学位論文要旨



No 118240
著者(漢字) 平林,啓司
著者(英字)
著者(カナ) ヒラバヤシ,ケイジ
標題(和) 20α-水酸化ステロイド脱水素酵素遺伝子の発現調節機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 118240
報告番号 甲18240
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2629号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 今川,和彦
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
内容要旨 要旨を表示する

 哺乳類の生殖系には視床下部-下垂体-性腺を中心とした基本的な神経内分泌調節系が共有されているが、その表現型には種によって様々な変異が見られる。一般に哺乳類の性周期は卵胞期、排卵期、黄体期からなり、排卵後に形成される黄体は哺乳類の生殖に必須のホルモンであるプロジェステロンを一定期間分泌する。一方、マウスやラットは交尾刺激がない場合には黄体期を持たない不完全性周期を回帰する。これは排卵後形成された黄体において、プロジェステロンを生物活性のない20α-ダイハイドロプロジェステロンに変換する20α-水酸化ステロイド脱水素酵素(20α-HSD)が発現するためである。この黄体における20α-HSD発現の生物学的意義は20α-HSD遺伝子欠損マウスを用いて解析され、20α-HSDは性周期の短縮や不妊交尾による偽妊娠から性周期への早期の移行といった繁殖戦略上重要な役割を果たしていることが示唆されている。これらの動物では、妊娠が成立した場合には20α-HSDの発現がプロラクチン(PRL)によって抑制されることによりプロジェステロン分泌相が導入され、また妊娠末期にはプロスタグランジンF2α(PGF2α)によってその発現が促進されて黄体が退行するというという合目的的な調節を受けている。20α-HSDはアルドケト還元酵素(AKR)スーパーファミリーと呼ばれるグループに属し、AKRは単量体で約320個のアミノ酸からなる酵素群である。マウスやラットにも複数のメンバーが存在し、基質特異性や発現臓器などによって多彩な機能を有している。マウスやラットで20α-HSDが生殖系において機能を持つに至った背景には、その基質特異性とともに黄体細胞特異的な発現調節機構を獲得したことが重要であると考えられ、20α-HSDの発現調節機構は遺伝子発現調節の一モデルに留まらず、遺伝子の分子進化という観点からも極めて興味深い。このような背景から、本研究はマウス20α-HSD遺伝子の黄体における発現調節機構を解析するとともに、その分子進化に関して検討を加えたものである。

 第一章においては、20α-HSD遺伝子の発現調節機構を解析する手段として、まずマウス20α-HSDゲノムクローンから遺伝子の5'上流領域を単離して塩基配列及び転写開始点を決定し、転写因子結合部位の検索を行った。塩基配列を決定した約4.3kbの上流配列について検索を行った結果、Stat6結合部位、グルココルチコイド応答配列(GRE)、プロジェステロン応答配列(PRE)、cAMP応答配列(CRE)、NF-1結合部位、Sp1結合部位等が見出された。また、既に報告されているラット20α-HSD遺伝子5'上流配列との間で検索結果の比較を行ったところ、両種に共通に見出されたのは転写開始点近傍のGRE、NF-1結合部位、Sp1結合部位のみであった。ラット20α-HSD遺伝子5'上流配列を単離したグループが独自に行った検索によると、本実験で行った検索には見出されないAP-1結合部位、CRE、PRE、PRL応答配列(PRLRE)、NUR77結合部位が報告されている。これらの配列をマウスにおいて対応する配列と比較すると、PRE、PRLRE、NUR77結合部位に比較的保存性が認められた。NUR77結合部位はラットにおいてPGF2αによる20α-HSDの発現刺激作用を仲介することが報告されており、この配列が両種で保存されていることなどから、20α-HSD遺伝子に関して共通の調節機構が存在すると思われる。両種の20α-HSD遺伝子5'上流配列の間には約75%の相同性が認められ、その他の調節機構も種間でよく保存されていることが示唆された。

 次に、単離されたマウス20α-HSD遺伝子5'上流配列を用い、ラット黄体細胞及び黄体化顆粒層細胞という2種類の初代培養系を用いて、プロモーター活性に対するフォルスコリン(FSK)及びPGF2αの効果をレポーターアッセイにより検討した。FSKは細胞内cAMPを上昇させる試薬であり、ラット20α-HSDプロモーター活性を減少させることが報告されている。均一な細胞集団である黄体化顆粒層細胞の初代培養系においてはFSKはプロモーター活性、内因性mRNAともに減少させた。一方、黄体組織を構成する種々の細胞からなる不均一な細胞集団である黄体細胞の初代培養系では、FSKは内因性mRNA量を減少させたが、プロモーター活性は大幅に上昇させた。この矛盾は、黄体細胞の初代培養系に含まれる非ステロイド産生細胞に導入された外来性遺伝子の発現パターンによるものと考えられ、20α-HSD遺伝子発現の特異性は塩基配列のみではなく、細胞内環境やDNAの状態、例えばクロマチン構造などにも大きく依存していると考えられた。一方、PGF2αはどちらの培養系においてもプロモーター活性と内因性mRNA量を上昇させた。以上の結果から、以後の実験ではプロモーターアッセイの結果が内因性mRNA発現の変化を反映していることが示されたラット黄体化顆粒層細胞を用いた。

