特異性に関する解析結果から示された。

 以上、本論文はベラドンナの毛状根が、サリチル酸を投与された場合にこれをモノメチル化、さらにジメチル化してゆく一連のメチル化反応を酵素レベルで解明し、有用な知見を示したもので、学問上応用上貢献することころが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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