 第二章ではまず、黄体細胞において20α-HSD遺伝子の転写活性化に必要なシスエレメントの同定を目的として、黄体化顆粒層細胞の初代培養系において5'欠失変異体コンストラクトを用いたレポーターアッセイを行った。その結果、上流-83〜-60の領域を欠失させたところでプロモーター活性が顕著に減少することが明らかとなった。第一章における解析でこの領域にはSp1配列が見出されていたので、Sp1配列の欠失変異体又は塩基置換変異体を作製してレポーターアッセイを行ったところ、それらのプロモーター活性は野生型コンストラクトに比べて大きく減少した。さらにゲルシフト法による解析からこの配列にSp1が結合することが示された。以上の結果より、黄体における本遺伝子の自発的な発現にはSp1が重要な役割を果たしていることが示唆された。

 次に、黄体の機能化に必須なPRLによる20α-HSDの発現抑制機構を検討した。レポーターアッセイにおいてPRL応答性が再現されたことから、PRLは20α-HSD遺伝子の5'上流配列を介して作用することが示された。また種々の5'欠失変異体を用いた解析において、上流-100塩基まで欠失してもPRL応答性は失われなかったことから、PRL応答配列は転写開始点近傍にあることが示唆された。しかし、この領域にPRLREは見出されなかったことから、PRL受容体の下流にあることが知られているJak2/Stat5の役割を検討するために、Jak2阻害剤を用いて20α-HSD mRNAの発現量を解析した結果、Jak2の活性化がPRL作用に必要であることが示唆された。また、タンパク質合成阻害剤であるサイクロヘキシミドもPRLの作用を阻害したことから、PRLによる20α-HSDの発現抑制作用は新規タンパク質合成に仲介されていることが示唆された。さらにゲルシフト法を用いてPRLがSp1による転写活性を抑制している可能性を検討したところ、PRLによってシフトバンドの減少が認められた。これらの結果は、PRLはJak2の活性化を介して何らかのタンパク質合成を促進し、そのタンパク質がSp1による転写活性を抑制することで20α-HSD遺伝子の発現を抑制していることを示唆している。

 第3章においてはマウス20α-HSD遺伝子の分子進化に関して理解を深めることを目的に蛍光in situハイブリダイゼーション法を用いた解析を行った結果、マウス20α-HSD遺伝子は13番染色体のA1領域に存在することが明らかになった。公開されているマウスゲノム情報の検索により、この領域にはAKRスーパーファミリー遺伝子クラスターが存在し、重複によってこの遺伝子ファミリーが形成されたものと考えられた。これらの遺伝子は一部の組み合わせを除いて一様に75%前後の相同性を示したことから、比較的短期間に遺伝子重複が繰り返されて現在のレパートリーが構成された後に変異が起こり、個々の遺伝子が別々の機能を持つに至ったことが想像される。一方、ヒトゲノム情報から、ヒト10番染色体p15-14領域に少なくとも4つのAKRスーパーファミリー遺伝子、すなわちAKR1C1(20α-HSDに相当)〜AKR1C4が見出され、この領域とマウス13番染色体A1領域との相同関係が改めて確認された。ヒトではこれらのAKRメンバーが主に肝臓で発現する一方でマウス20α-HSDは卵巣に最も多く発現することから、マウス20α-HSD遺伝子の特にプロモーター領域の分子進化における特殊性が伺われた。

 以上、本研究によりマウス20α-HSD遺伝子5'上流塩基配列が決定され、Sp1配列を含む転写因子結合部位の存在が明らかとなった。遺伝子発現の組織特異性はその配列のみでは決定されないものの、黄体細胞における20α-HSD遺伝子の転写の活性化には、Sp1配列が必須の役割を果たしていることが示唆された。さらに、PRLはJak2の活性化を介して何らかのタンパク質の合成を誘導し、Sp1の作用を抑制することにより黄体を機能化することが考えられた。このように、マウスやラットの黄体において特異的に見られる20α-HSD遺伝子の発現制御機構にはSp1が深く関与していることが明らかとなり、本配列を中心としたプロモーター領域のさらなる比較生物学的な解析により、20α-HSD遺伝子の分子進化に対する理解が深まるとともに、哺乳類の生殖系に見られる多様性の一端を分子レベルで明らかできるものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 一般に哺乳類の性周期は卵胞期、排卵期、黄体期からなり、排卵後に形成される黄体はプロジェステロンを一定期間分泌する。一方、マウスやラットは黄体期を持たない不完全性周期を回帰する。これは排卵後形成された黄体において、プロジェステロンを20α-ダイハイドロプロジエステロンに変換する20α-水酸化ステロイド脱水素酵素(20α-HSD)が発現するためである。これらの動物では、妊娠が成立した場合には20α-HSDの発現がプロラクチン(PRL)によって抑制されることによりプロジェステロン分泌相が導入される。20α-HSDはアルドケト還元酵素(AKR)スーパーファミリーと呼ばれるグループに属し、AKRは基質特異性や発現臓器などによって多彩な機能を有している。マウスやラットで20α-HSDが生殖系において機能を持つに至った背景には、黄体細胞特異的な発現調節機構を獲得したことが重要であると考えられ、20α-HSDの発現調節機構は遺伝子の分子進化という観点からも極めて興味深い。このような背景から、本論文はマウス20α-HSD遺伝子の黄体における発現調節機構を解析するとともに、その分子進化に関して検討を加えたものである。

 第一章においては、まずマウス20α-HSDゲノムクローンから遺伝子の5'上流領域を単離して塩基配列を決定し、転写因子結合部位の検索を行った。塩基配列を決定した約4.3kbの上流域には、Stat6結合部位、cAMP応答配列(CRE)、NF-1結合部位、Sp1結合部位等が見出された。次に、プロモーター活性に対するフォルスコリン(FSK)の効果をレポーターアッセイにより検討した。均一な細胞集団である黄体化顆粒層細胞の初代培養系においてはFSKはプロモーター活性、内因性mRNAともに減少させた。しかし、不均一な細胞集団である黄体細胞の初代培養系では、FSKは内因性mRNA量を減少させたが、プロモーター活性は大幅に上昇させた。以上の結果から、以後の実験ではプロモーターアッセイの結果が内因性mRNA発現の変化を反映していることが示されたラット黄体化顆粒層細胞を用いた。

 第二章ではまず、黄体化顆粒層細胞の初代培養系において5'欠失変異体コンストラクトを用いたレポーターアッセイを行った。その結果、上流-83.-60の領域を欠失させたところでプロモーター活性が顕著に減少することが明らかとなった。第一章における解析でこの領域にはSp1配列が見出されていたので、Sp1配列の欠失変異体又は塩基置換変異体を作製したところ、それらのプロモーター活性は大きく減少した。さらにゲルシフト法による解析からこの配列にSp1が結合することが示された。以上の結果より、黄体における本遺伝子の発現にはSp1が重要な役割を果たしていることが示唆された。次に、PRLによる20α-HSDの発現抑制機構を検討した結果、PRL応答配列は転写開始点近傍にあることが示唆された。また、Jak2阻害剤およびタンパク質合成阻害剤はともにPRLの作用を阻害した。さらにゲルシフト法を用いてPRLがSp1による転写活性を抑制している可能性を検討したところ、PRLによってシフトバンドの減少が認められた。これらの結果は、PRLはJak2の活性化を介して何らかのタンパク質合成を促進し、そのタンパク質がSp1による転写活性を抑制することで20α-HSD遺伝子の発現を抑制していることを示唆している。

 第3章においては蛍光in situハイブリダイゼーション法を用いた解析を行った結果、マウス20α-HSD遺伝子は13番染色体のA1領域に存在することが明らかになった。この領域にはAKRスーパーファミリー遺伝子クラスターが存在し、重複によってこの遺伝子ファミリーが形成されたものと考えられた。一方、ヒト10番染色体p15-14領域に少なくとも4つのAKRスーパーファミリー遺伝子が見出され、この領域とマウス13番染色体A1領域との相同関係が確認された。ヒトではこれらのAKRメンバーが主に肝臓で発現する一方でマウス20α-HSDは卵巣に最も多く発現することから、マウス20α-HSD遺伝子の特にプロモーター領域の分子進化における特殊性が示唆された。

 以上、本研究によりマウスやラットの黄体における20α-HSD遺伝子の発現制御機構にはSp1結合部位が深く関与していることが明らかになり、本配列を中心としたプロモーター領域のさらなる解析により、哺乳類の生殖系に見られる多様性の一端を分子レベルで明らかできるものと考えられた。これらの成果は、哺乳類の生殖機構に関する比較生物学的理解を深めることに大きく寄与するものと考えられ、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものとして認めた。

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